第24話

 


 しっかし、どうしたもんかなこれ。

 ちょっと困った。

 干からびたミミズさんと、阿鼻叫喚な令嬢たちを同時に眺めつつ、硬直。


「あ、あなた! はやくこちらに!」


 こんな状況で、まさかのあちらからの声かけだ。

 なんだかとっても必死にここから逃げることを促されている。

 なんじゃろ。実は意外といい人たちなんかな。

 うーん、どうしようね。

 こんなん平気だよーってしたら後から面倒くさそうだし、一応令嬢らしくしとくか。


「あ、あぁ、足が、すくんで……!」


 そう言ってそろそろと顔を上げると、真っ青な顔で慌てている令嬢たちの姿がくっきりハッキリ見えていることに気づく。

 さっき突き飛ばされた反動でヴェールが持ち上がっていたらしい。 

 なんかいい感じに目が痒くなってきたので、そのままにしていたらぶわっと涙が零れ始めた。あとで目薬だなこれ。かっっゆ。


「なんてこと……!」

「どうしましょう……!」


 いやー、もう本当にどうしようねコレ。

 自分でやったけど真面目に次どうしたらいいか分からん。

 うわーんどうしよー! 助けてミミズさん!

 しかしミミズはピクリとも動かない。 へんじがない ただのしかばねのようだ。

 どうして……!


「あぁ、わたくしたち、なんて愚かなことを……!」

「こんな、小さくてか弱い方に……!」


 小動物系病弱美少女が泣いてたらそりゃそうか。

 この国の令嬢たちみんな大迫力系長身美女ばっかやもんな。

 とか思ってたら目がじんわりじわじわ、どんどこどんどこ痒みが倍増してきた。

 うわあああかゆうううい!

 ふぁー!! かっっっっゆ!! ほんで喉がイガイガしてきたしんどい。

 あ、やべ、これアカン。


「っ……! けほっ、けほ、っぐ、…っ…!」


 息がしんどい! 咳しか出てこやん!

 あかんしんどい! マジなんなん!? この世の地獄か!

 

「わ、わたくし、誰か、人を呼んでまいりますわ!」

「待っていて、彼女は足がとても速いの!」

「きっとすぐに助けが来ますわ!」


 なんか随分必死だな?

 え、なにこれ。なんでなん?

 手の平返しすごい。


「げほっ、こほっ、うぇ……」


 うわあああ息しづらい!! アカン!

 めっちゃ気管腫れてきとる!

 咳で吐き気のダブルコンボが誘発されとる!

 ちょまままま、アカンアカンアカン!

 こんなとこでゲボなんて吐けん!


「……っぐ、うぅ……!」


 口を押さえて、頑張って耐える。

 今ゲボ吐いたら胃液しか出んぞコレ。やだ。胃液すっぱ不味いもん。口ん中にゃがにゃがするもん。

 あ、でも鼻水も一緒に出てきそうだな?

 うん、もっとやだ。


 誰が好き好んで鼻水と胃液の混合液の味を知りたいと思うねん。やだ。真面目にヤダ。


「キャロル!」


 聞き覚えのある声が聞こえて、抱き上げられた。

 なんか呼吸が楽になって、いつの間にか俯いていた顔を上げると、涙でぼやけた視界の中で見覚えのある綺麗な顔面が飛び込んで来た。


「セレ、スタインさま……?」

「キャロル……! あぁ……どうして……!」


 なんか毎回この人が来るのなんなんや?

 いや、なんか知らんけどめっちゃ楽になるからありがたいねんけど、それはそれ、これはこれというか。

 人を呼びに行くゆーてたご令嬢も運が良かったなー。

 呼んできたの兄者やったらワシ死んどったかもしれん。


「すまない……俺が、不甲斐ないばかりに」

「……殿下? なぜ、泣いていらっしゃるの? どこか怪我を……?」


 おわー!! ちょちょちょちょちょなんで!?

 なにがどうなって殿下泣いたん!?

 えっ、これワシ!? ワシのせい!?


「キャロル……こんな時にまで俺の心配をするのか……」


 いやそんなんえーねん!

 むしろなんで質問に答えてくれへんねや!

 聞いたんだから答えてよ!



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 彼女のために出来ることをしたい。それがたとえ、誰にも理解されないとしても。

 彼女が大事だ。家族よりも、何よりも。


 運命だと気付いたとき、運命だからこそ護りたいと思った。

 だけど今は違う。俺は、彼女がキャロルだからこそ、護りたいのだ。

 その無垢な微笑みも、小さく、儚げなその容姿も、キャロルを構成するひとつでしかない。


 俺は、彼女が彼女であるからこそ惹かれたのだ。

 病弱さも、それゆえの不自由さも、全てを受け入れたうえで前を向いて進んで行く彼女に。

 強くて優しくて、己よりも他者を気にかけられるその心が、魂が、太陽よりも眩しくて、そして、美しいと思った。


 だからこそ、自分自身が彼女の足枷になり、そして、苦しめる元凶であることが許せなかった。

 冬の国へ来たことは彼女の希望だったから、叶えてあげたかった。なんの憂いも、煩わしさもなく、ただ心穏やかに過ごして欲しかった。

 それが叶わずに泣かせてしまったのは、ひとえに俺の責任だ。


 彼女と出会って二年が経ち、身長もだいぶ伸び、筋力も上がったのに、心はなにも変わらず体だけが大きくなったような不安感。

 どれだけ思案しようと、どれだけ手を尽くそうと、結果が伴わなければ意味が無いのだとそう思うようにすらなった。


 夏の砂が体に合わず、外出すら出来ない子供のためにと密かに開発されていたヴェール型の魔道具を、試作から本格的な実用までの資金と技術提供をしたのは、その罪滅ぼしのようなものだった。

 全て、ただの自己満足だと知りながら、完成品のヴェールを受け取った彼女が嬉しそうに微笑む姿が眩しくて、尊くて、泣いてしまいそうだった。


 願わくば、平穏な生活を送っていてほしい。だが、俺は。


「キャロル、遅いですね?」


 ふと聞こえた、彼女の兄、ローランドの声に意識が現実へと戻る。


「そう、だな。なにもなければいいが……」


 そう呟いた次の瞬間だった。


「だ、だれか! だれか手助けを!」


 悲痛な声が食堂内に響き渡る。

 なにごとかと生徒たちがざわめく中、息を切らしたひとりの令嬢は涙ながらに声をあげた。


「春の国の留学生の、ご令嬢が! 咳が止まらなくて……!」


 必死に訴えるその声を聞いたその時、体が勝手に走り出した。

 どうして俺は、彼女をひとりにしてしまったのだろう。……分かっている。俺が勝手に引け目を感じて、その結果がこれなのだと。

 まだ、陰日向から彼女を見守っていたころの方が、幾分かマシだった。


 俺の知らない間に彼女になにか起きた方が、何倍も苦しい。


『殿下、この向こう、2階の渡り廊下です』


 影から聞こえた声で、考えるよりも先に彼女の元へと駆け出した。

 

 そして、渡り廊下の中ほどで座り込む、小さな後ろ姿が視界に飛び込んで来た。

 苦しそうに胸を押さえ、うずくまる彼女の姿に、こちらも胸が苦しくなる。


「キャロル!」


 その感情のままに彼女を抱き上げた。

 羽根のように軽さに泣いてしまいそうになった。


「セレ、スタインさま……?」


 彼女の苦しげな表情が、安心したようなものへ変わっていく。


「キャロル……! あぁ……どうして……!」


 どうして、そんなにも嬉しそうに笑うんだ。俺は、君の害悪になってしまっているのに。どうして、そんなにも君は、綺麗で居られるんだ。


 白金の瞳が、溶けるように揺らめく。


「すまない……俺が、不甲斐ないばかりに」

「……殿下? なぜ、泣いていらっしゃるの? どこか怪我を……?」


 視界が悪い。なにもかも全て、俺が弱いから。なのに。どうして君は。


「キャロル……こんな時にまで俺の心配をするのか……」


 責めたっていい。怒ったっていい。俺のことなんて気にしなくていい。


「殿下がかなしいと……わたくしも、……かなしいわ」


 心に染み入るような優しい言葉に、また涙が溢れた。


「キャロル……俺は、君を守りたいんだ……! なのにどうしてか、君はいつも俺の手をすり抜けて、こんな、酷い目に……!」

「殿下……、そんなに思いつめないでください。わたくしは平気ですわ」

「だが……!」


 嘆く俺の手に、彼女は白磁のような華奢な手を優しく重ねる。

 それは温かく、それと同時にとてつもない安らぎを感じた。


「……殿下がそばにいると、なぜだか苦しいと感じないのです。呼吸も楽だし、目も楽なの」

「……そう、なのか……!?」

「はい。本当に不思議です。まるで、奇跡のよう」


 嬉しそうに微笑む彼女は、静かにそう言う。


 あぁ、そうか。


「……俺が間違っていた」


 彼女が本当に欲しかったものは、俺の気遣いや的の外れた優しさなんかじゃない。


「え?」

「これからは、常に共に居るようにするよ、俺のキャロル」


 俺との時間だったんだ。


「はぇ?」


 不思議そうに首を傾げる彼女が愛しくて、その小さな頬に口付けを落とす。

 真っ赤な顔で狼狽える彼女はとてつもなく可愛らしくて、自然と笑みが零れたのだった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



 その後、なんでか知らんけどセレスタイン殿下はキャロルの傍に付き従うようになった。

 婚約者と言えど未婚の令嬢の傍に居すぎるのは良くないと、本人も思っていたからこそ、今までのキャロルはそれなりに放置されて来た。

 しかし、それで毎回何かしらの事件や事故に巻き込まれているのだから仕方ないと言えよう。


 まあ、キャロル本人は猫被りには慣れているし、殿下と居たら花粉症の症状がとても軽くなると気付いてしまったのでそんなに気にしていないようだ。

 今はまだ軽くなる程度だが、今後共に過ごす時間が多くなるにつれて、症状もどんどん減っていくだろう。


 キャロルがセレスタイン殿下を自分の『運命』だと気付くのも、時間の問題だった。


 ちなみに、キャロルに難癖つけてたご令嬢達がどうなったかというと、キャロル自身が状況説明の時に『なぜか落ちてたミミズにびっくりして転倒した』ことにしたので、お咎めなしである。

 後日誠心誠意謝罪され、キャロルも軽く許してしまったので、もうこの件はそれで終了となってしまった。

 これも全て、キャロルの顔面と泣き顔が美し過ぎたためである。

 冬の国の人種的に体格が大きい者が多く、小さくてか弱く美しいものは守るべき存在、という感覚が強い者が多いのが、いい方向に働いてくれたらしい。

 その後、キャロル様親衛隊が発足されてしまうのは、まあ別の話だ。


「なー兄者、ワシなんか間違えたじゃろうか」

「え? 知らんけどなに?」

「ひどない?」


 やったねキャロル! がんばれキャロル!



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ミミズ「解せぬ」

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