第一章 ボタンチェック ~ARE YOU READY?~  第一話 思い出

 私とクイズの関係を遡ると、それは中学校2年生の時を思い出すことになる。

 中学時代の私はスポーツ一筋だった。どんなスポーツでもこなすことが出来た。人数が足りない部活があれば、助っ人に行くこともしばしばあった。

 しかし、2年生の終わり、最後の大会でケガをしてしまった。前十字靭帯損傷、全治1年。しかも、術後の復帰も出来ない可能性があるらしい。私の中学時代は終わってしまった。あっけなく、突然に。

 私は一カ月ほど不登校になった。毎日泣いて、泣いて、泣きまくった。疲れ果てて寝たり、寝れなくてスマホの画面を撫でていたりした。何も考えたくなかった。私を構成する全てであったスポーツを失ってしまった。そのことを考えるとどうしようもない気持ちになって、涙が溢れてきてしまった。

 その時、何となくのスクロールで流れてきた動画があった。有名配信者集団「Quiz Kings」の最新動画だった。タイトルは『クイズ王なら逆に簡単な問題答えられない説』、急上昇ランキングの8位に載っていたことを覚えている。

 タップして再生する。大人が5人、一問一問に一喜一憂して騒いで、楽しそうにしていた。その姿が昔の自分に、スポーツをやっていた頃の自分に重なる。そう思うと、なんだか羨ましくなってきてしまった。

 「クイズ」というものを私はよく知らなかったが、楽しいことであることは分かった。やってみたいな、そう思った。


 その時、私がやるべきことが定まった。


 私は高校を調べた。クイズが強い高校はどこだろうか。調べて出てきたのは、「一宮高校」だった。同県にある偏差値70越えのトップ校だった。思わずため息が出てしまった。と言うのも、今までスポーツ一筋だった私は勉強をろくにやってこなかったのである。そのツケが今回ってきたことを実感し、大きなため息を吐き出しながらベッドに沈んだ。

 勉強しないとな、そう思った。幸い、時間だけはあった。スポーツをしていた時間の全てを勉強に費やした。勉強は嫌いだったが、夢のためなら頑張ることが出来た。

 長かった中学生活も、気が付けば三月になっていた。私は第一志望校の一宮高校に入学することが出来た。合格発表の日、言い表せないほど嬉しかったのを覚えている。



 四月、入学式の日。

 新しい制服に袖を通し、身だしなみを整える。準備が出来たらバッグを手に取り、一階のダイニングへ走る。焼きあがったトーストに塗られたバターの香りが漂う。

「おはよ!」

「おはよう雪奈♪ 今日から高校生だね」

「おねぇちゃん遅いよ!」

 ダイニングテーブルに座る。朝食はバター付きトースト、焼いたベーコンにサニーサイドアップの目玉焼き、ボウルに入ったサラダに牛乳、デザートにはヨーグルト。私がまだスポーツをしていた頃からずっと続く我が家の習慣だ。

「おはよう雪奈、もう高校生か……。早いもんだ……。父さん悲しいよ……まだ父さんの中の雪奈は腰の高さの身長なのになぁ……」

 リビングの方からお父さんの声が聞こえてくる。テレビを見ながらコーヒーを飲んでいるようだ。これも我が家の習慣だ。

『今年2月に中国へ旅立ったシャンシャンの最新映像を——』


 毎朝、朝食の時間は家が静かになる。私も、妹の春奈も、食べることに必死で一言も発さない。忙しいのだ。……私達が朝に弱いことにその原因があるとかは言ってはいけない。

 家の中では母が鼻歌を奏でながら皿を洗い、テレビの音がリビングから流れてくる。食器がカチャカチャ鳴る音も、トーストがサクサク立てる音も、私の習慣だ。


「行ってきます!」


 そう言って私と春奈は家を出た。いつもと同じ通学路。でも、途中でお別れ。今までは一緒に登校していたが、私は高校生、春奈は中学生、学校が違うから仕方ない。


「じゃあ私はこっちの道行くね。学校頑張ってね」

「ばいばーい! おねぇちゃーん!」


 慣れない通勤ラッシュの電車に乗り、高校へ向かう。通学に1時間。着く頃にはもうヘトヘトだった。

 教室に荷物を置き、体育館に行く。間もなくして式が始まった。

 体育館に集まった一学年四百名が列になって着席している。校長先生の話も、担任の先生の自己紹介にも興味は湧かなかった。時間はあっという間に過ぎていった。

 新クラスで迎えたホームルーム。担任の先生からは学校案内の話をされた。


「さて、部活動についてだが——」


 そう担任の先生が言った時、思わず笑みがこぼれた。待ってました、と心の中で言った。前からプリントが回されてくる。部活動の活動場所をまとめたプリントだ。この学校には「クイズ研究部」、通称「クイ研」が存在する。そう、このクイ研こそが私の入りたい部活なのである。

 クイ研、クイ研、と心の中で唱えながら、クイ研の活動場所を探す。場所は——


「——教員棟四階第三理科室!?」


 思わず口に出てしまった。周りの人に聞かれていないことを確認して、学校のフロアマップを見る。私がいる教室は教室棟一階にある。教員棟とは、教室棟の隣にある別の棟だ。クイ研に行くためには教室棟から教員棟に行き、更にそこから四階まで上がらないといけないという。

 しかし、どれだけ遠かろうと私の信念は変わらなかった。放課後、私はクイ研の部室に向かった。


「はぁ、はぁ……むりぃ~」


 ……この一年で本当に体力が落ちたと思った。全く運動しないからだよ、と自分に言った。

 四階に着いた頃には息切れしていた。しかし、ここまで来れば勝利は確定、部室は目と鼻の先にあった。


「お邪魔しまーす」


 そういってクイ研の扉を開ける。中には先輩らしき人が一人と、私と同じクイ研希望の人が8人居た。


「おう、こんちゃ。適当に座ってくれ」


 そう言われたので、私は端の方に座った。


「こいつがボタンな。答えが分かったら丸い所を押してくれ。四角い方はライトだからな。間違っても押すんじゃねーぞ」


 手渡されたボタン、今までは画面の向こうの存在だったが、現在私の手の中にある。遂に現実になったのだ。

 大きさは手のひらより少し小さいくらい。箱型のボタンで、四角いライトと丸い円柱状のボタンがついている。端子で繋がれた先には親機らしいものがあり、先輩がそれを管理しているようだった。親機は動画でも見たことがないな、と思った。


「早速だが問題を読むぞ。準備はいいな?」


 そう言って先輩は問題を読み始めた。



問題

1993年の総選挙で細川護熙の連立——



 ボタンを押された。教室の奥に光ったボタンが見える。


「55年体制」


 判定は……『正解』

 正解の音が九畳ほどの教室に響く。早い、そう思った。


「一応、問題の全文を読んでおくぞ」



問題

1993年の総選挙で細川護熙の連立政権が成立するまで続いた、政権を握る自由民主党と野党の日本社会党の2大政党が対立する政治体制のことを、これが成立した年から何というでしょう?

解答

55年体制



「いい押しだったな。お前、クイズの才能があるんじゃないのか? クイ研入れよ~」

「まぁ、考えておくわ」


 押したのは教室の隅にいる人だった。黒いロングヘアが似合う、凛々しい人だった。かっこいいなぁ、と惚れ惚れしてしまった。Quiz Kingsの方々もそうであるが、クイズに強い人は高学歴であるのかもしれない。私のような付け焼き刃で一宮高校に入った人とは大違いである。


「次の問題読むぞ~」



問題

2022年8月には映画『FILM RED』が——



 押したのは教室の真ん中にいる人だった。その人は立ち上がり、一度屈んでから勢いよく上体を反らし、大声で答えた。


「ワンピィィィィィィス!」


 判定は……『正解』

 これもまた早い押しだった。正解した人の雄叫びが教室を震わせる。正解の音を掻き消すように。


「もう一度読むぞ〜」



問題

2022年8月には映画『FILM RED』が公開された、主人公のモンキー・D・ルフィ率いる麦わらの一味が、海賊王の遺産を目指し旅をするという内容の、尾田栄一郎作の漫画は何でしょう?

解答

『ONE PIECE』



「こういうのは時事問ってやつでな。最近起こった出来事、つまり時事ネタを訊かれる問題だ」

「うっしゃぁあ! きぃもちぃぇえええ!」


 押した人の喜びが、ここまでひしひしと伝わってくる。私も押したい。答えたい。そう思っていたときだった。


「失礼します。体験に来ました」

「あぁ、体験? 歓迎、歓迎! 適当に座ってくれな。あ、これ、ボタンな。丸んとこ押せば答えられるから」

「ありがとうございます」


 そう言って、彼は私の隣の席に座った。


「読むぞ〜」


 先輩が合図する。全員がボタンに手を掛け、クイズに集中する。


問題

1215年——


 ボタンを押す音がした。嘘でしょ? まだ西暦しか言っていないのに、と思った。

 誰が押したのだろう。光っているボタンを探す。さっき押していた二人のボタンは沈黙を貫いていた。私が来る前から居た他の人のボタンも同じだった。

 ふと気になり、隣の人を覗く。さっき来たばかりの人の手には、光るボタンが握られていた。


「マグナ・カルタ」


 彼はそう宣言した。判定は……『正解』

 本当に一瞬だった。画面の向こうにいるクイズ王と呼ばれる強者達がここにいるような気がした。


「クイズ」、それは知を競い合うもの。

 膨大な量の知識をインプットし、光の速さでアウトプットする競技。シンプル故に奥が深い競技。

 そのルールは、「ボタンを押し、答える」の2ステップで出来ている。ルールブックは不要。覚える必要すらない。

 クイズには戦略が必要ない。ただ「知識」という暴力で敵を圧倒するだけの競技である。


 私は今、その「クイズ」を統べる「王」の誕生に立ち会おうとしていた。

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Quiz with Complex 氷雨ハレ @hisamehare

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