9,初めの第一歩

「私、大学に行こうと思うんです」


 校舎の端の端、普段は誰も通らないような階段に座り、三澤と木原は会話していた。


「今日、進路希望の締め切りだったんですよ」

「……なるほど」


 ——それで、今日が来なければいいと。


「それで悩んでたんですか」

「就職しかないと思ってたんですけど……」


 不幸に許しを求めた故の悲観か、それとも現実的な視点なのか、どちらにせよ、それは打ち壊された。

 三澤という人間が、木原にはひどく不幸に見え、自分の境遇など霞んでしまいそうに思えたからだ。

 狭い家、居ない父親、不出来な自分。そこに、自分を形作るものは何もなかった。

 ——なら、何処かに行こう。

 木原夕は一度死んだ。彼女の精神的には、あの場で生き延びれたこと自体が、生きていけるだけの許しとなっていた。

 挑戦してもどうにもならないことは、木原も心のどこかでわかっている。


「だめだったら、次、頑張ればいいですもんね」


 なら、挑戦自体を希望としよう。

 幸い、まだまだ先は長い。悲観するにはまだ若すぎる。


「そうですね。——頑張ってください」


 三澤は無責任にそう言い放つ。

 三澤は木原が人を殺していないという事実を、木原に伝えなかった。

 それが罪から来たものだとしても、何処かに許しを求める原動力が、彼女を前に進めると信じて。その事実を知らなくても、あの一日の繰り返しが終わったことが、何よりの根拠だ。 

 

 空は青空、遠くに灰色の雲が見える。

 

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雨のネモフィラ 灯玲古未 @goyuuzinn

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