眼鏡キャラ(計算するタイプ)の宿命

misaka

彼の名前は、静寂トオル――

 夏の足音が聞こえる、昼下がり。薄暗い路地裏では、スーツ姿の青年と、赤毛の狼――魔物が相対していた。


「ボクと会うなんて……。キミも運が悪い」


 そう言って銀縁眼鏡のブリッジを持ち上げた彼の名前は、静寂しじまトオル。銀縁眼鏡をかけて銀色の短髪をなびかせる、頭脳明晰な青年だった。


 眼鏡の奥。トオルが冷静に見つめるのは、目の前で牙をむく『魔物』と呼ばれる生物だ。


 ざっくりと20年前。日本各地に突如として現れた『転移門ゲート』。転移門は、異世界と地球とをつなぐ役割を持っていた。


 ある時、転移門から地球にドラゴンを始めとする空想上の生き物が次々と現れる。各国が武力をもって人々を守る一方、ファンタジー脳の人々が魔物――海外ではmonster――と呼び始めたことから、いつしか定着した呼び名だった。


「さて。ボクのデータベースによれば、キミの名前はレッドウルフ。合っているかな?」


 着ていたスーツのジャケットを脱ぎ捨てたトオルが、赤いネクタイを緩めながら目の前の魔物に問いかける。レッドウルフとは、赤い狼だ。それ以上でも、それ以下でもない。


 空腹であれば人も襲うが、そうでなければ日向ぼっこをして眠ったり、仲間と追いかけっこをして遊んだりする。そんな普通の赤毛の狼だった。


 理由もなく……いや、格好をつけるためだけに突然ジャケットを脱いだトオルに、警戒の姿勢を見せるレッドウルフ。その隙をついて、トオルは魔法を行使した。


 魔法とは、転移門から流入する新種のエネルギーがあれこれと作用してすごい現象を起こす、不思議な力の総称だ。


 もちろん『魔法』も、ファンタジー脳の人々が発見し、呼称したことで定着したもの。原理など詳しいことは解明していないし、誰も興味が無い。とにかくすごいことが出来て、派手で、それっぽければ良いのだ。


氷刻アイスメイク――氷剣ブレード


 それっぽい詠唱と共に、身体の前で拳と手のひらを打ち合わせたトオル。そして、手のひらと拳とをゆっくり離していくと、驚くことに大気中の水分が凝集・凝固していき、氷となる。


 そうして生まれた氷はトオルのイメージ通りに形を成していき、やがて、腕を振ったトオルの右手には、全長1mほどの氷の剣が握られていた。


 ついでにトオルの手には、黒い皮の手袋がされている。氷の冷たさを少しでも我慢するためだった。おしゃれと格好良さには、しばしば我慢が付きまとうものなのだ。


「さぁ、ぼくの剣技の前に散ると良い」


 内心、やっぱり冷たいな、と思いながらも氷剣を構えるトオル。対するレッドウルフも、トオルの殺気を浴びて臨戦態勢を取る。


『ガルルル……』


 ゴミ箱や一斗缶が並ぶ路地裏。袋小路になっているその場所で、行き止まりを背にしているのはレッドウルフ。逃げ場がなく、動きも制限されるレッドウルフの方が、やや劣勢だった。


 トオルとレッドウルフ。両者の間に緊張感が満ちる。


「ボクの計算によれば――」

『ガルァッ!』


 トオルが、空いている左手で眼鏡のブリッジを押し上げた瞬間、レッドウルフが攻撃を仕掛けた。しかし、


「――キミはボクの足を狙う」


 そう言って高く跳躍したトオルによって、レッドウルフの牙は空を切った。原理は分からないがとにかく魔法によって強化された身体能力は、それ以前の人々の運動能力をはるかに上回る。


 軽く跳んだだけで3mほど宙を舞ったトオルは、空中で1回転。つい先ほどまでレッドウルフが居た場所に、降り立った。


 立ち位置が交代して、トオルが行き止まりを背にする形になる。


「そして、ボクの計算が正しければ――」

『ガルッ!』

「――キミは着地したボクの隙を……うん?」


 レッドウルフが着地隙を狙ってくると計算していたトオルだったが、レッドウルフは彼の計算を裏切る行動をとる。


 路地に面したポジションを確保したレッドウルフはそのまま転身して、裏路地を出て行ってしまったのだ。


 なぜなら、そもそもレッドウルフには戦う意思が無かったから。さらに言えば、眼鏡をかけて、計算計算だというキャラクターの計算は、必ず外れる。そういう風に世界は出来ているのだ。異論は認めない。


「くっ、完ぺきなはずのボクの計算が……!?」


 眼鏡キャラ。それは、主人公にはなれない。ライバル、あるいは相棒が、良い所どまりだ。……異論は、大いに認める!


「そうか。この世には、計算だけではどうにもならないことも、あるんだな……」


 気づきを得るには、あまりにもしょっぱい戦いだったような気もするが、とにかく。気付きを得て立ち上がったトオルは、路地を出る。


 計算が全てでは無く、不確定要素も存在する。それに気づいたトオルがこの後、そこそこに強い相手と善戦して、主力が来るまでの足止めを行なうこともまた、決まりきった未来でもある。


 格好をつけるために脱いだまま忘れられたジャケットが、初夏の風に舞った。

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