最終話
次の日。選択科目で教室を移動したけど、忘れ物に気がついて自分の教室へと急いで戻る。すると、教室から声が聞こえてきた。
「古屋さ、昨日、マックでイチャついてたっしょ」
「えー、なになに? 古屋って彼女いたの?」
昨日のことだ。冷や汗がドッとでてきて、私は扉の手前で固まる。
「それがさ、あれ、三崎さんっしょ?」
「学級イインチョーの???」
「……ちがう。つきあってないよ」
古屋くんのぶっきらぼうな声が響いた。
「いやいやいやいや! あの距離感で、それはないだろ」
「マックで何してん? 古屋~」
「三崎さんの耳を、なんか……こう、撫でてた!」
だんだん指先が冷たくなっていく感じがする。嫌だな、こういう会話……。
「だから、なんでもないよ。耳も触ってないし、三崎さんとは何でもない。たまたまマックで会っただけだし。お前の見てた方向から、そう見えただけでしょ」
私と付き合ってる疑いをかけられて、心底嫌そうな対応をする古屋くんの声を聞いていたら、いたたまれなくなって、私は教室には入らずに選択科目の教室に戻った。
それから、今日は会いたくなくて、帰りのホームルームが始まる前に、古屋くんに「お母さんから用事言われて、今日はすぐ帰らないといけなくなった」と嘘のメッセージを送る。彼からは「了解!」というセリフの書かれた変な白い毛玉のようなキャラクターのスタンプが返ってきた。
◇◇◇
あれから、なんやかんやと理由をつけて会うのを避けてたら、一週間が過ぎた。そして、日直の順番がまた巡ってきて……出席番号が一つ前である古屋くんと一緒に当番になる。
前回と同じくオレンジ色の夕日が差し込む放課後の教室。前回と違って、私も彼もワイシャツの上からセーターのベストを着ていた。
日誌を埋める私を、彼は肘をついて見ている。私は早くこの仕事を終わらせようと、シャーペンを走らせた。
「ねぇ。オレなんか怒らせるようなことした?」
五限の項目を埋めていたら、そう問いかけられる。
「ううん。なんで? そんなことないよ。ちょっと、本当に忙しかっただけで……実はさ、耳のモデルの件なんだけど……やっぱり難しいかなって……」
私は日誌から顔も上げずに、ペラペラとこの一週間考えた言い訳を口にした。古屋くんはそれを聞き終える前に、ズボンのポケットに手を入れて何かを取り出す。それから、私が書きこんでいる五限の項目の上に、それを置いた。
「試作品」
それは高さ三センチくらいの置物だった。大きな葉っぱの傘を持ったウサギさん。
「イラストの写真だけで作ったから、後ろ姿とかはオレの想像で補完したけど」
すごく可愛い置物を前に、私は思わず日誌から顔をあげて古屋くんを見る。今度は彼の方が俯いて置物の方を見てたので、目は合わなかった。でも、私がシャーペンを止めたのを見て、古屋くんは目線をあげた。
「……ピアスにしたらデカくね? って思うかもしれないけど、これは試作品なので……試しに、プラ粘土で作っただけなので……ピアスはもっと小さく作る予定ですし……」
古屋くんの声はどんどん小さくなっていって、目線もまた下がっていった。
「ぶくく……」
イラストからこんなに精巧な立体物を作り出せるのに、自信なさげな古屋くんを見てたら、面白くて笑いが口からもれてしまう。私は下を向いて、笑いを堪えた。
「オレなんかしでかして、怒ってたなら、これで許してほしいです」
上目づかいでそう請われて、そもそも別に怒っていたわけじゃないけど、頑なになっていた心がほぐれる。
「これ、くれるの?」
頷く古屋くん。私は置物を手に取って、回して背面までよく見る。ガチャガチャのカプセルに入ってそうなくらいの完成度だった。
「あのさ。本当にオレ、何したの? 三崎さんとこんな感じになるの、もう二度と嫌だから教えて」
しょんぼり顔の古屋くんに対して、これ以上黙ってるのも申し訳ないと思って、気まずいながら、私は先週の聞いてしまった会話の話をすることにした。
「なんかちょっと……あそこまで関係を全否定されると、自分でもビックリするくらいショック受けちゃって……ごめんね」
「え……だって、三崎さん、ピアスのことは『誰にも言わないで』って言ってたから」
想定外の答えに「え……?」と私もビックリする。でも、確かに私は彼に誰にも言わないでほしいと頼んでいた。すっかり忘れていたけど。
「ピアスの話を伏せて、三崎さんの耳が好きだから触ってたとか……いや、それは事実なんだけど、それだとオレが一方的にセクハラしてたみたいになるし、ピアスの話は避けては通れないし……」
「ふふ。耳が好きなのは、事実なの?」
口元を押さえて、なにやらブツブツ説明をしている古屋くんに、思わずツッコミを入れてしまう。私が苦笑していると、彼の大きな手が伸びてくる。前と同じように彼は触れる直前で「触ってもいい?」と聞いてきた。私は「いいよ」と髪を耳にかける。
でも、彼は何故か出した手を引っ込めて、立ち上がった。なんだろう? と疑問に思ってたら、わざわざイスを私の右横に持ってきて座り直す。机越しだった距離が急に縮まってしまい心臓がバクバクしてくる。
耳のフチに彼の指が触れた。
「腫れひいたね」
私は「うん」と小さく返す。消毒されてる時から思ってたけど、隣に座られて耳を触れながら話をされると、距離が近すぎる!
しばらく触った後で指の感触が離れたので「もう終わりかな」とホッとしてたら、耳を触っていた手がそのまま後頭部に入ってきた。首の後ろを触れて、次に左耳になでてから左肩におりた。
それから私は彼の方へ引き寄せられると、右肩に柔らかい重さが乗る。右を見ると、古屋くんの後頭部が見えた。状況が理解できず、私は硬直する。もはや、まな板の上の鯉。
「……あのさ、オレ……耳だけじゃなくて……三崎さんのこと全体的に好きなんすけど……付き合ってくれると、その……ピアスの話しないでも、あいつらに『彼女だよ』って言えるし、嬉しいんですけど……」
肩に頭を置かれた状態でそんなことを言われて、頭が沸騰しそうだった。私の頸動脈はいまにも爆発しそうなポンプみたいにドクドクしている。
古屋くんの言うことを理解しようと、ぐるぐると反芻する。付き合う……付き合うって、あの意味? 合ってる? ぐるぐると目が回る。なんとか「うん」と頷くと、肩が軽くなった。古屋くんが顔をあげた反動で、彼の鼻柱と私の耳が触れる。
グイッと、さらに彼の方へ引き寄せられた。
(え? なに? なんなの? キスされる? 耳に!?!?)
もうわけがわからなくて、ギュッと目を閉じる。その時、だった。
カプッ。
「へっ???」
ええええええええ!?!? 声にならない悲鳴をあげて、私は耳を押さえてガタリと椅子から立ち上がった。
いま、耳……噛まれたよね? え? は?
「喜びのあまり噛んでみたい衝動にかられたのですが、噛んでいいか聞いたら、きっと『それはダメ』って言われそうだったので」
それは、そう!
しょんぼり顔で言い訳にならないことを言う古屋くんを見ながら、私はワナワナして、髪の毛で両耳を急いで隠した。顔が熱い。きっとまた真っ赤になってる!
変な男の子と付き合っちゃったかもしれない……。
(おしまい)
みみたぶ、から恋。たぶ(ん) 笹 慎 @sasa_makoto_2022
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