第8話 自分語り妹

 自分語りは、危険信号。

 ……まぁ、そうだろう。

 有り体に言って、イタイ行為だろうと思える。


 それでも、あたしという人間について───この辺りで、いくらかでも語っておかないと、あたしという人物像を誤解させてしまう恐れもあるだろう。


 まぁ、本音を言えば……聞いてほしかったんだ、誰かに。


 田舎で牧歌的な暮らしを営む、一応まだ若い24歳、そして……一応、生物学的には女だ。名前は、翠麗すいれい───笹森ささもり 翠麗すいれいという。


 ………田舎に住んでいながら、似合わない……大仰な名前だと思う。

 母親は女の子が欲しくて、そして……念願の女児が生まれたので気合を入れて考えたと言っていた。家族や同級生からは、翠(すい)と呼ばれることのほうが多い。……いつも思うが、女の4文字読みの名前というのは、語呂が悪いと云うか……呼びにくいと思うのだが───。まぁ、悪くない名前だとは思う。……自分には、もったいないほどの名前だ……とも。


 先に述べたと思うが、今現在は4人で暮らしている。存命中の家族としては、7人家族だ。両親は、隣の町へ長期出稼ぎ出張中。兄が二人おり、双方ともだいぶ年が離れている。あたしは所謂いわゆる、遅くにできた子供、というやつだ。長男は同居中で、次男は……今ではすっかり東京の人だ。


 そして、私の事実上の親とも言えるのが、じいちゃんとばあちゃん。

 あたしは、この二人に育てられたと言っても過言ではない。


 ………………………


 あたしという人間は、たぶん厳密に調べたら、知的な問題があるのだろうと思う。障碍……とまで言ってしまうと、のある人に対して失礼な気がして……自分から申告することはないけれど。


 あたしは、他人と付き合うことはもちろんだが、そもそも……顔を覚えるのが大の苦手だった。そして名前も。

 田舎者にとって、これは結構致命的というか……、村全体が知り合いみたいな空気感の中では、変な人間と捉えられかねないものだ。頭の弱い人間に見えるかも知れない。いや、実際に……かなりの部分であたしは周りから変人認定されているだろう。


 だが、当事者であるあたしにしてみれば、○○と✕✕は仲が悪い、とか□□と△△はかつて愛人関係……なんて、他人の個人的な……下らない(私は下らないと思っている)情報という名の───噂話に影響されない分、自由で平穏を保っていられると思っている。


 田舎では、そういった隣人の事情をくまなく知っていて、時にそれを慮って行動や発言をすることが前提として求められる空気感がある。

 ここでは言えないような……選挙でのアレコレなんかは、まさにその産物であろう。時に「空気を読む」事は「法を遵守する」より深く強く人間を縛り、そして行動させる。


 都会には都会で、特有の精神があるのだろうが、一方で都会は無関心が是とされる風土もあるだろう。地方出身者にとっては、それが居心地よく感じられるのかもしれない。

 田舎から都会へ人が流れるのは、この空気の濃密さ、付き合いの粘度の強さ、みたいなものから抜け出したいという想いがあるのではないかと思っている。

 次男……都会へ出ていったもう一方の兄の事を思うと、その気持ちがわかる気がする。一度貼られた個人イメージは、容易には覆せない。それが、例え自分の望まなかったものだとしても……。


 あたしは、田舎の風土が好きだ。


 毎日の、空と風に季節の移ろい、肌に触れる雨粒の温度に生命の歓び、草を刈り土に汚れることに生きている手応えを感じる。


 しかし、一方で……田舎の人間をひどく嫌ってもいる。

 人の噂を好み、他人の内情を把握することが、上位でありステータスみたいに扱われ発言力が増す、あの感じ……。付き合いが濃密である事に起因するのであろう、先刻までの自分を棚に上げ平然と手のひらを返す、八方美人さ───。


 もしかしたら、あたしのこの……顔と名前を覚えられない症候群は、こんな田舎が「好き」で「嫌い」なあたし自身が産み出した生存戦術なのかもしれない、とも思ってしまう。


 ……社会に出ると、結構困るけどね。



 そういえば────

 こんなあたしと似た感性を持ってる男の子が……身近に、一人だけいた。



 同級生だけど、普段からつるんだり、遊びとかで一緒に行動していた訳じゃなかった。けど、要所要所で一緒になることが多かった人だ。学校のグループ活動、役員、地区の奉仕活動なんかじゃ常に一緒と言っていいほど、あたしたちはペアで行動していた。


 そして、うちのじいちゃんとその彼の父親とは、同じ仕事をしていた。

 それが、強い結びつきだということは、今ならわかるが──。


 件の通り、あたしは周りの人に興味を持つということができなかった。そのため、彼と良く話すようになってから……改めて、うちのじいちゃんと彼の父親が一緒に働いているということと、その意味を認識したのだった。


 彼とあたしとは、思考と嗜好と志向が似ていたのだ。


 その頃は、男なんか欲しいと思ったことはなかった。

 いや、性的な意味じゃなく彼氏とか、伴侶とか……いわゆる、対外的に見える部分での関係、という意味で。

 性的な意味での男なら……あたしも欲しい。……それが高じすぎて、過去にちょっと失敗もしたけど───。


 結婚しました、あの人と付き合っています、彼氏って良いよね……。

 そういう巷の話題には、興味も無いし関わりたいとも思わない。


 でも、普段の生活のなかで、一緒に暮らしを構築していくパートナーなら、あたしは熱烈に欲しいと思う。あたしが家族にこだわるのは、そういう理由があるのだ。


 お付き合い期間なんて無くていい。

 ドキドキ、きゅんきゅん……そういったものは、あたしには似合わないし人並みに享受できるとも思っていない。そんなものは、最初から諦めがついている。かわいい服とか、週末に外で食べる美味しいディナーとか、知り合いに自慢できる旦那様とか高収入とか……。他人が欲しがるその手のものに価値など感じない、そんなもの犬にでも食わせてやれ。いや……ごめんワンコ、こんなもん食わせられたらお前だって迷惑だよね……。


 でも、生活にまつわる価値観のあれこれに関しては、はっきり言って妥協というか擦り合わせられる気がしないのである。あたしと、感覚がぴったり来る人とじゃなければ、一緒には暮らせないと思うのだ。


 そんなやつ、おらんやろ~。

 そう言われても仕方がない。


 あたしもそう思う。

 ただ、一人を除いて────。


 前述の彼だけは、あたしが一緒に暮らしたいと思う男だった。結婚して子供が欲しいとさえ思っていた。

 そうなれたとして───彼がもし、あたしの見た目が好みに合わなくて、一緒に人前に出るのが恥ずかしいというなら、家に閉じ込めておかれても構わない。なんなら籍も入れずに内縁関係でもいいと思っていた。一緒に暮らして、彼にご飯をつくって、彼との子供ができたなら一人で育ててもいい……とさえ思っていた。


 根が、愛人体質なのかもしれない。

 そう言えば、そんなことを誰かに言われたこともあった。


 だが、自分のこの見た目を思うと……愛人も無理だろうと思う。性の捌け口くらいにはしてやってもいい、と云われるなら……それがせいぜいだ。あたしは、人前に連れ出したいと思ってもらえるような容姿ではないからだ。体格が貧相でそれでいて男みたい、胸もお尻もぺったんこ……おまけに背も低い。小学生の頃はあだ名がガリガリ君だった。


 その傾向は、今も変わらない。

 下手したら、今でも男の子に見えるかもしれない。


 でも、彼なら……。

 少なくとも、見た目を理由に私の価値を計ることはないと思う。

 彼は、そんな人ではないから。


 今思えば……、もっと早く自分の事を客観的に理解できていたら良かった。

 時期が来れば、あたしも人並みに恋ができたり、他人の価値観に合わせられたりできるようになると、そう……思っていた。

 だが、そんなことは全く無くて、むしろ年々この偏屈な性格は酷くなっていくような気さえしている。もはや、こんなあたしを貰ってくれるような男は存在しないだろう。


 そう、彼以外は────。


 一度、高校卒業間際に彼と話していて、何気ない雰囲気の時に、私の方からそれっぽいことを言ったことがある。


 世間一般のいい雰囲気とは、ある意味真逆だが、それでもあたしたちにとっては和やかで素敵な時間だった。

 将来の事をなんでも話せて、自分がなにが好きでどんな生き方をしたいか、忌憚無く話し合えて……。


 彼も私と同じで、他人から見られて褒められる為の生き方は、似合わないししたくないと言っていた。

 貧乏でもいいから、静かに慎ましく、食べるために一生懸命で楽しい生き方が理想だと言っていた。


 ただ、彼は……前述の地元の空気にどうしても馴染めないらしく、その点は……どうやら、私以上だったようだ。


 彼は、生まれ育ったこの村を離れ、隣町で自動車整備工場で働きだした。

 そのうち、資格を得ると今度は隣の県に引っ越して、そこで生活を始めたらしい。


 地元を離れるというのは聞いていたため、あたしは少し残念だったけど、頑張ってね、と……私は彼の背中を押した。

 そして……。

『生活感が似た者同士だから、君となら私……一緒に暮らせると思うよ。何なら一緒に行こうか?』

 という……ちょっと遠回しというか、不思議な告白めいた事も言った。


 普通ならそこで、じゃあ付き合ってみるか、とか……あるいは、冗談めかして流すか……もしくは、いっそ笑いながら……お前とはあり得ないよ、と一蹴してくれるか────。


 その時聞いた、彼の答えは……これもまた、実に彼らしいものだった。


『ありがとう。そう言って貰えるの……嬉しいよ。たぶん、ずっと忘れないと思う────』


 まるで、慰めて貰ったときのような、最初から彼にはその権利が無いかのような……不思議な、自己肯定感の低い答えだった。


 私の押しが弱かったのか、分かりにくかったのか、それとも……やっぱり、あたしじゃ駄目だったのか。


 或いは、単に縁が無かったということなのかな。



 ───今年の正月。

 彼は地元に帰って来ていた。


 Uターンではなく、一時帰省でもない。

 冬のあいだ、こちらで仕事をするためだという。ばあちゃんが、世間話がてら聞いてきたそうだ。


 それを聞いて、ちょっと興味が湧いて……私は、気まぐれを起こして彼の家を訪ねてみようと思った。久しぶりに、彼に会いたいと思ったのだ。


 でも、……それは浅はかな行動だったのだろう。

 彼の家の近くまで来たとき、見慣れない人がいるのに気付いた。


 ………女性だった。


 彼に、女性の兄弟はいない。

 外見から察した年齢から考えると、彼の父親の再婚相手……というのも違うだろう。


 普通に考えれば───つまりは、そういうことだ。


 その女性ひとは 、

 あたしと違って、顔も可愛らしくて背が高く豊満で……、とても女性らしい身体つきをしていた。



 そして、家から出てきた彼は────。

 遠くから見た、久しぶりに見た彼の顔は……とても、幸せそうだった。



 結局、顔も出せずに家に戻って、あたしは……本当に、久しぶりに泣いた。涙が止めどなく流れた。声も出さずに、震えながら……ひたすら布団に顔を埋めて。


 こんな思いをするなら、彼に自分をもっと押し付ければ良かった。なんでもいいから、とにかく彼のそばを離れなければ良かった……。少なくとも、彼は私を嫌ってはいなかったのだから。


 いっそ二号でもいいから、今から彼にもう一度会いに行って自分を売り込もうか、という狂った黒い考えもよぎった。……あたしは、それほどに彼を取りこぼしたことが悔しかったんだ。


 そうして、やっと気づく。

 私はどこかで、彼を侮っていたのかもしれない。


 彼は、安全牌だと。


 ……他の男が見つからなかったときの保険くらいの扱いだったのかもしれないと。あたしは、馬鹿だったんだ。バカで浅はかで……軽薄で汚い、女の成り損ないだったんだ。


 そんな後悔をしてみても、もう遅い。

 彼の隣の席は……もう埋まってしまったのだから。


 

 ………………………



 ────嘆くことは無い。

 あたしには、とても素敵な家族がいる。

 今はその家族のために、あたしにできることをするのが、当面の生き方だ。

 あたしは、こんな性格だ。

 まともに仕事にも就けないだろう。

 せめて、迷惑をかけないように……慎ましく暮らしながら、自分にできることを探していこう。


 そして……、叶うなら───

 今度こそ、笑って彼に会いに行こう。

 そうできるように、自分を上向かせることが……。

 いまの、あたしの目標だ。

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とある家族の散文生活 天川 @amakawa808

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