第25話
「キャロル、体調はどうだい? 寒くはない?」
「殿下、そんなに心配なさらないで。このヴェールのおかげで、まったく寒く感じませんのよ」
校内の廊下を柔らかい日差しが照らす。そんな中、心配そうな顔で肩を抱いてくるセレスタイン殿下へ、キャロルは令嬢らしく静やかに微笑んだ。
「キャロル、段差が」
「殿下……、段差のたびにわたくしを抱き上げていては、殿下が疲れてしまいますわ」
「ふふふ、大丈夫。キャロルは羽根のように軽いから」
別の時には、廊下と廊下の境い目でふわりと抱き上げられる。抵抗を忘れるほど自然なその動作は、見事としか言いようがなかった。
「風が強い。教室に居た方が」
「殿下……、あの、わたくし、お手洗いへ……」
「そうか、まかせて。すぐに着くよ」
また別の日には、お手洗いへ行こうと教室から出ただけだったが、見事に抱き上げられた。
殿下がどれだけキャロルを大事にしているのかが分かる行動に、教室の生徒たちは感嘆の息を吐く。
仲睦まじい二人の様子に、セレスタイン殿下を狙っていた令嬢も、キャロルを快く思っていなかったどこかの令嬢も、諦めたように息を吐いた。
とはいえ、キャロルに対する周囲の反応はそれなりに悪くない。小さいというのはこの冬の国でとても有利なのだ。
だがしかし、キャロル本人にとってはそんなことなどどうでもよかった。
環境が変わることについては別に構わない。それよりも、もっと重要なことが、彼女にとっての問題だった。
「……兄者」
「なんだいキャロル」
「殿下との距離が近すぎるんじゃがどうにかならんか」
「無理だと思う」
「なんでじゃ! なにがどうなってこうなったんじゃあ!」
キャロルは全力の小声で叫んでいた。
なお、ようやくセレスタイン殿下に用事が出来て、兄者と二人きりで放置されることが決定した瞬間これである。
一応、近くに兄者以外の誰もいないのを確認しての行動なのだが、それにしたって彼女の口から出る言葉は、いつものことながら令嬢らしからぬ粗野さだ。
仕草や表情などはちゃんと令嬢のそれなのは、母の教育の賜物だろう。
最近は殿下の付けた護衛が常に彼女の近くに居るので、いつでもどこでも、外ならば条件反射で令嬢らしく振る舞えるようにしておこう、という母のその判断は正しかったと断言出来よう。
「キャロルが年一で定期的に変な事件や事故に巻き込まれてるからだと思うよ」
「ワシかて巻き込まれとうて巻き込まれてんとちゃうわ! 不可抗力じゃ!」
「あぁ、うん、まあ、そうだろうね」
面倒くさいなあ、という感情を頑張って引っ込めながら、兄者は普段通りに、とても穏やかに微笑む。
「ワシが何したっちゅうんじゃ! なんもしとらんぞワシぁ!」
「でも今回ポケットにミミズとか虫入れてたのはキャロルでしょ」
「まだミミズしか入れてませんー!」
本来はミミズじゃなくて、キャロルの生活必需品である目薬を入れるためだけに付けられたポケットである。
キャロルのための、特注で作られたドレスであるがゆえにポケットがあるのだが、前回はそれのおかげでキャロルがミミズを持っていたなど誰も思わなかった。
なにせ、令嬢のドレスにはポケットなど無いのが通常。
荷物になるような物は教室に置いておき、必要な物は従者に持っていてもらうのが貴族令嬢の常識である。
「ミミズ入れてんじゃん」
「なんでミミズ入れたらあかんねん」
「令嬢は普通入れません」
真顔のキャロルに対して、兄者も同じような真顔で答える。
誰がミミズをポケットに入れている令嬢が居るなど想像出来るだろうか。どれだけ庶民的な、平民から貴族へ成り上がったようなご家庭の令嬢でも、ハンカチに包むくらいはするだろう。
素のままのミミズをポケットに入れているなど、世間一般では正気の沙汰ではない。
ダメか、ダメじゃないかと聞かれると答えるのは難しいが、令嬢として、という前提がつけばダメとしか言いようがなかった。
「だってめちゃくちゃ立派だったんだよ!?」
「うん、立派でも普通はしないからね」
「なんで!?」
なんでじゃねぇのよ。
「当たり前に気持ち悪いからだよ」
「ミミズ舐めんな! 土がめっちゃ素晴らしい証拠やねんぞ!」
「そんなミミズをポケットで無惨に殺しておきながら……」
「それに関してはとても申し訳ないと思っています」
「ポケットにミミズ入れることも申し訳ないと思おうよ」
「なんで?」
いやなんでじゃねぇのよ。
「泥だらけのポケットを洗う羽目になったサマリーが可哀想だと思わないの?」
「泥は入っとらん。砂と小石なら少々」
「ポケットからゆっくりと茶色く汚れていくドレスを見て悲鳴を上げてたよ、サマリー」
「なんで?」
ものすごく不思議そうな顔で首を傾げるキャロルに、兄者はとうとう、スンっとした顔になってしまった。もはや全てを諦めた表情である。
「…………うん……もういいや……」
「えええええなんでえええええ?」
いやだからなんでじゃねぇのよ。
「それよりも、今は殿下なんよ」
「…………あぁ、うん。頑張って諦めたらいいと思うよ」
「なんでじゃ! 兄者薄情過ぎん!?」
頑張って必死に訴えているキャロルだが、兄者としてはなぜそんなに問題視しているのか分からず、不思議そうな顔をするしかない。
「だって殿下、すごく真剣にキャロルを守ろうとしてくれてるんだよ」
「トイレくらいひとりで行きたい」
「がんばれ」
「なんでじゃ兄者ぁあああ!!」
半泣きである。
「なんでって、キャロルも嬉しそうにしてたじゃん」
「そりゃ殿下と一緒に居たらなんでか花粉症出ねぇもん!」
「だったら別に良いじゃん」
本当になんの問題があるのかさっぱりな兄者は、不思議そうな顔で首を傾げた。
「良かねーわ! 殿下めっちゃ近いねんぞ!」
「それのなにがダメなの?」
「小っ恥ずかしいセリフ吐かれるわ、あっまいセリフで口説いてくるわで真面目にどうしたらええか分からん!」
「婚約してるんだからむしろいい事じゃないの?」
それだけ愛されてるし、大事にされてるってことだと思うんだけど、と不思議そうな顔のまま続けた兄者に、キャロルはというと顔を真っ赤にしながら声を荒らげた。なお、ちゃんと小声である。
「無理! どうリアクションしたらええんかぜんぜん分からん!」
「令嬢らしく照れてればいいじゃん」
「令嬢らしくってなに!? さすがにオカンから口説かれたりした時の反応なんぞ習っとらん! 知らん!」
「女の子らしく照れてるだけで良いと思うけどなぁ」
むしろキャロルがなにをそんなに困っているのか、兄者にはよく分からなかった。
「具体的には!? 何してたらええのん!?」
「……頬染めて恥ずかしそうに俯く、とか?」
「兄者代わりにやってよぉ!!」
「いや、それこそ無理でしょ」
「大丈夫大丈夫行ける行けるなんで諦めるんだそこで! 出来る出来るやれば出来る!」
明らかな無茶振りである。
「……うん、キャロル、一回想像してみようか」
「大丈夫大丈夫諦めなければなんでも出来る! 元気があればなんでも出来る! 行けば分かるさ!」
もはやキャロルが何を言っているのか分からない。
もしかするとキャロルの前世はアラサーかアラフォーだったのかもしれない。知らんけど。
本人も自分が何言ってるか分からなくなっているようなので、よっぽど混乱しているのだろう。
「僕はキャロルに諦めてほしいんだけどな?」
「なーんーでーさぁー!? 顔は似てるんだから行けるって!」
「体格と身長を考えようねキャロル」
「うえええええんやだぁあああ」
やだじゃない、なんて言う兄者の腕に縋り付きながら、キャロルはひたすら駄々をこねる。
遠くから見たらキャッキャウフフしてる仲睦まじい兄妹にしか見えないのがなんとも不思議だ。
キャロルには、イケメン耐性はあっても甘いセリフ耐性は無かったようである。自分とは縁がないと思っていたことと、中身に現代日本人の感覚だけが残っているのが、全ての原因かもしれない。頑張れキャロル。
なお、兄者がなぜ平気かと言うと、この世界では殿下くらいの言動は愛妻家として普通だからである。我が家の父も大体そんな感じじゃん? としか思っていないのである。仕方ないね。
「ひいいいいん」
誰にも理解されない孤独に、キャロルは半泣きで嘆くしかなかったのであった。どんまい。
【連載版】花粉症令嬢は運命の香りに気づけない。~え、なにここ地獄?~ 藤 都斗(旧藤原都斗) @mokyuttmokyu
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