夢乃旅人は夢をかる!

縞乃聖

第1話

 私、夢乃旅人(ゆめの りと)は白昼夢を見ていた。

 

 夢の内容は覚えていない。

 思い出そうとすると、そこだけ真っ白なペンキがぶちまけられたかのように思い出せない。

 対照的に、親友の家の前で彼女が支度を終えるのを待っている最中であることははっきりと覚えていた。

 

 「暑っ……」

 

 ギラギラとした真夏の日差しが雲一つない快晴の空から私に向かって降り注ぐ。

 

「夏服来てくればよかった」

 

 暑さで爆発してしまいそうだった。

 普段天気予報を見ていない自分を心中で叱りつけながら、めちゃくちゃに熱を持った黒のブレザーを脱ぐ。

 服の裾をめくり、スカート丈も短くするとかなりはっちゃけた見た目になってしまうがまあこの際は仕方がない。

 

「ああ、もう。眼帯も蒸れる!」

 

 眼帯に覆われた右目は群れて気分は最悪だ。

 

「あ、旅人。今日は早いね」

 

 私が身に着けるものと全く同じ学生服に身を包んだ親友が玄関から出てくる。

 

 彼女は私の幼なじみで親友の一ノ瀬七海(いちのせ ななみ)。

 おかっぱでメガネを掛けた落ち着いた雰囲気を醸す彼女は文学少女という言葉がとても似合う女の子だ。

 

「七海、遅い。めっちゃ汗だくになったんだけど!」

「いつも通りの時間だよ。それに汗だくなのは旅人が冬服を着てきたからだと思うよ。今から着替えてくる?」

 

 そう言って、彼女は自分の家の隣もとい私の家を指さした。

 

「そんなことしてたら電車に遅れるって!早く行こう」

 

 私たちは最寄り駅に向かって歩き出す。

 


 

「ふああ……」


 駅へ向かう途中、七海がこれまた大きなあくびをした。

 

「あくびなんてすっごい珍しいじゃん。夜ふかしでもした?」

「ううん。いつも通りに寝たんだよ。でも、変な夢のせいでなんだか疲れちゃって」

「変な夢?」

「うん。追われる夢」

「追われる夢か」

 

 ふと、夢占いという言葉が頭の中に浮かぶ。

 私はスマホを取り出して、検索欄に「追われる夢 夢占い」と打ち込んだ。

 すると、興味深い内容の記事が色々出てくる。

 

「追われる夢は精神的に追い込まれていることの暗示……七海、なにか悩んでることとかあるの?」

 

 私の質問に七海は天を仰ぎながら答えを探す。


「うーん……特にはない?と思う」

「そっか。あ、追いかけてきた奴でも意味が違うみたい。何に追いかけられたの」

「分からないの。人じゃなくて、光?みたいな。それがとても怖くて必死に走っていたの」

 

 検索欄に光を追加してみる。

 検索の結果はガラリと変わって、まったく夢に関係のないものになってしまう。


「光に追われる夢っていうのは出てこないね」

 

 となると、精神的に追い込まれているというのが有力か。

 

「七海、無理しちゃダメだからね。少しでも困ったことはあったら私を頼って」

「うん。ありがとう、旅人」


 そう言って、ニコリと微笑む。

 その後も、時折七海の口からあくびが漏れ出る。

 あくびをする七海の姿は新鮮で面白いけれど、妙に胸の奥がむしゃくしゃした。




 私と七海は共にこの春から同じ高校に通っている。

 とはいえ、クラスは別々だ。


 ――あ、七海だ。


 授業中、窓際の席の私は体操着姿で運動場を走る七海の姿を見つけた。


 ――七海、まだ眠そう。


 クラスメイトと運動場に描かれたトラックの上をランニングながら大あくびをする七海。


「……あれ?」


 彼女を観察していると違和感を覚える。

 登校の時と比べて、あくびをする間隔が短くなっているような気がする。

 そんなちょっとした違和感がただの勘違いかどうかを答え合わせをするように、七海は突然足を止めて……。


「七海!」


 その場で気を失って倒れたのだった。




 七海が倒れてから三日が経った。

 あれから七海は目覚めず、今は病院のベッドの上で穏やかな寝息を立てて眠り続けている。

 原因不明は医者も分からないらしい。


 下校後、私はこの三日間欠かさず七海の病室に通っていた。


「七海、いつまで寝てるの?そろそろ起きなよ」


 私は七海の身体をこれでもかと強く揺すった。

 けれど、かすかな反応一つ見せてくれない。


「お願い、起きてよ。このままお別れなんて、私は嫌だよ」


 七海の手は暖かい。

 七海は確かに生きている。

 けれど、彼女はまるで魂が抜けた人形のように動かない。

 手に私の涙が落ちても気が付いてくれることもない。


「旅人ちゃん」


 声をかけたのは七海の両親だった。

 小学生の頃に両親を事故で失い天涯孤独となった私にとって、二人は第二の両親ともいえるべき存在である。

 二人は先程医師に呼ばれていた。

 きっと七海の治療法やらについての説明を受けてきたのだろう。


「七海は起きるよね?」

 

 二人はなんとも言えない表情を浮かべて無言を貫く。

 子供の私でもそれが何を意味するのかはすぐに分かった。

 けれど、それは私にとって非常に耐え難く……。


「……おじさんもおばさんも、薄情者!」


 私は病室を飛び出していた。

 病院も飛び出した。

 目的地もないまま、ただがむしゃらに手足を動かして走り続けた。



 

 気付けば、展望台のある開けた丘の上にいた。

 夕焼けに染まった私たちの町、夢路町が眼の前に広がっている。


 ――この世界から七海がいなくなるなんて……。

 

「嫌だよ。七海。七海!」

 

 私は大声で泣いた。

 こんなに大泣きしたのは両親が事故でなくなった時以来だった。

 

 ピロン。

 

 突然、ポケットに入ったスマホから通知音が鳴り響く。


 ピロン、ピロン、ピロロ……。

 

 ものすごい回数の通知音が堰を切ったように鳴り響き始めた。

 

「一体、何?」


 私はスマホを取り出して、通知を確認する。

 通知はすべてクラスのSNSのものだった。


「え?」


 SNSの内容を確認して、私は言葉を失った。

 始まりはクラスメイトの一人がSNSにアップロードした一枚の画像だ。

 

 場所はどこかの路地裏。

 地面には不良少年らしきイカツイ格好をした数名の高校生が倒れており、写真の中心には古代ギリシャのスパルタ兵を思い起こさせる西洋風の鎧を身にまとった少女の姿があった。

 

「……七海?」

 奇妙なことにその少女の顔は七海と瓜二つだった。


 その写真は三日前に撮られたものらしい。

 写真を撮られた場所は不良グループがよく溜まりにしている場所で、写真を撮ったのもそのグループの一人なのだそうだ。


 噂では、この三日前を境に町の不良グループが次々と彼女に襲撃され、壊滅しているらしい。

 

「どうして七海そっくりなの?」


 鎧の少女は見れば見るほど七海だった。

 SNSでも、本人だの、ただ似ているだけの別人だのと様々な論争が行き交っている。


「……七海だ。間違いない」


 七海は一人っ子だ。

 生き別れの姉妹なんていないことは幼馴染の私が良く知っている。


「七海に似ているだけの別人だったとして、三日前からっていうのはただの偶然?」


 偶然にしてはでき過ぎているように思えて仕方がない。


「七海が目を覚まさないのと、この写真の七海が関係している?」


 七海が目覚めないことをいいことに誰かが面白半分で作ったフェイク画像という可能性もある。

 だからといって不用意に首を突っ込めば、この不良たちのように痛い目にあうかもしれない。

 

「……知ったことか」

 

 七海と無関係だったとしても、このまま何もせずただ七海が目覚めるのを待っているよりはマシだろう。

 

「生憎、体力と根性は有り余るほどあるんだ。徹底的に調べて七海を目覚めさせる手掛かりを突き止めてやる!」




 翌日、早速私は鎧を身に着けた七海、通称「よろ七」を探すことにした。

 向かったのは、SNSの画像が撮影された大三頁商店街(おおみかしらしょうてんがい)。

 この商店街は大三頁観音(おおみかしらかんのん)と呼ばれるお寺を中心に複数の通りが広っており、数百を超える店が立ち並んでいる。


「うわっ。初めて平日に来たけど、すごい人」


 平日の真昼間だというのに商店街の通りは人で埋め尽くされていた。


 大三頁商店街は夢路町屈指の観光スポットとしても有名だ。

 その理由は広さと店の多さにもあるのだが、一番の目玉は別にある。

 

「おお、やってるやってる!」


 少し進んだ先に、通りの真ん中で何やら注目を浴びている一団があった。

 獣人、魔法少女、勇者にロボット……。

 まるで空想の世界から飛びだしてきたかのような身なりだ。

 彼らは道行く観光客に手を振ったり、写真撮影に応じたりとファンサービスをしながら、商店街を練り歩いている。


「あ、こっちにもいる」


 右を向くと仮面を被ったライダースーツのヒーロー、左を向くと和風の兜を身に着けたゲームのキャラクター。

 他にも数えだしたらキリがない。


「すごい。平日でもこんなにいるんだ。流石はコスプレ商店街」


 彼らの正体、それはアニメやゲームなどのキャラクターに扮したコスプレイヤーである。

 なんと、この大三頁商店街では世界で唯一コスプレ衣装で観光ができる場所なのだ。

 

「ここなら、よろ七が居ても不自然じゃないよね」


 よろ七は必ず鎧を着て、不良グループの前に現れるそうだ。

 しかし、それ以外の情報はまったくと言っていいほど掴めない。

 中世の鎧という時代に逆行した身なりをしているはずなのに、だ。


 ――鎧を着ていても不自然じゃない場所って言ったら、ここしかないんだよね。

 

「絶対に見つけてやるぞ」


 そう意気込んで、よろ七捜索作戦を開始した。


 


 そして、よろ七捜索から数時間後。

 

「……おかしい。よろ七いないじゃん」


 複数ある通りをひたすら行き来して探し回った。

 しかし、よろ七の情報は一切掴めていない。


「……そもそも、別に鎧ってずっと着てなくてもいいよね」


 必要な時以外は鎧を脱いでいればいいということに、今更気付いた。


「しまった。そんな可能性なんてこれっぽっちも考えてなかった……」


 しかし、もしそうなら困ったことが一つ。

 捜索範囲が商店街周辺から町全体になってしまう。


「これ、私一人じゃ見つけるのって無理?ええ、だとしたらやばくない……?」

「君、ちょっといいかな?」


 今後の方針に頭を唸らせていると、突然男性から声をかけられる。


「はい、何です――あ」


 なんということだ。

 警官ではないか。

 

 ――クソ、何でこんな時に。


「君、学生だよね?」

「え、いや……ち、ち、違いますよぉ……」


 嘘が下手なところがもろに出てしまう。

 向こうも私の見え見えの嘘に騙されるわけがなく……。


「どこ高校かな?親は何してるんだい?」

「あ〜、え〜、その〜」

 

 ――やばいヤバいヤバイ……!このままだと補導されちゃう。学校に連絡されたり色々と面倒なことになっちゃう!

 

「ああ、ここにいたの」

 

 絶体絶命のピンチに駆けつけたのは、背中に翼のような黒い模様を持った大型犬を連れた見知らぬ女性だった。

 髪はキラキラと光を反射させる銀髪、高身長でスタイル抜群、それでいて衣服は大人の色香漂うチャイナドレスときた。

 

 ――めっちゃ美人な人が来た!

 

「こんにちは、警官さん。うちの子が何かしたのかしら?」

「え?あっ……」

 

 思わず口から漏れてしまった私の一言に警官は険しい表情を見せる。

 

「あなた、本当に彼女の保護者ですか?」

「ええ、そうよ」

 

 女性は警官の耳元に口を近づけると、口元を扇子で隠しながら彼に何かを呟く。

 すると、警官の顔が一気に真っ青になる。

 

「さて、これで私が保護者という証明ができたということでいいかしら?」

「は、はい。それでは……」

 

 態度が一転した警官は足早にこの場を去っていった。


「危なかったわね」

「ありがとうございました。危うく学校に連絡されて大変な目に合うところでした」

「学校に連絡?」

「え、違うんですか?」


 私の言葉に女性はふふふと笑い声を漏らした。


「いい?この町の警官は2で行動するのよ。例外なんてないわ」

「え?でもさっきの人は……」


 ここが大三頁商店街だったことを思い出す。


 ――まさか、さっきのは警官の……。


 もしあの警官について行ったりしていたら、なんて思うとゾッとする。


「さて、お嬢さんはこんな時間に何をしているのかしら?お嬢さんみたいな子供は学校にいなきゃいけない時間でしょう?」


 ――あなたも警官みたいなことを言うのか。


 まあ、平日の真っ昼間の子供がいれば、誰だって聞きたくなるのだろう。


「えっと……」


 ――どうしよう。よろ七のことを言って、素直に信じてもらえるのかな?


「もしかして、この子を――」

「お姉さん、ごめんなさい!」

「あ、ちょっと!」


 私は面倒ごとになる前に逃げることを選んだ。

 とりあえず追ってくるような気配はない。


 ――しばらくあそこには近づかないとこう。


「さてと、これからどうしよう」


 よろ七がここにいないとすると、よろ七捜索は非常に厄介だ。

 とはいえ、目覚めない七海と関係があるかもしれないので諦めるわけにはいかない。


「とりあえず、お参りでもしようかな」




 大三頁観音、それは大三頁商店街の中心にあるお寺である。

 その規模はとにかく大きく、入口の仁王門を抜けるとまるでお城のような本堂が姿を表す。

 活気のある商店街から一変して、荘厳な雰囲気に満たされていた。

 

「お願いします。どうか、よろ七に会えますように」


 心を込めて、お参りをする。

 周囲の参拝者から視線を注がれる。

 すごく居づらい空気感。


 ――ああそっか、こんな時間に女子高生がいるからか。さっき見体のことになる前に逃げよう。


 参拝は済ませたので脇目も振らず、仁王門へと引き返そうとする。

 

「え?」

 

 仁王門へ向かう途中のことだ。

 本堂から仁王門を結ぶ参道の道の真ん中で仁王立ちをして待ち構えている一人の少女の姿があった。


 古代ギリシャのスパルタ兵を思わせる鋼鉄の鎧を身に着けたおかっぱ頭でメガネをかけた少女。

 数日前から不良たちを襲撃すると噂の画像の人物。

 よろ七だ。


 ――お参りパワー、すっご!?

 

「あなたは何者?どうして七海と同じ姿をしているの?」

「……」

 

 よろ七は無言を貫いたまま片手を天に掲げた。

 すると、何もない空間から自身の身長程の刀身を持つ大剣が現れた。

 

 ――え?魔法?

 

「これは俺からの警告だ」


 七海と瓜二つの声でそう言うと、彼女は大剣を私めがけて振り下ろした。


「わわ、わわわっ……!」


 理由がわからぬまま、すぐにその場から飛び退いた。

 直後、大剣が地面衝突し、凄まじい音と地響きが発生する。


「嘘……地面に突き刺さってる」


 振り下ろされた剣の先は地面に埋まって見えなくなっていた。

 もし避けられていなかったら、なんて考えたくもない。


「意味がわかんないんですけど……私は夢でも見てるわけ?」


 何もない空間から剣が出てきた。

 手品というよりは魔法のようでだった。


 よろ七は枝のように細い腕で大剣を地面から軽々と引き抜く。

 そして、再び切っ先を天に掲げて、私を見据えた。


「嘘!?まだやるの!?」


 私は全速力でよろ七から逃げ出した。


 ――相手は七海だ。絶対追いつけるわけない。


 自慢じゃないが、私は生まれつき運動が得意だ。

 走る速度も陸上部のエースに並ぶくらいには速い。


「遅いな」


 よろ七が地面を蹴る。

 地面を蹴った衝撃で地面にひびが入った。


「早過ぎでしょ!?七海はそんなに早くないって!学年一の運動音痴はどこ行ったの!?」


 爆発的な急加速でよろ七がこちらに迫って来る。

 鎧と馬鹿でかい剣というハンデあるにも関わらず、向こうの方が速かった。

 

 ――絶対人間じゃない!


「二度と関われないよう恐怖を刻んでやろう」


 すぐそこまで迫ったよろ七から不穏な言葉を言い放った。

 数秒前の無慈悲な一撃が脳裏を過る。


 ――やばいヤバいヤバイ、マジでヤバイ!!


 よろ七は剣を振りかぶった。

 避けられる気がしなかった。

 

「……ふんっ!」

氷の女王イサ・イス

 

 よろ七が大剣を振り下ろそうとした瞬間、どこからか飛んできた氷の杖が彼女を直撃する。

 その拍子に彼女の手元が狂い、私は直撃を免れた。

 

「今度は何!?」

「……この氷は同族の」


 鎧にへばりついた氷の杖は急速に成長し、よろ七を呑み込もうとする。

 よろ七は焦る様子もなく、素早く氷を叩き割り、そのままその場から距離を取った。


「……忌々しい」

「お姉さん!?どうしてここに!?」

 

 よろ七が見据える先にいたのは、先程の美人であった。

 彼女の側には犬ともう一人、女王の姿をした動く氷像の姿があった。


「封印までは無理そうね。彼女の救助するまでの時間稼ぎを稼ぎなさい」


 氷像は頷いてみせると、やり投げの要領で杖をよろ七に向かって投げ放った。

 それによって、よろ七の標的が私から氷の女王へと変わる。


「ウェンディは彼女の保護をお願い」


 女性の指示に彼女の犬が素早く動き、私のもとへとやって来る。


「小娘、儂の背に乗れ」

「犬が喋った!?」


 私は自分の耳を疑った。

 犬が人間の言葉をしゃべるはずがない。


「いいから、早く乗らんか!」

「は、はい」

「振り下ろされんように捕まっとれ」


 私が背中に跨るや否や彼は全速力で仁王門に向かって走り出す。

 仁王門にはあの美人の女性の姿もある。


「お姉さん!あなたは一体何者なんですか?」

「説明は後よ。今は一刻も早くこの場から逃げましょう」




 氷の砕ける甲高い音が響き渡ったのは私たちが仁王門を出た直後のことだった。


「ああ、やっぱり彼女だけでは荷が重かったわね」

「ってことは、次は私たちの番ってことじゃ……?」

「大丈夫よ。もう着いたから」


 彼女がそういうのと同時に私たちは人混みの中へと入った。

 仁王門の方を見やると、門の前によろ七の姿があった。

 彼女はまっすぐこちらに視線を送ってくるものの、追ってくることはない。

 それどころか、そのまま踵を返してどこからへ立ち去っていってしまった。

 

「……どうして?」


 彼女の足なら決して追いつけない距離ではなかったはずだ。


「あれはこだわりが強くてね。無関係な人間は決して巻き込まないのよ」

「……お姉さん、教えてください。あの女の子は一体何者ですか?やっぱり七海と関係があるんですか?」

「それを知ってどうするの?知ったところで、あなたにはあれをどうにかできる力はないでしょう?」

「……」


 きっとそう言うからには、この人にはその力というものがあるんだろう。


「確かに、私にはお姉さんみたいな力はありません。でも、だからといって何も知らないままじゃ嫌なんです。だから、教えてください。お願いします」


 私は深々と頭を下げた。


「……そこまでされちゃ、教えないのも意地悪よね」

「それじゃあ!」

「ああ、待って。場所を変えましょう。そうね。七海っていう子のところに連れて行ってくれないかしら」


 そう言うと、彼女は思い出したようにあっと声を上げる。


「そういえば、自己紹介がまだだったわねわ。私は夢路紫苑(ゆめじしおん)よ。この子はウェンディ」

「夢乃旅人です。ってあれ、夢路?」

「ああ、町と同じ名前なのは偶然。私の出身はここではないから」


 そう言って、紫苑は私にニコリと微笑むのだった。




 私は紫苑を七海の病室へと案内した。


「ああ、その子が。確かにそっくりね」


 紫苑は眠っている七海の顔を観察するように覗き込む。


「七海は4日前に突然倒れてからずっと眠ったままなんです」

「でしょうね。ここには魂がないもの」

「魂?」

「生き物というのはね、魂が必要なの」


 そう言って、指先を私の胸元に当てる。


「魂とは生き物を生き物たらしめるもの。対して、肉体は魂の器。つまり、魂こそが彼女の本質であり、エネルギー。いくら肉体が正常でも魂がなければ生き物は機能しないの」

「え?魂?肉体?」

「あら、難しかった?なら、スマホをイメージしてちょうだい。スマホ本体が肉体で、魂はバッテリーと考えればいいわ。今の彼女はバッテリーがないスマホと同じ状態なのよ」


 電源のついたスマホからバッテリーが取り外され、それと同時に電源が落ちるイメージを頭に浮かべる。


「なるほど!いや、待ってください。ってことは、七海は魂が戻らない限りずっとこのままってことですか?」

「そう言うこと」

「じゃあ、七海の魂は今どこのあるんですか?」

「心当たりはあるでしょう?」


 紫苑の言葉を聞いて、真っ先に思い浮かんだのはよろ七の姿だった。


「まさか、大三頁観音で私を襲ってきたあいつが?」

「正確には彼女の姿を借りた夢魔ね」

「夢魔?」

「産まれながらにして魂を持たない二十四の虚ろな者たち。あれらは夢を通して人間の魂を奪い、この世に現れるの」


 紫苑の話を聞いて、倒れる直前に七海が言ってた言葉を思い出す。


「そう言えば、倒れる直前に七海が夢で何かに追われる夢を見たって言ってた」

「まさに魂を奪われる前兆ね。ちなみに奪われた魂は夢魔を封印しない限り、取り戻すことはできないわ」

「……そんな」


 まるで空想のような話だが、さっきのよろ七や氷の女王を見た後では信じるしかなかった。


 ――あの夢魔を封印しないと七海はこのまま?でも、封印なんて……。


「さて、あなたが知りたいことは話したわ。分かったでしょう?今のあなたでは彼女を助けることなんてできないわ。自分のためにも大人しくしてなさい」


 そう言って、病室を出て行こうとする。


「待ってください。紫苑さんはこれからどうするんですか?」

「……あれを封印しにいくわ。それが私の仕事だもの」

「なら、私も連れて行ってください」

「嫌よ。足手まといをわざわざ連れて行くメリットはないわ。それとも……」


 紫苑は私の顎を引き寄せて、不敵な笑みを浮かべながらこちらを覗き込む。


「あなたが私の代わりにあれを封印してくれるのかしら?」

「私が?」

「あれと対峙したから分かるでしょうけど、夢魔の封印には危険が伴うのよ。仕事とはいえ、私もできればそんな危ないことはしたくないの」

「だから、私に夢魔を封印しろっていうんですか!?」

「私についてくるなら、それくらいの覚悟がないと困るわ」

「……」


 ――夢魔のことも封印のこともこれっぽっちも分かんない。もし失敗したら大怪我……ううん、死ぬかもしれない。


 死、という言葉が頭を過った途端、答えを出せなくなった。


 ――七海、私は……。


 視線を七海の方へと向ける。


『旅人をいじめないで!』


 脳裏に幼い頃の七海の声が響いた。




 あれは私たちが小学生になったばかりの頃のことだった。


「目が赤いぞ。病気じゃないのか?」

「旅人菌がつくぞ」


 小学校での生活に慣れてくると、左右異なる色の瞳を持つ私はたちまちやんちゃな男子たちの遊び道具になった。


「あはは!」

「え?何?って、うわっ!?」


 赤い色の右目に視力がなかったこと面白がる男子たちからちょっかいをかけられるなんていつものことだった。

 授業中も、休み時間も、心休まる時間なんてなかった。

 

「旅人、大丈夫?」

 

 引っ込み思案な七海は男子たちと戦うことはできなかった。

 けれど、いつも私のことを心配してくれていた。

 

「大丈夫、大丈夫。気にしないで」

 

 本当は大丈夫じゃなかった。

 自分が周囲とは違うことは分かっていたし、それの飲み込めているつもりであった。

 だが、まるで周囲とは違う生き物のように扱われる環境に幼い少女の心は耐えられるはずがなかった。


「学校、行きたくない」


 そう考えるようになったのはそれから間もなくのことだ。

 そして、その思いを初めて打ち明けた相手は七海である。

 ポロポロと涙を流す私を見て、七海も涙を流していたのを今でも覚えている。


 そして、その次の日。

 クラスメイト全員が震撼するほどの事件が起きた。


「旅人をいじめないで!」


 いつものように私にちょっかいをかけようとした男子たちに向かって七海は怒鳴り声を上げたのだ。


 ――七海が怒った……。


 幼馴染の私も七海が起こる姿を見るのはこの時が初めてだった。

 普段大人しい七海が激怒する様を見て、男子たちも流石にやばいと思ったのか、素早く教室から逃げていった。


「う、うう……うわぁぁぁん!」


 七海にとって余程勇気がいることだったのだろう。

 男子たちがいなくなると、七海は滝のような涙を流し始めた。


 その日を境に男子からちょっかいはパタリと止まり、私の学校生活には安寧が訪れたのだ。




 ――あの時、七海は私のために自分ができる精一杯のことをしてくれた。


 私が七海のためにできること。

 今度は私が七海を助ける、ということではないのだろうか。


 ――気弱で、運動音痴で、地味な子だけど、私にとっては唯一無二の大切な人なんだ。他人任せになんてしない!


「……紫苑さん。私、やります。やらせてください!」


 もう迷いはない。

 命の危険だろうが七海を助けるためならやってやる。


「ふふふ……」

 

 紫苑は妖艶な微笑みを浮かべた。

 まるで悪魔と取引をしているかのような寒い感覚に見舞われる。

 しかし、引き下がるわけにはいかない。


「いいわよ。なら、その覚悟を見せてもらいましょうか。ついてきなさい」

「……私が必ず助けるから。七海、待っててね」


 私は七海にそう言い残して、病室を出ていく紫苑の後を追った。




「……都会の真ん中にこんなところがあったんだ」

 

 紫苑と共に訪れたのは年季の入ったとある洋館だった。

 一階は年季が入った木造の黒、二階はまるで紅葉のような鮮やかな茜色と階層で異なった印象を抱く建物だ。

 洋館の前にはロータリーがあり、玄関からロータリーに向かって二階部分がせり出す佇まいは、高級旅館や西洋貴族の屋敷を彷彿とさせる。


「まるでタイムスリップしたみたい」

「タイムスリップ。そうね、ある意味そう言えるのかもしれないわね」

「え、ってことは紫苑さんはタイムトラベラー!?」

「そんな訳あわけないじゃろう」


 紫苑は指先で建物にそっと触れる。


「この建物が作られたのは100年も前のことよ。けれど、この建物は今でも姿を変えずここにある。つまり、私たちは今100年の景色を見ている。そう考えると、タイムスリップという言葉は当たらずも遠からずでしょう?」

「……おお、何だかロマンチックだ」


 ――やばい。紫苑さん、大人だ。


 古い建物を見てタイムスリップなんて、高校生の私では到底考えつかない。


「……ん?」


 建物の入口にCLOSEDの看板がかけられている。


「クローズド……?ここってもしかして、お店?」

「ええ、そうよ」

「でも、今日閉まってますよ」

「閉まっているのではなくて、閉めてるのよ」


 そう言うと、看板をくるりとひっくり返す。


「夢覚荘。夢魔についての仕事を専門にする私の店よ。さあ、中へどうぞ」


 紫苑を追って洋館の中へと足を踏み入れる。


「わあ、すごい……!」


 洋館の中は現代とはまた違う、清らかで荘厳な空気に満たされている。

 当時の形を崩さないことが紫苑の主義らしく、年代物の品々が室内を埋め尽くしている。


「ウェンディ、奥に案内して。私は儀式の準備をするから」

「儀式!?闇の儀式ですか?」

「怖がらなくて大丈夫よ。そんな物騒なものではないから」


 そう言うや否や紫苑は地下へ向かう階段を降りていった。


「夢乃旅人、こっちじゃ」


 私はウェンディを追って店の奥へと向かう。


「ねえ、ウェンディって何者なの?」

「夢魔の封印を司る使い魔じゃ。詳しいことは後で紫苑が説明するじゃろう。その時に聞け」

「はあ……」


 ――私、嫌われているん?


 二人きりになった途端、すごく素っ気ない。

 人見知りでもあるのだろうか。


「すごい。本当にタイムスリップしてる気分」


 案内された部屋もとても風情があり、思わず感嘆の声が漏れた。


 手入れも行き届いていて、埃っぽさはこれっぽっちも感じない。

 部屋に残る爽やかなお香の香りが鼻を抜けていく。


「適当に座って待っておれ」


 そう言うと、ウェンディは夕日の指すテラスで丸まる。


「分かりました……」


 テラスに置かれていたお高そうな椅子に腰を下ろして、空から差し込む柔らかな茜色の光を浴びる。


 ――なんだかすごく懐かしい気分。


 私がまだ幼稚園生の頃、家のリビングで母と日向ぼっこをした。

 ゆったりとした時間の感覚と心の芯まで温まるような温かさはその時のものとよく似ていた。


「そこでする日向ぼっこは最高でしょう?私も暇なときはしょっちゅうしているわ」

「あ、紫苑さん」


 いくつかの道具が入った籠を持って紫苑が戻ってくる。

 私はその中にあった見慣れない文字が彫り込まれたナイフに視線が吸い寄せられた。


「私、これからそれで何をされるんですか?」

「ああ、これ?ちょっと血をもらうのに使うだけよ」

「もしかして、今からするのって闇の儀式!?」

「違うわよ」


 勝手に取り乱す私を横目に、紫苑は準備を始める。

 机の上に魔法陣が描かれた布を敷き、その四隅に火をつけた蝋燭を配置する。

 そして、魔法陣の中心には翼の生えた狼のレリーフが刻まれた小箱と先ほどのナイフを置いた。


「さあ、ここに座って」


 私は促されるがまま紫苑の向かいの席に座る。


「紫苑さん、この箱はなんですか?」

「これはウェンディの本体よ」

「ウェンディの本体!?」

「ウェンディが使い魔ということは聞いたかしら?ウェンディは使い魔の中で特殊でね、本体と身体が分かれているのよ」


 紫苑はさらに続けた。


「それで、今からするのは使い魔を譲渡する儀式。私の使い魔となっているウェンディを旅人の使い魔にするわ」

「……本当に魔術みたい」

「みたいではなく、本物の魔術よ。さあ、手を出して」


 差し出され紫苑の手に手を添えると、紫苑はもう片方の手でナイフを握った。

 すると、無意識に手に力がこもった。


「怯えなくて大丈夫よ。血は必要と言っても一滴だけだから」


 紫苑のナイフの刃先がそっと皮膚に触れる。

 すると、ナイフは私の手の上を滑るように走り、その軌跡からじわじわと血がにじみ出した。


「我、古き主。封印の魔たる汝に新たなる主の名と血を刻まん。新たなる主の名は夢乃旅人」


 紫苑が呪文をいい終えるとほぼ同時に、私の手に溜まった一滴の血がこぼれ落ちた。


「きゃっ!?」


 血が箱に触れた途端、レリーフの瞳に光が宿り、次の瞬間には視界を塗りつぶす程の光が部屋を覆った。


「夢乃旅人、契約に従いお主を儂の新たな主人と認めよう!」


 まばゆい光の中、小箱からウェンディの声が聞こえた。

 そして、光は収まっていき……。


「な、なんじゃこれは!?」


 光が収まるや否やベランダからウェンディが大声を上げる。

 私と紫苑は吸い込まれるようにベランダへ視線を向けると、そして視線の先にあったものを見て、思わず笑いを吹き出した。


 凛々しい大型犬だったウェンディが手に平サイズの毛玉のようなモフモフな子犬になっていたのだ。

 

「何それ!?めっちゃ可愛いくなってるじゃん!」

「そう言えば、主人によって姿が変わるんだっけ。忘れてたわ。それにしてもこんなに小さくなって。ふふふ」

「お主ら、笑うんじゃないわ!」

 

 キャンキャン吠えながら二足歩行でぴょんぴょんと跳ね回る。

 そこには先ほどの凛々しさはこれっぽっちもなかった。


「儂は封印を司る神聖な使い魔じゃぞ!こんな威厳もへったくれもない姿なんぞ、決して認めんぞ!今すぐ、やり直じゃ!」

「主人に合わせて姿が変わるんだから、何度やっても同じことよ」

「嫌じゃ!儂はこんな見た目、絶対認めんぞ!」


 床に転がってバタバタと手足を振り回す。

 駄々をこねる赤ん坊のようでいつまでも見ていられるくらい愛らしい。


「予想外のことはあったけれど、これでウェンディはあなたの使い魔よ。同時にこれはあなたのもの。先に言っておくけど、無くしたり壊したりしてはだめよ?これは夢魔を封印するの結界でもあるから」


 そう言って、紫苑は小箱の中身を取り出した。

 中には木製のカードが入っていた。


「これはルーンタロット。ここに夢魔を封印するの」


 説明をしながら、机にカードを並べていく。

 その数は全部で二十四枚。


「なんか、ほとんど真っ白」


 タロットと言われると絵柄が書かれたカードを想像するが、そのほとんどに絵柄はない。

 端っこに小さく名前とアルファベットに似た文字のようなマークが記されているだけだった。


「これだけ絵がある。あ、これって……」


 唯一絵柄が入っていた一枚は見覚えのあるものだった。

 氷の杖を手にした女性の氷像、先程よろ七と戦っていた夢魔である。


「ルーンタロットは占い道具でもあるが、主な用途は封印具じゃ。それぞれは夢魔を封印する入れ物になっておる」


 ということは、つまり……。


「もしかして、このイサ・イス?しか封印されてないってこと?」

「おお、察しが良いのう」

「ここ夢魔専門のお店ですよね?全然封印できてないじゃないですか!」


 専門というからには凄腕かと思っていたが、途端に不安になってくる。


「そこはちょっと事情があってね」

「何ですか事情って?」

「そこは企業秘密」


 紫苑はそう言って愛想笑いを作る。

 しかし、その顔は全然笑っていない。


「……まあいいですよ。私は七海を助けられればそれでいいですから」

「ふふ、助かるわ」

「それじゃあ、テイワズ・ティールの封印に向けて、すり合わせるかのう」


 そう言って、ウェンディが私の膝の上に座り込む。


「テイワズ……え、何?」

「あなたの友人の魂を持つ夢魔のことよ」


 紫苑から一枚のタロットを差し出される。


「『正義の戦士テイワズ・ティール。司るは戦士。正しきを愛し、悪しきを憎む。その屈強たる肉体から振り下ろされる剣の一撃は神罰の如く、悉く悪を滅する』」


 突然、ウェンディがポエムのようなものを喋り始めた。


「え、いきなり何?」

「奴に関する伝承じゃ。儂は奴以外にも紫苑が収集した夢魔の伝承やら記録やらを全部覚えとる」

「へえ、頭いいじゃん」


 ウェンディの頭をワシャワシャと撫でてやる。

 嫌がるかと思ったら、以外にも嬉しそうに舌を出して尻尾をぶんぶんと振っていた。


「テイワズ・ティールは強敵よ。さっきの戦いでイサ・イスだけでは封印まで持っていくのは無理なことも分かったわ」

「ってことは、何回やってもあいつを封印することはできないってことですか?」

「今の手持ちでは、ね」


 紫苑はテイワズ・ティールとは別の無地のタロットを手に取る。


「戦力が足りないのなら、今から増やせばいいのよ」


 彼女はニヤリと笑みを浮かべてそう言ったのだ。




 戦力増強のため私たちが訪れたのは大型商業施設「ラーク24」であった。

 その特徴は水が張られた屋上階。

 施設内は吹き抜けになっており、快晴の日は透明な床材の上でゆらゆらと波を立てる水の揺らぎが太陽の光によって下層に映し出されて、幻想的な光景を作り出すのだ。


 しかし、現在はもう日が沈んでしまってその光景は見られない。

 代わりに、屋上階はライトアップされて幻想的な光景を町中に浮かび上がらせている。


「こんなところに夢魔がいるんですか?」

「ええ、もうすぐそこにいるわよ」


 そう言って、向かった先は屋上階へと上がるエレベーターだった。

 屋上階は展望台にもなっており、空中庭園のような屋上階の景色と共に夢路町を見渡すこともできる。


「あ、誰かいる」


 エレベーターの前にこの施設の職員と思しき人物が立っていた。

 よく見ると、エレベーターの扉には「本日、屋上階点検につき利用不可」と書かれた一枚の紙が貼られている。


 職員は私たちの姿を見るや否や深々とお辞儀をした。


「管理人さん、こんばんわ。あれの状況はどうかしら?」

「今のところは大人しいです。暴れる様子もなく自由に泳ぎ回ってます」

「でしょうね。あれは邪魔さえしなければ無害な子だから」


 私は紫苑と管理人と呼ばれた人との会話を一歩後ろから眺めていた。


 ――って、もしかしなくても夢魔のことだよね?


「今朝、あの管理人から夢魔の目撃情報をもらっておったんじゃ」


 足元からウェンディがまるで私の思考を読んだように口を開く。

 ちなみに、現在ウェンディはリードにつながれ、私のペットを演じている。


「ちょっと、しゃべっちゃダメじゃん。誰かに見られたらどうするの?」


 私は慌ててウェンディに耳打ちする。


「ここは元から騒がしいところじゃ。お主が目立たつようなことをしなければ気づかれんもんじゃぞ」


 そう言われて、今の自分がペットに耳打ちをしているやべー奴になっていることに気づく。


 ――ああ、しまった。


 急いで普通を装う。


「この件は連絡が来た時点で早よう駆けつけたかったんじゃが、テイワズ・ティールの話があったからのう。ラグズ・ラーグは温厚なのもあって、後回しにしたんじゃ」

「ラグズ・ラーグ……」


 腰のベルトに装着したタロットホルダーことウィンディの本体から同じ名のタロットを取り出す。

 無地の絵柄のタロットの隅には自由の人魚ラグズ・ラーグと刻まれていた。


「人魚ってことは、水を操るとかそんな感じなのかな?」

「その通り。あれは水を司る夢魔じゃ」

「ってことはさ、その夢魔がいるのって……」


 そう言いながら、私は天を仰ぐ。

 真上にはライトアップされた色とりどりの光に染まった水が揺らめく屋上階があり……。


「……ああ、やっぱりいたよ。まんま人魚じゃん」


 水面の揺らぎとは明らかに異なった影が一つ。

 人魚を言われて一番にイメージする姿、上半身は人間の女性で下半身は魚の姿をした影。

 それは優雅な動きで滑るように屋上を泳ぎ回っている。


「ウェンディ。私、人魚が強いってイメージがないんだけど。あれを捕まえたとして、七海の夢魔に勝てるかな?」

「人魚は弱いか……確かに架空の生き物としては強いイメージはないかもしれんのう」

「でしょ?」

「じゃが、お主の相手は架空の生き物ではなく、夢魔じゃ。イメージに引っ張られ過ぎると思わぬ怪我をするぞ」


 そう言って私を見やる彼の瞳は決して冗談を言っているには思えないほど真剣だった。


「……うん。注意しとく」

「二人ともお待たせ。さあ、行きましょうか」


 紫苑はエレベーターの扉に貼られた紙を捨て去ると、エレベーターの中へと入っていった。




 全面ガラス張りのエレベーターが重々しい音を立てて、屋上へと上がっていく。

 人魚の夢魔はまだ私たちに気付いていないのか、優雅に泳ぎ回っていた。


 やがて、エレベーターが上下に揺れながら停止する。

 そして、扉が重々しい音を立てながら開いた。

 

 屋上階は水が張られた池を取り囲むように遊歩道が敷かれた広場となっている。

 外周には落下防止の柵もあり、足を滑らせてそのまま地上に真っ逆さま、という心配はない。


「ここからは文字通りの一対一よ。困ったことがあればウェンディに聞くこと。いいわね」

「はい、分かりました」

「私は人目除けの結界に集中するから。それじゃあ、頑張りなさい」

 

 エレベーターは紫苑を乗せたまま、扉をガシャンと閉める。


「え、嘘!?私だけですか!?ちょっと、紫苑さん!」

「おい、紫苑!お主、ここでサボるのは反則じゃろう!」


 私たちが呼びかけるのも虚しく、にこやかに笑みを浮かべて手を振る紫苑はスーッと私たちの前から消えていった。


「あんの怠け者め!小娘のおもりから封印まで全部儂にやらせる気か!」

「封印の仕方を何一つ聞いてないんですけど!っていうか、エレベーター全然反応しないじゃん!」


 昇降スイッチを何度も押しても、エレベーターが動く気配はない。


「どうやらエレベーターが上がって来んようにしとるようじゃのう」

「じゃあ、階段は?」


 流石に入口がエレベーターだけではないだろうと階段を探す。

 階段はエレベーターの直ぐ側にあったのですぐに見つけられたが……。


「何これ……鍵、一体何個ついてるの?」


 不法侵入防止の金属製の扉に巻かれた鉄の鎖には、両手では数え切れない数の南京錠がかけられていた。


「封印するまで降りてくるなってこと!?いくら何でもスパルタ過ぎでしょ!?」

「スパルタではない!あやつはただサボり魔じゃ」


 ――まさか、夢魔の封印を私にやらせるのも単に自分がサボりたいだけ!?


 思い返してみれば今までに何度かその片鱗が見えていた気がする。


「……まあ、諦めてラグズ・ラーグを封印するしかないのう」

「だから封印のやり方がわかんないんだって!」

「封印の仕方なら儂が知っとるわ」

「ええ?本当に?」

「儂は夢魔の封印を司っとるんじゃぞ!封印の仕方を知らんでどうするんじゃ!まずはラグズ・ラーグのタロットを出すんじゃ」


 私は言われるがまま、ラグズ・ラーグのタロットを取り出す。


「よいか、封印といってもお主のすることは簡単じゃ。封印する相手に同じ名前のタロットを触れさせればよい」

「え、それだけ?」

「封印そのものをするのは儂じゃからな」

「おお、使い魔って便利」


 きっと封印に必要な魔術やら呪文やらは全て使い魔が代行してくれるのだろう。

 むしろそうでなければ困る。


「……まあ、タロットを触れさせるのが問題なんじゃがな」

「タロットを持ってタッチすればいいんでしょ?じゃあいけるよ。私、運動には自信あるし」

「お主、夢魔のことを舐めておらんか?まあ、そんなに自信があるなら、まあやってみるんじゃな」


 そう言って、私の肩に上った。


「任せてよ。あっさり過ぎて驚かないでよ」


 私はタロットを片手に意気揚々と水の広場へと飛び出した。




「さて、人魚の夢魔はどこに……」

 

 人魚の影が見えた池を探すが、人魚らしき姿は見つからない。

 それどころか、あまりにも穏やか過ぎる。

 

「もしかして、いなくなっちゃった?」

「自由の人魚は水を伝って移動できんようじゃ。ここは隔離されとるし、雨でも降らん限りここから出ることはできんはずじゃ」

「雨の中を泳げるの!?もしかして、雨を泳いでここに来た感じ?」

「恐らくは、な」


 私は再度広場を探すが、自由の人魚は一向に見つけられず、ただ時間だけが過ぎていく。


「ねえ、伝承だっけ?読んでくれない?何かヒントがあるかも」


 ウェンディは一つ頷くと、こう口にした。


「『自由の人魚。司るは水。水は彼女であり、彼女は水である。あらゆる水は彼女の足となり、彼女は世界を泳ぐ。その歩みは何人であろうとも阻むことはできない』」


 テイワズ・ティールの時と同じで解像度は低い。

 けれど、捜索の手がかりにはなりそうだった。


 ――あらゆる水は足となって、なんちゃらってところは今言ってたやつでしょ?他に役に立ちそうなのは……。

 

「……水は彼女であり、彼女は水である」


 私は池の側へと歩み寄る。


 ――別に普通の水っぽいけど。


 色、冷たさ、肌触り、どこを取っても他の水と大差はない。

 

「あれ?」


 その時、私はある違和感に気づいた。


 ――ここ、浅過ぎない?


 池の水深は手首が浸かるほど。

 おおよそ10cmである。

 

 ――泳いでたよね?ここで?無理じゃない……?

 

「水は彼女であり、彼女は水であるってまさか――」


 そう呟いた瞬間のことだ。

 目の前の水面が一瞬だけおかしな揺らぎ方をした。


 ――え?

 

 次の瞬間、顔や手の形をした水が水面から飛び出してきた。


「うわああ!」

 

 私は悲鳴を上げながら、慌てて池から離れる。


 ――心臓が飛び出るかと思った……。


「ケラケラ!」


 池から笑い声が聞こえる。


「あれが自由の人魚。まさか、身体全部が水だったなんて」

 

 そこにいたのは透明な身体と息を呑むほどの美貌を持つ人魚だった。

 身体を構成するのは水である故に水と同化できるらしい。

 普通に探しても見つからないわけだ。


 ――封印方法はタロットを夢魔に触れさせるだけだったよね。

 

「よくもやってくれたね。ほら、お返しだ!」


 私は手にしたタロットをラグズ・ラーグに思いっきり突き出した。

 その瞬間、人魚の姿が目の前からいなくなった。

 水面に潜るように姿を消したのだ。

 

「ありゃっ!?」

 

 突き出した手は空を切り、危うく池に突っ込みそうになる。

 

 ――どこに行った!?

 

 水と同化することは分かっても見分けがつかない。


「何やっとるんじゃ!」

「水に潜るとか反則でしょ!」

「だから夢魔はお主が知っとるようなものじゃないと説明したじゃろう!」

「ケラケラ!」


 自由の人魚は私とウィンディの言い合いを水面から顔を出して眺めている。


「ああ、いた!」


 タロットを触れさせようにも、今度はこちらが近づく前に潜ってしまう。


「ああもう、これじゃあ一生捕まえられないじゃん!」


 このままではあいつを封印する前にこっちの体力が尽きる。


「体力自慢の夢乃旅人よ。助けはいるか?」

「欲しいです!私だけじゃ一生無理です!」

「うむ、潔いのは良いことじゃ。夢乃旅人、イサ・イスのタロットを出すんじゃ」

「うん、分かった」


 私は言われるがまま、ホルダーからイサ・イスのタロットを取り出した。


「名前を呼んで召喚するんじゃ」

「召喚!?え、ええっと……氷の女王イサ・イス!」


 タロットを掲げてそう叫ぶとタロットが光り輝く。

 すると、タロットの中から氷像の女王が飛び出すように現れた。


「すごっ!?魔術じゃん!」


 ――なるほど、紫苑さんもこうやって私を助けてくれたのか。


「あとは夢魔にどうすればいいか命令するんじゃ。じゃが、気をつけるんじゃぞ。召喚した夢魔は召喚者の魂の一部を使って顕現しておる。そう何度も召喚はできんぞ」

「私の魂を使ってるの!?七海みたいなことにならない!?」


 夢魔を召喚して魂を夢魔に奪われたら本末転倒である。


「心配せんでいい。前に紫苑が魂をバッテリーと例えとったじゃろう。召喚はバッテリーの一部を夢魔の顕現に使ったというイメージじゃ」

「なるほど。ちなみに減った魂って戻るよね?」

「魂そのものを抜かれんかったら減った分は自然と戻る。つまり、お主が心配していることにはならん」


 そう聞いて、ホッと胸をなでおろす。


「おっけい。じゃあ、あと必要なのは命令ね。イサ・イス、あいつを凍らせて!」

 

 イサ・イスは素早かった。

 私の命令を聞いたと同時に、彼女は手にする氷の杖を水面で転がる人魚に向かって投擲する。

 

 人魚は慌ててその場から離れ、既のところで氷の杖の一撃を逃れた。

 しかし、水面に直撃した杖はその周囲の水を瞬時に凍りつかせた。

 

「すごい。水が一瞬で凍った。そうだ!このまま池の水を全部凍らせちゃえ!」

 

 イサ・イスが活発入れず池に杖を撃ち込む。

 視界一面に広がる湖が徐々に氷で浸食されていく。


 池から水が減っていき、ラグズ・ラーグの表情に焦りの色が浮かび始める。

 相手は水と司る夢魔。

 水と同化できても氷と同化はできないのだろう。


「よしよし!どんどん凍らせちゃえ……って、あれ?」


 完全凍結まであと半分というところで、穏やかだった水面に激しい渦が現れ始めた。

 すると、途端に水が凍らなくなった。


「ええ!?何で凍らないの!?さっきまで凍ってたじゃん」


 それだけじゃない。

 渦を巻く激流は氷を削り取っていくではないか。


「ちょっと、どうなってるの!?」

「水を絶えず動かすことで水が凍るのを防ぎよったな」

「そんなことできるの?」

「冬の川の水が凍らないと原理は同じじゃ」

「ああ……」


 脳裏に冬の川の景色が浮かぶ。

 茂みには霜柱が立ち、水たまりには氷が張る氷点下の空気にさらされつづけてもなお、川の水は我関せずと言わんばかりにいつもの変わらぬ姿を保ち続けているあの光景。

 

「……じゃあ、どうやって水を凍らせよう?」

「水の動きを止めん限り、もう水を凍らせるのは無理じゃろうな。次に狙うとすれば、本体を直接――」

「それができないから、先に水を凍らせようとしてたんだって!」


 相手は水と同化して見えない。

 その上、逃げ道をなくす作戦も潰えてしまった。

 もはや作戦らしい作戦は立てようがない。


「もう当たるまで杖を投げてもらうしか――」

 

 そう言いかけたその時、イサ・イスが私を突き飛ばした。

 

 直後、彼女の氷の腕が吹き飛んだ。

 そして、瞬く間に残りの手足が消え去り、最後にはイサ・イスの身体は粉々に砕けてしまった。

 

「え……?」

 

 突然の出来事に頭が真っ白になる。

 

 池の方に視線をやると、バスケットボールくらいの水球が重力を無視して浮かんでいた。

 だが、イサ・イスを粉々にしたのはあれではない。

 もっと細く、小さい何かだ。


「ぼさっとするでない!お主の身体も吹っ飛ぶぞ!」


 ウェンディの怒鳴り声にはっとして、急いでその場から離れる。


 刹那、池の中から糸のように細い水が噴出された。

 直線的な軌道を描く水は水球の表面を滑りながら曲がり、私がいた場所を撃ち抜いたのだ。

 

 ――危なっ!?


 もう少し遅れていたら、私も氷の女王のように身体がなくなっていた。


「あれ、ウォーターカッターってやつじゃん!あんなの使えるとか反則過ぎない!?」

「馬鹿者。夢魔に反則もへったくれもあるわけなかろう。むしろ、さっきまでがお遊びじゃ」

「ごめんなさい、本当に舐めてました!」


 私は絶え間なく飛んでくる弾丸の雨の中を悲鳴を上げながら駆け回る。

 唯一の救いは複数の方向からの同時攻撃がないことだ。

 

 ――やばっ、正面!?


 池から新たに生み出された水球の一つが私の正面に陣取る。


 すぐに弾丸が来ると予感した私は咄嗟に頭を低くした。

 直後、池から放たれた高圧の水が眼前の球を経由して、私の頭があった場所をめがけて飛んでくる。

 

「あ、眼帯が!?」

 

 後頭部で結んでいた眼帯の紐が水の弾丸に巻き込まれてはじけ飛んだ。

 直後、ウェンディは眼帯に隠されていた右目を見て、あっと大声を上げた。

 

「お主、その目はまさかトリビアの目か!?」

「トリ、鳥……?ああもう、こんな忙しい時に頭を混乱させないでよ!」

 

 悠長に右目の話なんてしている場合ではない。

 一刻も早くこの弾丸の嵐をどうにかする方が先だ。

 

「せめて相手の位置が分かれば……!」

 

 そんな時だった。

 

「夢乃旅人、その目なら奴が見えるはずじゃ!」

 

 突然、ウェンディが訳の分からないことを言い出した。

 

「見えるわけないじゃん。右目の視力はゼロなんですけど!」

 

 ――ん?んん……?

 

 ちらりと池の方へ視線を動かすと、池の中で動き回っている何かが見えた。

 その形は下層から屋上階を見上げた時に見た自由の人魚の影と全く同じものである。


「え、嘘!?見える!」


 ――さっきまであんなの見えなかったのに。


「だから言ったじゃろう。その目は夢魔を看破すると特別な目じゃ」

「まじか」


 信じられない私は左目を閉じてみる。

 本来、この右目を通した見た世界は色も形もない無の世界である。

 しかし、池を泳ぎ回る人魚と空中に浮いた水球の姿だけは色と形を持っていた。

 

 さらに両目を合わせて観察してみると、水を曲げるために使う水球は直前に色が濃くなるという規則性もあるではないか。

 

「あはは。マジじゃん!」


 七海の集めているライトノベルのキャラクターが目に似たような能力を持っていた。

 だが、まさか自分がそのファンタジーチックなものを持っているとは。


 ――この目のせいで苦労もしたし、七海にも迷惑をかけたことだってあったのに……。


「ウェンディ。私、この目のことがちょっとだけ好きになったかも」

「何を言っとるんじゃ。集中せい」


 ――さてと、どうしよっかな。


 打開策はすぐに閃いた。


「ねえ、ウェンディ。イサ・イスをもう一回召喚できる?」

「召喚自体は何度でもできるぞ。ただし、やられた後すぐ召喚すると魂をごっそり持っていかれるから注意するんじゃぞ。まあ、今は時間が経っとるし、何の問題もないがな」

「分かったよ」


 私は踵を返し、全ての水球を捉えられる見晴らしのいい位置へと向かう。

 途中、あらゆる方角から狙い撃ちされる。

 しかし、弾丸は直線的。

 その上、右目のお陰でどこから来るかが分かっているから避けるのは簡単だ。


 ――よし。ここでいいかな?


「もう一回来て、『氷の女王イサ・イス』!」


 私の呼びかけによって、再び氷の女王が現世に現れる。


「それじゃあ、まずは水の球を全部凍らせるよ」


 両目で空中に浮かぶ水の球を視界に収める。


「あの奥のやつを凍らせて!」


 狙撃の際に光を強める水球を素早く指さし、イサ・イスに命令する。

 彼女は相手が水球に水を放つよりも早く氷の杖を投擲し、水球を氷の塊に変貌させる。


 すると、水の刃は曲がることなく、明後日の方向へと直進していった。


「よっし!予想通り」


 水は自由に操れても氷は操れないので、水球を氷に変えてやれば、あのやっかいな水の弾丸を無効化できるわけだ。


 ――問題はどの水球を凍らせるかだけど、今の私なら分かるから全然余裕じゃん。

 

「次はあれ!次は奥のやつ!そして、手前の……」


 水面からの攻撃を無効化しながら水球をすべて撃ち落とした。


 すると、ラグズ・ラーグが池に張った大量の水を遊歩道に押しやった。

 足元に水が押し寄せて、遊歩道はどこもかしくも水浸しだ。

 

 そして、ラグズ・ラーグは水に紛れて私の背後へ……。

 

「はい。見えてるよ」

 

 水を伝って私の背後へと回り込む人魚の姿を私ははっきりと捉えていた。

 

「イサ・イス!」

「――っ!?」

 

 イサ・イスの杖がラグズ・ラーグに直撃する。

 咄嗟に水から飛び出して逃亡を図るも、それよりも早く彼女の身体は氷漬けになってしまう。


 しかし、完全に凍っていないのか、人魚の氷像は小さく揺れている。

 

「逃がさない!」

 

 私はすかさずタロットをラグズ・ラーグに叩きつける。

 すると、タロットが眩い光を放ち、ラグズ・ラーグを取り囲むように立体的な魔法陣が浮かび上がる。


「ウェンディ、封印頼んだ!」

「うむ。任された!」


 ウェンディが私の肩から飛び出すと、子犬の姿から漆黒の翼をもつ雄々しい狼の姿へと変貌する。


「夢から出る魔よ。今ここに汝を封印の楔へと束縛せん!」


 その言葉と共に魔法陣が圧縮。

 魔法陣ごとラグズ・ラーグをタロットの中へと引きずり込んだ。


 そして、最後にタロットだけがその場に残る。


「……封印完了じゃ」


 無地だったはずのタロットには人魚の絵柄が浮かび上がっていた。


「あれ?この絵柄、ちょっと違くない?」


 タロットに描かれた人魚の姿は絶世の美女というよりは幼女である。


「こっちが本来の姿じゃ。さっきの姿は魂の持ち主の姿が混じっておった」

「夢魔ってそんな簡単に姿が変わるものなの?」

「紫苑が魂は人の本質と言っとったじゃろう。それを取り込んどるんじゃから、影響を受けるのは当然じゃ。ちなみに、イサ・イスも分らん程度にお主の影響を受け取るぞ」

「……え、そうなの?」


 イサ・イスを観察してみるが、紫苑が召喚したものと全く同じように見えた。


「ふう、疲れたわい」


 ポンっと子犬の姿に戻るウェンディ。


「あっ、戻っちゃうの?」

「なんじゃ、ダメだったか?」

「かっこよかったし、もうちょっと見たかったんだけど」

「ダメじゃ。あの姿になるのは疲れるんじゃ」


 そこをどうにかとウェンディにお願いしていると、足元に私の眼帯が流れてくる。


「ありゃりゃ、完全に千切れちゃってるじゃん」


 頭にくくるには紐の長さが圧倒的に足りていなかった。

 たとえ長さが足りていたとしても、水でびちゃびちゃなので使えたものではない。


 ――帰るまでは眼帯なしだね。


 幸い、手先が器用なので直すことはできる。

 

「……帰るまでの我慢かな」

 

 今までなら何かで隠していないと人の目が落ち着かなかった。

 けれど、今日はむしろ誰かにこの目を見てもらいたいとさえ思うほど、機嫌がよかった。




「お帰りなさい」


 地上階に降りると、紫苑はコーヒー片手に優雅な夜のティータイムを満喫していた。


「あれは封印できたかしら?」

「できましたよ。紫苑さんが色々サボるからすっごく大変でしたけどね?」


 私は崩れそうな笑みをなんとか保ちながら紫苑に皮肉たっぷりの言葉をプレゼントする。


「あら、そうだったの。お疲れ様」


 紫苑は皮肉にも動じず、清々しい態度でニコリと微笑んだ。


 ――こっちは身体をバラバラにされかけたのに。


 一回ぶん殴ってやろうかと思ったが、腕を突き出す手前で踏みとどめる。


「あら、その目は導きの目じゃない!」


 そう言って、おもむろに立ち上がると両手を私の頬に添えた。


「し、紫苑さん!?」


 紫苑はこちらに顔を近付けながら、私の右目をまじまじと覗き込んだ。


「すごい、初めて見たわ」


 紫苑の口から驚きと好奇心に満ち溢れた言葉が漏れる。


「さっきウェンディにも言われましたけど、この目ってそんなに珍しいんですか?」

「珍しいも何も、確率で言えば一億人の一人いるかいないかの伝説の目よ」

「一億人に一人!?」


 予想以上の希少さに、施設全体に響く大声を上げてしまった。

 通りで同じ目を持つ仲間を見ないわけである。


「その目は別名『導きの目』と言って、夢魔がもたらす厄災から人々を救いへと導く英雄が持って生まれてくると言われているわ。ああ、羨ましい。その目があれば今よりもっと効率的に仕事ができて、サボれるようになるでしょうに」

「そもそもサボらないでください!」

「そもそもサボるな、バカタレ!」


 私とウェンディの声が重なった。


「うう。あなたたち、なかなか良いコンビね」


 私たち二人に怒鳴られ、大きなため息と共に肩を落とす紫苑。


「それにしても、英雄か……なんかすっごく重いものに感じてきた……」

「その目を持っているからと言って、英雄にならなければいけないわけではないわ。確かに貴重なもので、それを使わないのはもったいない気もするけれど、英雄になるか周りと変わらない普通の人生を送るか、どの道を進むのかは旅人が決めればいいわ」


 紫苑の言葉は意外だった。

 てっきり、私の代わりに働いてとかなんとか言われるんじゃないかと思っていた。


「どっちにせよ、その目は自分の身体じゃ。大切にせい」

「……え、あ、うん」

「何じゃ、その何とも言えない返事は?」

「大事にしろなんて言われたの初めてで。小学生の頃にこの目のことでいじめられたこともあったから、ちょっと複雑で」


 私の言葉に紫苑とウェンディが目を丸くする。


「そう、それは辛かったわね」


 そう言って、紫苑は私の身体を抱き寄せる。


「うわっ、紫苑さん!?」

「彼らがあなたを傷つけた分、私があなたを肯定してあげる。あなたは特別よ。蔑まれる理由なんてないわ」


 私の身体を包み込む紫苑の腕に力が入る。

 ちょっと苦しい気もしたが、それが逆に心地よかった。


「まったく子供とはいえ、見た目は違うだけで差別をするとは。親の顔が見てみたいわ」

「あはは、二人ともありがとう。私、少しだけこの目のことが好きになれました」

「それは良かったわ」


 紫苑はニコリと私に微笑むので、私も笑顔でお返しをした。


「さて、旅人のお陰でこちらの夢魔は二体。戦力の補充はできたわ。次はいよいよ、あなたの親友を助ける番ね」

「はい」

「でも、その前に……」

「その前に……?」


 紫苑は天に向かって拳を振り上げて……。


「封印成功で報酬も入ることだし、打ち上げをしましょう!」


 そう高らかに叫ぶのだった。


「今日はたくさん働いたし、思いっきり食べるわよ!」

「……」


 妙にテンションの高い紫苑を見ながら、私はこう思った。


 ――紫苑さん、何にもしてないじゃん。




 打ち上げ会場は帰り道にあったファミレス。

 時間が遅いこともあってか、客は大人ばかりで私はちょっと場違いな感じがあった。

 

 ペット同伴はダメな店だが、ウェンディをぬいぐるみに変装させたら、以外にも気付かれずに入店できた。

 本人は屈辱だだのぶつぶつと小言を言っていたが、外で待っているよりはマシだろう。

 

「さあ、好きなものを頼んでいいわよ」


 席に着くと、紫苑が真っ先にメニューを渡してくる。


「は、はあ……」


 私は好きなものを選べとか、遠慮しなくていいからねとかの言葉が苦手だった。


「……じゃあ、ドリアの小で」


 受け取ったメニューから選んだのはコスパ最強と謳われる看板メニュー。

 その中でもワンサイズダウンしたものは半額の百五十円とまあ安い。


「……それだけ?旅人って小食なのかしら?」

「いや、そんなわけではないですけど。今あんまりお腹が空いていなくて」


 ……ぐうぅぅぅ。


 突然、私にお腹から紫苑もはっきりと聞こえるほどの大きな空腹の音が鳴った。


「おお、とてつもない音が鳴ったぞ」

「お腹が空いていないにしては、大きな音ね」

「……っ」


 本当はかなりの空腹だった。


 当たり前だ。

 日中は大三頁商店街を休みなく歩き、ついさっきラグズ・ラーグの猛攻から逃げ回っていたのだ。

 それだけ動けば、身体が消費したカロリーを補充したくなるのは仕方ないことだった。


「食事はちゃんと摂らなきゃダメよ」

「分かってますよ」

「なら、遠慮せず選ぶこと」

「……はい」


 メニューを見直す。


「じゃあ、このステーキセットで」


 私が選んだのは数あるメニューの中でもお高めの部類に入る鉄板メニューだ。

 これにした理由は単にこれが美味しそうに見えたからである。


「量は?」

「普通で」

「本当に普通でいいの?」


 頬杖をつきながら私の顔を覗き込んでくる。

 見透かされている、勝手にそう感じた。


「……大盛りで」

「はい、よろしい」


 そう言って、にこやかに微笑む。


「ふむふむ……よし、決めた」


 紫苑は素早く自分の注文を決めると、店員を呼んだ。


「ステーキセットの大盛りが一つにクリームパスタを一つ、それからマルゲリータに……」


 ――めっちゃ食べるじゃん……。


 ピザに前菜、サラダ、おつまみなど、その細身の身体に本当に全部入るのだろうかと心配になるほどの量を注文していた。


「最後にドリンクバー二つ」

「え!?私はいらないですよ」

「私が欲しいの」

「じゃあ、紫苑さんだけで――」

「私だけドリンクバーなんて恥ずかしいでしょう。せっかくだし、付き合って」

「いや、でも……」

「ドリンクバー、二つで」


 渋る私を横目に、彼女は強引に注文を済ませてしまう。

 あっという間に伝票が切られ、店員は席から去っていく。


 そして、紫苑は一つ小さな溜息をついた。


「……ねえ、旅人。どうして遠慮しようとしたの?もしかして、相手が私だったからかしら?」

「別にそんなことはないです。ただ、他人といる時はちょっと遠慮しがちになる性分なんです」

「ちょっと、ね」


 紫苑は少し考える素振りをしながら、店内に視線を向けた。


「そう言えば、ご両親に連絡しなくていいの」

「連絡?」

「だってほら、もうそこそこ遅い時間よ」


 そう言って、紫苑は店の壁掛け時計を指さす。

 時計は八時を示している。

 夕食を終えると、恐らく九時頃になるだろう。


「……」


 脳裏にふと七海の両親の姿が浮かんだ。

 一ノ瀬家とはお隣同士なので、この時間になっても私が帰ってきていないことは二人も分かるはずだ。


 もしかしたら、心配しているかもしれない。

 けれど、昨日二人に酷いことを言ってしまったので、連絡する気になれなかった。


「別に大丈夫ですよ。連絡も何も私には連絡する人がいないですから」

「あら、一人暮らしなの?」

「はい。今年から」

「へえ、それは大変ね」

「確かに大変ですけど、ずっとしたかった暮らしなので」


 私はそのまま独り言のように自分の生い立ちを紫苑に語った。


「小学生の頃に両親が事故で死んじゃって。私はその時たまたま七海の家に遊びに行ったから、事故に合わずに済んだんです」


『七海ちゃんと喧嘩しちゃダメだよ』

 そう言って、送り出してくれた両親の顔を今でも鮮明に覚えている。


「親戚とか頼れる人がいなかった私は両親が死んで一人になっちゃいました。そんな私を七海の両親は受け入れてくれました」

「とてもいい人たちね」

「とてもなんてもんじゃないですよ。私だけじゃなくて、私が住んでいた家も引き取ってくれたんですから。でも、それが何だか背負わなくていい負担を背負わせてるみたいで……。だから、今年からは自分の家で暮らすようにしたんです」


 もちろん七海のことも七海の両親のことも第二の家族として愛している。


 けれど、本来一ノ瀬家に私の居場所はない。

 それを知りながら我が物顔であの場に居続ける私を、私は許せなかったのだ。

 

「反対もされませんでした。いつかはこうなると向こうも分かっていたようでしたし。でも、完全に他人ってわけじゃないですよ。私なんて、しょっちゅう七海の家に入り浸ってますから」

「それで良いのではないかしら。完全に縁がなくなるよりずっと良いわ。私の場合、親との縁は切ってしまったから。もう十年以上会ってないわ」


 そう言って、紫苑は頬杖をついてどこか遠い場所を見やる。

 浮かべている表情は儚げで寂しそうだった。


「会いに行けないんですか?」

「行けなくはないけれど、一度縁を切ると再会するのに勇気がいるのよ。だからね、旅人。今ある関係は大切にしなさい。私みたいにはならないでね」


 紫苑は私に乾いた笑みを作ってみせた。


 ――今ある縁……。


「……紫苑さん、ちょっと席を外します」


 紫苑にそう伝え、店の外へと向かった。

 

 外に出るや否や私はスマホを取り出して、一ノ瀬家の電話番号を打ち込む。

 数コール後に聞こえたのは七海の母親の声であった。

 

「もしもし、おばさん。近くにおじさんはいる?二人に聞いてほしいんだけど――」


 たった数分間の会話だった。

 けれど、その僅かな時間が心の距離が離れかけた私たちにとって大切なものになったのだった。


===


「うん。じゃあ切るね……結構長話しちゃったな。ステーキ、冷めてないといいけど」

 

 七海の両親との電話を終えた店内に戻ろうとしたその時、周囲の違和感に気づく。

 

「誰もいない?」

 

 町中のガヤガヤとした音がこれっぽっちも聞こえない。

 周囲には人の姿はなく、道路を走る車さえ、一台も存在しなかった。


「どうなってるの?」

 

 訳が分からず辺りを見渡していると、たった一人だけ、私以外の存在を見つけた。


 静かな世界で真っ赤に染まるシルエット。

 ガチャリガチャリと金属が擦れる音を立てながら近づいてくる甲冑に身を包んだおかっぱ頭の女子高生。


「……七海の夢魔」


 ――えっと、名前は何だっけ。確か……。


 紫苑たちが口にしていた名前を思い出そうとすると、突然腰のタロットホルダーが震えだした。

 すると、タロットホルダーの中から一枚のタロットが飛び出す。

 そのタロットに刻まれた名は今まさに思い出そうとしていたそれであった。

 

正義の戦士テイワズ・ティール……」

「封印具が俺に反応したか。まったく忌々しい限りだ」


 七海の姿をした夢魔はそう言いながらこちらに歩み寄ってくる。

 前回は気にも留めなかったが、醸し出す雰囲気や足運びは少女というより男性のように思えた。


「正義の戦士っていうわりには、私が一人の時を狙うんだ?」

「勘違いするな。俺はお前と一つ取引に来ただけだ」

「取引?」

「ああ、俺とお前だけの取引だ」


 ――なんか、企んでんじゃないの?


 夢魔は常識が通じないことは先ほど十分に味わったばかりだ。


 ――でも、うまくやればここで封印できるかも……?


 彼の言葉が本当にせよ、嘘にせよ、これはまたとないチャンスかもしれない。

 卑怯な手段かもしれないが、七海を救うためだ。

 不意打ちだってやってやる。


「それで、取引っていうのは?」

「簡単なことだ。今すぐこの件から手を引け」


 そう言って、彼は私の手にするタロットを指差す。


「今日あったこと、夢魔のこと、その目のこと。それら全てを忘れ、それらに二度と関わるな。要求を飲むならば、今後起こることに対してお前の身の安全は保証しよう」


 私は自分の耳を疑った。

 彼は何を言っているのだろうか。

 何を勘違いしているのだろうか。


「私は自分の安全なんて望んでない。私の望みは一つだ。七海を返して!」

「……身の程をわきまえろ」

 

 テイワズ・ティールの声に力がこもった。

 その瞬間、私の身体が肩口から腹部に向かって切り裂かれた。


「――っ!?!?」


 身体から噴水のように赤い液体が溢れ出して、地面に水溜りを作る。

 

「いやっ……あっ……ああっ……!」

 

 ――痛い、痛い!


 傷口は意識を蝕むほどの痛みと共に焼けるような熱を持つ。

 けれど、身体の末端からは熱が徐々に失われて感覚がなくなっていく。

 そして、熱を失った肉はやがて魂から凍りつくような冷気を持つようになる。


 これが死の感覚。


 抗うことは意味をなさず、ただ一方的に手を伸ばしてくる圧倒的なもの。


 ――死ぬ?嫌だ、嫌だ……!


「……おい、何を一人で遊んでいる」


 男勝りな七海の声にハッとする。

 すると、身体に刻まれた傷や辺り一面を赤く染めていた水溜りは始めから存在しなかったかのように消えていた。

 

 いや、実際始めから存在していなかったのだ。


「斬られてない……?」

「斬る?俺はまだ剣すら握っていないぞ?」


 彼の言う通り、彼の手に剣はない。


 しかし、彼は確実に私を斬った。

 正確には、彼はイメージで私を斬ったと言うべきか。

 

 彼が抱いた私を斬るイメージ。

 彼の気配や仕草から感じ取ったそれはあまりに鮮明でいてリアルなものだった。

 故に私はあたかも実際に斬られたと錯覚させたのである。


 ――七海の集めていたライトノベルに出てくるキャラに同じことができる奴がいたっけ……。


 剣の道を極めた主人公がやられ役の敵キャラに同じ様な曲芸じみた技を使っていたのを思い出す。


「……これでお前ら人間は俺たち夢魔の足元にも及ばぬ存在であることが分かっただろう?」


 そう言って、地面に這いつくばる私の髪を鷲掴みにしながらこう続けた。


「さっさとこちらの要求を飲め。これはお前のために言っている」


 もし断れば、次は本当に殺されてしまうかもしれない。


 ――嫌だって言わなきゃ。


 七海を助けるためここまでやってきた。

 こいつさえ封印すれば、七海を目覚めさせることができる。

 あと一歩なんだ。


 ――でも、こんなの相手に勝てるの?


 絶対に敵いっこない格上の相手だ。

 それにもう相手の間合いの中で今更抵抗しようにも戦いにさえならないだろう。


 ――怖い。怖い……。


 今すぐこの場から逃げ出したいという気持ちが湧き上がってくる。

 安全な場所に逃げ込んで、この恐怖を忘れるように眠ってしまいたい。


 ――逃げなきゃ死ぬ、戦わなきゃ七海を助けられない……。


 相反する二つの感情が頭の中で混ざり合う。


 ――七海、私はどうしたらいいの……?


『旅人をいじめないで!』


 濁った思考の中、弾けるように七海の言葉が響く。


 ――ああ、そっか。あの時の七海もこんな気持ちだったのかも。

 

 内気な七海にとって、私をいじめる小学生男子たちはまさに圧倒的な力を持った相手だった。

 きっと、当時の彼女も今の私と同じような感情を抱いていただろう。


 けれど、七海はそんな相手にどうした?

 大切な友達のためにどうした?


 一歩を踏み出したんだ。

 自分より強い相手と戦うことを臆さず、私に手を伸ばしたんだ。


「……七海は」

「ん?」

「七海は私の親友だ。代わりなんていない私の大切で大好きな親友だ」

「だから?」

「だから、私は戦う。七海を救うためならこの命だって賭けてやる!」

 

 私は震える身体に力を込めて、無理やり恐怖をかき消した。

 そして、そのままタロットを手にした腕をテイワズ・ティールに向けて突き出す。

 

「――ちっ!?」


 テイワズ・ティールはタロットが身体に触れる寸前のところで後ろへと飛び退く。


氷の女王イサ・イス自由の人魚ラグズ・ラーグ!」


 私の叫びにイサ・イスとラグズ・ラーグが一斉に顕現する。


「交渉決裂か……なかなか肝が据わっている。ははっ、気に入った!」


 彼は豪快な笑い声を上げた。


「明日の正午、俺とお前が初めてあった場所に来い。そこで正真正銘、互いの存在をかけた試合をしよう」


 そういうと、テイワズ・ティールはこの場から去っていった。


「明日の正午、私たちが初めてあった場所……」




「旅人。一瞬だけ何か変な気配がしてのだけれど、何もなかったかしら?」


 テイワズ・ティールがいなくなって周囲が元に戻ったのと同時に、紫苑が慌てて店から出てくる。

「紫苑さん、実は――」


 私はありのままの出来事を紫苑に伝えた。


「そんなことが……助けに来れなくてごめんなさい」


 そう言って、彼女は私を自分の胸の中へと引き寄せた。


「身体が震えてるわ」


 ――うわ、本当じゃん……。


 張りつめていた緊張の糸が緩んだ結果だろう。

 

「紫苑さん、ちょっとだけギュっとしててもいいですか?」

「ええ、いいわよ」


 紫苑は私の中の恐怖が完全に消え去るまでずっと私を包み込んでくれた。

 まるで遠くに行ってしまった母親に抱かれているかのようで、心地が良かった。




 翌日は今にも雨が降りそうな曇天模様だった。

 天気予報によると、これから昼にかけて降水確率が増えていくらしい。


 そんな中でも大三頁商店街の活気は衰えず、多くの買い物客やら観光客やらで賑わいを見せている。


 ――今から七海の夢魔と戦う。勝てるかな……。


 七海を目覚めさせるには必ず勝たなければいけない。

 頭では分かっていても、いざ時間が近づいてくると不安感に襲われてしまう。


「――と。旅人」

「あ、はい。何ですか?」

「はあ、あなたって子は」


 小さくため息をつくと、何を思ったのか紫苑はウェンディを抱き上げる。

 そして、そのままウェンディの腹を私の顔に押し付けた。

 猫吸いならぬ犬吸いである。


「し、紫苑しゃん?」

「ウェンディのここ、結構いい匂いがするのよ」


 そうなんだと試しに匂いを嗅いでみる。

 すると、チョコレートのような甘い匂いが鼻を抜けていった。


「んん!?紫苑しゃん、しゅごいいい匂いでしゅ」

「でしょう?私も疲れたりした時に嗅ぐのよ」


 そう言って、ウェンディを離すと私にニコリと微笑んだ。


「どう?少しは肩の力は抜けたかしら?」


 ――もしかして、私が不安になってたから?


「紫苑さん、ありがとうございます。リラックスできました」

「ふふ、それは良かった。あとは機嫌を損ねちゃったこっちをどうにかしないとね」


 紫苑の視線が向かう先を追うと、ウェンディが愛らしい顔が見る影もないほどの不機嫌な表情を浮かべていた。

 ここが人目のある商店街の中でよかった。

 もしウェンディが喋れる状態だったらどれだけ煩かっただろう。


「そんなに怒るんじゃないの。頑張ってくれたご褒美に何か買ってあげるわよ」

「……」


 彼はプイッとそっぽを向いた。

 かと思えば、彼はペットショップの方向へと走り出す。

 小さなお尻から伸びる尻尾は表情とは裏腹にせわしなく左右に動いていた。

 

 その姿に私と紫苑は顔を見合わせ、笑みをこぼしたのだった。




 約束の正午数分前。

 私たちは彼、テイワズ・ティールが決戦の場に指定した大三頁観音へと到着した。


「もうすぐ時間だけど、あれの姿はないわね」


 行き交う参拝者の中にあの時代遅れも甚だしい甲冑を身に着けた人物は存在しない。


「どこにもおらんではないか。本当にここで合っとるんか?」


 しかし、夢魔を見通すトリビアの目を持つ私には彼の姿ははっきりと見えていた。


「……うん。合ってるよ。こっちでは見えてるから」


 私は正面を指さす。

 指をさした先には、腕を組んで待ち構える彼のシルエットが確かに存在していた。


「なるほど、何らかの能力で旅人にしか見えない空間にいるわけね」

「あんなへんてこな格好で街を移動しとる癖に大した目撃情報がなかったのはその能力によるものというわけじゃな」

「あ。でも、ちょっと待って……」


 右目を通して見える世界が何かおかしい。

 見えているのはテイワズ・ティールだけではないのだ。


 私たちやテイワズ・ティールを取り囲むように無数の何かが地面に突き刺さっている。

 その様はまるで闘技場だ。


「夢乃旅人、何か見えとるんじゃ?」

「えっと、長さいろいろあるが幅のある四角と細い棒が組み合わさったのとか、丸いでっかい的?とかが周りにめっちゃ刺さってる」

「幅のある四角と細い棒?なんじゃそれは。もうちょっと詳しく説明せんか」

「見えてるって言っても、はっきりじゃないんだって。影絵みたいな感じなの」


 生憎、右目で見えるのはシルエットだけだ。

 私の使い方が悪いのか、それとも元からこういうものなのかは分からない。

 現状、これ以上解像度を上げることはできそうだ。


「……旅人、これはかなり苦戦するかもしれないわ」

 

 紫苑がポツリと呟いた。

 恐らく、その正体を知っての言葉だろう。


「え?」


 どういうことか聞こうとしたその時、ちょうど正午になった。

 その瞬間、周囲の景色が一変する。


「これは!?」


 私たちの側を行き交っていた人々の姿は瞬時に消え去り、辺りは静寂に包まれる。

 同時に右目を通してシルエットだけ見えていた無数の何かが正体を表す。


 ――これ、全部武器……!?


 周囲を取り囲むように地面に突き刺さっていたのは剣や槍、盾などの武具であった。

 しかも、その全てが夢魔の力を帯びている。


「……ここは俺の空間。俺の能力は異空間を操るもの。本来の使い方は武具の保管と出し入れだが、使い方によってはこういうこともできる」


 そう説明しながら、この空間の主が歩み寄ってくる。


「テイワズ・ティール!」

「俺たちを狩る魔術師ども、逃げずにやってきたことは褒めてやる。だが、お前たちはすぐにここへ来たことを後悔するだろう」

「後悔なんてしない!私はあんたを封印して、七海を助けるんだ!」


 私はすかさずイサ・イスとラグズ・ラーグを呼び出した。


「まあ待て。今のままでは本気を出せんだろう?」


 奴は両手を広げ、天を仰ぐ。


「何をしとるんじゃ、あいつは?」


 彼は天を仰いだままじっとして動かない。


「ねえ、旅人」


 突然、紫苑は私にこう提案した。


「一時的にイサ・イスの命令権を私に譲渡してくれないかしら?」

「命令権?」

「召喚された夢魔は基本的に召喚者の命令しか聞かないのよ。でも、一度に二体へ命令するのは大変でしょう?魔術でサポートする気だったけど、夢魔を分担させた方があなたの負担が軽くでしょう?」

「確かにそうですね。わかりました」


 私はイサ・イスに紫苑の言うことを聞くよう命令した。


「……あれ?そんなことができるなら、わざわざウェンディを私に預けなくてもよかったんじゃ?」

「いちいち召喚して命令するの面倒じゃない?それに封印も私の仕事になるし」


 ――本当にこの人は……。


 もう怒る気にもなれず、溜息だけが口から漏れ出た。

 その時、曇天の空からポツリと雫が落ちてくる。


「あ、雨……」


 ついに降ってきた。


「どうやらこの空間は現実と瓜二つの空間のようじゃのう」


 雨は次第に強さを増し、瞬く間にあたり一面を濡らした。


 ――雨……ってことは水じゃん。


 水を司るラグズ・ラーグは水を意のままに操れる。

 つまり、この水すべてを操れるというわけだ。


「さあ、時は来た。互いの存在を賭けた全力の戦いを始めようか!」


 そう叫ぶと、突然手をこちらに伸ばす。


 ――いったい何をする気だ?


 「旅人!」


 突然、紫苑が私を押し倒す。

 直後、背後から高速回転する大剣が私たちのすぐ真上を通過した。

 もし、紫苑が私を押し倒してくれなかったら今頃私の身体は真っ二つになっていただろう。


「ほう、よく気付いたな」


 大剣は回転しながら、テイワズ・ティールの伸ばした腕へと向かい、そのまま彼の手の中に収まった。


「お主ら、怪我はないか?」

「うん、大丈夫」

「旅人、気を付けなさい。恐らくあれは周りにあるもの全部を思うがままに操れるわ。それにしてもよくもまあ、こんなに集めたものね」

「ずるいと言ってくれるなよ?これはお互いの存在を賭けた戦いだ。持てる全て力をただねば礼儀に欠けるというものよ」


 そう言うや否や彼は大剣を構えて、臨戦態勢を取る。


「行くぞ、忌々しい魔術師ども!この俺、テイワズ・ティールを封じれるものなら封じてみろ!」


 地面を思いっきり蹴とばして、一気に距離を詰めてくる。


「地面を凍らせてなさい」


 紫苑の指示で前方の雨に濡れた地面が瞬時に凍り付く。

 しかし、相手も反応が早く、剣を地面に叩きつけて氷を砕くと同時に高跳びの要領で空中に身体を浮かせる。

 そのまま落下の速度に回転の力を加えながら、私たちに向かって剣を振り下ろし……。


「ふんっ!」


 空気が震えるほどの衝撃波を生み出す一撃が地面を叩き割った。


「危なっ……。ああもう、七海の姿でそんな怪力出さないでよ!」


 私はラグズ・ラーグの背に乗り、上空へ逃げたことで難を逃れた。

 紫苑とウェンディも何とか直撃せずに済んだらしい。


 ――今度はこっちの番だ。


「ラグズ・ラーグ、あいつを水の中に閉じ込めて!」


 テイワズ・ティールの周囲の水が彼を包み込もうとするが、すぐさま斬撃によって吹き飛ばされてしまう。


「あの武器が邪魔!なんとかできる?」


 ラグズ・ラーグ私の言葉に頷くと雨を集めて、周囲に水球を作り出す。

 そして、手に溜めた少量の水を水球に向けて撃ちだした。


「む!?」


 水球の面を滑って放たれた一撃が彼の手から剣を弾き飛ばす。


「よし、このままもう一度――」


 追撃を試みようとしたのもつかの間、真下から百を超える数の武具が魚群のように束となって迫ってきた。

 ラグズラーグの器用に旋回して直撃を逃れるものの、作り出した水球は一つ残らず壊されてしまう。

 しかし、それだけは終わらない。

 武具の群れは私たちを狙って再び突進してくる。

 

「全部撃ち落として!」

「――っ!」

 

 周囲の雨粒を高速で打ち出して、武具の群れを迎撃する。

 雨粒と衝突した武器はバキバキと音を立てて砕け散り、みるみる数を減らしていく。

 

「よし、もうちょっと!」

「旅人、後ろ!」

「……後ろがガラ空きだ」


 いつの間にか、地上にいたはずのテイワズ・ティールが私の真後ろで剣を振り上げていた。

 彼の足元には、宙に浮き上がったいくつかの盾が見える。


 ――盾を足場にして上ってきた!?


「俺を封印しようなどと考えたことを後悔するがいい!」


 テイワズ・ティールは振り上げた剣を私めがけて振り下ろした。


 ――ヤバい、斬られる!


「――!!」


 死を覚悟した刹那、腹部に重い衝撃が走る。


 それはラグズ・ラーグが放った水の一撃による痛みだった。 

 反撃は不可能と悟った彼女が私を逃がすため、咄嗟に放ったのだ。


 次の瞬間、空気斬る音と共にラグズ・ラーグの水の身体は真っ二つになった。

 そして、彼女の身体はそのまま雨に交じって消えていく。


 私はラグズ・ラーグのお陰で直撃を免れることができた。

 しかし、空中に放り出された私はそのまま地面に向かって落下していく。

 

「逃がさん!」

 

 武具の群れを操作して、私に向かって突進させる。

 

「儂が受け止める。紫苑、援護せい!」


 本来の姿に戻ったウェンディが勢いよく空を駆ける。

 

「イサ・イス、旅人を守りなさい!」

 

 雨を凍りに変えた弾丸が武具の群れを撃ち落とす。

 しかし、雨を氷に変える必要がある都合上、連射速度には限界があった。


「手数が足りないわ!」


 武具の群れはすぐそこまで来ていた。

 

「ウェンディ、来ちゃダメ!」


 私を受け止めたら巻き込まれる。


「使い魔が主人を見捨てれるわけないじゃろうが!」


 ウェンディは武具の群れに臆することなく向かってくる。

 そして、彼は私の身体をくわえるようにして受け止める。


「紫苑っ!」


 私を受け止めたウェンディはすかさず身体を捻り、その勢いで私を投げ捨てた。


 刹那、ウェンディの姿は武具の群れに飲み込まれていった。

 

「ウェンディー!」


 ウェンディを飲み込んだ武具の群れはそのまま地面に衝突し、大量の土煙を巻き上げる。

 

「旅人!」


 私の身体を紫苑が受け止める。


「紫苑さん!ウェンディが……!」

 

 ウェンディの姿はすぐに見つけることができた。

 大量に突き刺さった武具と隙間。

 毛を真っ赤に染め上げた子犬のウェンディが地面に横たわっていた。


「紫苑さん、早くウェンディを助けに行かないと!」

「……他人の心配ができるとは、なかなか余裕があるな」


 テイワズ・ティールが行く手を塞ぐように私の前に降りてくる。


「まずは一匹」


 そう言いながら、ボロボロのウェンディを拾い上げる。


「う、うう……」

「ほう、生きてはいるようだな。だが、これでは使い物にならんだろう」


 彼はニヤリと口を歪ませ、こう続けた。


「封印を司る使い魔が使い物にならなくなった今、お前たちはどうやって俺を封印するつもりなんだろうな?」

「あ……」


 夢魔の封印はウェインディの力が必要不可欠だ。

 だが、そのウェンディはもう動けない。


 つまり、彼の言う通り封印する手段がない。


「だが、終わりにはせんぞ。これは互いの存在をかけた戦いなのだからな」


 ――そんな……私たち、ここで死ぬ……?


 封印ができない以上、戦っても意味がない。


「だから言っただろう。後悔させると。魔術師などという悪しき道に足を踏み入れたことを悔いながら死ぬといい!」


 勝ちを確信したテイワズ・ティールは高らかに笑った。


「……あら?誰がいつ、封印はあの子にしかできないなんて言ったのかしら?」


 絶望的な状況の中、紫苑がぽつりと口を開く。

 そして、紫苑は大丈夫だと言わんばかりに私に微笑んだ。


「ほう?お前がするとでも?」

「臨時のこの子と違って、私はれっきとした魔術師ですから」

「なら、お前が死ねば希望は完全に断たれるわけだな?」

「その前に封印させてもらうわ」


 紫苑がそう言った刹那、テイワズ・ティールの足元に魔法陣が出現する。


「これは封印?いや、足止めか!?」


 魔法陣の内部の重力が数倍に跳ね上がる。

 テイワズ・ティールは直立の姿勢を保てなくなり、崩れ落ちるように膝をついた。

 

「旅人、今よ!」

「はい!自由の人魚ラグズ・ラーグ、私はあいつのところに連れて行って!」


 再び、ラグズ・ラーグを召喚する。

 すると、突然全身が鉛のように重くなり、眠気のようなものに襲われた。


『やられた後すぐ召喚すると魂をごっそり持っていかれるから注意するんじゃぞ』


 ラグズ・ラーグを封印する時にウェンディが言っていた言葉を思い出す。


 ――これが魂を削られる感覚!?


 一瞬でも気を抜けば、そのまま意識を失ってしまいそうだ。


「踏ん張れ、私!」


 私は自分の頬を思いっきり叩いて活を入れる。


「お願い!」


 ラグズ・ラーグは私を背負い、全速力でテイワズ・ティールに向かって突進する。

 

「くっ……小賢しい!」


 テイワズ・ティールの判断も早かった。

 彼はすぐさま足に力を一転集中させて、魔法陣の外を目指し始める。

 一歩踏み出すごとに足が地面に埋まる。

 一歩一歩の歩みは遅いが、確実に魔法陣の外へと迫っている。


 ――間に合え!間に合え、間に合え……!!


 間に合うことを祈りながら、タロットを構える。


「ふっ、惜しかったな!」

 

 しかし、あと一歩遅かった。

 私がタロットを接触させるよりも早く、テイワズ・ティールは魔法陣の外へと逃れてしまう。

 

「あいつを掴まえ――」

「こいつは返すぞ!」

「うわっ!?」


 テイワズ・ティールはこちらに向かって瀕死のウェンディを投げ飛ばした。

 ウェンディがラグズ・ラーグに直撃し、彼女は姿勢を崩してしまう。


「旅人!」

「他人の心配している暇はないぞ!」


 剣を手にしたテイワズ・ティールがすぐさま紫苑に向かって突進する。


「くっ!イサ・イス――」

「遅い!」


 テイワズ・ティールの剣が紫苑の腹部を貫いた。


「紫苑さんっ!!」


 傷口から滲み出した血液が服を赤く染めていく。

 素人でもわかるほどの致命傷であった。


「これで終わりだな」

「……どうかしらね?」


 紫苑は息も絶え絶えにしながら、力強い目でテイワズ・ティールを見据える。


「何?」

「イサ・イス、溜めていた力を解き放ちなさい」


 紫苑の命令を合図にイサ・イスが天に杖を掲げた。

 すると、彼女から発せられた極寒の冷気が周囲の雨をことごとく氷へと変えていく。


「こいつ!」


 危険を察したテイワズ・ティールが紫苑の身体から剣を引き抜いて、イサ・イスに切りかかる。


「やれ、イサ・イス!」

「――っ!!」


 氷の女王は天に掲げた杖を地面に叩きつけた。

 刹那、地面から飛び出した氷の柱がテイワズ・ティールの身体を飲み込んだ。


「旅人、これが……最後のチャンスよ!」

「はい!」


 私はラグズ・ラーグと共にテイワズ・ティールの元へと向かう。


「まだだあああっ!」


 氷の中からテイワズ・ティールの雄たけびを上げた。


 直後、彼は氷の一部を粉砕し、片腕を露出させる。

 そして、露出した腕で武具を操作し、再び武具の群れをこちらに向けて放った。


「お願い、援護して!」


 ウェンディの保護と武具の迎撃をラグズ・ラーグに任せ、私は一人氷の牢獄へと向かった。


 ――足が重い……。


 魂を消費した影響で足が思うように上がらない。

 あと十メートルもないはずの距離なのに、それがあまりにも遠くに感じる。


 ――諦めるな。足を回せ。ウェンディと紫苑さんの頑張りを無駄にするな!


 数えきれない武具と弾丸が飛び交う攻防戦が続く。

 そんな中、一振りの斧が弾丸の雨を潜り抜けてしまった。


「なっ……!?」


 それは高速で回転して向かってくる。

 しかし、今の私にはそれ避ける程の力は残されていなかった。


 ――……ここまでか。


 目蓋の裏側に私の大切な人たちの姿が浮かび上がる。


 ――ごめん、七海。ごめんなさい、おじさん、おばさん……ごめん、ウェンディ……ごめんなさい、紫苑さん……。


 刹那、私の身体は斧の刃に切り裂かれる……。


 そう思った矢先のことだった。


「え……?」


 私の身体をすくい上げるように毛むくじゃらの何かが足元から潜り込んできた。

 そして、それは私を背負ったまま風を切るように地を駆ける。


「まったく、危機一髪じゃわい」

「ウェンディ……!」


 私を助けに来たのは瀕死で動けないはずのウェンディであった。


「でもどうして?」


 大怪我を負って当分は動けないと言われていたはずだ。


「紫苑が魂を分けてくれたお陰じゃ」

「紫苑さんが?」


 紫苑がウェンディを助けるような素振りは一度もしていない。


 ――まさか、さっきの足止めの魔術と一緒に?


 恐らく、紫苑は自分が失敗した時のためにウェンディを残したのだろう。

 それを黙っていたのは、テイワズ・ティールの不意を突くため。

 つまり、これこそが正真正銘、最後のチャンスだ。

 

「夢乃旅人、終わらせるぞ!」

「うん!」


 ウェンディが全速力で地面を駆ける。


「があああああ!」

 

 テイワズ・ティールは雄叫びを上げながら、氷の檻を粉々に粉砕する。

 そのまま大剣でイサ・イスを破壊し、周囲にある武具の全てを操作してラグズ・ラーグを木っ端微塵に切り裂いた。


「あとはお前たちだけだ!これでもう小賢しい真似はできんだろう!」

 

 そう叫びながら、大剣を振り上げて私たちを待ち構える。

 彼が浮かべるその表情には勝ちを確信した様子から打って変わって、焦りの感情が色濃く表れていた。

 

「俺たちに牙を向けたことの裁きを受けろ、魔術師!」


 目にも止まらぬ一薙ぎである。

 ブオンという空気が唸る音と衝撃が周囲に響かせる。

 

 ――絶対に負けられない!私は七海を助けるんだ……!


「伏せろっ!」


 最大まで加速した刃が迫る中、ウェンディと私はお互い限界まで身体を低くする。


「なっ……!?」


 テイワズ・ティールが放った渾身の一撃は私の頭のすれすれ――数センチ上を通過し、そのまま盛大に空を切った。

 

「これでおしまいだぁぁぁぁぁっ!!!」


 最後の力を振り絞り、テイワズ・ティールにタロットを叩きつけた。

 刹那、何重にも折り重なった魔法陣がテイワズ・ティールを閉じ込める。


「このテイワズ・ティールが魔術師なんかに……!」

「私たちの勝ちだ!七海を返して!」

「夢から出る魔よ。今ここに汝を封印の楔へと束縛せん!」

「このぉぉぉぉ……!」


 テイワズ・ティールは断末魔と共にタレットへと吸い込まれていった。


「封印完了、じゃ……」


 ウェンディの身体がグワンと揺れて、そのまま地面に崩れ落ちる。

 そして、瞬く間に子犬の姿へと戻ってしまった。


「ウェンディ!」

「すまんのう、もう魂切れじゃ。しばらく眠りにつくぞ」

「うん。頑張ってくれてありがとう」


 ウェンディは静かに目蓋を閉じ、満足げな表情を浮かべて眠りについた。


 その直後のことだ。


 周囲にパリン、パリッとまるでガラスが割れるような大きな音が響き渡る。


「何これ、空も地面もヒビが入ってる!?」

 

 周囲に生まれたヒビは徐々に大きくなっていく。

 ヒビの向こうには何も無い真っ黒な空間が広がっていた。


「……あの夢魔がいなくなったことで、維持が出来なくなったのね」


 か細い声でそう言うのは、真っ赤な水溜りの中心で横たわる紫苑だった。


「紫苑さん、大丈夫ですか?」

「早く逃げなさい。この空間の崩壊に巻き込まれて消滅するわよ」

「逃げるってどうすれば」

「あなたなら出口が見えるはずよ」


 ――導きの目!


 他人には見えないこの目を信じ、周囲を見渡す。


「あった!門のところ」


 大三頁観音から大三頁商店街へと繋がる仁王門の真下。

 他とは違った光り輝く裂け目があった。


「紫苑さん、待っててください。今助けに――」


 紫苑のもとへと駆け寄ろうとした瞬間、視界がぐにゃりと歪んだ。

 糸が切れたように全身に力が入らなくなって、私はその場に崩れ落ちた。

 

 ――まさか……魂を使い過ぎた?


 身体が限界を迎えたのだろう。

 もう指一つ動かせない。


 ――ヤバい、意識が……。


 強烈な睡魔が私の意識を削り取っていく。


 ――このままじゃ、私たち全員……こんな最後って……。

 

 抵抗も虚しく、目蓋はゆっくりと降りていき……。

 やがて、目蓋が落ちて視界は真っ黒に染まった。

 

「……まったく世話がかかるんだから」


 薄れゆく意識の中、紫苑の声が最後に聞こえた気がした。




 目が覚めると私は病室のベッドの上にいた。


 ――私、どうして助かって?


「旅人……?旅人!」


 目覚めて、一番最初に耳にしたのは七海の声であった。

 声にする方を見やると、潤んだ瞳でこちらを覗き込む七海の姿があった。


「良かった。目が覚めたんだ」

「それはこっちのセリフだよ!」


 そう言うや否や七海は私の身体に抱き着いた。


「もう目を覚ましてくれないかと思ったよ。旅人がいなくなったら私は……」


 そう言いながら、七海はポロポロと涙を流し始めた。

 泣き始めると、嗚咽で何を言っているのか分からなくなるが、私の生存を喜んでくれている言葉には違いない。


 ――それは私も一緒だよ。


 心の中でそう呟きながら、七海の身体を抱きしめ返した。


「……ねえ、旅人。何があったの?そんなボロボロになるまであのワンちゃんと一体何をしてたの?」

「ワンちゃん……?」


 紫苑とウェンディの姿が脳裏を過ぎった。


「ワンちゃんって、ウェンディのことだよね?ウェンディは無事?」

「え、あ、うん。無事だよ。怪我も軽くて今はお母さんが様子を見てる。ただずっと眠ったままだけど」


 きっとそれはウェンディが意識を失う前に言っていた魂切れによる影響なのだろう。

 恐らくは問題ないはずだ。


「じゃあ、紫苑さんは?」

「紫苑さん?」

「私と一緒に女の人がいたでしょ?紫苑さんはかなり重傷だったんだ。あれからどうなった?」

「え?え?旅人、一旦落ち着いて」


 七海は私をなだめると、一呼吸置いてこう続けた。


「旅人、落ち着いて聞いてね。旅人が見つかった時に一緒にいたのはワンちゃんだけだよ」

「は……?」


 私は耳を疑った。


 ――私とウェンディだけ?そんなはず……。


「旅人を見つけてくれた人から聞いた話なんだけど、旅人とワンちゃんは大三頁観音の仁王門の下で何もないところから飛び出すように現れたんだって」

「飛び出すように……」


『……まったく世話がかかるんだから』


 意識が薄れる寸前に聞こえた幻聴のような紫苑の声がフラッシュバックする。


 ――まさか、紫苑さんはあんな身体で私たちを……!?


「あ、ああ……」


 私はまた大切な人を失ったのだと悟った。

 胸の奥が潰れてしまいそうな苦しみが私を襲う。


 ――ありがとう、紫苑さん……。


 滝のような涙を流す私を前に、七海は何も言わず私を抱きしめて、背中を擦るのだった。




 数日後、病院を退院した私は七海とウェンディを連れて夢覚荘へと訪れた。

 ウェンディは魂切れを起こし続けており、未だに私の腕の中で穏やかな寝息を立てている。


「……何にも変わらない」


 初めてここを訪れた時のように、それは荘厳で清らかな空気が満ちた空間にポツンと建っている。


「すごい歴史的な建物。こんなところがあったんだね」

「それ、私も最初に来た時に思った」


 皆思うことは同じでちょぴり面白い。

 そう思いながら、私は入口へと向かう。


「七海は覚えてないかもしれないけどね。私は紫苑さんとウェンディの三人で七海を救おうと頑張ったんだ。けど、最後の最後で帰れなくなっちゃって。紫苑さんが命がけで助けてくれたんだ。だから、今の私がいるのは紫苑さんのお陰」


 入口までやって来ると、取引に掛けられたCLOSEDの看板に気付く。


「ここってお店なの?」

「うん。夢魔専門のお店なんだって」

「夢魔って、サキュバスとかのこと?」


 ライトノベル好きだけあって、ぽんとそういう言葉が出てくる。

 私とは大違いだ。


「サキュバスとは違うよ。詳しいことは後で話よ」


 私は合鍵を使わぬままドアノブを捻ってみる。


 ――やっぱり、開かないよね。


 開いてくれたらどんなに良かったか。


「紫苑さんがいなかったら七海を助けられなかったし、また一緒に居ることもできなかった。恩人なんだ」


 ――そして、七海やおじさんたちと同じくらい大切な人なんだ。

 

「だから、私はこの店を継ごうと思うんだ。紫苑さんの代わりに夢魔から街の人たちを守りたい。今日、七海を連れてきたのは、紫苑さんのことを知って欲しかったってのもあるけど、これを聞いて欲しかったからなんだ」

「……そっか」


 七海からすると妄想のような話をしているはずなのに、彼女は退屈な顔一つしなかった。

 突拍子もない言葉を信じて、真剣に耳を傾けてくれている。

 そして、彼女はニコリと笑っているこう言った。


「旅人がやりたいことを見つけたなら、私は全力で応援するよ」

「ありがとう。私、頑張るね」


 七海が親友でよかったと心から思った。

 

 そして、私はポケットから合鍵を取り出す。

 いつの間にか私のポケットに入っていたものだ。

 以前、紫苑が使っていたものと同じ装飾だったのですぐにここの鍵だと分かった。


 ――これを見た時、紫苑さんが跡を継いでほしいと言っているように思えたんだ。


 私は鍵穴に鍵を差し込むと、やはりぴったりとはまった。

 鍵を回すと、ガチャリと扉が音を立てる。


 ――私は紫苑さんみたいに魔術が使えるわけでもないけど、私の出来ることを頑張ってみます。だから、見守っていてください、紫苑さん。

 

 そして、私、夢乃旅人は魔術師としてしての最初の一歩を踏み出した。


 次の瞬間である。


「……は?」


 扉を開けた瞬間、目に飛び込んできたのは忍び足でこの去ろうとする一人の女性の姿だった。

 髪はボッサボサで、寝間着はだらしなく着崩している上にボタンも欠け違えている姿はこの上なくダサい。


「し、紫苑さん……?」


 私の目に前にいたのは死んだはずの紫苑だった。

 思いもよらぬ再会に喉から素っ頓狂な声が出る。


「……」 

「……生きてたんですか?生きてたなら、どうして連絡してくれなかったんですか?私、てっきり……」


 枯れてしまったと思った涙がまた瞳を濡らす。


「あ、えーっと……」

「紫苑さん?」


 紫苑は何故か挙動不審であった。


「旅人、この人が紫苑さん?」

「うん。そうなんだけど……って、何で逃げようとしてるんですか!」


 何故か私たちから逃げようとするも紫苑を追いかける。

 その時、七海の腕の中で眠っていたウェンディが目蓋を持ち上げた。


「なんじゃ、うるさいのう……」

「わ、ワンちゃんが喋った!?旅人、ワンちゃんが喋ったよ」

「ん?お主は……テイワズ・ティールの依代か」

「テイ、ワ……?」


 ウェンディの言葉に七海は首を傾げる。

 七海実はまだちゃんと話をしていないので当然の反応である。


「ウェンディ、おはよう!ねえ、紫苑さんが逃げようとするんだけど、何か知ってる?」


 捕まえてもなお逃げようとする紫苑の姿を前にして、ウェンディは深い溜息をつく。


「……紫苑。お主、まだ人形で戦ったことを言っとらんのか?」


 ウェンディの言葉には紫苑は苦虫を潰したような表情を浮かべた。


「は?人形?どう言うことですか?」

「其奴はな、この二日間一歩たりともこの家を出とらん」

「そんなわけないでしょ。だって、私たちと一緒に……」


 一瞬混乱するものの、私もここ数日、夢魔やら魔術やらのファンタジーな世界に触れてきた。

 なので、ウェンディが口にした言葉ですぐにピンときた。

 

「まさか、瓜二つの人形を遠隔操作して……?」


 確かめるように紫苑を見やると、彼女は凄まじい早さで視線を逸らしたのだ。

 流石に私も言葉を失うしかなかった。


「だから言ったじゃろう、紫苑はサボるためなら努力を惜しまん奴じゃと」

「……」

「ああ、そんな目で見ないで!」


 格好がだらしないからか、いつもよりも頼りなくて弱々しい。

 どうやらこれが本来の紫苑らしい。


「……本当にもう」


 私は両手に作った握りこぶしで紫苑を殴りつける。


「本当に……心配したんですからね……」


 結局、私の中で勝ったのは呆れや軽蔑よりも生きていてくれたことによる嬉しさだった。


「……心配かけてごめんなさいね」

「本当ですよ。お詫びに何かごちそうしてください」

「いいわよ。何がいい?」

「それじゃあ……」


 私は満開の桜のような笑みを浮かべてこう言った。


「ステーキセット。一番大きいやつで!」

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夢乃旅人は夢をかる! 縞乃聖 @shimanosei

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