【短編】あの人の眼鏡

如月笛風

あの人の眼鏡

「何だよその眼鏡! クソだせぇ〜」


「今日は一段と増して変な眼鏡だな〜、それで、テーマは?」


「よくぞ聞いてくれた! 左眼は『包容力のある、優しいお姉ちゃん』ラウンドレンズ。右眼は『少しツンツンしたところもあるけれど、お姉ちゃんにはデレデレな妹ちゃん』四角スクエアレンズなのさ!」


 隣の席の男子、加賀美蓮かがみれんの眼鏡はいつも変わっている。

 今まで何度も彼の眼鏡を隣で見てきたが、一度たりとも同じ眼鏡を見たことはない。多分。

 同じ衣装を二度以上着たことがないという、どこぞのタレントのようだ。


「なあ瀬戸せと! お前はどう思う? お前の眼鏡イズムにはどう映るよ!?」


 眼鏡イズムとは何だ、初耳だぞ。

 私のような眼鏡を着けている人間に対しては、加賀美はいつもこの調子だ。


「えぇ……まあ、いいんじゃない? 今日はテーマがちょっと可愛かったし」


「だろぉ!? 俺とお前だけだぜ〜、この眼鏡の良さがわかるのは」


 指まで鳴らして、加賀美はご機嫌らしい。

 クラスの殆どの人間にからかわれる彼だが、私が一言褒めるだけでその日中は微笑みを絶やさない。何とも単純な男である。


 しかし、内心そんな風に思ってこそいるが、実はそんな彼と私の間には大きな秘密がある。


 授業が終わり下校の途中、鞄が震えた。

 中にあるスマホに通知が来たのだ。


[いつ頃来れそうだ?]


 からのメッセージ、と言えば聞こえはいいが、その正体は例の眼鏡男だ。羨ましいと思う人間が何人いるか、数えてみたいものである。


[今から行けるよ]


 無機質な七文字に、相手は見たこともない眼鏡の絵文字を添えて了解した。

 ここまで眼鏡好きをアピールされると、正直鬱陶しい。


 だが、それも慣れた今では案外軽く流せるものである。

 加賀美は変人に見えて……というより、間違いなく変人だが、割と気の遣える男である。

 彼は休日になると頻繁に遊びに誘ってくる。何気なく入った喫茶店では、メニューに悩んでいた私を急かさぬよう早々に手洗いに向かった。

 それが彼の計らいだったかどうかの真相は不明だが、何にせよ、彼は一緒にいて案外楽しめる男なのだ。


 出会って間もない頃に『一目惚れ』などという謳い文句で告白してきた時は、何とも胡散臭い男だと思ったものだ。

 しかし、そのイメージを払拭して、今では自宅に行くことに抵抗を覚えない程度には距離も縮まっている。


「あっ、瀬戸!? もう来たのか……。悪い、少し待っててくれないか? まだ準備中で……」


「別にいいよ。というか、学校じゃないんだから名前でいいし……」


「ああ、そっか……悪い、さくら


 学校での変人のイメージとは打って変わって、彼はちゃんと謝罪も礼儀も知っているのだ。

 だがしかし、まだ一つ常識を知らない部分はある。


「そんなことより……普通彼女を家に呼んどいて、『一緒に眼鏡作りたい!』とか……どこまで眼鏡人間なのよ……」


「べ、別にいいだろ!? 俺にとって眼鏡は命以上に大事なんだから!! それに……とか、特別感凄いだろ?」


 たまにこうして唐突に恋人として扱ってくるので、呆れようにも少し困りものだ。

 何でも、私の眼鏡を真似て似たデザインの物を作りたいのだとか。

 眼鏡屋で適当に買った物なのだから、そこまで特別な物ではないのだが……


「よし! 入っていいぞ〜!」


 家の玄関から彼の顔が見えた。

 特別緊張もしないが、それなりに勇気はいる。

 大きな深呼吸をした後、そっとドアノブを握る。

 そして――


 玄関に足を踏み入れ、ふと激しい頭痛を迎える。


 私の記憶はそこで最後だった。

 次に目覚めた時、最初に認識したのは強烈な臭い。何の臭いか、すぐには思い出せなかった。


「――昨夜未明、鏡川市在住の『黒崎茜くろさきあかね』さん、『黒崎藍くろさきあい』さんの姉妹が行方不明となっており――」


 遠くで雑音交じりの声が聞こえる。恐らくニュースの報道だろう。

 しかしどこを見渡しても、テレビどころかラジオの一つも見えない。

 というより、何も見えない。

 暗い部屋の中にでも居るのだろうか。


「おっ、桜起きたか?」


「……れん? ねえ、ここどこ?」


「どこって……俺の家だが? さっき入っただろ?」


 加賀美は何もおかしなことなど無いという風な調子で応対する。

 しかし、絶対に何かがおかしい。

 確実に後頭部が痛い。今もズキズキと鈍痛が続いている。

 そして、何も見えないこの場所を、彼の家と言うにはあまりにも不気味すぎる。


「私さ、玄関に入った時からの記憶が曖昧で……何か知らない?」


「……ああ、そういうこと……まだ気づいてなかったってことか」


 足音が周囲から聞こえる。

 しかし、彼の姿はどこにもない。

 彼に近づこうにも、こんな暗闇では動けない……


 動けない……?

 いや、違う。動いている。動いている筈なのに……感覚が無い。

 その瞬間、ガタンと大きな音が耳元で鳴った。


「ああっ!? 勝手に動くなって……倒れたら危ないだろ? じっとしとけって……」


 木製の……椅子だろうか。丁度それくらいの重量の何かが倒れたような音。

 そして今の彼の発言。

 この違和感は何だ。


「ねえ、蓮……何が、起きてるの?」


「そこまで察しが悪いもんなのか? あのとかはすぐに気づいたのに……」


 姉妹……? そう言えばさっき……


「――まあ恋人なら、視覚と痛覚が無くなっても信頼しちゃうってことか」


「…………えっ……?」


 視覚と痛覚が……無くなる?

 彼は何を言っているんだろう。


、案外ちゃんと悪いのな。さっき見てみたけど、こりゃ結構な度いる奴だ。捗る捗る」


 楽しそうな声の彼の言うことが、全く理解できない。


「そう言えば、あの姉妹の眼鏡なんだけど、すぐ壊れちゃってさ。使ってフレーム作るんだから、もう少し丁寧にやりゃ良かったって反省した」


 骨を……使って……?


「それでまあ、その反省を活かして、今度はちゃんと一生使える頑丈な眼鏡を作りたいんだよ。だから……色んな部分の骨で試してたとこなんだ。今のところ、脚の骨がいい感じだな」


 すぐ近くで、エンジン音がする。バイクや車なんかのそれじゃない、金属の刃が回転する音。

 そして、思い出した。この強烈な臭いの正体。

 これ程までに血腥ちなまぐさいのに、どうして気づかなかったのか。


「噂によると、人間の身体の中で歯が一番硬いんだったっけ? まあ全部試すから関係ないけど……」


 …………嫌だ……。


「テーマは『大切な恋人の眼鏡』だ。どうだ? お前の眼鏡イズム的に?」


 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ!


「今までは結局どれも納得できなくてすぐ捨ててきたけど、今回ばかりは違うかもな〜。やべぇ……興奮してきた……! 早く完成させないと!」


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌――


「……あっ、やべ……首落としちゃった……まあいいか」


 加賀美はその日中、微笑みを絶やさなかった。

 そして、明くる日――


「よっ、加賀美! ずばり聞こう! 今回のテーマは!?」


「ふっふっふ……何を隠そう……今回は今までと違って特別品なんだ!」


 そう言って、加賀美は隣のを指差した。


「――だよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【短編】あの人の眼鏡 如月笛風 @Kisaragi_Feb

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ