6-5. 血と肉と骨(異聞)

王国を去ろうとする民の多くが北や南に動く中、ヨハンとテツオは、ハンスの教えを受けて東へ旅立った。山の峡谷を抜けてラウフ湖畔を目指す道だ。

彼らが旅立った後、ハンスは、自分が密かに準備していたことを行動に移した。ヨハンたちが、自分たちが去った後に何が起きたかを知ったのは随分後になってからだ。


ハンスが街に来るきっかけとなったのは、とある家族の死だった。その家族の父親は魔導工学の教鞭を振るう若い学者で、開戦に踏み切った軍部批判を行い、逮捕収監されていた。

夫が収監されたことで妻は収入が絶たれ、仕事をしようにも警察からの圧力で働く場所がなく、実家や親戚を頼ることや借金すること、また体を売ることを拒否し、幼い子どもと共に餓死した。またこの事実が表に出ないよう、収監していた学者は自殺に見せかけて収容所内で殺害された。

軍部や警察は揉み消しできる、取るに足らない事件と思っていたが、問題はその学者の妻の父親だった。その父親は古い酒造りの名人で、ハンスのよき友人だった。

友人の娘、孫が亡くなったという報せを受けたハンスは独断で事のあらましを調べ上げた。かつての知り合いに慎重に声をかけ、自身は亡くなった友人の娘とその幼い子どもが最後に暮らした団地に管理人として入り込み、学者のいた職場や警察、収容施設で行われたことを調べたのである。

ハンスは迷ったがわかったことを友人に告げた。真相を知った娘の父親は激怒し、娘の母親は悲嘆に暮れて自殺未遂を起こした。間一髪で事なきを得たが友人夫婦の絶望感は大きく、ハンスは身内の受けた悲劇の復讐を果たすことを決めた。それは、これまでに培った技術を初めて私怨のために振るうこと、そして自分が属する国家にその矛先を向けることを意味していた。


ハンスはまず匿名による告発という体でこの悲劇を暴露した。内部の機密文書をあらゆる報道機関に流した。当然、政府の息のかかる報道機関から密告者の存在情報が出回ることとなり、また全体に対しても報道規制がかかった。だが人の口に戸を立てることはできず、ハンスたちによる密かな扇動もあって情報は拡散され、報道規制がかかったという事実が情報の真実味を増すことに繋がった。

最初に動いたのは学者が教鞭を取っていた魔導工学の技術学生たちだった。学生たちは大規模なデモを行い、同時に学校自体を占拠した。教師の中には暗に学生を支持する者も多数いた。

開戦以降、集会行為は全て禁止されていたため、多くの学生が逮捕された。学生たちの占拠は警察、軍、近衛兵の連合部隊に潰された。

政権側はこれで反政の動きを封じたと思ったが、国家権力が武力でもって学生の主張を圧殺するという光景に市民の鬱憤は爆発寸前まで高まった。

その矢先に新たな集団が明確な反帝政を掲げて現政権に対する攻撃を宣言した。それは退役した元軍人を中心とする老兵集団で、画策したのはハンスだった。

軍部は、過去の王政を支持し、現帝政を批判する知識層や影響力のある人物をマークしていた。退役した軍人についても穏健派、保守派の重鎮の動きには注意を払っており、王都近くの街に現れたハンスにも監視を付けた。ヨハンが感じていた監視は、元々ハンスをマークしていた目だったのである。

たが、蜂起したのは監視が及ばない階級の低い旧兵たちだった。初めは人数もそこまで多くなかったことから、食うに困った老人の集まりと歯牙にもかけず、すぐ鎮圧可能と高を括っていた。しかし、ハンスの秘密裏の呼びかけに、もう子供や若者の死を見たくないと国内のあらゆる地から退役した軍人や既存の小規模な抵抗勢力が王都に集結した。更にハンスの仲立ちにより王都の犯罪組織も加わってひとつになりゲリラ戦を展開した。これにより、王国は事実上の内戦状態に入った。老兵たちは実戦の経験が豊富で情報戦にも長けていた。物資不足から火力が出せない政府側は、犯罪組織の提供する情報や塒を用いる老兵たちの神出鬼没で巧みな局地戦に苦戦を強いられた。

ある収容施設が老兵たちによって解放されると、その施設で行われていた不当な暴力や陵辱行為が明るみになった。またそれらの行為を警察官僚や軍幹部の二世たちが行っていたことがわかり、ついに溜まりに溜まった市民の怒りが爆発した。

その後は一気に事が進み、もう戻ることのできない怒りの波が王都中を覆い尽くした。一夜にして警察署や収容施設を中心に国の施設か焼き討ちされ、警察官僚や軍幹部、役人たちが王都の様々な場所で吊るされた。市民や飢えた孤児たちはその遺体にも石を投げた。王都の至る所で黒煙が上がり、国の施設や体制を賛美した組織や集団は軒並み攻撃を受けることとなった。北から帝国、南から聖王国、そして足元の市民から攻撃を受けることとなり、軍上層部の将軍たちは逃亡をはかった。だがかねてより、表に出せない情報や現政権の中枢にいる人物、取り分け皇帝の動向を探っていたハンスは逃亡情報をいち早く掴み、市民にその情報を流した。結果、彼らは市民に取り囲まれて嬲り殺しにされることとなった。だが皇帝の所在情報だけはある時期からわからぬままで、全く表には出てこなかった。

この時点で皇国と名乗った政権は瓦解し、前王時代の王妃が市民の請願を受けて女王に即位した。帝国、聖王国が女王を王国の元首と認め、女王は降伏を宣言し、皇帝を名乗った王族を指名手配して戦争は終了した。

しかし、戦後処理は悲惨だった。戦争を仕掛けられた帝国は領土の割譲を要求してきた。そこには魔女の森との接点となる地域やオルタナとの交易路も含まれていた。同時に莫大な賠償金や王国の持つ魔導研究の成果についても要求されていた。聖王国の要求案も同様で、そのまま鵜呑みにすれば王都を除く領土を帝国と聖王国とで共同統治するという案だった。

その要求を飲めば遠くない将来に王国は歴史から消え去ることを意味していた。国の存亡に関わる危機として、戦時下では押さえつけられていた知識層や実力者たちが総出で両国とのあらゆるチャンネルを使って要望の軟化を試みたがその交渉は苛烈を極めた。

そこに突然、ある情報が実しやかに流れ始めた。

それは戦争のきっかけとなった皇帝を名乗った男に関するものだった。男は血の半分が聖王国にルーツがあり、男の動きは聖王国と、帝国の中にいる一部の急進的なグループが手を組んで仕組んだというものだ。

また皇帝を名乗った男は敗戦濃厚となるといち早く聖王国へ脱出逃亡したという情報も流れた。

両国ともに根も葉もない噂と一笑に付したが、王国はある文書の存在を発表した。それは皇帝を名乗った男が身の安全を図るために用意していたもので、今回の陰謀を企てて参加した聖王国、帝国の関係者の氏名や指示内容、密会した日時や場所、会議内容などが事細かに記されていた。

名前の出た帝国の関係者は、文書は捏造されたものだと主張したが、聖王国が沈黙したことで、帝国には混乱が生まれた。

元々帝国では穏健派と急進派が激しく拮抗していたこともあり、穏健派は、聖王国の陰謀に加担し、乗せられた急進派を激しく追求し、槍玉に上げて追放した。また、戦後賠償を譲歩することで早期の鎮静化をはかった。

帝国が譲歩したことで、戦争では殆ど犠牲も出ておらずまた王国(皇国)から領土侵犯も受けていない聖王国は、元々の要望を保持し続ける理由を失った。結果、王国は南北の領土で侵攻を受け、占領された地域をそれぞれ帝国と聖王国に割譲すること、またオルタナの交易路は三国で共同活用することで決着した。

これは、国土全体を南北に分断統治され、王国そのものが歴史から消え去る寸前だったことを考えれば奇跡的な着地だった。

戦後処理が進む中、各国の首脳にはそれぞれの持つ情報機関によって、確定的な情報ではないとしながらも、皇帝を名乗った男が逃亡先の聖王国のある地で死亡しているのが見つかったという情報が届けられた。この情報は実しやかな噂としてひっそりと市民の間でも囁かれることとなった。


「我が女王」

密室の中、女王の前で新しい摂政が意見を述べていた。

「どうにか賠償案がまとまりそうですが王国はこれより苦難の道が」

「無論、分かっています」

女王は椅子に座り、窓の外の荒れ果てた王都の街の風景を見ながら述べた。

「多くの人民に犠牲が出ました。由緒ある領土を手放すこととなりました。失ったものは計り知れません」

「軍部の改革にも着手せねばなりません」

「ええ、軍は一度解体をするつもりです。戦したがりの連中が生まれないような仕組みを作らねばなりません」

摂政は頭を垂れて下がろうとしたが、女王は続けた。

「帝国と聖王国は領土を増やし、これまで王国が占有していたオルタナとの直接交易を行使できるようになりました。そして帝国の穏健派は急進派を追い出すことに」

摂政は黙って聞いていた。

「聖王国だけが何も」

摂政は迷いながらも口を挟んだ。

「そうとも言えません、我が女王」

女王は窓の外から摂政に向き直った。摂政は言った。

「今回のことで聖王国は他国に疑心の種をばら撒きました。また彼の国のこれ以上の北への進出には帝国からも牽制がされ、一定の歯止めがかかったのも事実です」

「とすれば」

わずかな沈黙が流れた。

女王はまだその先の言葉を紡げなかった。全ての絵を描いたのは急進派を追い出すことに成功した帝国穏健派だったのか、やはり漁夫の利を掠め取った聖王国なのか。あるいはその他に何か。

「いえ。それより第九研究所についての報告は?」

「召喚されたのが少年であることまではわかりました」

「少年、ですか?」

「はい、しかしその実際の年齢や風貌、また能力や鑑定結果などの情報は本部への報告前だったようで研究所と共に消失したというのが事実であるようです」

第九研究所は、帝国が領土割譲で絶対に引かなかった地域にあった。帝国も研究所の成果を狙っているのだろう。またおそらくだが聖王国も。

「加えて一点だけ、秘密裏に王都近くのとある街に少年を探索するチームが派遣される予定だったようです。しかし人手が割けず断念し、この件に関する箝口令が敷かれたという記録がありました」

「どの街ですか?」

摂政は街の名前を答えた。それは、女王にも聞き馴染みのある街だった。確か、暴動が起こるきっかけとなった学者一家が住んでいた街だ。

「例の探索と情報の専門家ですが、」

「ハンスですね」

「ええ、彼に少年の行方を探ってもらうことは可能ですか?」

摂政は首を振って言った。

「ハンスは本来生粋の狩人です。これ以上は国に関わらないと既に故郷の森に戻りました。彼の者をこちらから捕捉するのは不可能でありますれば」

女王は摂政に向かって頷いた。それを受けて、摂政は今度こそ頭を垂れて下がった。

女王は、召喚者を囲うことができれば逆転の一手になり得ると思わないではなかったが、女王にしてもコントロールできるかわからないものを無理に掴もうとする余裕はなかった。

「何にしても、今あるもので立て直すしかありませんね」

女王は独り呟いた。


女王の前から下がり、くたびれた王宮の廊下を歩きながら摂政はハンスとの最後の会話を思い出していた。

摂政はハンスと見知った仲だった。ハンスから事の顛末を聞いたときの彼の疲弊し切った表情を忘れることができなかった。自らが師より受け継ぎ、研鑽した技術や能力でもって人民を扇動し、多くの犠牲を出した。成さねばならぬことと覚悟を決めたものの、街並みを、人の営みを破壊した。その葛藤は察するに余りあった。

一通りの報告を受けた後で

「そういえば、」

と摂政はハンスに切り出した。

「あなたが潜伏していた街に召喚者の探索部隊が派遣される予定でした。何か結びつく情報はありませんか?」

聞くなりハンスはぶっきらぼうに即答した。

「さあ、わからんな」

そう言ったときのハンスは、疲労感の中でほんの少し目の奥に柔らかな光を取り戻し、頬が緩んだように見えた。

そんなごく僅かな変化もすぐに奥に引っ込めてしまったが、さしものハンスも疲労故か隠し切れなかったのではないかと感じた。

摂政はこれを誰にも言わなかった。それはハンスの行動や覚悟、払った犠牲、そして心意気に報いるものだった。

摂政は廊下でふと立ち止まり、窓硝子に映った自身の顔を見て思った。あのハンスの表情に名前をつけるとしたらなんだろうか。

「達成感…なのか?ハンス」

そう言って、摂政は人知れず深い森の中を歩く老人の背中のことを想った。

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異世界長屋暮らし @namagusa_taro

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