アンナとアリサと古い遊び(3)

「ルールは改めて説明するまでも無いと思うが胸、左腕、右太ももの三カ所に着けた色つきの袋を先に全て割った方が勝ちだ」


 エルジア邸からほど近い森の中の小さな泉のほとり。

 人が滅多に立ち寄らない、鳥の鳴き声だけが響く世界。

 そこにいつもの赤い服に木刀を構えた先生。

 そして、久しぶりに着る冒険者用の簡素な衣服に同じく木刀を構える私。


 だが、驚いたことに木刀がずしりと重い。

 こんなに……重かったの?

 記憶の中の木刀は腕の一部のように感じていたのに……


 先生はその違和感に戸惑っているであろう私をジロリと見た。


「お前は一つでも割ったら勝ちだ」


「え……でも……それでは」


 戸惑いながらそう言うと、先生はニヤリと笑った。


「今のお前ではそれでもハンデにならんがな」


 その言葉に一瞬、顔がカッと熱くなったがすぐに頷いた。

 ヤマモトさんがかかっている。

 先生とて引くつもりはないだろう。

 あの時の二人のキスが浮かぶ。

 こんなハンデを渡して……後悔しても遅いですよ、先生。

 もう取り消しできないんだから。

 手段などどうでもいい。


「アンナ……あっさり同意したか」


 苦笑いしながらそう言うと、先生は私にひもを投げてよこした。


「それで髪を結べ。驚いたな、そんな事も忘れたのか。それともそこまで私は舐められてるのか?」


 しまった。

 私は焦って髪を結ぶ。

 今夜、ラルド商会の番頭のダンスパーティがあるのに、ボサボサになってしまう。

 病院の内装工事の資金援助に大事な伝手。

 ぞんざいには出来ないのに……


 なんで、こんな事に。

 これと言うのもライムの奴が私をヤマモトさんの世界に早く連れていかないからだ。

 本当はもっと早く式だけでもあげるつもりだった。

 あの方はお優しいから、泣きつけばそれだけでもしてくれたはずだ。

 そうすれば「リム・アンナ医院」の発表と共に大々的な式をあげて、その事実を確たる物にする。

 そして先生みたいな害虫除けをしたかった。


 なのに……ライム……何故か私とあの方を遠ざける。

 考えるだけで激しい怒りが湧き上がってくる。


「……ナ、……るぞ」


 思考の隅に何か声が聞こえ、私はハッと我に返った。

 慌てて前を見ると、飛び込んでくる先生が見えた。


 大丈夫。

 まだ……遠い。

 右にわずかに跳び、その流れで太ももの袋を割る。

 私の目の前にその映像が鮮明に浮かんだ。

 大丈夫……私は、勝てる。


 そう思い右へ飛ぼうとした私は愕然とした。

 ……え?

 重……い?


 私の身体はまるで鉛でも詰められたかの様に重く、イメージの半分も飛ぶことが出来なかった。

 その直後。

 私の腹部に信じられない衝撃が伝わり、胃の奥から内容物が勢いよくせり上がってきた。


 堪らずその場に倒れ込み、吐いている私の上から先生の声が聞こえた。


「胸の袋を割った。せめてもの情けだ。お前が体制を立て直すまで待ってやる。次は決める。そしてリムちゃんをもらう」


 その言葉に目の前が真っ暗になった。


 無理だ。

 勝てない。

 さっきので分かった。

 私は……負ける。


 私はひとしきり吐き終わり、何度もむせ込んだ後……土下座した。

 先生の冷ややかな声が降ってくる。


「何だ、それは」


 私は泣きながら足下の草に顔を埋め、声を振り絞った。


「見逃して……下さい。先生が好まれない事をしてきました……私。でも、後生です! 二度としません……だから、見逃して下さい。何でも言うことを聞きます……医院の経営だって行って頂きます! 私からお願いすれば通りますので……」


「勘違いするな。お前を糾弾する気は無い。それ以上醜い貴様の姿を見ても時間の無駄だ。私はただ、リムちゃんを欲しいだけだ」


「だから……それを見逃して……」


「ダメだ。今のやり取りでハッキリ分かった。お前ではリムちゃんを守れない」


「……嫌です」


「は?」


「嫌です……私には……あの人しかいないんです。先生は沢山持っている……友も、親も、美貌も、知性も、人望も。私には……全部……無い」


「そうか。じゃあリムちゃんもお前は失う訳だな。立て! これ以上待たせるな」


「先生……堪忍……」


 その時。

 茂みの中から声が聞こえてきた。

 聞き覚えのある声が。


「アリサ。いい加減にしてくれない? あなたって、そんなに茶番の好きな子だっけ」


「ライム……」


 茂みの中から出てきたライムは以前のように、人間の姿になっており、服装もあのゴスロリ風の格好だ。

 なぜ、お前が……


「別に好きなわけじゃ無い。こいつにリムちゃんを諦めてもらわないと行けないだろ。未練がましい気持ちは成仏させてやらないと行けない」


「そんな事しなくても、首を落として死体を片付ければいいじゃん。リムにはどうとでも言えるでしょ。あなたが居るからすぐに忘れるわよ。アンナ・ターニアの事なんて」


「まあ、確かにその方が都合は良いが……」


 何を……言ってるの?

 私は目の前の会話の意味が分からず呆然とした。

 そんな私を見て、ライムはクスクス笑った。


「あ、呆然としてる。あのね、アンナ・ターニア。ハッキリ言うと、これから私たちのやろうとしてることに、どうしてもリムが必要なの。で、そのためにはあの子の中の万物の石。それにもう一度目覚めてもらわないと行けない。そのためにはあなたが居ると邪魔なの。リムを医学なんかから切り離さないと行けないから」


「切り離すって……ヤマモトさんは、もう万物の石と関わる事は望んでない。戦いからも……」


「事情が変わったんだ、アンナ。世界に散らばる万物の石の残渣。それを消し去るのに、リムちゃんの力が欲しい。彼女に冒険に出て欲しい。……私と一緒に永遠の命を得て」


「え? ……馬鹿……な。先生、そんな。それはヤマモトさんの意思ですか?」


「そんな訳ないだろ。だからお前に居なくなって欲しいんだ。お前がいる限りリムちゃんは平和や普通の生活を望む。お前に消えてもらって、リムちゃんの身も心も私がもらうんだ」


「そんな事……ヤマモトさんは、そんな軽いお方じゃ……」


 そう言うとライムは可笑しそうに笑った。


「あのね、アンナ・ターニア。リムとアリサは同じ万物の石を体内に持ってるのよ。あなたには黙ってたけど、実はね……同じ石同士、私を触媒にすればあら不思議。お互いを失った半身のごとく求め合うの。早い話が……洗脳されたかのように、愛するようになる」


「そのためには強い精神的ショックを受けて、自制心が破壊された状態で無いと行けない。理性的だとそれが枷になるからな。その手段は……賢いお前ならもう分かるな」


 先生の言葉の後、ライムが剣を抜いて近づいてきた。

 そんな……馬鹿な。

 でも、本当にそうなら……死ぬわけには。


「やめろ、ライム。こんな奴、殺すまでも無い。こいつは今はもう小悪党と変わらん。何か動きを起こそうとすれば、お前の秘密を公にする。そして、お前は勝負に負けた。リムちゃんの前から消えろ。そうすればお前の悪事は黙っててやる。どこかの街でまた煙突掃除でもしてろ」


「でも、生きてたら邪魔してこない?」


「無理だな。コイツはもはや弱者だ。それにリムちゃんを取り返そうとする気概も無いだろう。せいぜいコソコソ悪巧みする程度じゃないか? 良かったなアンナ。お前は弱さ故リムちゃんを失い、弱さ故に命を繋いだ」


「だってさ。良かったね、アンナ・ターニア。あなたはそこでリムちゃんが『入れ物』として覚醒するのを指くわえて見てると良いわ」


「『入れ物』? なんだ、それは」


「入れ物は入れ物だ。万物の石の残渣を消し去るのに、リムちゃんの中に残差の回収の都度、彼女の中に溜めて、最後には入れ物……リムちゃんごと壊す。そうすれば完全に破壊できる。それが出来るのはリムちゃんだけだ」


 ……は?

 破……壊?


「……それは……ヤマモトさんは……」


「お前には関係ない。リムちゃんは私を心から愛するようになる。そうすれば、破壊されることも喜んで受け入れるようになる」


「……先生……正気ですか。あなたは……そんな……」


「世界のためだ。万物の石は完全に消さねばならない。そのためには、リムちゃんも……道具だ」


「あなた……あなたは……」


「行こうか、ライム。リムちゃんをもらいに行かねばな」


「そうだね。でもさ、私も色々準備があるんだ。出発はしばらく待ってくれない? そうね……二月後、この街を出るのはどうかな?」


「長いな!? そんなに居るのか!」


「うん、リムとアリサを繋げるのってしんどいんだよ。二人とも万物の石の元を持ってるんだからさ。だから、二ヶ月後の早朝。この街を発つ」


「……わかった。じゃあ行こうか」


 二人は私の方を見ること無く歩いて行った。

 二ヶ月後……二ヶ月。


 私は呆然としゃがみ込みながらその言葉を繰り返していた。


 その夜。


 夜の闇の中にランプの明かりだけが照らす屋敷の中庭。

 私は手鏡に自らを映した。


 あの頃の自分の髪の長さは……確か……

 私は手に取ったナイフで腰まで伸びた髪を……切った。


 エルジア先生には二ヶ月間の休暇をもらった。

 落ちた体力を戻し、増えた贅肉を完全に落とす。

 イメージに沿う動きを呼び覚ます。


 私は売ろうと思っていた剣を構えると、真一文字に空を切る。


「……ふっ!」


 あの頃のように舞う。

 空気を切り裂く。


「はっ!」


 ……踏み出しが遅い。

 これでは先生にもライムにも……勝てない。


 私は汗を拭うと、また剣を構えた。

 今度は木刀では無い。

 真剣での斬り合いだ。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 私は何も持っていない。

 愛嬌もユーモアもカリスマ性も無く、ただ世間知らずな小娘。


 両親が死ぬまでは本だけが友達だった。

 親友や友達。

 愛する人。

 そんな物は遠い場所の花火の様だった。

 そこにはあるだろうけど、決してつかめない物。


 沢山勉強して学問で身を立てる。

 そして、勉強もせずに笑い転げるだけで友情も愛情も手に入れている子達を見返してやる。

 そう思っていた私の運命は、両親の死で狂った。


 生活の糧が途絶えた。

 他に幼い兄弟ばかりだった我が一家の長女である私は、働かなくてはならなかった。

 でも、愛嬌もユーモアも無い私に店の売り子や、酒場のウェイトレスなど無理だった。

 冒険者ギルドの受付も同じ。

 あそここそ荒くれ者ばかりの冒険者をいなす、コミュニケーション能力が必須だった。


 結局私は、お金のために危険だが働き手を選ばない煙突掃除に従事するしか無かった。

 家族のために生きて、死ぬ。


 そんな日々しか見えなかった私が、仕事帰りに歩いているとコルバーニ先生の道場の前を通りがかった。

 そこでたまたま見えた先生の剣舞。

 それはあまりに美しく、時に妖しく、そして強さがあった。


 呆然としながら見ていた私とふと先生の目が合った。

 先生はニッコリと笑って言った。


「剣に興味あるの? 良かったら振ってみる?」


「でも……私、運動できなくて……」


「ふふっ、楽しみでやる剣は上手下手じゃないから。試しにやってみたら? 戦わなくても気晴らし程度にはなるよ。あなた……煙突掃除してるんでしょ? いつも酷く疲れてる。こういう時間も必要じゃないかな?」


 そう言って優しく微笑みながら剣を渡す先生。

 私は初めて持つ剣の重さに戸惑いながら、先生の言うがままの構えを取り、振ってみる。

 すると……


 空気を切り裂く甘美な音。

 腕の一部のようにしなる剣。

 私は身体の奥から心地よい震えを感じた。


 先生はわずかに目を見開くと、ニッコリと微笑み言った。


「あなた……剣術をやってみない? あなたはいつか剣で運命を……切り開けるかも」


 それから私と先生の歩みが始まった。

 厳しくも優しい先生。

 人を裏切らず、裏切られても憎むこと無くただ全てを剣に乗せて、舞う。


 そんな先生が……


 いや、私が先生を取り戻す。

 ヤマモトさんも。


 ……あの日、先生が言って下さった言葉。

 運命を切り開くんだ。


 もし、先生を……ヤマモトさんを取り戻せないなら……この命と引き換えよう。


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 寒さの始まった早朝。

 薄闇の残る路地に私は立っていた。

 海風が冷たい。

 だが、それも気にならない。


 目の前の建物をじっと見ていると、やがてそこから二人の女性が出てきた。

 私はそのうちの一人……コルバーニ先生に向かって告げた。


「アリサ・コルバーニ。アンナ・ターニアと真剣を用いての立ち合いを希望する」


 先生は目を細めて私を見た。

 隣のライムはからかうように言う。


「へ? 大丈夫? アンナ・ターニア。木刀じゃ無くて。前みたいにやられたら吐いちゃうどころじゃ無いよ」


「いや、ライム。今のアンナは……そうしないとダメかもな」


 先生はニヤリと笑った。


「お前は勝負に負けた。再度の賭けをやるには相応の物がいるだろ。私に何のメリットがある?」


「……負けた方は死ぬ。それなら私は二度とヤマモトさんに会えない。もし、生き残っても……その時はライム、あなたがとどめを」


「そんなのこっちに何のメリットも無い。お断り……って、アリサ!?」


 先生は歩きだそうとするライムを手で制すると、不適に微笑んだ。


「いいだろう。我ら師弟の最後の勝負にしようじゃ無いか」

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あの人と魔法が消えた世界 〜『リムと魔法が消えた世界』外伝〜 京野 薫 @kkyono

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