そして今日も生きていく

幸まる

花祭り

三月も半ばを越し、日に日に暖かさが増してきた。


この時期に行われるのが“花祭り”だ。

小さな町村から大きな領都、そして国主の在る王城を中心とした首都まで、国中のあらゆるところで、春の訪れを祝う祭りが催される。


この花祭りに欠かせないのが、花の形を模した飾り菓子だ。

マジパンと呼ばれる、アーモンドの粉と砂糖で作られるもので、色粉で色とりどりに染められ、職人達の手で様々な花となって、多くの人の目を楽しませる。

首都では職人達の技を競う飾り菓子コンテストなども開催されるが、元々は甘みの強い素朴な菓子だ。

人々は、冬を越した歓びを家族や友人、大切な人と甘い菓子で分かち合い、新しい季節を迎えるのだった。





領主館では、毎年花祭りに合わせて、二日間の大規模なお茶会が催される。

招待客達は、開放された領主奥方自慢の庭園を散策したり、設置されたテーブルでお茶を飲み、歓談して楽しむのだ。


一昨年の夏に前領主奥方が亡くなり、昨年の春は喪中であった為に、この催しは行われなかった。


二年ぶりの開催となった今年。

寒い日が続いて開花が遅れていた花々は、ここ数日の気温上昇で一気に開き始めた。

開催日までに何とか八分咲きにまで漕ぎ着けて、庭師達は胸を撫で下ろしたことだろう。




中庭の一角にある四阿あずまやで、前領主の老紳士は、可愛い三歳の孫娘エミーリエと共に、色とりどりの花をでていた。


お茶会二日目の夕方近くにもなると、招待客はもうほとんどこの辺りから姿を消している。

残っている者は、テーブルと椅子が多く設置された前庭辺りで、領主夫妻と歓談しているだろう。



「お嬢様、もうおしまいになさらないと。また御夕食が召し上がれなくなってしまいます」


専属侍女に声を掛けられ、テーブルの真ん中に置かれた飾り菓子に手を伸ばそうとしていたエミーリエは、眉を下げつつ侍女を見上げる。


「あと一つだけ。ちゃんとご飯も食べるわ」

「そう仰っても、昨日も残されたでしょう?」


お茶会一日目の昨日、甘いものに目がないエミーリエは、厨房の製菓担当料理人が趣向を凝らして作り上げた飾り菓子を何個も平らげ、案の定夕食を食べられなかったのだった。


「お願い。もう一つだけだから」

「いいえ、駄目です」


人形のように可愛らしいエミーリエが、目を潤ませて上目に懇願すれば、誰もがその願いを叶えてやりたくなるだろう。

しかしそこは専属侍女。

エミーリエの“かわいくおねだり”にも免疫がある。



「食べたいと言うのだ、食べさせてやれば良いだろう」


ここで口を挟んだのは老紳士だ。

可愛い孫の欲求を叶えてやりたいという、祖父母特有の甘やかし、いわゆるじじバカである。


「しかし大旦那様…」

「今夜の食事が食べられないからといって、何も病気になったりはすまい? 一年に一度のことなのだ、好きに食べさせてやりなさい」


祖父の言葉にパッと顔を輝かせた孫娘は、「おじいちゃま大好き!」と、仕上げの一言を発して、飾り菓子をパクリと口に入れた。


老紳士は緩んだ微笑みで満足気に頷き、エミーリエの専属侍女は、落胆して肩を落とす。

今、この場所に、前領主の老紳士をいさめることが出来る者はいない。

老紳士に対してズケズケと物申せるのは、彼の専属侍女であるルイサだけだが、彼女は一昨日から休暇を取り、領主館にはいないのだった。





「ぶぇっくしっ!」


幾分か日が陰り、気温も下がり始める頃、老紳士がクシャミをした。


結局エミーリエは、飾り菓子の入ったテーブル上のバスケットを、ほぼ空にしてから席を立った。

しかし、彼女達が屋内に戻ってからも、老紳士は四阿あずまやのいつもの椅子に座って、両手で杖を持ったまま動いていなかった。


ルイサのいない間、代わりに老紳士に付いているのは屋敷付きの侍女だ。

彼女はおずおずと老紳士に声を掛ける。


「大旦那様、そろそろ屋内に戻られた方が…」

「まだ戻らん。……肩掛けを持ってきてくれ」

「でも大旦那様…」

「良いから黙って持って来なさい」


連れ合いを亡くしてからすっかり偏屈になった老紳士は、侍女の方を見ずに正面を睨んだまま、苛立ったように言った。


渋々というように、侍女が小走りに去る後ろ姿を、老紳士は眺める。

いや、侍女の後ろ姿を見ていたわけではない。

この南側の椅子に座って前を向けば、ちょうど中庭の入口である、生け垣の切れ目が正面になるのだった。



「……まったく、遅い。……ぶぇっくしっ!」


生け垣の切れ目を睨んだまま、老紳士は再びクシャミをした。

すると突然、後ろからふわりと温かな肩掛けが掛けられた。


「年寄りが身体を冷やすと、ろくなことになりませんよ」

「ルイサ!?」


振り返った老紳士は、目を剥いて声を上げる。


「おっ、お前、何をしておる! いつ戻った!? どこから入った!?」

「凍えた老人に肩掛けを掛けました。戻ったのはさっきです。裏から入りましたが?」

「……ぬぬっ。なぜ前から来ないのだ!」


さも当然といった様子で答えた年増の侍女ルイサを見て、老紳士は不満気に口を歪めた。

ルイサは片眉を上げる。

入口を睨んで座っていた老紳士の姿は、裏から入ってきたルイサにも見えた。


「もしかして、私を待っておいででしたか?」

「なっ!? ま、まさか! 馬鹿を言うなっ!」


その慌てぶりと、子供のようにフンと顔を背けた耳が赤く染まっていくのを見て、ルイサは呆れた様に言う。


「寂しかったなら寂しかったと仰いませ」

「バッカモンッ! そんなわけがあるかっ! これを渡そうと思って待っていただけだっ!」


血圧上昇が心配になりそうな憤慨ぶりで、老紳士はテーブル上から油紙の塊を掴んでルイサに押しやった。

それはバスケットの横に、一つだけ別に置かれていた飾り菓子だった。


ルイサは、押し付けられた塊の油紙を開き、眉根を寄せる。


「……この鼻紙を丸めたような物体は何でしょうか?」

「おっ、お前はいちいち…っ! バラだ、バラ!」


油紙の中には、柔らかく色付く胡桃色の飾り菓子が一つ。

それは明らかに職人の手によるものではなく、手仕事に全く慣れていない者の作品に見える。

バラと言われればバラに見えるか…、という、いびつなものであった。


「もしかして、大旦那様がお作りになったのですか?」

「…………彼女が、毎年作っていただろう」


老紳士が“彼女”と呼ぶのは、彼の奥方大奥様のことだ。

そしてルイサは、彼女が亡くなるまで、彼女の専属侍女であった。


大奥様は手先が器用で、毎年花祭りに合わせて、職人と一緒にバラを模した飾り菓子を作っては、家族に贈っていた。


ルイサは血の繫がった家族ではないが、大奥様は、毎年この色の飾り菓子をルイサに手渡してくれた。

胡桃色は、大奥様の友人であり、二十年も前に亡くなったルイサの母の髪色。

そしてルイサの母の命日は、昨日であった。




ルイサは静かに菓子を見下ろして呟く。


「もう、私にこれを作ってくれる人はいないと思っていました」

「…………去年は何もする気が起こらなかったが、今年はやってみようかと思ったのだ」


老紳士は庭園をゆっくりと見回す。

華やかに開いた花々が、微風で揺れる。

彼女が亡くなっても、季節は巡り、彼女の愛した花々はこうして美しく咲く。

息をするのも億劫だった日々は過ぎ、愛する子や孫に囲まれて、いつの間にか、毎日笑えるようになった。


「不思議なものだな。彼女がいなくなって、もう生きる甲斐など一つもないと思ったのに、こうして、私は毎日生きている」

「それこそが、大奥様が望まれていることでしょうから……」




残された者は、が来るまで、ただひたすらに精一杯生きるのだ。


 


「来年は、もう少し上手に作って下さいませ」

「来年も貰えると思っとるのか?」

「はい、大旦那様」


シレッと言って、ルイサは大事そうに菓子を包み直す。

老紳士はフンと鼻を鳴らしてから、テーブルの上の菓子を一つ口に放った。


テーブルの上に丸められている油紙を見て、その数にルイサは片眉を上げた。


「食べ過ぎでございます、大旦那様」

「ふん、子供を相手にするみたいに言うな」

「確かに、小さな子供と違って、食べ過ぎてお腹を壊すようなことはないでしょうけれど」


ふと、ルイサの言葉に引っ掛かりを覚えて、老紳士は視線を上げる。


「…………腹を、壊す?」

「はい。飾り菓子の主原料はアーモンドと砂糖ですから、内蔵器官の未熟な子供が食べすぎるのは良くありませんね。まあ、そもそも何でも食べ過ぎは身体に……。大旦那様、どうかなさいましたか?」


老紳士が明らかに顔色を変えたので、ルイサが尋ねた。


「…………さ、三歳は、小さな子供ではないよな?」


視線を泳がせて言った老紳士に、ルイサは片眉を大きく上げた。

風が吹いて、丸めた油紙が笑うように転がって行った。





その日、夕食が食べられなかったエミーリエが就寝前にお腹が痛いと言って泣き、翌日、老紳士が領主奥方に雷を落とされたのは、また別の話だ。




《 終 》

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