第1話 夢のはじまり 前編

 俺が夢ヶ崎と出会ったのは1ヶ月前、この高校に入学してすぐの事だ。


『滅多に人が来ない図書室がある』という話を聞いた俺は、ある日の放課後に実際にそこを訪れた。昔に倉庫として利用していたのを改築したらしく、別館のさらに奥にある為、校舎の端から端までの距離を歩かされた。


 中に入ると、話で聞いた通り誰も見当たらない。流石に司書か図書委員はいると思って少しあたりを見渡すと、奥の本棚の方から椅子を引き摺るような音がした。


 何か作業をしているのだろうと俺は黙って近くの席に座る。そして鞄からノートを取り出し、課題に取り掛かる。途中集中が途切れて、近くの本棚で目に留まった小説を読むなどしていた。


 ふと気づいて時計を見ると、いつの間にか1時間ほどが経過していた。完全下校までもう数分といったところだ。校舎から離れている所為か聞こえるはずのチャイムの音も届かなかったらしい。


 焦りながら荷物を片付けていると、ふと来た時に物音がした方へ視線が向く。思い返してみればこの1時間、他に誰も来なかったとはいえのだ。


 手早く荷物をまとめ、誰かが居たであろう場所に向かう。まさか不審者なんて事はないだろうが、恐る恐る本棚の隙間から覗き込む。そこに居たのが彼女、夢ヶ崎眠々だった。


 彼女とは違うクラスで、会話はおろか顔を合わせたこともなく、こちらが一方的に彼女を知っている程度の関係だった。容姿端麗、人当たりが良くて愛嬌もある。入学早々アイドル的な人気を獲得した彼女だが、まさかこんなところでお目にかかる事になるとは思ってもいなかった。


 夢ヶ崎は作業しているでもなく、ましてや本を読むでもなく椅子に座ってすやすやと眠っていた。あの時の音は彼女が椅子に腰を下ろした時のものなのだろうが、今となって考えるとなかなか無神経である。と言われているとはいえ、年頃の女の子が無防備に寝顔を晒しているのは流石に見過ごせなかった。


 そのままどう声をかけようかと立ち尽くしていると、窓から吹いた風に揺れたカーテンが彼女の顔に覆い被さる。たまらずに不快そうな声をあげて顔にかかったカーテンを手で払い、ゆっくりと目を開ける。


「ふわぁ〜……」


 寝ぼけ眼を擦り、大きく伸びをした後、ふとこちらと視線が合った。なんと切り出すべきかと困惑している俺を見て、彼女はクスリと笑う。そして立ち上がってこちらに近づき、手を差し出してくる。


「え?」


 思わず素っ頓狂な声をあげると、彼女は不思議そうに小首を傾げる。


「借りていくんじゃないんですか?」


 そう指さしていたのは、俺が無意識のうちに荷物と一緒に持ち出していた小説だった。そこで俺はやっと彼女が図書委員で、自分を探して声をかけに来たと勘違いしているのだと理解した。だが俺は何故か否定せずに「あぁ……」と歯切れの悪い返事を返してしまった。


「それじゃあ、生徒証も預かりますね」


 言われるがままに本と生徒証を渡すと、そのままカウンターに向かって行く。遅れてあとを追うと、彼女はもう貸し出しの手続きを済ませたのか、何故か俺の生徒証を持って見つめていた。俺は本と生徒証を受け取ると、今度は俺の顔をまじまじと見てくる。


「……顔に何かついてるか?」


 たまらず問いかけると、数秒考えるようなそぶりをした後、またニコリと微笑みを浮かべる。


「いえ?誰も来ない図書室と聞いていたので、珍しい人だなぁ〜って思って」


「そうか……」


 気恥ずかしくなって顔を背けると、ふと今が下校時間ギリギリの状況だと言うことを思い出す。予定外の手荷物が増えたが、構わず「それじゃ」とだけ言って踵を返す。しかし俺はすぐに足を止める。彼女に袖を掴まれていたからだ。まだ何か?と口に出すよりも先に、彼女が少し前のめりになってこう言ってくる。


「一緒に帰りませんか?」


「……え?」


「せっかく同じ新入生で、この図書室に来た変わり者同士ってことで、お友達になれるかなって」


 まさかみんなの人気者からそんな申し出をされるとは思っていなかったので、言葉を詰まらせるが、あまりにも真っ直ぐこちらを見てくるので、断るなんて選択肢を取る事はできなかった。


「ではちょっとだけ待っていてください。すぐに戸締りしてくるので」


 どこか嬉しそうな声色で彼女はカウンターの裏手に入る。ポツンと1人残された俺は数秒立ち尽くしたが、考えていてもどうしようもないと結論付けた。

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