夢ヶ崎眠々は微睡みの中で

真菊書人

序章 図書室のねむりひめ

 昔、ある人に言われた言葉がある。


『同じ本が好きな友人は大切にしなさい』


 俺の恩師――と言っても、幼い頃よく遊んでくれた人だが……とにかく俺は、常に本に囲まれ、本が好きだったその人の影響を大いに受けた。


 結果、俺がこの高校に入学してから毎日図書室に足を運び、本を読むか自習するようにしている。


 そんな、色多き青春を本に捧げた高校生活を過ごしていた俺に、最近奇妙な関係が出来た。


 いつものように図書室で参考書を広げて机に向かっていた俺、鎌倉千秋は手元のスマートフォンのバイブレーションに気づいて手を伸ばす。普段この図書室に下校時間ギリギリまで俺以外の生徒が残っていることは見たことがないが、アラーム音を鳴り響かせるのは気が引ける。


「今日はこれでいいか……」


 俺は使っていた参考書と生徒証を手に取って立ち上がる。本当は今夜借りて読む本にあたりを付けていたのだが、思った以上に課題に手こずった所為でそんな余裕はなさそうだ。


「――そろそろ声かけるか」


 そう言って向かいの貸し出しカウンターに座っている――いや、眠っている彼女に視線を向ける。


 そこにいたのは、あろうことか貸出しの本を何冊か重ねて枕にして、気持ちよさそうに寝ている女子生徒だった。


 その少女は日本人離れした整った目鼻立ちをしていて、瞳を閉じていてもわかるほど長く綺麗なまつ毛が、空調で少し揺れるセミロングの黒髪の間から覗かせる。


 まるでお伽話に出てくるお姫様のような――否、クラスではその名の通り“ねむりひめ”と呼ばれているのが彼女、夢ヶ崎眠々だ。


 俺は寝ている夢ヶ崎を起こそうと机の上をトントンと叩く。だが夢ヶ崎は起きない。次に肩を軽く叩いてから少し揺すってみる。しかしそれでもまだ目を開けてくれない。


 俺は「またか……」とため息を漏らす。実を言うと、今までこれで夢ヶ崎が事は一度もない。見ると、彼女の口元が少しだけ緩んでいる。


 それならばと、以前やった様に卓上の呼び鈴を耳元で鳴らしてやろうかと手を伸ばす。が、すんでのところで裾を掴まれて阻まれる。彼女は寝た姿勢のまま頬を膨らませて抗議の視線を向けている。


「……それ、本当に煩いからやめてって言ったじゃないですか」


 そう苦言を呈すが、俺は「ならばすぐに起きてくれ」と返す。彼女は少しむくれながらも起き上がって大きく伸びをし、少し乱れた髪を直して優しく微笑む。


「おはようございます。マクラくん」


 まだ少し寝ぼけているのか、トロンとした瞳と笑顔にあてられて、俺は少し視線を背けて「これ、借りるから」とだけ言って持ってきた参考書と生徒証を渡す。受け取った彼女は、本の表紙を見て少し驚いた表情をする。


「珍しいですね、参考書を借りるなんて」


「……今日は探す時間がなかっただけだ」


 そう言って彼女にスマートフォンを見せる。先ほどのやり取りで完全下校時刻までもう10分を切っていた。すると彼女は「あら大変」とまるで緊張感のない返事をする。


「という訳だから、早急に手続きを頼む」


「そういうことでしたら……」


 そう言い残した夢ヶ崎はカウンターの裏手に引っ込んでしまう。だがすぐに戻ってきて持っていた自分の鞄をこちらに寄越してくる。


「手続きしたらすぐに戸締りをするので、先に外で待っていてください」


 強引に押し付けられ、またすぐに裏手に戻っていく。俺はまた深くため息を吐いた。


「仰せのままに、お姫様……っと」


 夢ヶ崎に聞こえない声で呟き、俺は図書室を後にした。


 ― z z z ―


「お待たせしました。はい、参考書です」


 時間ギリギリで校舎から出て来た夢ヶ崎が弾む息を整えるのを待ち、預かっていた鞄と交換に参考書を受け取る。そして二人一緒に近くのバス停まで歩き始める。


「いつものことだが、図書委員があんな堂々と職務放棄していいのかよ」


「図書室に誰か来るのはごく稀ですので、問題ありませんよ。もし今後忙しくなるようでしたら図書委員辞めて、屋上で寝ることになりますが」


 あまりにも悪びれもなく言うので、俺は思わず苦笑する。


「夏は熱中症、冬は凍え死ぬリスクを負ってまで居眠りしたいのか。というか今の発言、普段お前を慕ってる周りの連中の夢を壊すぞ」


 茶化し気味に言うと、彼女は口をとがらせて鞄の角で小突いてくる。


「……なんか、今日のマクラ君イジワルじゃないですか?」


「俺はいつもこんなだよ。……あと俺の名前はマクラじゃなくて鎌倉だ」


 そう言うと夢ヶ崎は「そうですね」と満足そうに笑う。


 「俺みたいなやつと一緒に帰ってるところなんて見られたら、なんて言われるか知らねぇぞ」


 独り言のようにぼやくが、どちらかというと俺自身が知った顔に見つかりでもしたらなんて言われるかわかったもんじゃないと気が気でないだけだった。


「こんな遅くまで学校に残ってるのは、私とマクラ君だけですよ」


 そんな話をしていると、いつの間にかバス停にたどり着き、すぐに俺たちがいつも乗っているバスがやってきた。


 バスの中はいつも通り俺たち以外乗客はいない。俺は一番奥の二人掛けの座席に向かった。


「今日も私たちだけですね」


 そう言って彼女は迷わず俺の隣の席に座る。座席が小さめなため、かなり密着する形になり、鞄も膝に抱えるしかないほどだ。


「少なくともウチの高校でこのバスを使ってるのは俺達だけだしな」


 とはいえ、流石に慣れないと言うのが本音だ。だが彼女はお構いなしと言った様子だ。


「では、遠慮なく――」


 夢ヶ崎がそう言うと、俺の左肩にトンと体重がかかる。バスが曲がったわけではなく、彼女自身がこちらに身体を預けてきたのだ。


「今日も着くまでお願いしますね。マクラ君」


 そう言って夢ヶ崎は瞳を閉じる。「俺はマクラじゃない」と言いかけたが、既に聞いちゃいないと諦めて窓の縁に肘をついて外を眺める。


 これが俺と夢ヶ崎との奇妙な関係――もとい、俺たちが交わした“約束”だ。

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