17-4話、異性間の友情が成立する確率を求めよ④

「今日はありがとう。

果彌のおかげで楽しかった」


本当に楽しかった。

こんなにも、心から楽しいと思えたのはいつぶりだろうか。

まるで自分が普通になったように思えた。


イルカも、ペンギンも、アシカも見れた。

ずっと見たかったものが見れた。


体ではなく、心が軽くなっている。

心残りがようやく消化されたおかげかもしれない。

あらためて彼女のために死ねるのならば悔いはないと思うことができた。


「私も!

また行こうね!」

ニコニコと笑顔を浮かべる果彌。


「家まで送るよ」

普段ならば最寄りの駅で別れるところであったが、今日はなんとなくまだ一緒にいたい気分だった。


「ありがと!」

果彌は自然と俺の手を握り、歩き出す。

気づけばこうして歩くのも普通になってしまっている。


こうして平和に歩いていくことだけができるのであればどれほど幸せなのだろうか。

だけど、世界はそれを許してくれない。


果彌の家が近くなり、人気が少なくなったその場所で死の因果が発生する前特有の予兆のような、言葉には表現できない違和感のようなものを感じ取る。


何度も死線を潜り抜けた直感が危機を促し、思考よりも先に行動に移していた。

繋いでいた手を離し、庇うように後ろに下がらせる。


「しゅうくん……?

どうしたの?」

果彌の言葉に答える余裕はなかった。

無言で予兆の感じる方へと振り向き、同時に肩にかけていた鞄を盾として使えるように手にする。


直視した時間はわずか。

今朝のような飛来物ではなく、人だった。


無言で駆け寄ってくる足音。

目の前の男が手にしたものは刃物だった。

物陰から出てきた男との距離はあまりにも近い。


そして、これまでなかった状況と、予想外の出来事に思考が一瞬鈍る。


ミスった。

その一瞬の思考の空白によって完全な形での回避は無理だと判断する。


思考が間断なく目の前の状況を認識し、わずかな時間の間に最適解を導き出そうとしている。

もう無傷の対応は諦めろ。

最小限の傷で潜り抜けるための最適解を出せ。


コイツは殺すために向かってきている。

なら、狙いは俺の腹部。


だが、成人男性が走り込んできた勢いを完全に止めるのはよほどの体格差がなければ不可能。

ならば、左足を後ろに、右手を伸ばすように前にして脇腹を相手に向けて正面ではなく側面で対峙する。


手にしているのは包丁で刃渡15センチ程度。

鞄を盾のようにして右手を大きく伸ばして相手の狙いをズラす。


アイツがどれだけ急所の腹部を狙おうとも、伸ばした右手を無視することはできない。

懐に潜り込もうとするなら迎撃し、右手に反応するなら、右手を犠牲にして対処する。


「ちっ!

ふざけやがって、いつもお前なんなんだよ!

果彌ちゃんにくっつきやがって!

死ねよ!

邪魔なんだよ!」

刺そうとしていたのに、狙い難くなって上手くいかないことに焦れたのか、怒りで醜悪に顔を歪ませた男が包丁を振りかぶる。


包丁の軌道が点ではなく、線になる。

振り下ろされた包丁を右手に持った鞄で受け止める。

鞄の布越しにガギィという音を立ててタブレットの激突音が響くが、勢いは止まらず受け流された刃が逸れて刃先が手の甲と腕の表面を抉る。


だが、浅い。

大した痛みではない。

死ななきゃそれでいい。

痛みなんざ、もう慣れた。

あの大事故のおかげで痛みには鈍感になっている。


「邪魔はてめえだ!」

刃を逸らされ、体勢を崩した男のこめかみに怒りに任せた全力のロシアンフックを叩き込む。


俺が邪魔だと?

ふざけるな。

邪魔なのはてめえだ。

俺がいなかったら果彌を殺せたとでも言いたいのか。


「ごぐぅふっ!」

よろめく男の股間に爪先蹴りを叩き込み、鞄を投げ捨てる。

蹴りの衝撃でくの字に体を曲げて落ちてきた髪の毛を掴み、顔面に全力の膝蹴りを叩き込む。

コイツがここで死のうとどうでもいいと、壊すために殺意を持った全力の一撃だった。


「あがぁぁあ!!」

顔面が陥没するくらいの衝撃に鼻血を噴き出す男は手にした刃物を落として地面に転がる。

コイツが素人で良かった。

格闘技の技術があったのならば確実に自分は死んでいた。


ポイントアナウンスがない。

ならばまだ終わっていない。

抉られた右腕が熱い。

かなり出血している。


「いってぇ……」

だが、今は止血よりも先に男の無力化を優先しなければならない。


「いちいち叫ぶなよ、うるせぇんだよ」

果彌に残酷なところは見せたくなかったが、地面に転がる男の上腕部を全力で踏みつけて砕く。

またも醜い絶叫が響き渡るが、躊躇なく両腕を使用不能にする。


泡を吹いてピクピクと微かな反応しか示していないが、死にはしないだろう。

あれくらいで死んでたら自分はとうの昔にここにはいない。

もしかしたらこれで腕は再起不能になるかもしれないが、お互い様だ。

もしかしたらあの蹴りで股間のモノも潰れて再起不能かもしれないが自業自得である。


『+3ポイントされます』


くそったれ。

やはり死の因果か。

しかも3ポイントの加算と考えると過去最高難易度の試練だったようだ。


こいつが仮に果彌のストーカーだったとしたら、元々感情を増幅させられて利用されたのか、それとも元々あり得た可能性だったのか。

いや、今は考える必要はない。


「果彌、警察呼んでもらってもいいか?」

「う、うん!」

呆然とへたり込んでいた果彌に大役を任せるのは申し訳ないが、限界が近かった。

上着の右袖は切り裂かれて血に染まり、ポタポタと流れ落ちた血は地面に落ちて斑点を作り出している。


慌てたような、泣きそうな声で果彌が通報しているが、意識がわずかに朦朧としてきている。


出血多量とまではいかないだろうが、切られたところが悪かったせいで血が止まらない。

壁にもたれかけるように座り、袖を切れ目から破って傷を露出させる。


手の甲から肘まで縦に赤い一本線が入っている。

必死すぎて気づいていなかったが、どうやら随分とざっくりとやられていたようだ。

それなりには深いが、神経には達してなさそうに見える。


腕を心臓より上にあげて、放り出していた鞄を拾い上げて中にあるタオルを取り出して腕に巻き付け、口と左手を使って縛り上げて出血を強引に止める。


きつく結んで長時間放置すれば壊死してしまう可能性もあるらしいが、今はこれでいい。

しかし、せっかく治ったばかりの腕がまた使えなくなってしまいそうだ。

死の因果を片腕で防ぐの厳しいので勘弁してほしい。


「しゅうくん!

今警察と救急車くるから!」

涙を流して駆け寄ってくる果彌。

また泣かせてしまった。

イレギュラーだったとはいえ、もうちょっとスマートに助けられたらこんな顔させなくて済んだのに。


「そんな顔すんなって。

果彌が無事ならそれでいい」 


「でも……」

「それよりも、こいつ知り合いか?」

なおも言い募ろうとする果彌の言葉を遮る。


「多分、前に私に告白してきた人だと思う……」

「そうか……」

振られた腹いせか、ストーカーになっていたのかは知らないが、死の因果にいいように使われたな。

本人の意思か、世界に利用されたかは知らないが哀れな男だ。


「最近変な視線感じることがあって、気のせいだと思ってたんだけど……」

「なおさら、果彌に危害が及ぶ前になんとかできて良かったよ」

泣きながらオロオロとどうしたらいいかわからなそうに血で真っ赤に染まった腕と俺の顔を見る果彌の頭を無事な左手で撫でる。


「今度そういうのあったらすぐ相談しろよ」

「う、うん……」


この状況では泣くなと言っても無理なんだろうなと、これ以上の言葉を避ける。


遠くでサイレンが鳴り響いている。

通報して数分。

日本の警察と救急は優秀である。


出血は多いが、これくらいなら後遺症が残ることはないだろうし、結果オーライとも言えるのだが、過剰防衛とか言われないかが怖い。


まあ、そうなったらそうなっただなと、今は考えるのをやめる。

問題の先送りともいう。


現場に到着し、慌しく降りてくる救急隊員と警察官たちを見てようやく安堵の一息がつける。


せっかく楽しい一日だったのに最後の最後で台無しにされてしまった。

だけど、今だけは死の因果から果彌を救えたことを喜ぶべきだと思うことにするのであった。

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大切な人を庇って死ぬのが夢なのに世界がそれを許さない件 サークル出雲 @circleizumo

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