第16話 「第三話 さよなら、史香」【第三話 最終話】15話:そして、墓場でdabada

 


 やがて、夏休みも半ばを迎えた。

 東京に戻った僕と大鷹と永井さんは、それぞれの生活に戻っていた。




 大鷹は剣道部の夏の大会に参加して、めざましい活躍を見せた。

 残念ながら、都大会には入賞できなかったけれど、

 大将を務めた大鷹はすべての試合が二本勝ちの成績を残したのだ。




 永井さんは、僕のためにアルバイトを見つけてくれた。

 それは、お店の在庫管理いう作業だったけど、

 心に空白ができていた僕には他人との会話が少なくてすむ最高のバイトだった。




 それは虚脱感に支配されていた僕に、

 一日でも早く社会復帰をうながしてくれるための配慮だったのかもしれない。




 とにかく僕はバイトに没頭した。

 わずか二十日間のバイトだったけど、気がつけば職場の人とも仲よくなり、

 いっしょに昼食を食べる程度までに史香不在という虚無は回復していたのだ。




 それはそれは夏休みも後、残り数日という日だった。

 早朝に大鷹から電話で呼び出されたのである。




『今から出てこないか? たまには俺たちと顔を合わせろよ』




 そんな風に言われた。

 僕は、そのときには家族となら日常会話ができるくらい心のリハビリが完了していたので、

 すぐさまオッケーの返事をした。




「ああ、わかった。大丈夫。で、どこに行けばいいんだ?」




 すると大鷹は少しの間、なぜか黙った。

 そして背後から少女の囁く声が聞こえてくる。どうやら永井さんもいっしょにいるようだった。




『……霊園だ。紅林さんの墓だった場所にしよう』




「ええっ……」




 ……僕の心は、ちくりと痛んだ。

 霊園には、あれから足を運んでいない。あの場所に行けば否が応でも史香を思い出すからだ。




 でも、大鷹も永井さんも、そのことは百も承知であるはすだ。

 なのに、そこを集合場所にしようという。




 僕の心は揺れた。

 ……耐えられるだろうか? ……乗り越えられるだろうか? 

 でも、ここで逃げたら一生変われない。どうする? そんな自問自答を繰り返す。




「……ああ、わかった。じゃあ今から出かける」




 そう言って、僕は電話を切った。




 時刻は午前八時頃だった。

 すでに日は高く、今日も暑くなりそうである。

 僕は久しぶりに霊園墓地の入り口を通過する。




 霊園の森ではセミの大合唱が鳴り響く。

 終わりゆく夏を惜しむかのような、盛大な演奏だった。




「暑い……」




 僕は汗をぬぐう。

 そして一歩一歩霊園の坂道を登り始める。僕の足元には濃い影がある。

 見上げると、もくもくとした入道雲が空に浮かんでいる。

 それらは互いの大きさを競うかのように発達している。




 やがて、とうとう八段区まで到達した。

 そして僕は我が家の墓地……、史香の墓があった方角へと足を向ける。



   

 そのとき大鷹と永井さんの姿が見えた。

 ふたりはすでに到着していたようだ。そして僕に手を振ってくる。




「早く来いよ!」




 大鷹が、そう叫ぶ。

 でも僕はそこまでの心の余裕はない。とぼとぼ歩きながら作り笑顔を見せるのが精一杯だ。




 ――そのときだった。




 背筋がぞっとした。氷の塊を押しつけられたような電流が背筋を走る。




 ……いる。




 それは幽霊が現れる予感だった。




 僕は辺りを振り返る。

 だけど夏の日差しに、じりじりと焼かれる墓石以外に姿はない。

 それでも僕は気になって様子をうかがってしまう。




「ねえ、早くおいでよ」




 永井さんが僕を呼ぶ。

 僕はとりあえずは幽霊のことはあきらめて、大鷹と永井さんのいる場所、

 つまりは我が家の墓所がある場所へと向かうことにした。




 ……でも、おかしいな?




 歩きながら僕は疑問を抱いていた。

 ここの霊園は史香以外の幽霊は出ないはずだからだ。




「新しく埋葬された人でもいるのかな?」




 僕はそう考えた。

 この世では、この瞬間に生まれてくる人も大勢いるけれど、この瞬間に死んでいく人も多いのだ。

 僕が知らない間に新しく葬られた死者がいてもおかしくはない。




「……ったく。のろのろ歩きやがって」




 ようやく到着した僕に大鷹はそうつぶやいた。

 僕は、すまないと返事をする。




 そこで僕は、大鷹と永井さんを見回した。

 そして呼吸を整えると、ゆっくりと口を開く。




「あのな。……近くに幽霊がいるぞ。さっき感じたんだ」




 でも、驚いたことに大鷹も永井さんも涼しい顔だった。




「それを聞いて、安心した」

「そうじゃないと、困るのよ」




 ふたりは、そんな返事をしてくるのだ。




「へ? ……驚かないのか?」




 僕は幽霊の出現にまったく平気な顔をしているふたりを見る。

 でも大鷹も永井さんも笑顔のままだ。




「今日が、なんの日か知ってる? 誰かさんの誕生日なんだけどね」




 突然、永井さんが尋ねてきた。




「へ? ……誕生日」




 僕は、一瞬、考え込む。

 僕の誕生日は九月だし、大鷹は僕と同じだ。

 だとすると永井さんだけど彼女は四月にすでに誕生日を向かえているはずだ。




「ノーヒントだぜ」




 そう言って大鷹は、いたずらっぽく笑う。




「……あっ」




 僕は、その瞬間に気がついた。

 史香だ。史香は、今日、誕生日だったのだ。




「……史香だね。今日で十七歳だ」




「正解です。じゃあ、誕生日のお祝いをしましょう」




 永井さんが、そう言った。

 僕は目頭が熱くなる。

 ふたりは僕を励まそうとして、こんなイベントを考えてくれたのに違いない。




 でも、それは間違っていた。

 いや、ある意味では合っていたのだけど……。




「じゃーん」

 



 そんな言葉を吐きながら墓石の影から少女が飛び出した。

 その肩までのショートヘア。そして季節違いの冬の制服姿。




「――ふ、史香っ!」




 僕は叫んでいた。

 そこにいるのは間違いなく史香の幽霊で、変な話だけど両足もしっかりある。




「お、お前、いったいどうしたんだ? 成仏したんじゃなかったのか……?」




「へへ。成仏できなかった。……ううん。成仏はしかけたけど、復帰しちゃったの」




 そんなことを笑顔でさらりという。




 僕には疑問がいっぱい発生した。

 史香はT市のお寺で位牌を焼かれてしまったのだ。

 そして、その瞬間に姿を消してしまったはずなのだ。




 だけど……。




「あのね。実は亜季がなんとかしてくれたの」




「永井さんが?」




 僕は永井さんを見る。すると彼女は笑顔でうなずいた。




「あの日。……位牌が燃えちゃった日ね。

 万平くんが病院に運ばれた後、私、住職さんにすべて話したの。


 史香がまだ幽霊としてこの世をさまよっていること、私たちとコミュニケーションがとれること、

 ……そして万平くんが位牌を持っていれば実体化できること」




「……」




「そうしたらね、住職さんが言ってくれたの。

 そういうこともありますよ、って。で、それでね、私がお願いしたの」




「お願いした?」




 僕は尋ねた。すると大鷹が話を引き継ぐ。




「ああ、紅林さんの位牌の灰を集めて、もう一度魂入れってのを、してくれたらしいんだ。

 ……それも、念入りに」




「それで、私が、よみがえっちゃった訳」




 僕は、ぽかんとしていた。

 なんだかキツネにつままれたような気分だ。




「けっこう大変だったんだからね。史香とは直接話ができないでしょ?

 だから筆談でコミュニケーションをしていたって訳なのよ」




 聞けば永井さんが、なぜ東京に帰る日に違う新幹線に乗ったのかがわかった。

 それはお寺の住職さんに魂入れをしてもらったからだ。




 そして今日までの約半月以上、史香は僕の前には姿を現さず、

 ひたすら永井さんの家にいたという訳だ。




「……いたずらにしたら、ちょっと念入りじゃないのか」




 僕は少しすねながらいう。




「まあ、そういうな。最高の誕生日プレゼントじゃないか」




「プレゼントって言っても今日は史香の誕生日で、僕の誕生日じゃない」




 そう憎まれ口を叩きながらも僕は大笑いしてしまった。




 史香がいないこれまでの半月間の僕の気持ちや時間はなんだったのか? 

 と、思いたくもなったけれど、その期間があったからこそ、

 この瞬間が、これだけうれしくなったのも正論だからだ。




「ごめんね。私も会いたかったんだけど、

 せっかくならサプライズにしようって話になっちゃったのよ」




 史香がそう言う。

 僕はその笑顔に弱い。文句の一つも言えないのだ。




 そして史香はお守りを差し出した。




「なに、これ?」




 僕が訊くと、史香は最高の笑顔を見せる。




「これは私の位牌の灰。つまり




「なるほどね」




 僕は、お守りを受け取った。




「ふ、史香っ!」

「おおっ!」




 永井さんと大鷹が叫び声をあげた。

 僕が遺灰を手にしたことで、ふたりにも史香の姿が見えたからだ。




「ねえ、デートしよ。デート」




 そして、いつぞやと同じ台詞を口にする。




「俺たちも出かけようと思ってたんだ。いっそ、いっしょに出かけるか?」




 大鷹がそう言う。見ると、永井さんもうなずいていた。




「じゃあ、あのメジャーな遊園地にでも行こうか?」




 僕は全員に提案した。

 それは電車に乗って一時間半ほどかかるけれど、巨大で有名なテーマパークだった。




「俺、そんなに金持ってないぞ」




 大鷹が財布を取り出して中身を確認している。




「大丈夫。今日は僕が出すよ」




「マジかよ。やっぱり持つべきものは親友だな」




 大鷹は僕の肩をばんばん叩く。




 そう、僕には資金があった。それはこの二十日間アルバイトをして貯めたお金だ。

 本来は史香のために新しい位牌を作るために稼いだお金だ。




 でも史香が具現化できる遺灰を手にしたことで、そのお金の使い道は必要なくなった。

 他に欲しいものもないしな……。




「入園料も切符は、三人分で大丈夫だしね」




 史香がそう言って舌をぺろりと出す。

 それは史香は、僕が遺灰を持っていなければ他の誰にも認識されないからだ。

 それに史香は幽霊であって人間じゃないのだから、入園料も電車代も必要ないはずだ。




 それから僕たちはテーマパークに到着すると、

 ジェットコースターに乗ったり、パレードを見たり、食事を食べたりと楽しんだ。




 そして期間限定の施設が、僕たち四人の前に立ちはだかった。

 それはアンデットハウスで、早く言えば洋風のお化け屋敷だった。




「これ、入ろうぜ」




 大鷹が熱心に僕たちを誘う。




「嫌よ。怖いから……」




 永井さんが、そう答える。




「なに言ってんの。幽霊なら私をすでに何回も見てるじゃない」




「でも……。史香は例外だし」




「本物の幽霊はいないよ。僕には、ここから変な感じはしない」




 僕は、そう答えた。




「そうだ。相田や紅林さんの言う通りだ。

 別に本物が出る訳じゃないんだ。なあ、頼むよ」




 大鷹は、一生のお願いとばかりに両手を合わせて永井さんに頼み込んだ。

 そしてそれが通じたのか、長い間迷っていた永井さんだったけれど、ようやくうなずいてくれた。




 だけど僕にはわかっていた。

 大鷹がこのお化け屋敷の暗がりに行きたがったのは永井さんと二人きりになりたいからだ。




 恐がりの永井さんは、きっと大鷹の腕にからまって離さないに違いない。

 大鷹は、そういうシチュエーションを待っているのだ。




 そして僕たちはアンデットハウスに入場した。

 入ったときは四人いっしょだったけど、やがて、大鷹の思惑通り離ればなれになっていた。




「亜季の別荘に似てるね」




「うん。洋風の屋敷だと、みんなこんな風になっちゃうんじゃないかな」




 史香とふたりになった僕は、そう返答した。




 内装は、確かに永井さんの別荘に似ていた。

 でも中身は全然違っていて、順路案内に従って歩くと、

 フランケンシュタイン博士の実験施設があったり、ドラキュラ伯爵の居間があったりと、

 さまざまな催しものがあって、僕は十分に楽しめそうだった。




「そう言えば、史香は怖くないの?」




 僕は史香に尋ねてみた。

 以前の史香なら幽霊が怖いと言って、全身固まってしまうような性格だったからだ。




「うん。だってここはみんな作り物だし。

 ……それにね、釈幸純しゃくこうじゅんさんの件以来、

 私、免疫がついちゃったみたいで大丈夫。たぶん次は本物の幽霊が出ても怖くないよ」




 そんな風に笑顔で答えた。

 周りを見れば大鷹や永井さんはおろか、

 他に誰も客がいなくて、この場所には僕たち二人きりだった。




 ここは洋風の墓地が再現されたコーナーで、

 生暖かい風が吹き、木々が揺れ、ときおりCGのゴーストが飛び交っている。




「そう言えばね。……私、もらってないよ」




「なにが?」




 僕が問い返すと、史香は不満そうに唇をとがらす。




「プレゼント。今日は、私の十七回目の誕生日なんですからね」




「ああ。……ごめん。なにも用意してない」




 僕が謝ると史香は、なぜだか、いたずらっぽい笑顔を作る。




「……じゃあ、これでいい。

 ねえ、キスしてよ。キス」




 そう言って史香は、僕を見上げて目を閉じた。

 そして、僕はその小さな唇に自分の口を重ねた。




 ――これこそがホンモノのキス――




 暖かくて、やわらかい触感がそこにあった。

 僕は息を止め、その感触を確かめていた。




 気がつけば、ここは墓場な訳で僕たちの出会った場所と同じだった。




「私たち、よっぽど墓場に縁があるのね」




 史香はそう言った。



「だね」




 僕は静かにうなずくのであった。



                                了




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墓場でdabada 鬼居かます @onikama2

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