8,真相

 私は人を殺した。その事実はどうしようもなく、事実なんだと思う。

 曖昧な、うつつな夢の中、私は確かに人を殺した。


 目の前では見知らぬ女の人と不思議な刀が相対している。


 ——ずっと、疲れていた。漠然と死にたかった。

 死ななかったのは、ただ勇気がなかっただけ。

 今は大義名分もある。ほんの一歩、そして一瞬の勇気。それだけで、全部おわり。

 罪の反対は許しだと、三澤さんは言ってくれた。


 刀が飛ぶ。ちょうど、私の真下。


 ――もし、もしも、この後も私が生きていられたなら、その時はもう一度、頑張ってみようと思う。



 


 木原夕は飛び降りた。

 妖刀目掛けた一直線、誰の意識からも外れた、完璧な不意打ち。

 妖刀は踏みつけられ、木原と一緒に沼へと落ちる。


「……木原さん」


 ——何やってるんだ、あの人は。生きようという話をしたばっかりじゃないか。

 さっきまで、あんなに辛そうな顔をしていたのに。こんなに、満足そうに。


「なにも、死ぬことはないじゃないか」


 ——だって、木原さんは、誰も殺しちゃいないんだから。


 三澤は立ち上がると同時に、沼へと飛び込んだ。木原が落下した場所と同じ位置への、六メートルの跳躍。水面へは腕から、ただまっすぐ、腕を伸ばして。

 泥の中、腕をつかむ。

 例え三澤の肉体が再生できるといっても、体内の酸素までは回復しない。よって、溺れればそこまで、事実上の死が訪れる。

 だが、三澤は微塵も恐怖を感じていなかった。純粋な信頼。盲目的とも言えるそれを、沼の外へと向け、掴んだ木原の腕を強く握りしめた。


「あの、ばか……」


 三澤の足に水滴の槍が突き刺さる。水面に落ちた雨を集め、さらに下へと動かしたのだ。

 三澤は水滴の槍によって固定された足を中心に、体を地上へと引き寄せる。

 そうして水面から出たもう片方の足に、もう一度槍が突き刺さる。

 体を起こし、沼から全身を出した後、三澤は木原を抱えながら、沼の外へと跳んだ。

 貫かれた足の甲を軸に、体を揺らし、ブランコから飛び降りるように、跳ぶ。

 客観的に見れば、正気の沙汰ではない行為。その行為についても、三澤は何とも思ってはいなかった。


「妖刀に操られたって子?」


 三澤は気を失っている木原を地面に寝かせる。


「うん。あと、ループの原因もこの人」

「……あ、あー。……そう」


 ついで感覚で付け足した三澤の一言で、佐伯の中に残っていた疑問はすべて解決した。

 木原がゆっくりと目を開ける。


「あ、起きました?」


 三澤は穏やかな笑みを浮かべる。木原はそれにこたえるように笑みを浮かべると、再び目を閉じた。


「……そういう所よ。ほんと、刺されるわよ、いつか」

「大丈夫、死なないから」

「私次第よ」


 三澤の両足の甲は、穴が開いたままだ。


「……痛いんだけど」

「……もう少し遅かったら、帰ってこれなかったのよ。わかってる?」

「沼を全部枯らしてでも、助けてくれるだろ?」


 そう言った三澤は屈託のない笑みを浮かべていた。


「……しないわよ、そこまで」


 佐伯は拗ねたように呟く。三澤の足は何事もなかったかのように元どうりになっていた。


「そういえば、どうやって妖刀を探し出したの?」

「それは偶然なんだけど……。いや、木原さんは妖刀に操られて人を切ったって思ってるようだったんだけど、そうじゃないって確認するために」


 ――死者は蘇らない。たとえ世界が繰り返そうと、それは覆らない。それが真相。

 一つは火事、俺の記憶もあいまいだが、一度目は死者もいたはずだ。それが二度目以降は死者が居なくなっていた。

 二つ目は佐伯の捜査。二度目、俺が同行しての捜査は死体が見つかったことによって、早めに引き返すことになった。もし、一度目に死体がなかったなら、佐伯はあのままあの場所に張り込んでいただろう。その後何があったかは知らないが、あの場所で人が殺された。

 死んだ人間はたとえ世界がいちいち巻き戻されようと、死体として残り続ける。

 妖刀は廃墟を順に巡って人を殺している。それは週に一度、日曜日に行われる。二度目で妖刀は、人を殺す場所を変えた。

 それを、木原さんは目撃した。見ただけ、妖刀に操られていたのも事実だろうが、おそらくそれも一瞬。目的としては、自分のことをかぎまわっている誰かの目をくらませるため、辺りだろうか。

 どちらにせよ、木原さん自身が手を下したわけじゃない。

 その根拠は、まずその必要がないこと。人を操るなんて非効率だ。

 それに、あの妖刀は、人の体を動かすのは俺が初めてだったんじゃないだろうか。妖刀は息をしていなかった。心臓を動かすことすらしていない。俺だから大丈夫だが、そんなことをしたら、普通は死んでしまう。

 そうならなかったということは、妖刀は操って体を動かしたのではなく、ただ一瞬意識を流し込んだだけなのだろう。


「へぇ……それで今更なのだけど、というか言いたいだけなのだけれど、誰、あの女」

「先輩、三年生の」

「そう、詳しく」


 三澤は今までの会話の内容などを、覚えている限り佐伯に伝えた。


「……なるほど、まあ、責任は取らなくちゃね」


 要は、何に救いを見出すかだ。木原は自分の不幸な境遇をアイデンティティにしていた。その状況で自分と似たような境遇の人間が現れたと思えば、その人の境遇が自分よりひどいものだと誤解し、崩れかけたアイデンティティは、この先見つけていこう刀う話だろう。

 以上が、佐伯による推測。当の三澤は、気付いているのかいないのか。


「責任って?」

「今までどうり、普通に接してあげなさい。別に、文句は言わないから」

「そっか、それだけでいいなら」


 

 

 

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