東風

めいき~

東風(こち)

溶けない春は、何処までも容赦のないもの。



まだ、薄暗い夜明け頃。最期の雪が溶けかけて、キラキラと反射して僅かに光る。

鉄棒の上にうっすらと残り、その下の雑草達に朝露となって恵みをもたらす。


そんな、雪が微笑んでまた来年と囁きかける最中。


待ち遠しいとばかりに、春を切望する鳥や植物達の祝福の声が聞こえてくる。



そんな、公園で一人座り込む。



この世の終わりの様な顔をして、自分には来年は無いのではないかと。

自身が作り出した不安という幻に、押しつぶされそうになっていた。


老人はもう、半分以上見えていないその眼でしわがれた両手を見た。



何故、自分が生きているのだろう……。



ここ最近、毎日同じことを自分に問いかけていた。

かつて、今自分が座っている場所でつくしと一緒に遊んだことを思い出し。

かつて、今自分がいる公園で恋人に告白した事を思い出す。




幸せな時間は、すぐに終わる。

楽しかった時間も、すぐに過ぎ去る。



孤独に苛まれ、ここに座って居れば寒さで迎えがくるかもしれないと。




不治の病で消えて行く命を見つめ、何故変わってやれないのかと病室では努めて笑う様にして。影で壁を叩いて、穴を幾つもあけていた。



骨をおさめるその時まで、笑って送るんだと手が白くなるまで握りしめ


葬儀が終わるまで笑って送り出すつもりだったのに、ちっとも笑えやしなかった。

ただ俯いてたから、自分の涙で作ったシミのある床だけの記憶。



その後、二年もしないうち。妻も、トラックに……。



あれから、幾度春がきて冬が来て。遺影の二人は若いまま。

自分の姿だけが年を重ね、それでも二人の幽霊でも会えるんじゃないかとここに来て。


寒さが、自分の命を奪ってやくれないかと嘯いた事も一度や二度じゃない。

ただ、毎日を屍の様に生きて。変わっていく街並みと、変わらない遺影の間を行ったり来たりしているだけ。


女々しいなと思いながら、好きだった果物を買ってきては安かったんだと呟く。

どうせ、一人しかいやしないのに。「季節のものは、ウマいよな」なんて。


つくしは、いつも果物が好きだった。だから、時々動物の形にきってやる。

それまで、自分は不器用で全然包丁触るのも苦手だったさ。

それでも、喜ぶ顔が見たくて手をきりながら練習した。



ふと、いつもの公園でいつもの椅子に座って居たら。野良ネコに、懐かれて。



爪を切っては、マグロの赤身とキャットフードを与え。

首輪をつけて、洗ってやった。


優子は猫が好きだったから、きっと拾ってくるだろうなと。

自分が最初に送った、ラブレターは猫のシールで封をしたはずだ。


あの時は、買いに行くのも恥ずかしかったなと昨日の様に振り返る。

過去には何もないのに、未来を見るのがつらかった。



だから、毎日ここにきて。あんなことがあったと思い出しては、今日大地を強く踏みしめていく為に。家で眠りこけている、あの時懐いた猫も、最近はすっかり年をとって体も爪も丸くなりやがる。



この公園も、無くなってしまう事が決まっている。



だから、まだある内にこの公園に。




自分の前から、自分の大切なものだけドンドンと先に亡くなっていく。

つくしが、なんで私の名前はつくしなの?と尋ねられ。


「そりゃーおめぇ、つくしは春に顔を出す植物だろ?冬の様な世間にも負けず伸びて行けって意味でつけたんだよ」



いつか、伸びていったら春だって拝めるだろって思ってたんだ。

そのいつかなんて、来やしなかったが。


それを名付けた、親父の方が萎れてちゃ世話ねぇ。



優子と初めて行った場所は、確かしょうもない弁当屋だったな。

二人で行く場所決められなくて、昼になっちまって行った先の弁当屋が更に最悪で唐揚げとちくわ天しか具がねぇでやんの。


「次から場所決めていきましょ」って言ったのも昨日の様に覚えてて。

二人して、無計画でテンパってただけだった。


しかも一個がバカにデカくて、蓋が閉まらなくて。

おまけに俺ら気合いれた服きてたから、余計に並ぶ時にういちまって。


弁当屋に、えらいからかわれたな。


ふと見上げれば、まだサクラは蕾。


「まだ、さみぃな」そんな声が、自然に出て。

毎年、雪の様に花が降り。つくしと優子と三人で見上げた筈の夜桜を、一人で毎年見上げてた。




ー無かった未来を、毎年見上げてきたんだー




今は、朝だが眼を閉じればすぐそこに。手を伸ばしたら直ぐ昨日の様に、あの時は希望も沢山降りそそぎ。


違うとすれば三人の親子が、笑顔で目の前の道を通ってったのが見えただけ。それなりにお洒落をした母親とまだスーツに着られてる様な父親と、幼稚園の青い服とな札と黄色い帽子をかぶってリボンの真ん中が赤って事は薔薇組かなと想いを寄せた。


つくしは、サクラ組だったな。


自分もつくしと優子と三人で、ああやって並んで歩いたっけと。

子供がご機嫌に歌っている歌が、誰にも聞こえないような小声で口をつく。


優子もつくしも楽しそうに歌っていたが、俺は照れ臭くて横歩いてただけだった。

同じように、似合いもしねぇスーツ着て。つくしにネクタイなおしてもらって余計にひん曲がって。それを、優子がしょうがない人ねとまたなおしてくれたんだっけか。



そう思ったら、また自然と泣いていた。

年食ったから涙腺が緩んだんだと言い訳して、誰も見ていない場所で。


風がそっと、頬を撫で。

土のにおいを運んでくるが、俺に春を運んできてくれる訳じゃねぇ。



笑顔の親子がこっちを見て、軽く会釈をしてった。

近所に住んでて、俺も挨拶するだけの仲だけど。



もう、こんな時代だ。挨拶してもらえるだけで、ありがてぇと思わなきゃな。

こんな、死んだような爺だけ生きのびて何になるんだろう。



そう思う度に、東風(こち)が春を運んで来やがるんだよ。

雪は優しく溶けていくが、俺の辛さは溶けやしねぇ。





ーーずっと、あの時のままなんだーー





重たくなった体を、ゆっくりと動かすと。

まだ俺はくたばらねぇのかと苦笑いし、頑丈に生まれた事に少しだけ怒りがこみ上げる。


歳だけ食って醜くなって、しわが手にも顔にも増えたけど。

中身は空っぽ、あの頃のまま。


焔影の様に、揺らめいて燻っていく。

空の人間の中に、ほんのりと光る蛍を瓶に入れただけの様な弱々しい光。


それが、誘蛾灯の様に自分を導いてきた。


季節の変わり目は強い風が吹き、雨戸を殴りつける様な音がして。

電線が撓んでは揺れ、室内からでもその力強さを教えてくれる。


そんな強い風に、ただ飛ばされそうに必死にその身を抱きしめ。

うずくまり、死にたいのに飛ばされまいと必死な滑稽な自分に気がついて。


また、静かに息を吐きだした。


自分の胸が上下し、か細いまるで水風船に針で穴をあけた時に零れる水のような小さく細い息をゆっくりと。


春の息吹はいつも、力強い草木の命を感じる事が出来る。

そして、また一年たったのかと。未練たらたらで、この公園の椅子に座って。

丸まっている、猫のぬくもりを感じながら。


俺の人生は未だ冬景色、だけどこいつにゃ少しでも幸せでいて欲しいと願う。

最後の家族で、最後の未練。



春よ来い、早く来い。


猫には冬はきつ過ぎる。

俺には春もきつ過ぎる。



ーーどうか、最後は幸せな記憶をーー



延命治療や痴呆で、この大切な想いを失ったのなら。

俺は、俺として存在できてねぇ。どんなに辛くても、どんなにやるせなくても。

どんなに、幸せでなかった人生だったとしても。




だから、家族の背を撫で。

くるりとこちらを向いたが、すぐにまた丸くなる。



この公園で、過去を振り返り。

この椅子から見える、雑多な景色や他人の家の樹で花が咲くのを見る度。




雪解けと朝日できらめく、その土に。

仄かに、まだ歩けと言われている気がして。

ふらふらと、生きる。桜真風(さくらまじ)は、まだかと幾星霜。



もう、古くなって角が腐って折れているベンチ。

その真ん中に、ハンカチ敷いて。

人間見てぇなベンチだなと、思わず零す。

縋りつく様にも、雑草と小さな花が寄り添って



ただ座って、今年を始める。



「おめーらの春は、温かいといいな」


家族がもう消えてしまった道に向かって、老人の言葉は消えて行った。




世の中、温かい春ばかりじゃねぇ。俺の春は、ただ毎年。

誰かの幸せな姿をみる度、よく冷えやがる……。






<おしまい>



※本来の意味は、春の季語で雪を溶かして花を咲かせる。春に吹く東風

※冬の世界に生きる人には、春の世界が良く見える。

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