さよならをバッグに詰めて

三奈木真沙緒

ひとつの終わりとひとつの始まり

 そろそろ出た方がいいかなと、薄手のブルゾンを羽織ったところで、ドアチャイムが鳴った。着払いの荷物の配達だという。眉をしかめてしまった。ドアを開けて、段ボールに貼りつけられた伝票を見せてもらった。差出人の名前を確かめて、あ、と声が出そうになった。

 支払い手続きを済ませて荷物を受け取り、ドアを閉めて、箱を開けた。ほぼぺしゃんこの、黒いボストンバッグが入っていた。高級なものではなく、大学時代から使っていた、安物のナイロン製のやつだ。


「返さなくていいって、言ったのに」

 思わず、そうつぶやいていた。


 バッグを開けてみた。入っていたのは、髭剃ひげそりと、着替え用の下着2,3枚。すっかり忘れていた。ほかには手紙もメモもない。


 ひと月ほども前、俺はこのバッグを持って電車に乗り、数時間かけて東京へ向かった。ところどころ解け残った雪を車窓からときおり見つけながら。到着した駅には彼女が――今では元カノというべきか――迎えに来てくれていた。久しぶりに会えたことに彼女は喜んだ様子で、どこかへ遊びに行こうと言ってくれた。けど俺は、重い気分で全部却下し、駅のそばの公園というか緑地帯というか、人の少ないところのベンチを選んで、心苦しいが避けられない話を切り出した。全面的に俺が悪いから、ただただ謝りながら。そして、ボストンバッグを差し出した。彼女が俺のアパートに置いていた私物が詰め込んであった。バッグは返さなくていい、捨ててくれていいと言い添えた。


「…………なんで、来たのよ」

 彼女の声は震えていた。

「電話だって、メッセージだって、よかったじゃない。荷物だって、宅配便でよかったじゃない。こんな話するために、わざわざ、こんなに時間かけて東京まで来て、……バカじゃないの」

 バカだと思う。

「ごめん」

 もう本当に、そう言うしかなかった。

 力いっぱい、バッグが手からもぎ取られた。ちょっと痛かった。

「さっさと帰れ! もう顔も見たくない!」

 引き裂かれた繊維がむき出しになっているのが見えるような、そんな声だった。俺は見送る度胸すらなくて、ずっと下を向いてしまっていた。たぶん彼女はもう、こっちを振り返ることもなく、帰って行ったのだと思う。


 そのまま、帰りの電車に乗った。滞在時間、正味40分少々。そのうち半分以上が、帰りの電車の切符の手配だったり、出発時刻を待つためだったから、肝心の用件は10分くらい。やっぱり俺はバカなんだと思う。10分ほどの、こんなやるせない話のために、これだけの時間をかけてこの距離を往復するなんて。けど、いつの間にか、彼女との距離はもっともっと遠くなっていたのだと実感する。お互いのアパートに私物を置いたりしていたのに、活用したのは2回もなかった。それも、もう去年の春の連休のことだ。大学で一緒に過ごしていた頃は、あんなに仲が良かったのに。就職先が離れてしまってからは……。


 ――心って、変わってしまうものなんだな。


 はっと時計を見た。まずい。とりあえずバッグを箱ごとクロゼットに押し込み、慌てて靴をつっかけてアパートを飛び出した。駅前の植え込みのある広場に、待ち合わせ相手はもう来ていた。今日はスーツじゃなく、爽やかな色合いのワンピース姿なので、すごく新鮮に見える。

「ごめん、待った?」

「ううん、たった今来たところ」

 にこ、と笑う。優しい。会社の同期入社の女性だ。今は部署が違うけれど、1年前に入社した直後はいろいろとまごついて、同期という存在がとても心強く思えたものだ。それでも先週、誘いをかけることには、ものすごく勇気がいった。いつの間に、俺の中でこの気持ちがこんなに大きくなっていたんだろう。


「でも、どうしたの、遊びに行こうなんて」

 ……急に、動悸どうきが大きくなった。


 今日この日に、荷物が、しかも着払いで返されたのも、元カノの最後の思いやりじゃないかとすら思えた。

 これで、心おきなく、伝えることができる。

 俺は小さく深呼吸して、胸の奥まで空気を吸い込んだ。

 かすかに甘い、春の香りがした。

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さよならをバッグに詰めて 三奈木真沙緒 @mtblue

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