HEART OF ANGEL

下東 良雄

HEART OF ANGEL

 赤茶けた土を巻き上げながら、冬の冷たい風が吹いている田舎町。ブラックレザーのコートを羽織った男が荷物の入った大きな紙袋を抱えて、歩道もない街の裏道を歩いている。咥え煙草からの煙が風に流され、街の中に霧散していった。


『ひとは皆、神の子であり、生まれながらにして天使なのです』


 近くの教会のスピーカーから垂れ流される有り難いお説教。信仰よりも寄付金を集めたい肥満体の神父が、偉そうに説教している姿が脳裏に浮かび、男は呆れた笑みを浮かべた。

 ふと視線を変えれば、道端にはダンボールをメッセージボード代わりにしたホームレスが座っている。


<Help me, I'm in hell.(助けてください、地獄のような境遇にいます)>


 男はポケットをまさぐり、手にした1ドル硬貨を空き缶に投げ入れた。


「チッ」


 後ろからホームレスの舌打ちの音が聞こえた。1ドルではご不満らしい。随分とぬるま湯な地獄だとフッと乾いた笑いが起き、男は咥え煙草を道端へ吹いて捨てた。まだ吸えるが、ホームレスが拾うだろう。


 男は、幼い頃からひとを殺す方法を叩き込まれていた。人体の急所、様々な刃物を扱うための訓練、銃器を用いた射撃、世界中の暗器、毒物の利用、そして実践。この世に生を受け、十の年が過ぎゆく前に、男はひとを殺した。この時、心が乱れることはまったくなかった。それからは組織からの指示を受けながら、日々ただひたすらにひとを殺し続けている。男は地獄を生み出し、地獄を生きてきたのだ。


『ひとは皆、神の子であり、生まれながらにして天使なのです』


 教会の垂れ流す説教が頭の中でリフレインする。組織から言われた言葉を伴って。


『天使の化石を掘り出した時が、殺し屋としての人生が終わる時だ』


 天使はひとを殺さないし、天使の化石を掘り出したって何も変わりゃしない。

 男はそんな風に思いながら、フッと呆れた笑みを浮かべ、古びたアパートメントに入っていった。


「大人しくしていたか」


 大きな紙袋をテーブルの上に置く男。

 少し埃臭い散らかった狭い部屋には、薄汚れたソファとベッドがある。そのソファには十歳位の女の子が座り、テレビでアニメを見ていた。男の問い掛けに、女の子は男に顔を向けて無表情にうなずく。


 一ヶ月前、男が掘り出してきた『天使の化石』だ。

 任務を実行した家の地下室に監禁されていた彼女。目撃者は消すことが鉄則の殺し屋家業。男は彼女に銃口を向けたが、なぜか引き金を引くことがどうしてもできなかった。

 男は、彼女を仕方なく連れて帰ることにする。


 部屋に連れて帰り、尋問をしたものの、彼女は喉を潰されているのか声を発することができず、文字の読み書きもできないようだった。かろうじて意思の疎通は取れているので、部屋の中で大人しくしているように言い聞かせた。

 こうして男と『天使の化石』の同居生活が始まったのだ。


 この間も男はひとを殺し続けた。『天使の化石』を掘り出しても、殺し屋の人生は終わらなかったのだ。

 しかし、自分の部屋に帰ってくれば『天使の化石』がいる。純粋な瞳で見つめてくる彼女の視線が、人殺しを続ける男にとっては辛いものになってきていた。


(まっすぐに彼女の瞳を見つめたい)


 そんな思いが男の心を占めていく。


(殺し屋家業をやめることはできないだろうか)


 男は、自ら殺し屋としての人生にピリオドを打とうとし始めていた。それは決してかんたんなことではない。自分にそんなことができるのか、組織から逃げ切れるのか、いまだ地獄に生きる男は苦悩する。


 夜、『天使の化石』と薄汚れたベッドに潜り込み、彼女を抱き締める。この子を幸せにするにはどうすればいいのか、男は彼女の頭を優しく撫でながら眠りに落ちていった。


 深夜、男はふと目が覚める。

 自分の隣にいるはずの『天使の化石』がいないのだ。

 身体を起こして部屋に目を向けると、窓から射す正面の雑居ビルのネオンライトに照らされた『天使の化石』が笑顔で立っていた。男に銃口を向けながら。


「Sweet dreams, You bastard.(いい夢見てね、お馬鹿さん)」


 パンッ


 乾いた銃声が部屋に響く。

 胸に焼けるような痛みと強烈な衝撃を受けた男は、そのままベッドに倒れ込んだ。その目には、自分の銃を片手に笑みを浮かべながら部屋を出ていく『天使の化石』が映っていた。


 男は理解した。


 あの女の子は『天使の化石』なんかじゃないと。『天使の化石』とは、心の奥底に眠っていた慈悲や優しさといった感情のことなのだと。そして、殺し屋の人生が終わるというのは、死を意味するものなのだと。

 殺し屋としてひとの人生を歩んできた男は、死を目の前にして天使としての資格を得たのだ。


『ひとは皆、神の子であり、生まれながらにして天使なのです』


 深夜の街に響き渡る教会の説教を聞きながら、ケバケバしいネオンライトに包まれて、男はゆっくりとまぶたを閉じていった。



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