その指の先で
幸まる
もっと
夜。
領主館の厨房では、今日の調理を全て終えた料理人達が、片付けを行っている。
ふと、ハイスが隣にいた副料理長に問い掛けた。
「ねえ、副料理長。手をじっと見つめる時って、どんな時ですかね?」
「あん?……手が荒れてる時、爪の長さを確かめる時、指のタコの具合を見る時……」
「いやいや、そういうのじゃなくて」
「えと、……サシャが俺の手を最近よく見てて。でも目が合うとなんか恥ずかしそうに逸らされるんですよね」
「かーーーーっ! お前、それ、恋人いない俺に聞くの!?」
「わあ! 声でかいって!」
二人の大声に、周りの料理人や下男達が手を止めて見るので、ハイスは慌てて副料理長の口を押さえた。
ハイスは製菓担当の料理人だ。
彼の恋人は、厨房の下女であるサシャだが、その事実は料理長と副料理長、そして料理長の妻であるベーカリー担当料理人オルガの三人しか知らない。
……いや、厨房内で薄々勘付いている者は、少なくないのかもしれないが。
「ああ、ヤダヤダ。これだから色ボケ君はさ……」
「なんでそうなるんですかっ! イテッ!」
「まだ仕事中だぞ。
騒がしい二人を、後ろから麺棒で小突いたのは料理長だ。
元々目付きの良くない料理長の目が、普段より険しくなって二人をジロリと睨んでいる。
首を竦めたハイスをよそに、副料理長はひょろりと長い身体を伸ばして、楽し気に料理長を指差した。
「ちょうどいいじゃん。ハイス、
「えっ!……いやぁ…」
なんだ、と目線で問う料理長に、ハイスは
「何だよ、聞けよ! オルガがさ、お前の手を見て、黙ってうっとりする時ってどんな時だ?って話だよ。そりゃあなぁ、『その手、その指で、私のことを……』…っとぉ!」
「…………お前等、
料理長のこめかみにピキッと青筋が浮いたのを見て、副料理長がサッとハイスの後ろに回る。
前に押し出された形のハイスが仰け反った。
「ええっ!? ちょっ! 待ってぇ!」
「………何やってるのかしらね、あの人達。随分楽しそう」
厨房の反対側から、麺棒を振りかぶる
作業台を拭き清めていた布をたたみ直し、隣に立つサシャに顔を向ける。
「男の人って変なとこ子供みたいよね。わけが分からないわ」
「……オルガさんでも、そんな風に思うんですか?」
重ねたボウルを持ってサシャが尋ねると、オルガはふふと笑って頷いた。
「思うわ。男女って、全く別の生き物よ。男同士がああやって楽しんでることも、側で聞いても何が面白いのか、私にはきっとさっぱり分からないんだわ」
真剣に聞いているサシャに、オルガは目を細めて、そっと微笑む。
その微笑みは、とても幸せそうだ。
「でもね、きっと、男も女のことは分からないのよ。サシャがどんな気持ちでハイスの手を見てるのか、とかね」
「オルガさん……」
「私も、なかなか気持ちを言えなかったから、サシャの気持ちなら少し分かる。……でもね、サシャの気持ちは、サシャだけのものよ。だから、言いたいと思ったら、自分の気持ちに従うと良いと思うわ」
サアと頬を染めたサシャは、恥ずかしそうに俯いたが、そっと視線をハイスに向ける。
去年の秋に気持ちを自覚してから、少しずつ、少しずつ、この胸の想いを育ててきた。
春になり、子供の頃から抱えてきた苦しさも全てハイスに話して、自分でも驚く程に息が楽になった気がした。
そして、思った。
もっと、
もっと。
もっと、側にいって、触れたい。
触れて欲しいと。
あの力強い腕で。
あの優しい手で。
大好きな、あの指先で……。
もっと、私は……。
深夜の厨房は、ハイスの仕込みを手伝う、サシャにとって特別な場所だ。
サシャは、数度深呼吸をして、製菓担当台に近付く。
気配に気付いたハイスが微笑んで顔を向け、近付くサシャの表情を見て、笑みを薄めた。
サシャの胸は、既に早鐘を打っている。
「……サシャ?」
大好きな声が私の名を呼び、その腕が伸びて、優しい指先が頬に近付く。
触れた瞬間に、きっと言えるだろう。
あなたが大好き。
私のすべてに、もっと触れて欲しいの、と……。
《 終 》
その指の先で 幸まる @karamitu
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