20.夜の闇へと
大垣基地
正紀28年(西暦2004年)7月18日(日) 午後10時
「全員整列!」
分隊長である能勢の掛け声に、分隊員が一斉に踵を突き合わせる音が響く。
能勢軍曹のを含めた第88偵察大隊第3中隊第2小隊第1分隊の分隊員12名が一列に整列していた。
「これより我が第1分隊は夜間哨戒任務に就く」
そこで一度言葉を切った能勢は、航をはじめとした新兵たちを注視する。普段から任務前に訓示は行われているが、特に航たち三人に言い含めたい時の仕草だった。
「お前たちは、既に何度か国境地帯の哨戒任務に参加しているが、今までの経験は全て忘れろ。昼間と夜間での任務は全くの別物だからだ」
いつの時代であっても、暗闇というのは人間にとっての天敵であることは変わらない。現代において人工の明かりを手にいれた今でも、軍隊にとって闇を照らしだす光源は相手に自らの居場所を教える諸刃の存在にもなるのだから。
「なによりも、亡命者たちの大半は夜の闇に紛れて行動する。お前たちが分隊に配属されてから今まで一度も亡命者に遭遇しなかったのは、それが昼間の任務だからだ。
ある意味で行う夜間哨戒任務こそが、本当の任務であると肝に命じろ!」
「はいっ!!」
航たちの返答が揃っていることに、及第点だなと頷く能勢。
「よし! では、第1分隊任務開始!」
能勢の号令の下、航は闇夜の世界へと足を踏み出したのだった。
* * * * *
同時刻 名古屋市内ホテル
まさに宴もたけなわという状態に盛り上がっていた会場は、主催者の音頭によって解散の流れへと変化していった。
すでに日付変更も近い時間とあって、多量の酒を飲んだ参加者たちは千鳥足になっているものも多かった。
無理もない。参加者の年齢が壮年から老年期の世代で構成されており、若い頃のように夜通し飲んで騒ぐことを懐かしむような世代となっていた。
中には、ここからさらに気の知れた者同士で二次会へとしけこむ剛の者もいるのだが、そういった人間はもはや少数派となっていた。
それどころか、酒で火照った身体での帰宅を諦めそのまま会場となっているホテルへと泊まる者たちすらいた。
陸崎巌もその一人だった。
戦後、定期的に開催されてきた解放戦争軍人戦勝記念会は今年で28年目を迎えていた。なにやら大仰な名前が付けられているもののその実態は戦場で苦難を共にし、地獄から生還したものたちの同窓会に過ぎない。
年数回の頻度で開催される会では、みなが若き日の戦場を思い出しながら苦楽を語り合える者たちと羽目をはずして騒いできたのだった。
参加者が年齢を重ねるにつれて少しずつ、馬鹿げたどんちゃん騒ぎではなくなってきたものの、やはり箍が外れてしまいやすいのは変わらなかった。
たっぷりと酒が入って、赤らんだ顔をしながら巌は挨拶周りを済ませると会場を後にした。この宴会の幹事でもあるかれは、この後にまだ控えている行事があった。
ちらりと、後ろを振り返り会場を見ると、名残惜しそうに残っていた参加者たちも徐々に散りつつあった。そうした人の流れに自然に溶け込むとかれは自分が泊っている部屋のあるフロアへとエレベーターで移動した。
目的の階へと到着したエレベーターのドアが開いた時、先程までの赤ら顔で陽気に振舞っていた陸崎巌は消え去っていた。
先程の会場にいたものたちが巌の顔を見たら、これから戦争でもするのかと思ったに違いない。今の巌の表情は戦場でかれがしめした顔つきそのものだったのだから。
宿泊している部屋の前を通り過ぎると、突き当りにある会議用の部屋へと足を踏み入れる。
「……私が最後だったか、遅れてすまないな」
ぐるりと室内を見回した巌は謝罪した。会議室のテーブルは既に二つを残して埋まっていた。席についているものたちは皆先程まで、飲んで騒いでいた者たちだ。
アルコールの匂いは誤魔化せないものの、かつて体験した戦場と同じ顔つきをしていた。
「失礼」
巌に一番近い場所に座っていた二人が、巌の身体を念入りにチェックする。盗聴器をつけられていないかの確認、そして録音機器なども携帯していないかを調べる為。
金属探知機を全身にかざされる。反応を示した箇所がひとつ。左手に付けられた腕時計だ。
巌は無言で腕時計を外すと、部屋の入口の横に置かれている金庫の中へとしまい込む。
これは、かれらの会合のルールだった。
自分たちの話す内容の危険さを熟知しているかれらは常に慎重に事を運ぶ必要があるのだから。
巌は、空いている二つの席のひとつ、一番奥の上座にある席を避けて着座する。
これもまた、かれらの会合のルールだった。
常に上座は空位に、誰もが横一列で平等な存在であるとしめすための。無論だれもが口にしていないものの、実質的な指導者が巌であるというのは皆が承知していた。
実績も名声も、この場をまとめることが出来るのはかれ意外にいないのだから。とはいえ、儀式は必要だった。歴史に詳しいものなら、このルールが
「……では、『夜会』をはじめようか」
卓上に用意されていた水を一口含み、残ったアルコールを意識的に追いやると、巌は秘密会合の開催を告げる。
『夜会』は解放戦争軍人戦勝記念会を隠れ蓑にして定期的に開催されている。
その目的はただ一つ。共和国、ひいては日本という国の歪みの是正。
だからこそ、かれらは常に慎重に行動しているのだ。このたくらみが露見すれば、その代償が命となることは間違いないのだから。
「――では、まずは私から」
巌の横に座った白髪交じりのオールバックの男が立ち上がる。
「先日ついに“チェリーブロッサム”の能力が顕現しました」
オールバックの男は努めて感情を失くした表情で告げる。その報告に、おお、という声があちこちから漏れる。
「では、これで“アザレア”“スノーホワイト”に続く三人目ということですな?」
「……ええ。今後を考えても、やはり本命となる濃尾方面での覚醒者が確保は必要不可欠でしたから」
ぐっと唇噛みしめながら、オールバックの男は理屈だけを語る。感情は全くの別であるというのは誰の目にも明らかだった。
「………」
だが、参加者の誰も今更、慰めの言葉など口にはしない。誰もが、この国の現状を変えるために自らが犠牲になる覚悟を決めているのだ。他人の覚悟に口をはさむことなどもはや、男への侮辱ですらあると。
ぐっと握りしめた拳が、どんな状態か知っているのだからこそ。
「現在、桜花計画は順調に進んでいる」
盟友の覚悟を誰よりも知っているからこそ、巌も感情を排した口調で先に進める。
「理想は七人全員の覚醒だが、それも状況次第で変化することを肝に銘じてほしい」
巌の言葉に全員が頷く、そんなことは百も承知だとその表情が語っていた。参加者たちのその態度は頼もしさすら感じる。
この計画が始まった時からここにいるみな、一蓮托生なのだから。
「……間もなくだ。間もなくこの日本に、真の夜明けをもたらす時がくるのだ」
日本という国が歩んだ歴史、その帰結と現在の歪みがみなの脳裏に浮かぶ。
「思えば、この国の夜明けは黒船という外からの力によってもたらされたものだった。そうして開国を果たし、世界に触れた我が国は結局すぐに大英帝国の思うように利用され、虚栄の繁栄を築き。米国との戦争ですべてを失った」
太陽の沈まない帝国。
大英帝国と大日本帝国。二つの帝国が並びたっているなどと、どうして勘違いしてしまったのか。大日本帝国という虚像は、英国と利権を分かち合う形で行われた亜細亜進出によって手に入れたに過ぎない。
ただ都合よく利用されただけなのに、第一次大戦、第二次大戦と続いた日英同盟が第三次大戦でも続くのだと信じ込んでしまったのか。
その幻想は、米国との関係悪化から太平洋戦争へと突入した時、米国への戦時国債を理由にした英国の不参戦という最悪の形で崩壊した。
「……そして、瓦礫の中から再び築き上げた繁栄は日本人同士の争いという悪夢によって失われた」
ここにいる人間はみな日本戦争での従軍経験があるものたちだ。
「その結果はみなもよく知っているだろう。ふたつに分断された日本の歪みはもはや、どうにもならないところまで来てしまっている。我々が誕生に手を貸してしまった共和国は、日本人に牙をむく化け物へと変貌してしまった」
その人間たちが、自ら手を汚して手にいれた
「だから……今度こそ、我々の手で日本の夜明けを成し遂げるしかないんだ。これ以上無駄な血を流さないためにも」
日はまた昇ると信じているからこそ、かれらはここに集っている。
そう、明けない夜はないのだから。
第1章『共和国の憂鬱』fin
次回 第2章『銃口の先には』
分断国家日本 ~東日本が日本共和国として独立した世界で~ 蔵王 @zao_yorube
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