『罰』

 僕は連れてこられた狭い部屋の隅で膝を抱えて、ずっと兄ちゃんを見ていた。女の服を着て男に抱かれる兄ちゃんは頼りないランプの光に照らされて、とても美しかった。それを見て僕は母さんを思い出す。母さんもいつも「仕事だから」と僕らを部屋から追い出していた。晴れた日にはずっと兄ちゃんと外にいたし、雨の日はクローゼットに閉じ込められた。その隙間から僕は母さんの「仕事」を見ていた。母さんの「仕事」はとても汚かったけど、白い母さんの肌はとても美しかった。


 そんなことを兄ちゃんを見て思い出す。兄ちゃんも一緒に母さんの「仕事」を見ていた。だから余計兄ちゃんと母さんが重なる。兄ちゃんの白い肌に黒くて長い靴下だけが絡みついている。おじさんは靴下だけ脱がさなかった。


 僕のせいだ。


 僕がいたから、兄ちゃんは自由になれなかった。

 どうして僕は気付かなかったんだろう。

 兄ちゃんは僕のために平気で人を殺して、男に抱かれるような奴じゃないんだ。

 そうだろう、ねえ、そうなんだよね?


 僕は兄ちゃんの白い肌を見ていたくなくて、ずっと黒い靴下を見ていた。小刻みに揺れるつま先がおじさんを撫でている。その動きに僕は見覚えがあった。


 あの足の動かし方は母さんと一緒だ。あのとてもきれいで気高くて、下卑て汚らしかった僕の母さん。それに気がついて僕はそっと兄ちゃんの顔を見る。親子なのだから、似てるに決まってる。僕は母さんを思い出した。


『こんなどうしようもない私にあんたらは勿体ない宝物だったよ』


 今際の際に、母さんは僕たちを撫でてくれた。生涯忘れられない、優しい声だった。母さんが死んだとき、僕は兄ちゃんにしがみついて泣いた。兄ちゃんはどんな顔をしていたんだろう。全然覚えていない。僕は兄ちゃんを見ていたようで、全然見ていなかった。堪えきれなくなって、僕は泣いた。


 消えたい。

 僕が生まれたから、兄ちゃんは僕を捨てられなかったんだ。

 こんな僕のために、兄ちゃんは。兄ちゃんは。


「ニコ、来いよ」


 兄ちゃんの声で我に返った。気がつくとおじさんはいなくなっていた。


「ここに朝までいられるようにしてもらったんだ。お前もベッドで寝られるように」


 そう言って兄ちゃんはベッドから降りようとした。僕はまだ兄ちゃんがいるベッドに急いで潜り込む。


「嫌だ、兄ちゃんと寝る」

「なんだよ、ガキじゃあるまいし」

「だって、兄ちゃんはどこで寝るの?」

「俺はどこだっていいよ。さっきのおじさんから上着だけもらったんだ」


 僕は必死で兄ちゃんの手を掴んだ。このまま兄ちゃんをベッドから下ろしたら、そのままどこか別の場所へ行ってしまいそうで怖かった。


「だって、だって」


 いろんなことを兄ちゃんに言いたかったけど、言葉にならなかった。ああ、なんて僕はバカなんだ。兄ちゃんが困ってるじゃないか。もう嫌だ。全部全部嫌だ。


「泣くなよ、悪かったよ」


 まだ服を着ていない兄ちゃんが僕を抱きしめる。


「俺は全部ニコのためだと思ってたんだ」

「僕は、兄ちゃんと一緒なら何でもいいんだよ」


 僕は改めて兄ちゃんの顔を見る。

 母さんにそっくりの、きれいな顔。

 そんな兄ちゃんはボロボロだった。

 男に身体を売って、人を殺して、女の格好して。


 ああ、僕は兄ちゃんに何ができるんだろう。

 僕は兄ちゃんにしがみついて、耳元で囁く。


「ジェイス」


 兄ちゃんの名前。

 僕が兄ちゃんの名前を呼ばなくて、誰が呼んでくれるんだろう。

 そう思ったら、僕は彼を名前で呼ばないではいられなかった。


「何だよ急に、気持ち悪いな」

「ごめん、僕がしっかりしてなかったから」

「何言ってるんだよ、弟なんだから守るのは当然だろう?」


 そんなわけないだろ。

 僕は彼の顔を見れなかった。


「ううん、僕ら助け合わないといけないんだ」


 僕はぎゅうっとジェイスを抱きしめる。

 もうこんなことはしてほしくない。


 僕にできること。

 それは僕の大好きな兄ちゃんとさよならすることだ。


 僕がちゃんと1人の男として見ていてあげないと、また僕らは間違いを犯す。

 いつも僕が頼りないばかりに、いつの間にかジェイスの人生を奪っていたんだ。

 僕がしっかりしないと。僕が今度はジェイスを守っていかないと。


 僕らは泣いた。ずっと泣いた。

 僕は兄ちゃんの泣き顔を初めて見た気がした。

 ああ、やっぱり死んだ母さんに似ている。

 ジェイス、僕は君を誇りに思うよ。


 ***


 日が昇って、貰った上着と僕の服を合わせて外に出た僕の兄さんはどこかから新しい服を調達してきた。それから、僕らは昨日の事件現場へ向かった。


 結論を言えば、宝石ババアは死んでいなかった。ただ派手に頭を切って吹き出した血がショールを剥ぎ取った僕の兄さんを汚していただけだった。それでも、僕の兄さんが間違いを犯したことには変わりない。僕らは自首することに決めていた。


 もっと乱暴な取り調べを受けるかと思われたけど、存外警官はそれほど怖くなかった。それどころか昨日から何も食べてなくて腹ぺこだった僕らにたっぷり食事をくれた。それから何日か警察の世話になった。ちなみに、宝石ババアのショールから剥ぎ取った宝石は偽物ばかりだった。それを聞いて、僕らは自分たちの馬鹿さ加減に笑った。なんて僕たちは可哀想だったんだろう!


 その後、僕を是非引き取りたいという好事家が現れた。新聞で事件のことを知り、可哀想な子供のために何かできないかと言うのだ。僕は最初、2人が離ればなれになることが嫌だった。でも、僕以外の皆がそうしろって言うんだ。仕方ないじゃないか。


 多分、これがジェイスという男の人生を狂わせた僕への罰なんだ。


 こうして僕は新しい家でひとり生活することになった。世間的に普通の暮らしというのはなかなか馴染まないけど、何とか歯を食いしばって生きている。みんなは強盗の兄貴のことなんか忘れろって言うけど、僕らのことを知らないからそんなことを言うんだ。どんな思いで僕らが生きてきたか知らないくせに。


 僕は今一生懸命勉強して、字を覚えている。そして僕の大好きな兄さんに手紙を書きたいと思っている。今はどこかで罪を償っているジェイス兄さんに僕が伝えたいことはただひとつだった。


 ありがとう、愛してる。


〈了〉

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罪と罰/2(にぶんのつみとばつ) 秋犬 @Anoni

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