第22話 ゾフィーアの願い

 ヴェンデルガルトは、唇を重ね合っている二人の姿を見て、驚いたように瞳を見開いて身を竦めた。いつも自分に笑いかけて、優しい声音で名を呼ぶ唇が知らない女性の唇に触れている。

 冷静に考えれば、ゾフィーアが無理やりギルベルトの唇を奪ったのだ。ギルベルトには非がない。しかし、ヴェンデルガルトはその光景を見てあまりのショックに、彼らから離れようと無意識に駆けだしてしまった。唇を重ね合っている二人を、このまま見ていたくなかったからだ。


「ヴェンデルガルト様! 危ないです、転んでしまわれます!」

 ロルフが名を呼び、慌てて小柄なヒールの靴のヴェンデルガルトの姿を追いかけた。メイドの二人も、その声に続いた。

「ヴェンデル! 待ってください!」

 意外にも挨拶以外で女性からキスをされることが初めてだったギルベルトは、すぐには動けなかった。信じられない思いで、自分に口づけてきたゾフィーアを見下ろしていた。しかしヴェンデルガルトを思い出すと、濃い香水が漂うゾフィーアの体を遠慮なく押して自分から離した。


 全く、ときめきがない。ギルベルトは、確かに美しいゾフィーアを改めて見つめた。男なら、彼女に抱きつかれてキスをされれば夢中になるだろう――しかし、ギルベルトは自分が冷めた目で彼女を見ていることに気が付いていた。


 愛する人を知ってしまったから。例えゾフィーアがヴェンデルガルトよりも美しかったとしても、ギルベルトはヴェンデルガルトを選ぶ。彼女しか、ギルベルトは愛したくはなかった。

「――帰りたいのよ」

 ゾフィーアは、小さく呟いた。傍にいたギルベルトが、聞き損なってしまうか分からないほど、弱弱しく。

「気丈に振舞っているけれど、私はこの国に帰りたい。慣れない土地に一人は、辛いのよ……一度は婚約者だったのだから、私を助けてよ……」

「私は、もうあなたの婚約者ではありません。あなたは侯爵家からも追放されて、例えここに帰って来ても後ろ盾になるものは何もありません。もしかすると、従姉妹のフロレンツィアの様に娼婦になるかもしれません。それでも、ここで暮らしたいのですか?」

 ようやく落ち着いたギルベルトは、まずはゾフィーアとの事を終わらせようとした。彼女の目的を、確かめるべきだと判断した。ヴェンデルガルトを追いかけたい気持ちを抑えて、ゾフィーアに尋ねる。

「西の国でも、ほとんど同じような生活をしているわ。男相手に商売することなんて、今更気にしないわよ――ただ、もしもそうなるならせめてフロレンツィアと同じ宿に行きたい」

 ゾフィーアはそう言って顔を上げると、先ほどとは違い真面目な顔でギルベルトを見返した。ギルベルトとよりを戻しても、社交界では毎日腫れもの扱いをされて居心地悪い生活になる事は分かっているだろう。よりを戻せというのは、幸せそうで国中から大切にされているヴェンデルガルトに、少しだけ意地悪をしたかっただけなのかもしれない。

 何よりも、ラムブレヒト公爵騒動の一件で、ゾフィーアの家も処分を受けていた。彼女には、確かにフロレンツィアしか身近な身寄りがいないのと変わらなかった。

「もし――バルシュミーデ皇国に帰ってくることがあっても、私に近づくことは許しません。もし破れば、西に返すという条件は受け入れることが出来ますか?」

「出来るわ。私は、約束を破る事だけはしない――国を追い出されてから、唯一神に誓ったことよ」

 迷うことなく、ギルベルトの問いにゾフィーアははっきりとすぐにそう返した。

「考えてみます。あなたが西に帰るまでに答えが出るように、取り計らいます。では、今日は失礼します」

 ギルベルトはそう言って軽く頭を下げると、城に向かうため彼女に背を向けた。


「ヴェンデルガルト様と、お幸せにね。本当に、イケメンになったわね。昔は賢くて大人しいだけだと思ったのに……勿体ないことをしたわ」

 振り返ると、ゾフィーアは優し気に――少し、寂し気に微笑んだ。

「あなたのダンスを、必ずヴェンデルと見に来ますよ。花の舞と言われたあなたのダンスを、私は今まで見たことがなかったので」

 ギルベルトも小さく笑って、今度は足早に公園から去っていった。その背を見送って、ゾフィーアも自分のテントへと帰っていった。


 城に帰ってから、ヴェンデルガルトは「気分が悪い」と部屋にこもってしまった。カリーナとロルフは心配して何度かお茶に誘ったが「後にして欲しいの」と、夕食まで部屋から出てこなかった。

「ヴェンデルガルト様は落ち込むと、一日気が済むまで泣いて気分を落ち着かせないとだめなの。それに、ギルベルト様がきっとヴェンデルガルト様に会いに来て下さるでしょう。その時ギルベルト様は、きっとヴェンデルガルト様を慰めてくれるはずです」

 ビルギットはヴェンデルガルトと付き合いが長い分、落ち着いて二人を宥めていた。

「ビルギットって、ギルベルト様のことすごく信頼してるよね。知的な方が好きなの?」

「確かに、以前ヴェンデルガルト様が南の国に攫われたときに、ギルベルト様を献身的に支えてたよね」

 カリーナとロルフがそう言っていたが、ビルギットは多分皴になっているだろうヴェンデルガルトの着替えのドレスを、黙って用意しながら彼らの軽口を無視していた。

 確かにギルベルトの知的で穏やかな性格は、懐かしいルーカスに似ていて親しみを感じているのかもしれない。ヴェンデルガルトが彼と結婚してくれることを、心のどこかで願っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

200年の眠りから覚めた聖王女は龍にもイケメン薔薇騎士に溺愛されて幸せになる未来しか約束されていません 七海美桜 @miou_nanami

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ