第15話 ベッケンバウアー
真っ暗な世界を椅子に座り、窓から眺めていると、背後に魔力が広がるのを感じた。
何度も体験したこの感覚。
魔族特有の移動手段。ゲートだ。
俺が後ろを振り返るよりも早く、香水と汗とが混ざったような匂いが俺を包み込んだ。気が付いた時には背中に柔らかい感触があって、魔王アリスの腕が俺の首に巻きつけるように回されていた。
「ただいまぁ。
魔王アリスの甘い吐息が首筋に当たり、ゾクっとした刺激が体を走る。
(GHQ? 連合国軍最高司令官総司令部のことか?)
魔王アリスの言語は相変わらずよく分からない。
俺の首に回されたグレーチェックのブレザーの腕の部分に土汚れが少しついている。外での業務だったのか。
「アリス様。おかえりなさいませ」とアリスの腕をそっと解き、跪いて挨拶する。形だけでも服従しておかなければ。いつあの捕虜のような扱いになるか分からない。魔王の機嫌は取っておきたかった。
だが、却って魔王アリスは口を尖らせて不満を示す。
「ぶぅ〜。ちょっとウチに対して固すぎじゃない? 陰キャかよぉ」
「魔王様は偉大なお方。無礼な態度は取れません」
「精神的にえなりってんじゃん。まぢありえんてぃ」
魔王の言語はやっぱり意味不明だが、魔王の機嫌を取る作戦に失敗したことだけは分かる。くそ、このままでは拷問されてしまう。
俺が焦っていると、魔王アリスは「はい」と俺に何かを手渡した。
面前に掲げて確認すると、どうやらそれは
「アリス様……これは?」
「ん? おみやげ」とアリスが答える。「今日、人間の大陸でお仕事だったから」
お仕事? 魔王が人間とテーブルを囲んで商談に勤しむ姿を思い浮かべ、あり得ないとすぐに気付く。
「自分からイキって仕掛けて来たくせに、ウチが行ったらイモるの笑った」
やはり戦線の方だったか。そりゃいきなりラスボスが前線に現れたら恐ろしいだろうな。
「あ、でも、ダーちゃんの国とは
なるほど。分からん。
開戦中の西の国ネイバル帝国を先に支配する、という意味だろうか。
「その饅頭、人間のオジにもらったの。オニうまだよ?」
人間が魔王に「あ、これ良かったらどうぞ」なんて言うはずがない。制圧してから拾ったのか、奪ったのか。そんなところだろう。
なんとなく食べる気が失せたが、アリスの期待に満ちた笑みを前に受け取る以外の選択肢はなかった。
礼を述べる代わりに「アリス様は」と無意識に余計なことを口走る。ダメだやめろ、と念じるが口は止まらない。「人間を憎いと思いますか?」
アリスは黙った。
そして、ようやく口を開いたかと思えば、「分かんない。てか、考えたこともない」と笑った。
意外だった。人間と長い間、戦争を続けている魔王軍の元締めはもっと人間を恨み、憎しみ、殺意に満ちているのだと勝手に思っていた。
「だってさ」とアリスが言う。「魔族だってムカつく奴はないわ〜って思うし、人間だってダーちゃんみたいな人もいるし」と言いながらアリスがウィンクする。
「とりま、場面で〜、みたいな?」
アリスの言葉に俺ははじめは固まって返答できないでいたが、次第にじんわりと笑いが込み上げ、ぷっ、と吹き出す。
「なんです? それ」と声をあげて笑うと、「えー? ウチなんか変なこと言ったぁ〜?」とアリスは戸惑っていた。
でも、そうか。
魔族だとか、人間だとか、そういう
好きか、嫌いか。
したいか、したくないか。
受け入れるか、拒絶するか。
自分のしたいことを、したいようにすれば良いだけだ。そのアリスの自由さは俺には魅力的に見えた。
「流石です。アリス様」と口をついて賞賛がでる。アリスは「はぃ? 何が?」と不思議そうに目を細めていた。
俺ももう迷うのはやめよう。俺のしたいようにしよう。
俺がしたいこと。
俺は、あの捕虜たちをどうにかしたい。逃がすことが無理ならば、生活環境を改善させたい。少なくとも拷問はやめさせたい。
偽善だってことは分かっている。俺はすでに捕虜の一人を殺しているのだ。今更善人面するつもりはない。
だけど、心が『どうにかしたい』『どうにかしろ』と叫ぶのだ。捕虜の存在を知ってしまった以上、この胸の重しを見て見ぬふりはできない。一種の呪いみたいなものだ。
ならば、やることは一つ。
次のターゲットはメリーだ。
俺氏、魔王軍に生贄として捧げられたのに、何故かギャル魔王に溺愛されている模様 途上の土 @87268726
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