第2話 夢のはじまり 後編
俺は非常に頭を悩ませていた。成り行きで一緒に帰ることになったが、初対面の女子と話すネタなど持ち合わせていない。そんな葛藤を余所に夢ヶ崎は小さくあくびをした。
「ふぁ……あ、すみません。まだちょっと眠くて」
照れくさそうに笑う夢ヶ崎に、「見てないから気にするな」と返す。――訂正すると、結構ガッツリ見てしまった。
「鎌倉くんって、本は好きなんですか?」
俺の態度で察したのか、夢ヶ崎の方から話を振ってくれた。俺は申し訳ないと思いながら「あぁ」と返した。
「昔、本が好きな人といることが多かったから。どちらかというと図書室とか本屋とかが好きって感じだ」
「私もです。代わりに読むのはあんまり得意じゃないんですよね……難しい小説とかは特に」
そう言って笑うのを見て、読んでいるうちに眠くなってる姿が想像できて、妙に合点がいってしまった。
「そういえば、夢ヶ崎の帰り道もこっちなのか?」
「はい。さっき生徒証に書いてあるのを見たので。同じバスに乗るんだな~と」
確かにさっき図書室で生徒証を見ていたことを思い出す。だから一緒に帰ろうなんて提案してきたのだろう。
「……プライバシーの侵害だぞ」
「わざわざ個人情報を全部記入してる鎌倉くんの落ち度です……って、そういえば私、自己紹介しましたっけ?」
今更ながらに首をかしげる夢ヶ崎に「有名人だからな」と言うと少し照れた様子で笑った。そうやって話しているうちにバス停が見えてくる。
「因みに、降りる駅も同じだと思いますよ?」
「マジかよ……」
すると間もなくバスがやってきた。バスに乗ると、夢ヶ崎は3人掛けの長椅子に座り、俺はその正面に立ってつり革に手をかける。ほかに乗客はいなかったが流石に隣に座る勇気と度胸はなかった。
「鎌倉くんもいっしょに座ってください」
「話すなら向かい合ってのほうがよくないか?」
それっぽい言い訳で返すが、何故か夢ヶ崎は不服そうに自分の隣の座席をポンポンと叩きながら抗議してくる。仕方ないと根負けした俺は信号で止まったタイミングで彼女の隣に腰を下ろす。
そのあと他愛のない話をしながらバスに揺られ、いつのまにか会話が途切れて5分ほど経った頃、夢ヶ崎がまたうつらうつらとしていることに気づく。
その直後バスがカーブで曲がると、俺の肩に夢ヶ崎の頭がポンと乗っかってきた。完全に寝てしまったようで、俺は諦めて降りる駅まで彼女の枕代わりになることを受け入れた。
― z z z ―
俺と降りる駅が近いという言葉を信じ、長い事バスに揺られて約20分。もう数分以内に最寄り駅というタイミングで夢ヶ崎に声をかける。
「おい、そろそろ俺降りるんだが……」
「んぅ……あ、すみません。いつのまにか寝てしまっていて……」
「別にいいよ。それで、結局夢ヶ崎も次で降りるのか?」
「えっと……あ、はい。やっぱり同じ駅でしたね」
そんな偶然あるのかと考えてるうちにバスは駅に停車する。降りると辺りは既に薄暗くなっていた。
「今日はありがとうございました。よく乗り過ごすので助かりました」
「気にするな。俺としては役得というか――」
瞬間、俺は口を手で覆う。流石に今の失言は気持ちが悪かったと視線を逸らすが、夢ヶ崎は聞き逃してくれなかったようだ。
「鎌倉くん、明日も図書室に来ますか?」
「あぁ、というか基本あそこに居残って自習するつもりだが……」
「なら、もし今後も一緒に帰ってくれると助かるな~……なんて?」
――何というか、彼女があれほど人気な理由が分かった気がした。甘え上手というべきか、自分の可愛さを分かっているというべきか。変に噂されるとお互いに困るだろうと思ったが、それで彼女を避けるのは悪い気がしたし、第一それで彼女が納得するとは思えなかった。
「まぁ、帰るくらいなら……」
諦めて肩をすくめる俺と対照的に夢ヶ崎はパァっと無邪気に笑った。
「じゃあ、明日もお願いしますね。マクラくん」
そう言って夢ヶ崎は楽しそうに駆け出す。俺は追いかけることもできずにその場に立ち尽くした。それと、俺の聞き間違いでないのであれば――
「アイツ、わざとマクラって呼んだだろ……」
― z z z ―
あの日から一週間が経った。夢ヶ崎が図書委員になったという話が広まってすぐは、彼女目当ての生徒が何人か訪れるようになり、俺は少々居心地が悪くなって隅の方に追いやられていた。
だが部活動が本格的に始まった為か、学年のアイドル目当てとは言えやはり校舎の端まで毎日通うのは億劫になったのか、はたまた彼女の安眠のためか、図書室に来るのは俺を除いても1人か2人になり、また図書室には静寂が戻った。
そして今日も夕日が差し込む頃、俺は何度も読んだことのある1冊の小説を片手に夢ヶ崎の肩を揺する。
「夢ヶ崎、起きてくれ」
「むぅ……あと5ふん……」
「その5分後が今だぞ。これ以上の延長は無しだ」
そう言うと夢ヶ崎はゆっくり身体を起こす。まだ寝ぼけた表情だったが、俺は構わず本と生徒証を突き出す。最初は図書室に毎日通う口実として本を借りていたが、もう必要ないかと先日、手ぶらで彼女を起こしに行ったら「今日は借りないんですか?」と何故か残念そうな顔をしていたので、結局本を借りるのもセットになった。
「……うぅ」
「なんだ、今日はやけに眠そうだな」
「実は昨日ちょっと夜更かししてしまって……授業中もちょっと危なかったんです……」
そう言う彼女はまだうつらうつらと船を漕ぎそうになっていた。するとその直後、夢ヶ崎は俺の目の前に手を広げて見せる。
「……マクラくん、今日は抱き枕になってくれませんか?」
「は!?」
突然意味のわからないことを口走ってきて動揺する。今すぐ背負えと訴えてくる視線が突き刺さるが、そんなことはできないと視線を逸らす。流石に諦めたのか、渋々と腕を下ろして自分の荷物を片付け始める。
「なんか、最近我儘になって来てないか……?」
「そんなことないで~す」
独り言のつもりだったが、聞こえたらしく机の下から言い返してくる。そして荷物を片手に出てきた夢ヶ崎は俺の顔を覗き込んで来る。
「さて、帰りましょう。マクラくん」
彼女は悪戯っぽく、そして楽しそうに微笑む。俺は少し頭をかいてからため息を吐いた。
「……俺はマクラじゃなくて鎌倉だ」
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