マジックミラー越しの世界の住人

@shugou17

第1話

それは、見学店での事だった。


見学店とは、マジックミラーで隔てられた個室ブースから女の子たちを眺められる店だ。あなたが知らないだけで、日本ではそういビジネスをする店がある。


店側は「デッサンができるお店」と謳っているが、各ブースにはご丁寧にティッシュとゴミ箱が用意されている。どう見ても「抜き」に特化した空間。ここでデッサンをする奴がいたら、そいつこそ本当の変態だと思う。


料金は40分で6000円。10分間だけ選んだ女の子を指名できる。指名すると、自分のブースの前で女の子がパフォーマンスをしてくれる。デッサンをしたい人からしたら困っちゃうくらい、クネクネウネウネしてくれる。


女の子たちは指名されていない間、スマホをいじったり、キャスト同士でおしゃべりしている。そんな彼女らを、コの字に並んだ10枚のマジックミラーが囲んでいる。マジックミラーの向こうには、10分1000円以上の金額を払ったおじさん達が、誰を指名しようか個室ブースから吟味している。ものすごい空間だ。


私が普段見ている世界は、マジックミラーで隔られてはいない。にもかかわらず、私は小学生の頃から何も変わらない。恋人もキスもセックスも、何も知らない。そんな大人たちが、マジックミラーのない世界から、マジックミラーで隔たれたこの世界にやってくる。ここでは、彼女たちに受け入れてもらうための努力は必要ない。必要なのは、6000円だけ。


店員から客に渡されるタブレット端末には、出勤している女性たちの名前が書かれたボタンが並んでいる。このボタンを押せば、該当のキャストが自分の居る個室ブースの前に来て、マジックミラー越しに「あなたのためだけのパフォーマンス」を10分間してくれる。


パフォーマンス中は、マジックミラーの前のキャストをカーテンが囲む。マジックミラーを境に、個室ブースに居る客と、カーテンに囲まれたキャスト、2人だけの世界が出現する。


私はボタンを押し、1人の女性を指名する。彼女は立ち上がり、私の個室ブースのマジックミラー前に立つ。マジックミラーの左上には丸い穴が空いており、ここからパフォーマンス内容の希望事項を書いた紙を受け渡す。マジックミラーで隔たれたこの世界では、「穴から紙を渡す」が、異性とのコミュニケーションのデファクトスタンダードとなっていた。


彼女は私から紙を受け取り、内容をサラリと確認する。そして、「''胸多め''でしたら、ブラ外しオプションも1000円でつけられますよ」と営業をかける。ここにいる大人にとって、「ブラを外す」という行為はオプションでしかない。


私はオプションを断り、そのままパフォーマンスの開始に備える。この時私は、向こう側から自分の姿が見えているのかどうかが気になって仕方がなかった。


基本的には見えていないようだが、マジックミラーの向こうの彼女は時折、マジックミラーに顔を近づける。その時、私の顔を捉え、微笑んでいるように見えた。気のせいかもしれないが、どちらにしろ、こちらはぎこちない笑みを浮かべ返すことしかできない。お金を払ってマジックミラー越しにパフォーマンスしてもらう年下の女性に、どんな顔をするのが正解か。私は知らない。


「もしかしたら、向こうから見られているのかもしれない」。そう最初に考えたのは、パフォーマンスのリクエストを記入する紙に、「たくさん見て欲しい」というチェックリストを見かけた時だ。ここにレ点をつければ、おそらくたくさん見てもらえるのだろう。


ラーメンの「麺固め」「麺柔らかめ」と全く同じ要領で、「たくさん見てほしい」「あんまり見ないでほしい」という項目が並んでいる。そんな項目が存在するということは、その恥ずかしさを快感として享受できる人がいるのだろう。それは、人として、ある意味幸せなことなのかもしれない。そんなことを考えながら、「たくさん見てほしい」に私はレ点をつけた。


だからだろうか。彼女はパフォーマンスを始めると、マジックミラーに顔を近づけ、こちらを見る。この瞬間、私は自分を客観視せざるを得なくなってしまった。「彼女が見る対象としての私」がマジックミラー越しに誕生し、私は私を客体化していく。


彼女の瞳に写る自分とマジックミラー越しに相対させられ、今の自分の状況を存分に味わわせられる。すると、「お金を払って年下の女の子をマジックミラー越しにクネクネさせている」という現実が、個室ブースの閉塞感と共に押し寄せてくる。


自分を写さないはずのマジックミラーに、今の私の姿がゆらゆらと写し出されていく。彼女からマジックミラー越しに見える私は、どうしようもない大人に他ならない。それを、自分を俯瞰しているような感覚になりながら、パフォーマンスをしている彼女とじっくり味わう10分間。感情がぐちゃぐちゃになってくる。


まだ、あちらからこちらが見えているとは確定していない。もっと顔をマジックミラーに近づけて、目の周りの光を手で覆って、そんな仕草をしてようやくこちら側が見えるのかもしれない。自分の存在を客観視してしまった私は、もう彼女から見られることに耐えられそうにない。彼女に姿を捉えられたら、その瞬間、私は「マジックミラー越しの世界の住人」になってしまうから。


そのうち彼女は、マジックミラーの前でペロペロと何かを舐め回すようなパフォーマンスを始めた。感情がぐちゃぐちゃになったままチンチンをしごいている私は、座ってペロペロと舌を動かす彼女の口元にチンチンを近づけるため、立ち上がる。そしてマジックミラー越しの彼女の口元へ、自分のチンチンを近づけようとする。


私が立ち上がりマジックミラーに近づいたことで、私のチンチンの距離はマジックミラー越しの彼女に近づいた。しかし、立ち上がったせいで、私のチンチンは彼女の頭よりもだいぶ高い位置にぶら下がっていた。


その、彼女の頭の上でぶら下がるチンチンに対して。彼女は自ら膝立ちをし、口の位置を合わせてきた。彼女の頭の上にあった私のチンチンを、自ら迎えに行ったのだ。


その瞬間、私はとんでもない自己嫌悪に陥りながら射精した。自分でも驚いたが、「死にたい」と一瞬思ってしまった。


彼女はマジックミラー越しに私の姿を捉えていたのだ。私が立ち上がったので、より興奮を味わえるよう、自ら膝立ちをし、わざわざチンチンの位置に自分の口元を移動させ、マジックミラー越しに舐め回してくれたのだ。


彼女は客をより満足させるためにサービスを尽くし、自分からチンチンへと顔を移動した。対する私は、感情をぐちゃぐちゃにしながらも、夢中にチンチンをしごいていた。


彼女の仕事に対するプロフェッショナルとしての冷静な顧客対応と、ただただ感情の赴くままに立ち上がってはチンチンをしごいて果てた私の、そのあまりの非対称性に。私は自分で自分にドン引きしてしまった。とんでもない情けなさと、強烈な自己嫌悪が襲いかかってきた。 そして同時に、彼女にマジックミラー越しに見られていた事が、今、ようやく、確定してしまった。








その瞬間、私は「マジックミラー越しの世界の住人」になってしまったのだった。

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