エピローグ

 今晩は、グラタンにしようと決めた。

 中身の野菜やマカロニは使い切れないだろうから他に何を作るか。明後日の弁当のおかずに流用するのは決定だ。牛肉が残っているので、しぐれ煮にしてしまうのもいいかもしれない。煮物の野菜ってのは、存外何だってさまになる。

 それに、珠桜は肉じゃがを食べてから、和食に喜んでいることが多い。好みを直接尋ねることはしないが、探る目はある。

 母さんのレシピに父さんや俺の好みがメモされていたように、自分で残しているレシピに珠桜のメモが増えていた。その意味深さに気がつかないほど、鈍感でも無関心でもない。けれど、それに引きずられ過ぎないようにしている。

 どうせなら、美味しいものを食べて欲しい。それはごく自然な感情であろうと。割り切っていなければ、悠然としてなんていられない。

 この環境はあまりにも都合がよくて、理性が揺れ動く。それに気付かない振りをするように、料理に耽って生きていた。

 それが珠桜に癒着していることも、この際ひっくるめてまとめて割り切る。ほぼマッチポンプだなんてことは自覚していた。苦々しさを噛み締めながら、珠桜の部屋の前を通り過ぎて、自室の鍵を開く。

 何も考えずに荷物を置いて靴を脱いでいるところに、ぱたぱたと物音が近付いてきた。


「おかえりなさい」

「来てたのか」

「今日は一緒にやるって言ってたでしょ? 理充くん一人で買い物行っちゃうんだもん」

「やるんだから、準備しておいたほうがいいかと思って」

「一緒にやりたいって言ってるのになぁ。荷物持っていくね」

「サンキュ。すぐ行く」


 買い物袋を持って廊下を進んでいく姿を見送りながら、洗面所へ寄る。静かな足運びで動く珠桜が、気がついたようにふわりとこちらを振り返った。


「理充くん、おかえりなさい」


 挨拶を聞いていない、とばかりの反復は、呆れるような面倒なようなくすぐったいような。さまざまなもので胸がいっぱいになる。


「ただいま」


 崩れた相好が太陽のように眩しくて、目を眇めた。

 軽やかにリビングへ入っていく珠桜の姿を見慣れている自分がいる。不思議な気持ちを抱きながら、洗面所で手を洗ってリビングへと戻った。

 珠桜が食材を冷蔵庫や引き出しに片している。どこに何を仕舞っているのか。把握していることに違和感がない。違和感がなくても、くすぐったさはあって、やっぱり気持ちは落ち着かなかった。

 割り切っていなければ、心はもっと大騒ぎしていたことだろう。


「理充くん、今日は何にするの?」

「グラタンとオニオンスープ。珠桜には野菜を切ってもらおうかな」

「任せて」


 珠桜は料理ができないとは言うが、おかゆの味付けのような簡素なものならばできないわけではない。そして、野菜を切る、というような単発的なこともできる。それを役割として与えれば、珠桜は意気込んでいた。

 そんな珠桜と一緒にキッチンへ並ぶ。一緒にやりたい、と告げた珠桜は、こうして手伝ってくれるようになった。

 その手伝いのラインが、じわじわと部屋の掃除にまで伸び始めている。隣人で済むのか。時々、思うことはある。

 こんなのもう、半分同棲しているようなものだろう、と。

 そう思うと、隣に立って作業していることが、ひどく面映ゆくなる。今までずっと、一人きりであることが当然であったのに。いつの間にか、珠桜がいる日常に浸りきっている。

 甘えている。不思議さはある。けれど、こうしていることで、独りでない心強さや満足感を思い出していた。

 独りを法外に悲観していたわけじゃない。けれど、二人でしか得られない感情はある。そして、その相手が珠桜であることは、この上ない喜びだった。

 隣で笑ってくれる。その貴重さを、俺はもう知ってしまった。大切にしたい。珠桜のことも何もかも。しかも、珠桜は俺が大切にしてきたものを大切にしてくれるのだ。

 こうして懐いて、共有してくれようとする。それを蔑ろになんてできるわけもなかった。ちょっと悪戦苦闘しながら包丁を扱う珠桜を見るこの時間を、蔑ろにすることなんてできそうにもない。


「理充くん、切り終えたよ」

「サンキュ。じゃあ、オニオンスープ作るから、そのあと様子を見てて」

「うん」


 ちょっとずつ。珠桜は本当にちょっとずつ進歩している。ちょっとずつ教えているというのかもしれないけれど。

 とにかく、少しずつ。この大切な時間を過ごしていく。珠桜と二人の生活が、なだらかに積み重なっていくのだ。

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おとなりごはん。 めぐむ @megumu

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