Keep it. Steady!

ニーハイ狂い、ニーハイを履かされる。

 最初に言っておくと、僕はニーハイが好きだ。


 正式名称はニーソックス。膝上までを覆うオーバニーや太腿までのサイハイも含むが、ここでは膝を隠すものを“ニーハイ”と定義しよう。膝より丈が長くてストッキングより短い物は、僕の中ではすべてニーハイだ。

 カラーバリエーションはたくさんあるが、ベーシックなものは黒や白、グレーだろうか。ブラウンカラーも落ち着いた印象があって好きだが、いかんせん少しばかりマイナーなのが玉に瑕だ。健康的な肌が少し透ける白やシックで柔らかさと気品を感じるグレーも魅力的で、今すぐにでも各々の脚に似合う色を測りたい。こう、パーソナルカラー診断みたいに。


 ただ、やはり王道なのは黒だ。ラーメンにおける醤油、寿司における大トロ、動物園のライオン。黒のニーハイには、無数の人を魅せる魅力がある。

 ニーハイと肌の境界を“絶対領域”と呼ぶようになって何年経つだろう。ファッションアイテムとして10年ほど前に流行し、定着してからは二次元キャラや三次元のティーンエイジャーの記号として用いられるようになった。ある種の幼さや若者の象徴として用いられ、ある程度年齢を重ねると自然に履かれなくなっていく桜のような儚さに対して、僕は真っ向から中指を立てたい。

 太腿からつま先にかけてのシルエットの美しさに、黒はよく映える。露になった太腿の健康的な膨らみのみを信仰する過激派もいるが、僕はスレンダーな足が纏うニーハイの美も愛している。過激派が邪道だと憎んだフェイクニーハイだって、それがシルエット的な美を担保するなら流行るべきだ。体型を気にしてニーハイを履くのを止める風潮こそ、我々がもっと忌避する事態じゃないのか? 僕は、全ての女性が自分に合ったニーハイを履く世界を望んでいる。

 指先から踵を覆い隠す布地の柔らかさと温かさを直に感じたい。欲を言うなら、踏んでほしい。ニーハイに存在する聖性が僕という矮小な存在を組み伏せ、調伏する。それを心のどこかで希求し続けている。


 そういうわけで、僕は目の前の彼女に丁寧にラッピングされた新品のニーハイ(未開封)を差し出している。

 身長や脚の長さに合わせてサイズの把握は完璧。彼女の肌色によく似合うカラーリング選択も、普段履いているキュロットショートパンツとの組み合わせも完璧。彼女のためだけに選んだフルカスタムは、にべも無く突き返されつつあった。


「いや、熱弁すればするほど受け取りにくいわ。やりなおし!」


 バレンタインとホワイトデーの定期イベントであるプレゼントの贈り合いは、3年目にしてお互いに突飛なものを渡す大喜利大会の様相を呈していた。先月渡されたプレゼントはレトルト黒カレーで、それに対する抗議の意も若干ある。

 もうこの性癖が客観的に見てキモいことなんて十分承知だし、どうしようもない。それでも、彼女に履いてほしいニーハイがあった。


「……絶対似合うと思うんだ。お願い! 損はさせないから!」


 ほぼ土下座くらいの勢いで必死に頼み込む。

 マニッシュでシンプルな格好を好む彼女が、ある日の戯れに履いていたニーハイソックス。細身の脚と滑らかな肌に映える黒は僕にとっての聖骸布で、その日から僕の歯車せいへきは狂ってしまった。もう一度あの輝きをこの目に焼き付けたい。そんな私欲が、今の僕を駆り立てている。

 5分ほど不毛な押し問答を繰り返し、先に折れたのは彼女だ。呆れたように溜め息を吐くと、ラッピングされた袋を手に取った。


「履く前に、一個だけ条件提示していい?」

「マジで!? 聞く聞く!」

「このニーハイ、アンタが履かない?」

「……は?」


 何度聞き返しても、同じことを言っている。僕の聞き間違いでないとすれば、彼女は真剣ガチだ。よく考えれば普段から「異性装に興味がある」と言っていたし、前々から何らかの兆候はあった。それが今。よりによって今、発動した。


「待って、待って待って!? いや、僕が履くのは違くないですかお姉さん!?」

「聞いた話によると、元々ニーハイって男性用だったらしいよ。だから……」

「知ってるよ! Wikipediaでさっき得た情報を使ってドヤ顔しないで!?」


 既に彼女は袋を開け、新品のニーハイを僕の眼前に突き付ける。なんだこの状況。取り調べ?


「サイズは特に問題無さそうだねー。アンタ足ほっそいし、男子にしては背とかちっちゃいし。ほらほらー、かわいいって〜」

「仮にサイズが合ったとしても、これは君のために選んだわけで……僕が履くのは想定してないというか……」

「……あれだけ語ってたニーハイへの愛は、その程度ってこと?」


 意地悪そうに笑う彼女の表情に内心苛立ちながら、僕は自分のプライドと羞恥心を天秤に掛ける。

 たかが布一枚だ。これを履くことで彼女が喜び、僕の願いも満たせる。僕が履いてしまえば、全てが丸く収まるのだ。そもそも僕のワガママが彼女を困らせ、それが己に返ってきただけだ。僕が率先してニーハイを履けばいいのではないか?


(……でも、これを履くのは“僕”ではないんだよな〜!)


 僕の思考は相反する別の感情を紡ぎ出す。そもそも僕がニーハイに感じる聖性は、それが“僕以外”に向けられるから成立するものだ。それを僕が履くことは、その存在の聖性を毀損することにならないか?

 僕が選んだのは“彼女に似合うニーハイ”で、“僕が履くニーハイ”ではない。そこはニーハイ好きとして譲れない事だ。だが、それでも……。

 どちらかを選ばないといけない時に、僕の頭は停滞したまま動かない。数秒の沈黙を容易に破ったのは、彼女だ。


「もしかして、アンタが履いた後に私が履くのを避けてる?」

「まぁ、うん。新品だし……」

「じゃあ、逆だったら?」


 言うが早いか、彼女は自分の靴下をするりと脱ぎ、素足になる。キュロットパンツから露わになった細い脚は白く、その輝きはすぐに黒に覆われる。

 僕が注視した瞬間には、彼女は既にニーハイを脱いでいた。脱いだばかりの“それ”を僕にもう一度突き付けると、彼女は微笑した。


「履いて?」

「……これ、より犯罪臭増してない?」


 彼女は僕にゆっくりとにじり寄り、気づけば壁際に追い込まれる。彼女の吐息が、獲物を見つけた時の細い視線が、僕から退路を奪っていく。


「今はアンタの家族もいないよね? 今のうちにやらないと帰ってくるんじゃない?」

「…………」

「ほら、脱いで。それとも、あたしが履かせようか?」

「……ったよ」

「ハルくんは、もっと可愛くなりたくないの?」

「わかったよ……」


 僕は黙ったまま、彼女が行うことを為すがままに受け入れる。僕を守っていた鎧が剥がされ、露わになった心が彼女の行動を求めている。

 きっと、僕が欲しかったのは“言い訳”だ。理性の鎖を解いて、動かない足を進めてくれる外部刺激。それを邪魔するたった布一枚の重石が、僕には重すぎた。

 滑らかで柔らかい黒が、僕の脚を覆い尽くしていく。細い爪先と踵、痩せた太腿が滑り込んだ聖域には、彼女の温もりが微かに残っている。


「まぁ似合ってんじゃない? 似合っ……てる、と思うよ?」

「……今笑った?」


 恥じらいから内股になりながら、僕は彼女が満足するまでニーハイを履かされ続けている。僕に履かせたニーハイそのものではなく、目を逸らして赤面している僕の表情を心底から楽しんでいるようだ。ニヤニヤと笑う彼女は、ムカつくけど可愛い。


「でもさ、ニーハイに普通のズボン……ってのも違う気がするんだよね。やっぱ隠れてるわけじゃん、肝心の部分が」

「めちゃくちゃ嫌な予感がするんですけど……これ以上聞かなきゃダメ……?」

「着替え、持ってくるね?」

「待って待って待って!!!! この状態で放置すんの!?!?」


 せめて「可愛い」って言えよ、という叫びが虚空に反響する。この後に訪れるかもしれない受難を想像しながら、僕は自らの脚を注視した。自分で歩くには随分と頼りない、細い脚だ。

 窓の外を眺めれば、着替えを抱えた彼女が自宅から僕の家まで引き返している。まるでスキップでもするかのように軽快に歩く姿を見つめ、僕は小さく溜め息を吐いた。


「次こそは、もっといいやつ薦めるか……」

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