高嶺の花の告白は分かりにくい!

斑鳩睡蓮

高嶺の花の告白は分かりにくい!

「友達を、やめてほしいの」


 突然殴られたような衝撃に裕美子ゆみこは目を白黒させた。有咲ありさとはずっと今まで一緒だったし、これからもそうだとばかり思い込んでいた。けれど、目の前でプリーツスカートの端を握りしめて震えている少女が冗談でこんなことを言っているはずがない。いつもは冷たく見えるくらいにツンとした目尻は下がって、長いまつ毛は小刻みに震えている。どうしようもないくらい、有咲は本気だった。


 有咲とは小学生の頃から同じ学校に通っていた。小さい頃はいつだって手を繋いでいたし、大きくなってからは恥ずかしくて手なんて繋ぐことはできなくなってしまったけれど、やっぱりずっと近くにいて。


 有咲の美人な顔を一番近くで見る特権は揺らがない、と訳もなく信じていた。低めの鼻と丸っこい目、いわゆる冴えない容姿の裕美子が持つには、確かに、高嶺の花である有咲の親友というポジションは贅沢すぎたかもしれない。だって、その場所に裕美子がいる必然性なんてどこにもないのだから。


「……」


 ああ、でも、今すぐ黄昏時の屋上から飛び降りてしまいたい。


 風が裕美子のボブカットの髪を攫っていく。切るのを後回しにしていた長い前髪がチクチクと肌を刺す。視界が歪むのはたぶん、そのせい。斜陽の赤い光が眩しくて、目を細めた途端に涙がぽろりとこぼれた。


 コンクリートに打ち込まれた杭のようになってしまった足を無理やり動かす。下を向いたまま、裕美子は校舎の屋上から逃げ出した。有咲が何かを言ったような気がしたけれど、耳元で唸る風がかき消してしまった。


 ぼろぼろと流れる涙は止まってくれない。階段を駆け下りようとしても、運動神経の悪い裕美子ではすぐに足がもつれてしまう。びたん、と吸盤が張り付くような情けない音を立てて裕美子は踊り場で転んだ。膝がジンジンとしている。でも、そんな痛みは全然大したことではない。心臓を鷲掴みされるようなキリキリとした痛みの方がずっとずっと痛かったから。


「う、ぅ……」


 ホラー映画に出てくるゾンビみたいなぎこちない動きで立ち上がる。運動神経抜群の有咲なら、きっとこんな階段で転んだりはしないのだろう。すらりとした足で風のように駆け下りていってしまうのだろう。友達ではないと言われたばかりなのに、裕美子はもう有咲のことを考えていた。


 忘れたい。こんなの嘘だ。信じたくない。


 まだ部活動で残っている生徒も多いから、嗚咽を上げないように歯を食いしばった。誰もいない二年B組の教室に転がり込んで、窓際の席に置き去りにしていた鞄を掴む。教科書が詰め込まれた重い鞄を右肩にかけると、身体が少しだけ傾いた。


 鉛のような身体を引きずるように再び階段を降りて、昇降口でのろのろと上履きを脱ぐ。松島有咲の靴箱は左の方の一番上で、瀬戸口裕美子の靴箱は右の下の方。


 学校が終わった後に、たわいもない話をしながら上履きをしまって、ローファーに履き替えるこの時間が好きだった。そして、二人で部活動をしている生徒を眺めながら帰路につく。


「今日ね、C組の田辺君がうちのクラスの木下さんに告ったって話聞いたよ」


 あまり友達の多くない裕美子だが、噂話を耳にすることくらいはある。少しは周りに興味だってあるのだ、とアピールしようとしてみたわけだ。


「その話、まだ知らなかったの? 一週間くらい前の話じゃない」


 有咲は手を口元に当てて、ころころと笑った。


「え、そ、そうなの!?」


 あたふたと裕美子は手を動かす。これでは学校の情勢にものすごく疎いですアピールだ。


「うん。今では二人、すっかり公認カップルだよ」


 眉目秀麗、文武両道を地で行く有咲はクラスの人気者だ。高嶺の花とも言われるけれど、実際は結構気さくな性格で慕われている。もちろん、噂話とかにも詳しいわけで……。


「うぅ……、なんと、知らなかった……!」


 大袈裟な身振りで頭を抱える。完敗、白旗、降伏です。いつだって有咲は裕美子よりもたくさんのことを知っていて、たくさんのことができた。昔からそうだった。けれど、裕美子はそれを妬んだことはない。


 たくさんできる分、色々な面倒事を引き受けなければならなかったり、大きな期待を押し付けられたり。不器用な性分だから、断ることも上手くいかずにウンウン唸っていることも知っている。できる側にも苦労がある、というわけだ。……まあ、羨ましいと思う気持ちはやっぱりちょっぴりはあるのだけれど。


 だから、たまに疑問に思うのだ。有咲はどうして、こんな取り柄も特にない裕美子の隣に居てくれるのか、と。


「──そういえば、ユミ、小説の方はどうなってるの?」


 物思いをしていたせいで反応が遅れた。


「……小説ねー、ちょびちょび書いて投稿したりしてるんだけど、全然ダメ。あんまし読んでもらえなくて、才能ないのかなって一日に五回くらいは思うよ」


 冗談めかして口にする。小説を書くことは裕美子の趣味だった。小学校や中学校の作文コンクールではまあまあいい所までいったこともある。文章を書くことは数少ない裕美子の特技。といっても、せいぜい素人に毛が生えた程度ではあるのだけれど。有咲は本を読むことが好きで、そんな裕美子の書いた物語の読者でもあった。


「んー、そうかな。私、ユミの書くもの大好きだけどな。いつも楽しませてもらってます」


 有咲はなんでもないように言うけれど、その言葉に裕美子がどれだけ救われているのかはきっと知らないはずだ。楽しませてもらってます、と敬語で柔らかく言うあたりが特に好き。


「ありがとう、なんか元気出た」


 へへ、と笑う。今日も頑張れそう。


「でも、今回の話は恋愛ものなんだね。ユミ、いつも冒険譚とか書いてたから、まさか青春ものがくるとは思わなくてびっくりした。もしかして恋愛に興味出てきた、とか……?」


 探るように有咲の目が裕美子を捉える。なんだか居心地が悪くなって、視線を彷徨わせてしまう。


「い、いや、これはマンネリ脱却と言いますかー。そのぅ……何となく書いてみたくなって……」


 実を言うと、有咲って男子だったら理想の彼氏じゃない!?、などと馬鹿な妄想をして、調子に乗って書き始めた物語だった。不純極まりない理由がバレるわけにはいかないから、冷や汗タラタラで口を噤む。すると、有咲の鋭い視線がじっとりとしてきた。


「そ、そう言う有咲こそ、恋愛に興味はないの!? 週一レベルで告られてるでしょ!」


 誤魔化すように叫ぶ。有咲が形のいい眉を跳ね上げた。


「……興味がない、わけでは、ない」


 常に動じない姿勢を保つ有咲には珍しい、壊れかけたロボットみたいな返事の仕方。


「ほほぅ……、でもいつも振ってるよね? 好きな人がいたりとかするの? 誰を彼氏にしたいの?」


「……彼氏は、別に、いらない」


 恋愛に興味はあるが付き合いたいわけではない、そういうことか。塾なんかで忙しくしている有咲には、確かに誰かと付き合っている余裕はないかもしれない。勝手に裕美子は納得して頷いた。


「なるほど。でももし誰かと付き合うことになったら、私に一番に教えてね。なんてったって、私たちは親友なんだから!」


 胸をどんと叩いて言うと、有咲は桃色の唇を尖らせた。


 それが、つい昨日の出来事。昨日はなんともなかったのに、突然友達をやめてほしいだなんて納得がいかない。けれど、逃げ出してしまった手前、引き返して理由を問い詰めることもできなかった。


 雨雲を背負っているような気持ちのまま、電車に乗る。帰宅する人々の間に押し除けて、日課の読書をする気にはなれなかった。なんとか最寄り駅で降りればもう疲れ果てていて、家までの道を歩くために気力を振り絞る。自転車が裕美子の隣をすり抜けるように走っていった。蜜色に沈んだ道を歩き切ったら、力尽きてしまい、家の玄関でしゃがみこんだ。


「裕美子、今日は少し早かったわね。先にお風呂入る?」


 こく、と裕美子は頷いた。


 服を脱いで、熱いシャワーを頭から被る。隣でほかほかと湯船は湯気をふかしていたけれど、今浸かったら沈んでしまいそうだったから手を突っ込んだだけで入るのはやめてしまった。


 手短に風呂を済ませ、二階の私室に鞄を引きずっていく。この世の終わりみたいな最悪な気分。裕美子は階段で何度も足を引っ掛けた。


 暗い部屋で布団に倒れ込む。ボーッと部屋を見渡せば、綺麗な宝石箱が目に入った。中身は硝子のネックレスが入っている。中学の修学旅行で有咲とお揃いで買ったものだ。壁にかかった絵は有咲が裕美子の書いた物語の挿絵にと水彩色鉛筆で描いてくれたものだった。赤いドラゴンの目は少しつり目で、すました顔つきも相まって有咲似だと思っていた。


 部屋に目を巡らせれば、こんなにも裕美子の世界は有咲でできていたことに気づく。本棚に整然と並んだ本だって、有咲に勧められたものや裕美子が有咲に勧めたものばかり。


「私、有咲にきらわれちゃった……」


 布団にモゾモゾと潜って目を閉じた。嗚咽がこぼれてからはもう止まらなくて。




 次の朝の裕美子の顔は、言わずもがな、ひどい顔だった。泣き腫らしたせいで瞼はパンパンになっていたし、制服のまま寝落ちしてしまったせいでブレザーはシワだらけだ。学校を休んでしまおうかと思ったけれど、皆勤賞を目指していたから行かなければと支度を始めた。制服を伸ばしつつ、スマホで瞼の腫れを治す方法を調べる。


「……五分くらい冷やしてから、あっためる」


 白目は充血していないから温めても大丈夫そうだ。ガーゼを巻いた保冷剤で瞼をしばらく冷やしてから、レンジで温めた濡れタオルを冷まし、瞼に載せる。その間に朝ご飯のバナナと食パンを牛乳で胃に流し込んだ。


 努力の甲斐あって、家を出る七時四十五分には瞼の腫れはだいぶ引いていた。あとは、学校で有咲を見たときに泣かなければ大丈夫。


 母親に行ってきますと呟いて、裕美子は学校へ向かった。いつもは有咲と同じ電車で学校に通っているけれど、今日は電車の時間を遅らせた。朝から気まずくはなりたくない。なのに、裕美子の目は通勤ラッシュの中に有咲の姿を探してしまうのだ。


 教室に着いたのは予鈴と同時だった。遅刻ギリギリを攻める生徒たちと一緒に教室に雪崩込む。教室の後ろを通って裕美子は窓際の自分の席に座った。艶のある焦げ茶の長い髪が流れた有咲の背中は振り返らなかった。


 うわの空で授業が進む。天気がいいからと窓が開け放たれているせいで、レースカーテンがはためいている。窓際の席の住人にはそこそこ迷惑ではあるのだが、風が心地よいこともあって苦情が出るほどではない。そもそも、裕美子は授業にも身が入らないから気になりもしなかった。


 数学、世界史、化学、古文。教壇に立つ先生が変わり、回ってくるプリントを無心で後ろに回して、機械的にノートを取る。当てられなくてよかった、と内心ほっとした。今質問をされても、答えられる自信なんてなかったから。


 きーんこーん……、と四限目の終わるチャイムが鳴った。昼休みだ。ぼうっとしながらシャープペンシルとボールペンを筆箱にしまい、ノートとプリントを机の下に滑らせる。


 お弁当はどうしようか。今までは何も考えずに有咲と一緒に食べていたけれど、もう、友達では、ない、みたいだから、かんがえないと。


「ユミ」


 立ち上がろうとしたとき、手を引かれた。いつの間にか前の席に有咲が座って、裕美子の方を向いている。


「……何? もう、友達じゃないんでしょ」


 つっけんどんな言い方になってしまった。本当は違うことを言いたかったのに。どうしてあんなことを言ったの、とか会ったら尋ねようと思っていたのに。有咲の手を振りほどこうとしたけれど、有咲は思いの外、強い力で裕美子の手を引いていた。


「ユミ」


 有咲はもう一度裕美子を呼ぶ。少しつり目な瞳が真っ直ぐ裕美子を見つめる。背筋がぞくりとした。


 風が吹く。レースカーテンが大きく膨らんで、窓際の二人はカーテンに隠される。有咲の長い髪がするりと肩から落ちた。美人な顔がぐっと近くなる。


「有咲?」


「黙って」


 囁かれた後、裕美子の唇に柔らかい何かが触れた。


「え……、いま……」


 有咲の顔が離れ、裕美子は思わず自分の唇に手を当てる。キスをされたのだと、そこでやっと気がついた。弾かれたように有咲を見ると、顔を林檎みたいに真っ赤に染めた彼女がいる。




「……よかったら、友達じゃなくて、私の……恋人になってくれませんか?」



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