【短編】浮気された男の冷たい復讐

夏目くちびる

第1話

「なるほど、そういう感じか」



 浮気をされたことも、勝手に家に別の男を連れ込んでいることも、愛の言葉がすべて嘘だったことも、そりゃ凄くショックだったよ。



 けれど、裏切られたってことは、俺に何かが足りていなかったってことだ。確かに、俺は彼女が俺に飽きてしまわないように、常に好きでいさせられるようにしなかった。ならば、付き合ったことを勝手にゴールと定め、努力をやめてしまったのが悪いというのもまた事実なのだ。



「……ごめんなさい。でも、寂しかったから」



 俺は、正座して座る彼女の言葉を聞いてため息をついた。隣には、さっきまで俺のベッドで俺の彼女とまぐわっていた男もいる。しかし、どういうことだろう。町中で見かけるお似合いのカップルという言葉は、俺と彼女よりも彼女と彼にこそ相応しいのではないかと思ってしまった。



 ならば、俺たちは結ばれる運命ではなかったのだろう。思っていたよりも酷い終わり方ではあるモノの、妙に納得感のある結末だと俺は思った。



「まぁ、正座なんてやめなよ。絶対に許さないから、しおらしい態度を取ったって無意味だよ」

「いや、その……」

「素っ裸で抱き合ってる写真は撮ったし、お前たちが人を裏切る人間である証拠も抑えた。俺はこれを手放すつもりも、一人で楽しむつもりもない。大学のみんながどんな反応をするかは知らないけど。まぁ、浮気なんてよくあることだって笑ってくれるかもしれないから。あまり気にしなくていいんじゃないかな」



 言って、俺は手に持っていたスマホをテーブルに置いた。



「それだけは――」

「やめないよ。だって、これ以上俺みたいな被害者を出すのは可哀想だろ。少なくとも、俺の手が届く範囲にくらいは注意喚起をしておかなきゃ。結婚していない恋人を法的に裁くことは難しいんだし、何よりもお前らみたいな人間にナメられたまま見逃すなんてのは俺のプライドが許さない」



 なぜ、俺がこんなにも冷静でいられるのか。



 それは、俺が恋愛というモノがよく分かっていないからなのだと思う。きっと、本気で愛していた人間がこんな事をすれば、メンタルがズタボロになって二度と立ち直れなくなるに違いない。永遠を信じて、心から尽くして、それでも裏切られたのなら自分の実力の無さに絶望することは明らかだ。



 ということは、つまり、俺は最初から期待していなかったのだ。



 自分の無関心さに、何だか腹が立ってくる。将来、思い出して懐かしむ青春の1ページの今を汚されたにも関わらず、当事者としての意識が足りていないことに苛立ってくる。



 いつから、どうして、俺はこんなにも寂しい人間になってしまったのだろうか。一体、どこで何を間違え、諦め、捨てて、その代わりに手に入れたモノは何だったのだろうか。まだ20歳になったばかりの俺が、誰にも期待しなくなった理由とはなんだったのだろうか。



 ……いや。



 考えても分からないのならば、最初から何も無かったのだ。生まれたときから空っぽだなんて、ただニヒルに浸って悲劇を堪能しているだけにも聞こえる。他人が言っていれば、嘲るか、或いは同情したりするのだろう。



 だから。



「気持ち悪いな」



 冷たい言葉は、果たして彼らに言ったのだろうか。どうにも、こんな状況ですら熱くなれない自分をコキ下ろしているようにも聞こえる。そういえば、Z世代は感情に乏しいだなんて記事を何処かで読んだことがあったっけ。



 ならば、現代には、俺みたいな奴が男女問わずたくさんいるのかもしれない。もう、他人にも自分にも期待していない。自分が特別などではなく、世界も大して面白くない。ただ、飯を食って死ぬまで生きて、その間に起こるすべての出来事に意味など無いと結論付けているのかもしれない。



 いつも思っていたよ。



 どうして、彼女が俺を好きになってくれたのかが分からない。俺は、俺みたいな男とは絶対に付き合わない。と。



「俺はこの部屋を出てくよ。家具は、同棲のために二人で買ったモノだからここに置いていく。実家に持って帰ることなんて出来ないし、俺に押し付けようってんならお前の両親に事情を話して引き取ってもらうから。そのつもりでいてくれ」

「……は、はい」

「あと、お前」



 言うと、男は俺の顔を恐る恐る見上げた。どうしてだろう、大して強面でも頭がいいワケでもない俺を、そんなに怖がっているのは。



「お前が今着てるシャツ、俺のお気に入りなんだよ。7000円、弁償してくれるかな」

「す、すいません。はい……」



 一万円札を受け取って、釣り銭は返さなかった。まぁ、三千円くらいならカツアゲしても文句ないだろう。むしろ、精神的慰謝料を払ったっていう免罪符をたったこれだけの額で得られるのなら、彼にとってもいい買い物だろうさ。



「他には、何かあったかな。……別にないな。こうして考えてみると、未婚者同士の浮気って本当にリスクの低いエンタメだよな。お前たちも、どうせ証拠を抑えられなければ俺にバレても大した傷にならないと思って楽しんでたんだろ」

「ち、違うんだ。本当に、酒の勢いで一回寝てしまって。その関係が、ズルズルとここまで来てしまって……」

「へぇ、そう」



 無責任な言葉だ。彼も俺と同じように、自分の人生に当事者意識がないのかもしれない。だとすれば、俺が抱いているこの嫌悪感は、もしかすると同族嫌悪なのかもしれない。



「あんたにもわかるだろ?」

「分かんねぇよ。俺は、恋人を裏切ったりなんてしねぇもん」



 すぐさま自分の考えを否定して、荷物を詰めた鞄を持ち上げる。そして、部屋を出ていく瞬間。どういうワケか、俺は自分を嫌う自分が無性に悲しくなってしまって、彼らについ聞いてしまった。



「なぁ、浮気って楽しいのか?」

「……は、はぁ?」

「人を裏切るのは楽しいかって聞いてるんだ。俺、今までそこそこいい奴として生きてきたし、主体性が無いかわりに優しい奴だって言われてきてるからさ。お前たちみたいに、自分の欲求を満たすためにパートナーを裏切る人間の欲求ってのが気になったんだ」



 突然、恋人だった女がゲロを吐いた。俺よりもSNSに詳しい彼女が、問い詰められないことで逆にこれからどうなるのかを考えてしまって、そのストレスがいよいよ逆流したと言ったところだろうか。



「なんで、そういうことをするんだ? お前にだって恋人がいるんだろう? その恋人だって、裏切られたら辛い気持ちになるのはお前だって分かってただろ? お前のために色々としてきたであろう人間を裏切って、セックスだなんて刹那的な快楽に溺れてしまって。そうやって、すべての信用を失い一生ネットのおもちゃにされる可能性と天秤にかけてまで浮気するってことは、お前たちには何か信念みたいなモノがあるんだろう?」

「お、おぇぇ……っ」



 お前まで吐くなよ。とツッコみたくなったが、どうせ俺の家じゃなくなるのだから関係ないことに気がついてどうでもよくなった。



「もしも、その恋人が俺みたいに冷静にその場で行動できなければ、その子は誰にも分かってもらえず一人で苦しむ羽目になったんだよ。なぁ、どうしてだ? どうして、そんなに酷いことが出来るんだ? お前、マジで何を考えて浮気に手ぇ出したんだ? それ、本当にやらなきゃいけないことだったのか?」

「お、男の本能だから……」



 なるほど。



 確かに、浮気は男の本能だってのはよく聞く話だ。しかし、理性を捨てて本能だけで生きている男などもはや人間でないのだから、そんな言い訳をしている時点で何も理由がないことは明らかだ。



「なら、お前。お前は、女なのに俺を裏切ったワケだよな。本能的な行動でもなく、かと言って寂しいことを俺に言わず。それで、どうして裏切ったワケ? それだけの価値が、この男にあったのか? 女の本能が浮気ってのは、あまり聞かねぇ話だよな?」

「ち、違うの! 本当はこいつに脅されてたの!! 信じて!!」

「は、はぁ!? お前マジでふざけんなよ!! カレシがいないから来いって言ったのお前だろうがよ!!」

「言ってない!! 私は襲われた!! 私は何も悪くないの!! 信じてよぉ!!」



 まぁ、今の話ももちろん録音させてもらったワケで。何も言わずにテーブルに置いたスマホの録音中の画面を見せると、二人は正座を崩して醜く互いを傷つけ合いながら泣いた。



 体を許した相手を、罵倒し貶めあっている。愛するという行為から最も遠いであろうことをするのだから、浮気に意味など無いということが感情に乏しい俺にもよく分かった。



「つまり、お前たちは意味もなく人を裏切るワケだ」



 録音を停止し、ポケットにスマホをしまう。そして、玄関へと向かうと二人は唐突に喧嘩を止めて俺の足元に縋りつき必死に叫んだ。



「頼む!! 許してくれ!! 俺が悪かった!! だからそれを公開するのをやめてくれ!!」

「もうしませんから!! 本当にお願いします!! もう絶対に裏切りませんから!!」

「うわ、キモいなぁ。もう」



 俺はなんの躊躇もなく、かと言って憎悪を込めたワケでもなく。ただ、当たり前のように重たい鞄で女をぶん殴る。



「きゃあ!」



 そして、今度は軽くなった体に勢いをつけて男を引き剥がす。靴を履いて、すぐに扉に手をかける。後ろを振り返ると、狭い場所でおぞましく這いずり回る毒蟲のような二人が気持ち悪かったから、再びため息をついてから顔面に唾を吐いた。



「さよなら」



 こうして、きっと俺の人生の最悪であっただろう日は何のドラマもなく終わった。明日からは、少し寂しくなってしまうのだろう。しかし、こんなにも無意味なことで結末を飾ることになるのなら、俺は一生、恋愛などしなくてもいいと辟易したのだった。



 その後、俺が二人を大学で見かけることは無かった。

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