「E.F.W」の前日譚

金時草

Episode0 前日譚


2021年長月(9月) 都内某神宮内宮


 21世紀の日本の首都にあってなお、神聖な空気を纏う神宮の森の奥。人知れず佇む古式ゆかしいお宮・・の奥で、今宵、急な会合がひらかれていた。


 清潔に磨き上げられ神氣しんきが張り詰めるような奥宮の板の間には、とうばかりの影が燭台の灯りを受けて揺らめいている。人のなりをした影もあれば、異形いぎょうの影もある。それらは座したまま、お互いの額を突き合わせるように前屈みになりつつ、唸るような声を漏らしている。


「――なんと……日野原の当主と跡取り、郎党までもが揃って敗れたじゃと……相手は小宅益子のオオミズチではなかったのか?」


 ひときわ大きく驚愕と疑問の声を上げるのは、平安貴族を彷彿とさせる束帯そくたい装束の恰幅の良い老人。


 対して、


「たしかに。ミズチはたとえ古くきわまったとしても弐等にとうに届かぬ参等さんとう止まりの妖蛇。蛇である故にしぶとく、その点は苦労する相手だが、そうであっても壱等式いっとうしき式家しきけ日野原の当主斉昭なりあきらが後れを取るとは思えない」


 と応じるのは、狩衣姿に太刀を履いた赤ら顔の武人のような壮年の男だった。この武人風の赤ら顔は更に


「さては日野原め、相手を参等風情とあなどり油断を――」


 と言い募り掛けるが、そこで


「決してそのような事はないぞよ!」


 遮るように声を荒げた者があった。


 勢い、場の面々の視線が声の持ち主に集まる。そこには、座布団の上に姿勢正しく端座した白い女狐の姿があった。長い歳月を生き抜いた狐なのだろう、白い体毛はやや黄色味を帯び、その尾は先で九つに分かれ、その先端の毛は朱色をしている。


 そんな白い九尾の老狐が、低く唸るような声色でもう一度、


「決して、そのような事はない」


 念を押すように言う。


 一方、言葉を遮られた武人風の赤ら顔は、狐の言葉が気に入らないらしく


「ならば何故オオミズチ程度の妖蛇に敗れたのだ?」


 と、煽るように余計な事を言う。


 それで、


「命を賭して勤めを果たしたわらわの子らをそしる事、断じて許さぬぞよ!」

「許さぬ? 許さぬのならどうするという?」

「おのれ、建御雷たけみかづちの分霊如きが――」


 九尾の老弧が怒りを発し、その背後に無数の青白い狐火が現れる。


 一方の武人風の赤ら顔も腰の太刀に手を掛け、それを合図に細い紫電が蜘蛛の糸のように床の上を這い回る。


 不意に立ち起こった一触即発の事態。それを慌てた風に仲裁したのは……丁度二名の正面に座っていた白色の大鼠おおねずみだった。


「まぁまぁ來美穂の方くみほのかた、ご心中は察するに余りあるが、今は伊勢様いせさまの御前なのだ。ここは抑えるのだ。それに椋之御雷むくのみかずち殿、今のはおぬしが悪いのだ。おのこの神とて惻隠の情を持たぬ者は民に見放されるのだ」


 その大鼠は両手を前に突き出して、九尾の老狐(來美穂の方)へ「まぁまぁ」と宥めるような仕草をしつつ、その一方で武人(椋武御雷)の方へはしかような声を発する。


 それで、來美穂の方は狐火を収めて上座に位置する「伊勢様」と呼ばれた女へしおらしく・・・・・頭を下げる。一方、武人の方は赤ら顔を殊更真っ赤にしつつ面目無さそうな顔つきで「済まぬ事を申した、御免」とボソリと呟いた。


 と、ここで束帯装束の老人が再び口を開いた。


「しかし……少彦名スクナビコナ殿、壱等式者いっとうしきじゃと精々が参等止まりの妖蛇では差し違える道理がありませぬ。一体何があったのやら――」


 そんな束帯姿の老人の疑問に答えるのは大鼠(少彦名)ではなく九尾の老狐(來美穂の方)だ。


「……あのオオミズチめ、龍に成りかけておったぞよ」

りゅう……ですと。いや、まさかそのような事が……もしや、來美穂殿は日野原とその龍に成りかけていたオオミズチの戦いをご覧になったのか?」

事代主ことしろぬし殿……如何にも、わらわの千里眼で……」


 それから九尾の老弧が語る戦いの模様は壮絶であった。


*******************


「――最後は、斉昭なりあきらそく斉正なりまさがが全身全霊の力を注ぎわらわを式神として戦場いくさばに召喚してのけたぞ……しかし……しかし、遅かった……妾が龍成りゅうなりの蛇虫めを噛み殺し焼き尽くした頃には……」


 九尾の老弧、來美穂の方は事の次第を語り終えると「コン、コン」と嗚咽を漏らす。


「あ、天晴あっぱれなり! なぁ、そうであろう事代主ことしろぬし殿よ、少彦名スクナビコナ殿もそう思わぬか? 大山津見おおやまつみ殿もそう思うであろう。よし、この椋之御雷むくのみかずちが日野原親子とその郎党達の武勇を後世に語り継ごうではないか。だからなぁ、來美穂殿、泣いてくれるな」


 先ほどまで一触即発のにらみ合いをしていたとは思えない椋之御雷むくのみかずちの鼻声と化した大音声だいおんじょうも、どこか空回りしてお宮の闇に溶けていく。


「……今月に入って八つ目の祓い事を終え、息つく暇なく舞い込んだ九つ目がくだんのオオミズチということか」


 束帯姿の老人 ――事代主ことしろぬし―― は聞き及んだ話をまとめると「疲れておったのだろう」と呟く。


「ソモ、小宅益子ノオオミズチノ封印ハ儂ノ氏子ノ金石かないわ家ノ縄張リデアッタナ……金石ノ家ノ断絶ガコノヨウナ仕儀ニ至ルトハ……アイスマヌ」


 とは、座布団の上に鎮座した苔むした岩 ――大山津見おおやまつみ―― の言葉であるが、この言葉が今の日本の隠された問題のひとつの側面を端的に物語るものであった。


 昭和、平成、令和と世が移り変わるにつれ、人々の生き方は多様化した。その結果、人の世に仇なす強力な「あやかし」「鬼」「荒神」のたぐいと対峙しうる者達の血脈 ――「式家」「式者」―― の数は先細りの一途をたどっている。早い話が人不足、後継者不足なのだ。


 他方、「日本」を霊的に守護する神々の大結界 ――葦原中津国あしはらのなかつくに根固乃秘儀ねがためのひぎ――は、人々が神々へ向ける信仰心の弱まりに比例して力を弱めるばかり。


 弱くなった大結界を補強する神事・祭事を司るのは、前述した人不足・後継者不足に陥った「式家」「式者」の者達である。


 同時に、人不足ゆえに個別の管理が行き届かなくなった封印を破り、突然暴れ出すオオミズチのような古代の「あやかし」「鬼」「荒神」等に対応するのもまた「式家」「式者」の者達となる。


 更に近年は過度に発達した情報化社会の影響か? それとも長く続いた不況の影響か? とにかく、人の社会に「穢れ」や「瘴気」が溜まりやすい状況になっている。それらの「穢れ」や「瘴気」を取り去るのもまた「式家」「式者」の役割となっている。


 今はまだ表に現れないが、日本を取り巻く大小様々な「裏の問題」への対応は全て「式家」「式者」の者達に掛かっている。つまり、完全に負荷が過剰な状態だと言える。


 当然の帰結として、過剰に蓄積した負荷は予期しない事故を引き起こす。


 そして、有能な者から順に居なくなっていく。


――このままでは、近い将来取り返しのつかない事態に陥る――


 それが、日本の将来を憂う神々の共通認識であった。


 ただ、認識はあっても対処は困難を極める。端的に言えば「式家」「式者」の数を増やせばよい、となるのだが、そんな事が簡単に出来るならばとっくの昔にやっている。


 ならば、神への信仰を取り戻そうと表の世界の伝手を頼り「パワースポットブーム」等を作り出してみたが、効果は一過性のものに過ぎなかった。


 しかし、全く対処の方法がない訳ではない。実は「或る提案」が外部からもたらされていた。その事を、今この場に居る面々は知っているのだが……


「……」


 奥宮の板の間に沈黙が流れる。誰がそれ・・を言い出すか? それを探り合っているような空気だ。


 とここで、これまでひと言も発しなかった者が口を開く。その者は人の姿で墨引きの僧衣に袈裟を纏った僧形そうぎょうであるが、身体が小さく、対して異様に頭が大きい。


「今年に入り、有力式家の断絶は既に二つ、式者の死は参等式以上に限っても十二人。郎党を含めれば二百に届く……やはり、外津神そとつかみの御使いが持ち込んだあの提案・・・・に乗るしかあるまい……」


 巨頭の僧はそう言うと居住まいを正して大きな顔を上座へ向けると、


大日霊之乙比咩おおひるめのをとひめ様に申し上げます。先に外津神そとつかみの御使いガブリエル殿が持ち込んだ提案を受け入れるのが最善の策かと思われます」


 恭しく奏上する。


 対して「伊勢様」と呼ばれた見目麗しい女性 ――巫女のような水干すいかん装束に白い唐衣からころもを羽織っている―― は、その言葉に頷くと、


葦原中津国あしはらのなかつくに根固乃秘儀ねがためのひぎが生じる封魔の力を高位の脅威に集中させ、他方、結界から漏れた低位の怪異に対しては『すまーとふぉん』の『あぷりけーしょん』を配布し、在野の力を持つ人々に対処を任せる……その間に式家は力を養い、高位の脅威に備える……でしたか?」

「いかにも、仰る通りでございます」


 問い掛けに巨頭の僧は頷く。


「分かりました思金おもいかねの助言を受け入れましょう」


 伊勢様(大日霊之乙比咩)はそう言うと、この場の面々の表情を確かめるように視線を巡らせ、


事代主ことしろぬし殿、この事を出雲殿いづもどのに連絡してください。あわせて今年の神在月の神議かみはかりで決を採りたい故、地祇ちぎ達に根回しを行うのです」

「はい……今回は伊勢様もおでで?」

「勿論」


 先ずは事代主へ身内の調整を任せる。次いで伊勢様は、


思金おもいかねは、ガブリエル殿への返事を……後は宮内くだいを通じて政府の者共との調整を任せます。彼等に協力してください」

「御意に」


 思金にそう指示する。そして、


大山津見おおやまつみ殿と椋之御雷むくのみかづち、それに來美穂の方くみほのかたは思金に助力してください。恐らく、在野ざいやの者達には戦う力と分かり易い報酬が必要。戦神たる椋之御雷の力、術の法理を司る來美穂の力、そして金銀を生じて財を与える大山津見の力が必要になるでしょう」

「承知。助力ハ惜シマヌ」

「任された」

「御意ですぞよ」


 座布団の上に鎮座した岩、赤ら顔の武人、九尾の老狐はそれぞれに頷く。


 その様子を満足気に見取った伊勢様は最後に残った面々に対して、


「他の者達は少彦名殿を中心に『あぷりけーしょん』への協力を頼みますよ……」


 と申し伝えた。


 結局、この夜の会合はこのようにして終了したのであった。


*******************


 都心にそびえる数多あまたの高層ビル。その中でも、最近開業した「ジグラート赤坂スカイタウン」は地上82階、地下4階、高さ約410mを誇る、日本で最も高い超高層ビルだ。


 その超高層ビルの最上階に位置する部屋はアラブ系資本が運営する高級ホテルリゾートのVIPルームになっている。広大な面積を誇るフロアを贅沢にも4分割し、夫々それぞれの部屋へは63階から別々の直通エレベーターが通っている。


 室内の装飾は高級感を保ちつつも、落ち着いた雰囲気にまとめられ、ともすると「物足りない」と感じる程度。しかし、そんな装飾の物足りなさが気にならないほどに目を惹くのは、一面がガラス張りになった巨大な展望窓だ。


 見下ろせば、遥か下方に国会議事堂や霞が関の官庁ビル群、そして皇居までも。およそ日本の中枢が全て足元に見える。そんな展望窓の前に、この日幾つかの人影があった。


「人はいつまでたっても高い建物が好きだな」

「それにしても、この東洋の果ての国にジッグラトとは」

「そう言うな、日本人のセンスだ。それに、アラブの地では『バベル』にも似た高層ビルを建ててしまったのだ。人の本質は傲慢なままだ」


 展望窓から下界の光景を眺めつつ、そんな会話を交わすのは2人のスーツ姿の男。どちらも背が高く、顔は整った彫の深いアラブ系とでもいうべきか。1人は日の光を受けて赤色にも見える金髪の巻き髪。もう1人はアッシュグレーの短髪だ。


 と、そんな2人に背後から話し掛ける者がもう1人。


思金おもいかねから返答があった。我らの提案を受け入れるそうだ――」


 声の主は長い黒髪の……女性だろうか? その言葉に、赤金色の巻き髪の男が振り向く。そして、


「そうか……2千年来、我らを拒み続けていたこの国の『神の結界』が遂に解けるか」


 感慨深そうにそう言う。対して黒髪の人物は、


「そうだな。しかし、結界は張り直されることになる」


 と言うが、その言葉にはアッシュグレーの短髪の男が応じる。


「そうだろう。しかし、この規模の結界だ。軽く3年は掛かる。その間、張り直す過程をじっくりと見させてもらえば、それで十分」


 そんな言葉に黒髪の人物は「そうか」と短く答えると、踵を返す。その表情はどこか「憂い」を帯びていた。


「ん? どうしたガブリエル?」


 赤金色の巻き毛の男が怪訝そうな声を発する。


「事が動き出したのだ、この場に居ないウリエルにも伝えなければなるまい」


 ガブリエルと呼ばれた人物は、自分の表情を悟られまいと歩きながらそう答える。そして、3歩ほど進んだところで、掻き消えるように姿を消した。


「……堕天の……匂いがする」

「気にするなミカエル。アイツのアレはいつもの事だ」

「そうだな、ラファエル……いつもの事だ」


 残された2人はそう言い合うと、窓の外へ視線を戻すのだった。


______________________________

お読み頂き有難う御座います。


「E.F.W」 ~目付きの悪いオッサン予備軍の俺、謎のスマホアプリを手に入れて人生が変わりました~


の導入部分を短編として本編から切り離しました。


導入部分が「ちんぷんかんぷん」なんじゃないだろうか? という反省と、1話目と2話目のPVの落差が凄かったので、敢えてこうしてみました。


本編の方には変更ありません。

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「E.F.W」の前日譚 金時草 @Kinjisou

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