第五話「異覚」
霊感は「霊が視える能力」だと一般的には考えられています。だた、霊感のある人や突発的に心霊体験をした人の話を聞いていると……どうも違うような気がしてくるんです。例えば一瞬しか視界に捉えていなかったにも拘らず、幽霊のシルエットだけでなく性別や年齢、服装などの詳細な外見的特徴を記憶していたり。あるいは「視線や嫌な気配を感じて振り返ったら居た」とか、視覚では絶対に感知できないような情報から目撃していたり。
そもそも視線や気配というのは、何で感じているのでしょうか。
私たちは霊を視ているようで、視ていないんです。
明らかに視覚でも聴覚でもなく、もちろん味覚でも嗅覚でも触覚でもない「ナニカ」で霊的存在を感知し認識しているんです。
それともう一つ。
私たちは、本当に「幽霊」を視ているのでしょうか。
特定の人間や特定のタイミングでしか……ましてや何を感知して認識したのかも分からないような存在が、私たちの理解できる範疇に収まっているとは、とても思えないのです。人間は理解不能なものを「自分が知っているもの」にカテゴライズし、無理矢理にでも理解しようとします。私たちは未知の方法で感知した未知のナニカを「そこで亡くなった人の霊魂」という、まだ私たちが理解できるものに置き換えているに過ぎないではないのでしょうか。
つまり幽霊は……私たちが「未知のナニカ」を認識しようとして作り出した、言わばフィルターのかかった姿なのではないでしょうか。幽霊を「信じない」人はいても、幽霊を「理解できない」人はいません。私たちは本当はもっと異形で異質なものを視ていて、もし何らかの方法でフィルターを外せば「本来の姿」を認識できる。
しかし、その結果どうなるのかは全くの別問題です。
このフィルターは正しい認識をゆがめてしまうものであると同時に、正気を守るものでもあるのです。たとえ初めて目にするものでも、私たちの常識と日常が壊れてしまわないように。
人間は「分からない」ことが、一番怖いのです。
霊が絡んでいると見られる変死や失踪は、数多く存在します。
しかし彼らが命を落としてしまったり、この世から消えてしまった本当の理由は。
襲われたからでも、連れて行かれたからでもなく。
ひとえに、自らの理解を超えた「分からない」ものを。
「分からないまま」認識してしまったからではないでしょうか。
ひとくち怪談─感覚編─ 双町マチノスケ @machi52310
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