眼鏡が降ってきた

かこ

めがね × めがね

――彼女できたから、もう会わない


 携帯画面に並ぶ一文と、軽い感じのごめんスタンプ。

 勘違いでなければ、私が『彼女』だったはず。こうもあっさりと、しかも一方的に別れられるなんて話、ある?


「ないわー」


 独り言がむなしく響いて、くやしくて涙が出てきた。残業続きでドライアイが悪化してるんだ、そうに決まっている。

 明日は一ヶ月かけて作った企画の発表だっていうのに。こんな狙ったようなタイミング、ありえない。

 眼鏡を外して、目元をほぐそうとしたら、眼鏡が降ってきた。軽い音がした方を見おろせば、ツルの繋ぎ目が外れた眼鏡。半フレームのレンズも見事に割れていた。

 思わず自分のを確認してしまう。ノンフレームの楕円レンズ、華奢なサーモンピンクのツル。私の眼鏡は無事だ。


「わ、すみません」


 なんて言葉も降ってきて、一分ぐらい混乱したかな。もうちょっと長い気がする。

 非常階段を慌ててかけ降りる音が消えたと思ったら、もっさりとした髪の男性が現れた。タイルの上で無惨な姿に成り果てた眼鏡を座り込んで眺めている。

 しばらく見守っていると、あ゛ーとため息のような声を空気が抜けるみたいに吐いた。かと思えば、あ、と思い出したように呟いて座ったまま振り返る。


「すみません、お邪魔して」


 そこまで大きくないのに愛嬌のある目が、ほろ苦く笑った。


「いえ、別に」


 おかげで涙が引っ込んだので助かったぐらいだ。では、と立ち去ろうとして、あまりにも彼が落ち込んでいるものだから、親切心が顔を出した。


「……私のスペアでよかったら、お貸ししましょうか」


 一瞬、空気が固まったあと、彼が振り返る。


「いいですか」


 申し訳なさと困惑が入り交じった瞳には見えていないかもしれないけど、頷く。


「乱視とかってあります?」

「少しだけ。でも、ほとんどないです」


 ちょっと待っててください、と言い残してロッカーの鞄に入れていたケースを持ち出した。戻ってきても、まだしゃがみこんでいた彼にケースを手渡す。


「度が強いかもしれないんですけど」

「ボクもほどほど強いですよ」


 彼が笑っていってくれたから、少しだけ安心した。筋ばった手がケースから銀縁の丸眼鏡を取り出して、ぱちりと瞬く。


「驚くほど、ぴったりな気がします」

「それはよかった」

「お金、払いますよ」

「あげませんよ。返してください」


 ですよねーと落ち込む彼がなんだか可愛く見えたので笑ってしまった。デザインを気に入ったなら、そう言えばいいのに。


「じゃあ、レンタル料をいただきましょうか」


 冗談めかして言えば、丸眼鏡の奥の目がぱちりと瞬いた。愛嬌のある目をにっと細めて、のってくる。


「売上に貢献、でいかがでしょう?」


 あれ、なんで私がコーヒーショップで働いていること知ってるんだろ。



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眼鏡が降ってきた かこ @kac0

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