最終話 おわり

 あの悪夢のような事件のあと、俺は住まいを引き払い、故郷のH前市に出戻った。新たな職をみつけて現在にいたる。


 M美ちゃんとは定期的に連絡を取っている。ひとつには友情のため、もうひとつには負い目があるためだ。彼女の恋人のT彦を俺は助けることができなかったのだ。

 法事には顔を出せないが(T彦の両親から憎まれているのだ)、彼の眠る霊園には年に一度行くようにしている。看護婦に付き添われたM美ちゃんと落ち合い、T彦の墓の前で冥福を祈る。


「T彦くんを殺した人ってほんとうは誰だったの?」

 M美ちゃんは決まってこの質問をする。

 本当の犯人が俺じゃないのか疑っている様子なのだ。


 時々あの事件は俺が犯人だったんじゃないかと思いたくなる。それでも、俺にはまったく動機がないし、取り調べの刑事たちも俺が犯人じゃないことを数々の証言・証拠から明らかにしている。


「わからない」

 だから、M美ちゃんに俺はこう答える。


 同じ物件で三度目の殺人事件ということで、あの事件は大いに世間の耳目を集めた。事件の惨状がテレビやインターネットをにぎわせた。

 一度O塚を名乗る男がSNSに死体発見のあらましを書いたが、誰からも相手にされなかった。


 物件は閉鎖され、建物は解体された。203号室で起こったことの真相は、いまや闇の中だ。

 風の噂によると、Y村はその後まもなく心肺停止で死亡したらしい。ストレスによるものらしいが詳しいことはわからない。


 警察は血眼になって犯人を探しているということだが、彼らが正解にたどり着くことは多分ないだろう。


 当事者の俺でも何が正解なのか、いまいち自信がないのだから。


 ときどき、ビニールプールのある風景が頭をよぎる。

『そんなものは妄想だから忘れなさい』と俺の担当医は言う。俺はその時はうなずくのだが、しかし、そのイメージは鮮明な記憶となって頭を離れない。

 精神安定剤などを飲んでみても、心が落ち着いた試しがない。薬の量は年を追うごとに増えていく。


 よく夢を見る。

 なにもないウォークインクローゼットの奥へと俺は歩いていく。その先にある、光り輝く点は壁の向こうに通じるのぞき穴だ。

 俺は目を押し当てる。

 ビニールプールでビキニの女が遊んでいる。あどけない表情の女が俺を迎える。

「M姫と遊ぼうよぅ」

 女が言う。


 夢から覚めると汗だくで、走り込んできたみたいな激しい呼吸をしている。夢の残滓ざんしが頭から抜け落ちていく。その度に俺はときめきにも似た思いを抱く。

 ああ、間違いない。

 夢で会う度にM姫への思いが強くなっている。


終わり。

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ビニールプールのある風景 馬村 ありん @arinning

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