“The life is beautiful” to you⑩

 男とは、どうしてこうも女の気持ちを考えないのだろうか。自分が気持ちが良いからと軀を打ち付け、そしてあたしを支配するかのように臭い舌でなめ回す。


 そんなところ少しも気持ちよくないの。女が感じるのは、先端なのよ? そんなことも知らないの? 下手くそね。


 荒々しく触られる胸に、あたしはうんざりとしてしまう。昔見たAVでも、もう少しましだったと思った。


 男の手があたしのスカートへと伸び、そして、そのままショーツを脱がせていく。ブラジャーはとうの昔にはぎ取られていて、今頃はホテルの床に無様に落ちていることだろう。


 ひたりと、男の指が秘部に触れる。気持ちは良くなかったけれど、小さく喘ぐ。そうすれば男は満足そうな表情になることを知っているから。


 愛なんてありはしない。


 彼の勃起したそれを咥えながら、あたしが考えるのは今のことではなかった。思い出されるのは小夜子の後ろ姿と、その横を歩いている忌まわしい男の姿。思い出せば思い出す度頭の中になんとも形容しがたい感情がわき上がる。


 憎い。あの男が憎い――。


 あたしは苛立ちのままに男を突き飛ばすと、馬乗りになって男に尋ねる。


「薬、持ってないの?」


 男は一瞬惚けたような顔をした後、状況を理解したのかにやりと下卑た笑みを浮かべる。


「だから近づいたのか?」


 あぁ、よかった。やっぱりこの人は、あたしを壊してくれる人だ。


「うるさいんだけど」


「へーへー。俺が悪かったよ。ただ、そんな風には見えなかったからな」


「人を見た目で判断しないでくれないかしら」


「はっ」


 あたしは彼から手渡された薬を、勢いよく口に含む。最初は何も感じなかったけれど、すぐに皮膚の下を寒気が這い回っているような感覚に、脳が甘く痺れていく。


 徐々に、目の奥がじりじりと熱くなるような感覚があって、愛しい誰かの顔が脳裏に浮かんだ気がしたけれど、それもすぐに消えた。


 そうなれば、後はだけだ。


 もう前後が分からない。


 自分が何をしているのか、何をされているのかさえも、分からないの。


 ただ、分かるのは下腹部から絶え間なく溢れ出てくる快感と、目の前の極彩色に彩られた光景だけ。


 声をこらえることなんかできないから、快感をえるたびに喘ぐ。耳の奥が遠くなり、響く音は水の中のようにあやふやだった。


 このまま快楽の海に溺れ続けていたい。そして、そのまま二度と意識が浮上しなければいい。


 男はあたしよりも多く薬を摂取したのか、よだれを撒き散らしながら狂ったようにあたしの軀に腰を打ち付け続けた。その度に脳が痺れたような甘い感覚が支配していく。


 下腹部を乱暴に突かれるこの感覚が、気持ち良いと思った。こんなに狂えるような最高のセックスがあるのかと叫び出したくなった。いや、叫んだのかもしれない。けれど、ろれつが回らなくて、自分の耳に届くことはなかった。


 これでいい。そう、これでいいんだ。


 あたしは大声を上げて笑う。もう色んなことがどうでも良かった。気持ちいいんだから、それでいい。この世界では、きっと、狂った方が正しいんだから。


 もうどれくらいそうしていたのかは分からなかった。やがて、薬が切れてきた頃には男はベッドの上で倒れていたし、あたしもその横に寄り添うようにして眠っていた。外から聞こえるのは雨音と、夜の喧噪だけだった。


 昼とは違う、夜の顔。


 あたしは裸のまま立ち上がると、そのまま窓辺に移動する。まだ薬が残っているせいか、頭の奥がずきずきと痛み、足取りはふらふらとしていて歩きにくかった。


 なんとか窓辺に辿り着き、閉められたカーテンを開くと、思った通りの黒い世界と、それを美しく染め上げているかのようなネオンが甘くきらめいているだけだった。


 窓をそっと押し開けると、冬の空気に冷やされた雨があたしの軀を打ち付けた。内股にどろりとしたものが伝う感覚があった。そういえばゴムを着けていなかったから、そのまま出されてしまったのだろう。子どもができるかもしれないとまだはっきりしない頭で考えたが、すぐにそれはどうでも良いことだと考え直す。


 あたしが何年かけても手に入らなかった人。そして、彼女をいとも容易く手に入れた男。


 今頃はどうしているのだろうか。電話か何かで愛を囁き合っているのだろうか。


 どうか幸せになって欲しいと思った。


 あたしが幸せになれない分、どうか二人には幸せになってもらいたいと思った。


 それでも――。


 唇を強く噛んで、空を見上げる。そこには先が見えない暗闇が広がっているだけで、それが欲望にまみれたこの街を表しているように感じられた。


 それでも、あたしは幸せになりたかった。


 叶うならば、あたしが小夜子の隣で笑っていたかった。


 あんな家庭に生まれたくはなかった。


 女になんて生まれたくはなかった。


 貴女と、死ぬまで一緒に過ごしたかった。


 それでも、それは叶わないから。


 今まで自分を売って手に入れたお金を全額渡したとしても、きっと彼女は手に入らない。愛はお金では買えないのだと、今になって知った。思い返してみると、本当に、空しい人生だった。


「あはは……」


 口から乾いた笑いがぽろぽろこぼれ、消えていく。


 あたしは猫になりたかった。自由気ままで、そして、誰からも愛して貰える猫に。


 それでも神様とかいうヤツはあたしを救ってはくれなかったから。


 猫にしてくれないどころか、この世界から助けてくれることさえなかったから。


 もう何を恨み、どこに怒りをぶつければいいのか分からなかった。


 どうせ誰も助けてはくれないのなら。


 どうせ幸せになれないのなら。


 こんな人生。終わってしまえばいい。


 ふわりと浮いた軀は、何処へ向かうのか。


 あたしには、分からない。

 

                〈了〉

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