マイカという女(前編)

 マイカとセレンの部屋に入るやいなや、二人がクレイの両腕を引っ張って部屋の奥へと連れ去った。ルネが扉を閉めるとようやく解放され、ベッドに座らされ、クレイは「なんだなんだ」と二人を交互に見る。


「どうだった? クレっち」

「引っ張る必要あった?」

「ノリよ」

「ならしょうがないか」


 こほんと咳払いをして、クレイは先ほど浅井と話したときのことを二人に語った。途中でクレイとルネの所感も織り交ぜながら。

 すると二人は顔を見合わせて、同時に大きなため息を吐いた。


「わかんないわねえ」

「そもそもあっちからしたら、あーしに執着する意味がないんよね」

「たしかにー!」

「むしろ避けそうなもんだよな。自分の汚点を知る人物なんてのは」


 彼は表面上は柔和な人物に見える。交渉術もある程度は備わっているようだし、漂流者としてこの世界でうまくやっていくことができるだろう。

 女神の知り合いを見つければ、元の世界に帰ることもできる。

 そんな彼が、なぜ今更マイカに執着するのか。クレイがどれだけ頭を捻らせても、わからないことだった。


「贖罪が嘘だとして、どうして監獄島に来たかったのか……」

「そもそも本当に漂流したのか? 目的があってこの世界に移動してきたんじゃないか?」

「時空間移動は簡単じゃないわよ。もしそうなら裏には上級悪魔以上の存在がいることになるわ」


 (女神の知り合いが当たり前にこの世界にいるから忘れてたな……)


 四人で顔を突き合わせても、やはり答えは出なかった。真実を知るのは浅井本人だけだ。ひとまず浅井とマイカを二人きりで会わせないこと、浅井の様子をよく観察しておくことということで話がついた。


 浅井の話が終わると、マイカがまた特大のため息を吐いてから、大きく伸びをした。セレンはデスクに向かって、魔道具を弄り始めている。


「久しぶりに歩いてみようかな。クレっち、ルネっち、付き合ってくれん?」


 伸びをしながら窓の外に視線を送るマイカの横顔が、いつになくアンニュイに見えて、クレイは「もちろんだ」と考えるまでもなく口に出していた。

 クレイが言った瞬間、マイカがニカッと笑った。


「それでこそあーしのリーダーだわ」

「俺もエリアZがどんなところか気になるしな」

「マイちゃんのいたとこが気になるって言えばいいのにねー」

「本当、そういうとこダメダメよね」


 ルネの言葉に、セレンが背を向けたまま同調した。クレイは頬をポリポリと掻いて立ち上がる。


「ほら行くぞ」


 それだけ言って、くすくすと笑い合うルネとマイカの声を背に浴びながら部屋を出る。


 三人で一階に降りると、浅井がコンパイラーと何事かを話し合っていた。一見和やかなようだが、コンパイラーの顔が険しい。うんざりだと顔に書いてあるかのような表情に見え、クレイは心のなかで手を合わせた。

 一瞬、チラリと浅井の視線がこちらを向いた気がしたが、気の所為ではないだろう。彼の視線はマイカに注がれたのだと理解し、クレイは気に入らないなと思いながら二人を連れて外に出た。


「うーっし! 今日はあーしが案内しちゃる!」


 マイカが頬を一度叩き、両手を挙げながら言った。


「やったー!」


 ルネが同じように両手を挙げて飛び跳ねると、マイカはルネの手に自分の手を重ねた。その光景に微笑ましく思いながら、クレイは背後に何者かの気配があるのを察知し、少しだけ顔を強張らせていた。


「クレっち、あーしが言うのもなんだけどさ、あんま気にしすぎんなよ~?」

「え? ああ、まあそうだね」

「今日はお姉さんに任せときー!」


 ニシシと笑いながら頭を撫でてくるマイカに、クレイはため息を吐いた。


「調子狂うなあ」

「事実最年長だかんねー」

「たまに思い出すよ」

「クレっちは弟みたいなもんよ」

「姉なら間に合ってるぞ」


 苦笑しながら言うと、マイカはまたもニシシと屈託のない笑みを浮かべた。彼女の事情を知った後では、その笑顔が前よりも眩しく思えた。

 一度は自ら命を絶つ選択をした彼女が、今はこうして太陽のような笑みを自分たちに向けている。クレイは、エリアZがどのような場所なのか、ますます興味が湧いてきた。


 コンパイラーの家からマイカを先頭にして歩いていると、不思議と気持ちが安らぐのを感じる。周囲には木々がたくさんあり、小鳥のさえずりまで聞こえてくる。

 木々の間をモルフォ蝶が通り抜けたり、ワンキャットが無邪気にそこいらを走り回っていたりする。まるで御伽噺の中に迷い込んだかのような、この世界では異質に感じられるほど長閑な光景だった。


「ここはエリアZの端っこなんよ」

「人がいないもんな」

「ただ、たまにここにぼけ~っとしにくる人がいるんよね」

「お前もそうだったのか?」

「もち! 頭空っぽにするにはちょうどいいっしょ」


 (確かに、ここで座って空でも眺めていれば、頭は空っぽになりそうだ)


 冒険者にとっては少し退屈な光景ではあったが、心を休めるのにはそういった退屈こそが重要なのだろう。クレイは目の横を掠めるようにして飛ぶモルフォ蝶を横目に見ながら、静かに頷いた。


 しばらく歩いていると、談笑する声が聞こえてきた。男女両方の声が、あちらこちらから聞こえてくる。

 声が聞こえ始めてすぐ、街が見えた。木造の平屋がいくつも並んでおり、全ての家に庭が付いている。庭には色とりどりの花が植えられていた。


「ここがエリアZの中心地だよ」

「かなり癒やしの雰囲気だな」

「心を癒やすための場所だかんねー。懐かしいなあ」


 マイカが言うには、最初は庭の花はコンパイラーが手入れするのだそうだ。最初は誰も、庭の花の手入れなどをやる余裕がないからだという。

 実際のところ、花に水をやる者もいれば花をただ眺めてぼうっとしているだけの者も目に映った。


「じゃあなんで花なんだ? しかもわざわざ女王が手入れしてまで」

「植物って、心を癒やす効果があるっぽいんよね~。あーしのいた世界でも有名な話だったんだけど、病んでるときって、んな余裕ないじゃん?」

「なるほどー、結構面倒見がいいんだねー」


 ルネがうんうんと頷きながら言った。

 人々はこちらを気にしている様子が見て取れるものの、話しかけてこようとはしてこない。それでも嫌がるような顔もせず、ただ自分たちのことに集中しているようだ。

 流石に知らない人にいきなり話しかけるようなことは、談笑をしている人達でも難しいのだろう。彼ら彼女らは一見元気そうに思えるが、ここを出ていないということは、まだ社会復帰は難しい段階なのだろうから。


「とりま、あーしが好きだった場所にでも行く?」

「そうだな、案内してくれ」

「りょ! あーそれと、生活の様子を見るんはいいけど、話しかけるんはやめてね」

「うん、わかってるよ」

「それでこそクレっち、偉い偉い」


 またマイカに頭を撫でられ、クレイは顔を薄紅に染めながら目を逸らした。マイカはサラリと撫でた後、また先陣を切って歩き始めた。

 歩きながら街の様子を見ていたが、ここが自殺者の魂の療養所であるということをクレイは強く実感した。家のベッドの上で虚ろな目をして動かずにいる女性、ソファで酒を飲んで泣き続ける男性、ふらふらと彷徨い歩く男の子など、重症そうな者の姿が見える。

 家の中の様子は窓からちらりと見える程度だったが、重症そうな者達は部屋の明かりを暗くしている人が多かった。

 ルネが「生きるって大変なんだね」と、湿っぽい吐息混じりの声を漏らすと、クレイはただ黙って頷く。


「ついた! ここがあーしのお気に入りの場所!」


 マイカが言いながら立ち止まった。

 そこは、広大な原っぱだった。街から少し外れたところにある原っぱで、少し先には池も見える。虫も動物の姿もあまり見えず、ただ静かな草原だけがあった。

 マイカは大きく伸びをして、「懐かしいなあ」と零している。

 クレイは、ふと、あることが気になった。


「マイカはさ、今の生活楽しいか?」


 クレイが問うと、マイカが笑顔で素早く振り返った。まるで踊っているかのように、軽やかなステップで。


「もち! めっさ楽しいよ!」


 頭上に広がる青空のように、澄み切った笑顔だった。クレイは「そうか」と言って、彼女の隣に座る。するとマイカとルネがクレイを挟み込むようにして座り、三人で空を眺めた。


「最初はね、困惑してばかりだったんだけどね」

「まあそうだろうな」

「前の世界の記憶もあるから、漂流者みたいなもんよ。魔物もいなかったし、悪魔とか魔法とかそんなんもファンタジーだった」

「俺達からしたら、そっちのほうがファンタジーだな」

「んね。車も当たり前に走ってたし、手のひらサイズのモニターみたいな通信端末があってね? それで世界中と繋がれたんよ」


 クレイは、マイカの語る世界を想像しようとした。車が当たり前に走っていて、みんなが手元で世界中と繋がる世界。

 面白そうだとは思ったが、同時に窮屈そうだとも思った。


「誰かと一瞬でメッセージのやり取りができて、通話もできて、不特定多数と盛り上がることだってできて……」

「なんか孤独感が強調されそうだな」


 クレイがぽつりと零すと、目を丸くしてクレイの顔を見るマイカが横目に映った。


「それ! こっちのがのびのびできていいわ」

「俺やフリントなんか、そっち行ったら一瞬で爪弾きだろうな」

「私もねー馴染める気がしないなー」

「あはは、それなー」


 目の前に見える空は高く、広く、澄み切っている。それはどの世界でも同じなのだろうが、クレイが想像したマイカの元いた世界の空は、狭かった。

 寝転んでみると、空はより遠くなる。空は遠くにあるからちょうどいいのだと、クレイは思った。

 ルネもマイカもクレイに続いて寝転がり、二人とも気持ちよさそうに目を細めている。クレイはそんな二人の顔を見て、心の底から安堵した。


「だからあーしは、みんなといるのが好きなんだろね」

「おお、同じこと言おうとしてたわ」

「私もー」

「このギャルっぽいキャラも、最初は演じてて違和感あったけど、どうよ? 堂に入ってるっしょ」


 ニシシと笑いながらこちらを見てくるマイカを直視して、クレイは微笑んだ。


「ああ、完璧だよ。たまに地頭良さそうなの透けて見えてるけどな」

「でもバカなのはマジだよ」

「あれが全部演技なら大した役者だよ」

「みんなおバカだからねー、私がいないとダメダメだー」

「言っておくけど、お前もバカだからな?」


 ぷくーっと膨らんだルネの頬を突くと、風船のように空気が抜けた。ふすー、と間の抜けた音がしてクレイは声をあげて笑う。

 マイカも釣られるように笑い、ルネも自分で笑っていた。


「ま、これからもっと楽しいことあるだろうな」

「んね、冒険は始まったばっかだし!」

「毎日濃いよねー」


 そうだな、と言いながらクレイはこれまでのことを思い返していた。ミナスを出てからというものの、慌ただしかったから1ヶ月以上経ったかのような気がしていたが、実際はそれほどの日数は経っていないのだ。

 もう少しナーランプでゆっくりしても良かったかもしれないと思う反面、すぐに出立して良かったとも思った。


 (マイカの心に少し触れられたみたいで、少し嬉しいな)


「さ、次はどうする?」


 クレイは、コンパイラーの家を出てからずっと感じていた気配のする方へ目配せした。遮蔽物のない草原だからか気配は遠くに感じるだけだが、それでもずっと動かず同じ方向にあり続けている。

 ルネも先程からチラチラと見て、花をピコピコと動かしていた。


 (気配はしても姿は見えない……ルネが一番反応してる……なるほど)


「ルネ、やっぱりさ」

「うん、悪魔の気配だねー」


 ルネに耳打ちすると、予想通りの答えが返ってきた。


「次は、あーしに考えがある」

「よし、それでいこう」

「即決じゃん。あんがと」

「おう」


 言いながら、誰からでもなく立ち上がった。大きく伸びをするマイカにつられて伸びをすると、ルネまで真似し始めて、三人で笑い合った。

 それから気配のする方へ一瞬目配せして、歩き出すマイカについて行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

追放されたい新米冒険者とモンスター娘の冒険録~雑魚スキル持ちでも最強になる方法~ 鴻上ヒロ @asamesikaijumedamayaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ