天使
一畳半
天使
失恋をした。
相手は同級生の子。
名前は明石叶と言った。
セーラー服が良く似合う、天使のように可憐な女の子。
綺麗な艶のある肩くらいまでの長髪が結われたポニーテール。彼女が動くごとにそれが揺れる様子は、今思い出しても美しいものだった。
中高一貫の学校のこの学校に入学してから、高1までの4年間。ずっと一緒のクラスだった。
1年目はまったく話さなかった。自分も彼女も人見知りタイプな人間だったから、何の接点もなくて、ギリギリ互いに存在を認知している程度だった。
2年目。続けて同じクラスとなり、挨拶を交わす程度の仲にはなった。
まだ思春期真っ盛り。無駄に高いプライドゆえに人と仲良くする術を身に着けていなかった俺は、クラス替えによって同級に知り合いがいない状態に陥った。孤独感と焦燥感に蝕まれていたその頃は、彼女と挨拶を交わすことが周囲との唯一の繋がりだったように思う。
3年目になると、多少の雑談を交わせるようになった。思春期も終盤に差し掛かり、精神も安定してきて異性と話すことが苦ではなくなった。それもあって、どんな人間か、ぐらいは掴めた。
そして4年目、やっと友達レベルの関係になれた。
だがこの頃になると、彼女と接するごとに自分の色々なことが気になるようにった。
最初は服装がおかしくないかが気になった。
次に話題を選ぶようになった。彼女の気を損ねないか、友達としては異常なくらいに気になった。
ついには、話しかけて良いかも悩むようになった。
そして、4年目の終わり頃、俺は自分の気持ちに気が付いた。
そこからは早かった。この気持ちをどうするべきか。そんなこと、俺は色々なラブコメを読んできたので余裕で知っていた。
また、恋愛経験のかけらもない俺が、駆け引きなんてしても意味がないことも知っていた。だから、正面突破を試みた。
結果は惨敗だった。まさしく惨めな敗けだった。
私は、貴方の好きと言う気持ちに多分答えられない。貴方とは、友達のままでいたい。
そんなありきたりな言葉に、俺の気持ちは轟沈した。
「あぁ!……あぁッ!」
この激情を上手く表せる言葉が見つからず、ただ小さく叫ぶだけの惨めな自分。
「うーん、ソレはつらかっただろうネ〜」
「勝手にメンタルケア申し出てきたくせに、中々テキトーだねぇ。佐藤さんよ」
人が泣きたいのと恥ずかしいのと後悔とでグズグズになった心に鞭打って、つらい経験を話していると言うのに。
「そりゃあ、ねぇ〜」
佐藤はその細い手をスナック菓子の袋に突っ込む。
「私にとってみればメシウマ以外のなんてもないよ。で、お前さんはいったい彼女のどう言うところに惚れたんだい?ん?言ってみ? 」
「とりあえず、その手のポテチを食べる手を止めてくれないか」
海岸の砂浜と堤防を繋ぐコンクリの階段。立っている俺の隣に座り、お気楽そうにポテチを食べている。部活の作業の休憩を兼ねているとは言え、大層な方だ。
「はいはい。で、私に何をしろって言うの? 海に一緒に身投げしてくれなんて言うんじゃないでしょうね」
「なんで好きでもないお前と、こんな汚い海に身投げしなきゃいけないんだよ」
「その考えで何より。あの世行きの道連れなら、あんたの大好きなちゃんに頼んでね」
「そんなことはしないさ。あと叶ちゃんじゃなくて明石さん、だ」
「叶ちゃんって呼んでいいのは、あんただけだもんね」
「あぁ!あぁ!あぁ……、あー」
もう海に叫ぶ気力も残されていない。
どうしてこんなやつが一番信頼できる友人なんだろうか。
今ほど、自分のコミュニケーション能力の低さとそれに由来する交友関係の狭さを悔やんだことはない。
「ほらほらー、元気だして。ポテチでも食べるか? 」
佐藤は俺の背中を軽く叩いて言った。
「食べます」
一枚だけもらったポテチは、俺の知っているコンソメ味よりも塩っぽかった。
「まぁ、初恋は実らないもんだし、次頑張れ」
風で長髪とセーラ服のリボンをたなびかせながら、少し笑うように佐藤は言う。
いつもは鬱陶しい海風も、今だけは快い
季節は二月。曇天。とても暗いし寒い。
冷風は俺のブレザーを情けなく震わせ、失恋と言う傷に染みていく。
どうして痛いのかを忘れるほどの痛みが、傷を襲う。
けれど、生暖かい風に同情されなんかしても、気持ち悪い感じがしてまったくもって嬉しくない。
だから、これが心地よかった。
「佐藤は強くていいよな」
佐藤は強い。
一度もへこたれたところを見たことがない。
どんな人にも、先輩にも教師にも物怖じすることなく自分の意見を伝える。
「そうかぁ!」
佐藤は笑った。
「あんたには、私が強いように見える? 」
「実際にそうでしょうよ」
人の失恋話聞きながらポテチ食べる人間を強いと言わずして何と言う。
「海はあんなに広いからな」
少しの沈黙のあとに、黒く穢れた海を強く見つめながら佐藤は言った。
「それはいったいどう言う? 」
「あんたは海の全てを知らないだろう」
「まぁね」
「私も知らない」
「何が言いたいんだよ」
意味の分からない佐藤の言葉に、口から苦笑いが漏れる。
「お前は大海を往く船乗りだ。海は広い。どれだけ航海をしても、経験したことがない困難が襲ってくるもんなんだよ」
「そうなの? 」
「そういうもんだ。知らないけどな」
知らないのかよ、と言うツッコミも気にしないほどの強い口ぶりで、佐藤は続ける。
「その時大切なのは、今までどれほど強烈な波を耐え抜いてきたか、だ。自分なら生き抜ける、っていう自信がなければ、いずれ困難に屈する」
佐藤は息を吸いこみ、最後に言った。
「要するに、お前はもっと傷つけ。それでもっと強くなれ。海は広いぞ、青年」
「お前も青年のくせに」
「あんたのよりかは青くないから」
「そうかもな」
その時、突然佐藤は海の向こうを指指した。
「あ、薄明光線」
「は?あ、あれ? 」
見ると、空を覆いつくしていた雲の一部が消えて、そこから陽光が差している。
黄色と白の美しい光のカーテンが、黒い雲と海の上に降りている。
「綺麗だけど、佐藤、今なんて言った?」
「薄明光線。光線は光のアレで、薄弱の薄に…そう、明石ちゃんの明。」
薄弱はまだ良い。明石は確実に選んでいた隙間があった。
「お前、今明らかに言葉選らんだだろ」
「あ、バレた?」
バレないわけがないだろう。と言うか、俺が指摘することもネタの織り込んでただろう、こいつ。
「隠す気なかっただろ。と言うか、そもそもアレ名前あったんだ」
「逆に、今まで何て呼んでたの?」
「普通に天使の光だろ」
当然である。俺の家族も、友達も、皆こう呼んでいる。こいつを除いて。
「ウソぉ?」
「マジ」
「薄明光線って私の家のローカルルールだったんだ」
「お前の家族は何者なんだよ」
その時、風が吹いた。
「寒っ」
その冷たさに、思わず声が漏れる。
「ずっと立ってたんだから、そりゃ体もだいぶ冷えてるだろさ。早く部室戻ろう」
「おっ、そうだな」
いそいそとポテチの袋を持って校舎に戻る佐藤。
俺はその後をついていく。
なんだか、心が軽くなったような気がする。
「なぁ佐藤」
「なんだ? 」
「お前が失恋したら、相談乗ってやるよ」
少し間があった。
「やだよ」
そして、佐藤は振り返って言った。
「お前に言ったら、色々イジられそうだから」
「そりゃあ、そうだろうさ」
いつもいじられている分、いじり返してやるに決まっているだろう。
そう言うと、彼女は唇を細く開いて笑った。
ふと見上げると、雲の隙間からいつもの青空が少しずつ出てきていた。
隙間が大きくなったからだろう。幻想的で美しかったあの天使の光は消えてしまっている。
けれど、これはこれで心が洗われる感じがして良い。
あぁ、このまま晴れていけば下校する頃には綺麗な青空になるのだろうか。
そんな呑気なことを思いながら、前を歩く佐藤を早歩きで追いかけた。
天使 一畳半 @iti-jyo-han
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