ああ自分の作品というものは、なんでこんなにも凡庸でありきたりでつまらないものなのだろう

嬉野K

もうちょっと

「ああ自分の作品というものは、なんでこんなにも凡庸でありきたりでつまらないものなのだろう」彼はそこまで言って、私の目を見る。「そう思ったことはありませんか?」


 この人は心の中でも読めるのかな、と思いつつ応える。


「あるよ。というか現在進行系だよ」私はパソコンを閉じて、「とある小説投稿サイトで……お題に沿った短編を8つ投稿するイベントがあってね。今回はその最後のお題なの」

「そのお題とは?」

「めがね」


 どこにでもある言葉。どこにでもある物体。だからこそ力量が問われる気がした。


 彼は言う。


「自分の作品というのは面白く感じる、と聞いたことがあります」

「どうしたの急に」


 さっきと言っていることが正反対だ。


「自分の作品という色めがねを掛けて見るから、面白く見えるんでしょうね」

「めがねが狂ってるんだろうね」私は天を仰いで、「お題が発表されて、その言葉を調べて、自分なりの経験や考えを文章にする。それを8回も繰り返しているわけだ」

「感想は?」

「ああ自分の作品というものは、なんでこんなにも凡庸でありきたりでつまらないものなのだろう」ため息しか出てこない。「他の人も同じお題で書くんだよ。その中にはアイデアが被ってる作品もたくさんある」


 同じ時代を生きる人間が同じお題で小説を書く。


 そりゃある程度は被るだろう。それは理解している。

 

 でも……


「誰もが一度は思うんじゃないかな。誰も思いつかないような、とんでもないアイデアを思いつきたいって」だけれど……「でも……現実はそうはいかない。一生懸命調べて、考えて……自分なりの素晴らしいアイデアを思いつく。でもそれはどこかで見たことがあるアイデアで、調べてみれば似たような小説が大量に投稿されてる」


 スマホやパソコンでちょっと検索すればOKだ。自分と同じアイデアで、段違いに面白い作品が多数出てくる。


 さらに、


「私が思いつかなかったアイデアもたくさんあるの。さらに評価の数が圧倒的に多い作品もあって……」うなだれるしかない。「私って才能ないのかなぁ、って思うよ」


 ありきたりでつまらなくて凡庸。それが私であり、私の書く小説。


「めがねが曇ってるのかなぁ……私、小説書くのが苦手なのかな……」


 いつもそうだ。投稿しても評価は少ない。ランキングに乗るような大作を見ると憂鬱になる。嫉妬の感情すらも浮かんでくる。


「苦手なら、やめますか?」

「まさか。続けるよ」即答できる。「私は好きだから書いてるの。小説書くのが大好きだから。誰かも見向きもされなくても続けるよ」

「でも?」

「……見てもらえないのは寂しいかな……」


 せっかく書いたのだから、見てもらいたいという気持ちもある。


 でもわかっている。世の中には面白い作品がいくつもあって、わざわざ私の作品を読む必要なんてない。時間は有限なのだから、読者は読む作品を選ぶのだ。


 私は選ばれなかったというだけの話。


 彼が言う。


「僕が思うに……めがねに合う作品か否か、ってことなんです」

「……お題に無理やり寄せなくても良いんだよ?」

「無理はしてませんよ」嘘が下手な人だ。「……とにかく……人というのは色めがねをかけて生きているものなんです」

「……全員がサングラスしてるの?」


 それはそれで愉快な光景だ。


「そういう意味ではなくて……要するに自分の経験とか好物とか、人間関係とか所属するコミュニティとか。それらの自分の中の考えが色めがねになるんです」

 

 どういう意味?という感じで首を傾げてみる。すると彼が続けた。


「たとえば……あなたは野球の作品を読みますか?」

「……あんまり……野球はやったことないし、ルールも知らない」


 柵を超えればホームランなのは知っている。


「はい。ですが……野球をプレイしている、あるいはルールを知っている人からすれば……野球の作品は自然と読書の選択肢に入ってきます」

「ふぅん……」なんとなく理解した。「経験が作品に色を付けて見せるってことか……」


 ルールを知っている競技を見るのと、ルールを知らない競技を見るの。

 どちらが楽しいのかなんて論じるまでもない。


「囲碁とか将棋もそうです。テレビ中継とかを見て、楽しいと思いますか?」

「……失礼だけど、思わないね」

「僕は楽しいと思います」よく見てるもんな。「それは僕がルールを知っていて、戦略や駆け引きを見ることができるからです」


 逆に、と彼は続ける。


「逆に……あなたは料理番組をよく見ますね。それは楽しいと思いますか?」

「そうだね……参考になるし、いろいろなテクニックが見られて面白いよ」

「失礼ながら、僕は楽しいと思いません。あまり食には興味がないので」


 そういうものか……


 彼は言う。


「人は自分の知識や経験というなの色めがねをかけています。そしてその色を通して見えやすいものを見るんです」

「……赤いめがねで、赤い文字は見えないからね……」

「そうですね。人によっては存在すら認識できないでしょう」


 言語とか人種とか、物理的な距離とか。それらが相まって選択肢にすらならないものもある。なんだか試験勉強で赤いシートを使ったことを思い出した。


「つまり何が言いたいのかと言いますと……」

「いつか私と同じ色のめがねをかけた人が現れる、ってことでしょ?」

「そうです。いつか……あなたがキレイだと思う色を、キレイだと思う人が出てきます」


 同じ色のめがねをつけていれば、同じように色も見える。


 簡単に言えば趣味が合う人が出てくるってことだ。私の作品を読んでいる人の中にも、もしかしたらいるのかもしれない。


「問題は……」彼はいたずらっぽく笑う。「その人が現れるのが、いつになるかわからないってことですね」

「……今日かもしれないし明日かもしれない。来年かもしれないし10年後かもしれないし……」

「死んでから現れるかもしれない。死後に評価された人ってのは、歴史上にもいますからね」


 画家でなら聞いたことがある。小説家にもそんな人がいるのだろうか。


 しかし……なんだかそこそこ興味深い話だったな。


 常識や知識というめがねを全員がかけている。だから同じものでも違う見え方になる。


「とりあえず……僕とあなたは、同じような色のめがねをかけているようですね」

「……そうなるのかな」悪い気はしないな。「とりあえず……決めたよ」

「なにをですか?」

「私……もうちょっと書いてみる」さっきは強がって続けると言った。けど今度は本心だ。「いつか……同じ色のめがねをかけた人が、私の作品を読んでくれるまで」


 途方もなく長い年月になるかもしれないけれど。


 しかしまぁ……良いだろう。評価されなくたって、小説を書くのは楽しい。


 自己満足で十分だ。

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