(8)
――それは、今から十年以上も前、明治の末期に起こった。
発端は、熊本の医者の娘であった
当時、日露戦争下で常陸丸の遭難が話題になっていた時、第六師団の兵士が乗っているかどうかを千鶴子は透視し、見事言い当てた。その後、練習を重ねた彼女は、庭の梅の幹の中にいる虫を透視してみせたり、砂浜にある失せ物の指輪探しを行ったりと、徐々に評判を高めていく。さらには人体透視――体内の病気を診て、治療を行うまでになる。門前には患者が押しかけて、実家の医院は繁盛していたそうだ。
千鶴子の評判は広まり、ついには帝都の新聞にまで名前が載るようになった。彼女の千里眼の能力を解明するため、名だたる帝国大学の教授達がこぞって実験を行うほどの熱中ぶりだった。
とくに有名なのは、東京帝国大学で変態心理学を研究していた福来友吉であろう。彼は千鶴子の能力に感嘆し、他の学者と共に協力して実験を行った。
心理学者、物理学者、哲学者、法学者、宗教学者、医学者……様々な分野の専門家が参加していたのは、今から見れば不思議な話であろう。だが、明治の学者達は『千里眼』といわれる不可思議な現象を“新たな科学”と捉えていた。
当時、海外では物を透かして見ることのできるX線の発見に続き、放射能、ポロジウム、ラジウム、アルファ線、ベータ線……など、従来の化学では説明できない現象が次々に発見されていた。ゆえに、千里眼の透視する能力もその一つとして考える者もいたのだ。
実験により、偉い学者が千里眼の能力を認めた――。
そのことが新聞に書かれると、人々もまた熱中した。全国各地に『千里眼』の能力者が現れ、いわゆる千里眼ブームが巻き起こった。
しかし、熱中も長くは続かない。千里眼能力者である
そして、各地の千里眼能力者達は詐欺師のレッテルを貼られ、迫害されていくことになった――。
「……僕の知っている彼女も、長野で千里眼能力者として有名になっていた。彼女の親は彼女を使って、それはまあ稼いだそうだよ。病気の透視、失せ物探し、財産のありか……何でも彼女にさせていた。その後、詐欺師と責められるようになった彼女は……」
当麻の言葉の先は、聞かずとも分かった。
千里眼能力者としてもてはやされ、実の親に利用された挙句、手のひらを返したように詐欺師と呼ばれ、責め立てられる――。
ふと、藍次の脳裏に清一のことが思い浮かんだ。彼も周囲の思惑に振り回された被害者だ。
「……」
「彼女ね、別れの時に僕に言ったんだよ。もう僕とは会えないってね。彼女にはすべて見えていたのかもしれない。全部、未来のことまで」
見えていたのなら。分かっていたのなら。
「変えることはできなかったのかな……」
当麻の声に、目元に、苦渋が滲む。
「彼女が里に帰るのを引き止めていれば、僕が彼女に会いに行っていれば、何か少しは変わったのかな」
「……」
あの時、ああしていれば――。
その後悔は、清一を失った藍次にもよく分かる。
声を掛けることができずにいると、当麻は山高帽の鍔を摘まんで軽く持ち上げて、ぱちりと片目を瞑ってみせる。彼の表情は、すでにいつもの飄々としたものに戻っていた。
「まあ、それがきっかけで、僕は心霊研究をするようになったんだ。ほら、本物の千里眼の能力者がいるとなれば、彼女を含む能力者達の汚名も、少しは
当麻はふふっと笑った。
そんな当麻を見て、藍次は自分と少し似ていると頭の隅で思った。清一の無念を晴らすために幽霊騒動を起こした己の行動も、結局は自己満足だった。
戻らない過去に、届かなかった己の手に。何かできることはないかと動いていないと、後悔に潰されそうになる。忘れてしまえば楽なのに、忘れたくないから足掻いている。
奇妙な男の本音……彼の本物の部分を覗いたような気がして、藍次はむず痒い気持ちになった。当麻への意識も同時に変化していく。
――あんた、案外いい奴だったんですかね。
声にはせずに、藍次は襟巻に口元を埋める。
折りしも、視界に白い雪がちらついた。綿毛のような雪の欠片は、襟巻に付いてすぐに水滴となって消えていく。
水だと透明で見えないが、雪だと白く見えてすぐに分かる。
こんな風に簡単に、幽霊やら未来やらが見えたら、こんな苦い思いをしなくていいのかもしれない。
降る雪のはるか上を見上げる藍次の隣で、当麻もまた空を見上げる。
「冷えてきたね。温かいものでも食べて帰ろうか」
「奢りなら付き合いますよ」
「君、毎回それだな」
当麻は苦笑しつつも、否とは答えない。
「まあいいさ。奢った分、次の依頼もちゃんと手伝ってくれよ」
「あんたも毎回それですね」
くくっと喉の奥で笑った藍次も、否とは答えない。
それが答えなのだと口にしなくても分かる関係に、二人はなっていた。
大正オカルト異聞 黒崎リク @re96saki
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