彼方の時の博物館

季都英司

時を視る眼鏡で彼方を見た僕のお話

『時の博物館』

 その建物の看板にはそんな言葉が書いてあった。

 多面体を組み合わせたような不思議な形で、どこか原子模型を思わせるようなそんな建築物だった。

 そんな芸術性を前面に出したような建物なのに、看板だけはどこかレトロで、大きな金属板に手書きのようなフォントで書かれている。

 

 まだ本当にこんなものが残っていたのか。

 僕はそんなことを思いながら、おそらく入り口だろう場所をくぐる。ここには何があるのだろうか。そもそも何か残っていてくれるのだろうか。

 そんなことを考える。廃墟の可能性は高いが、展示物が何か残っていれば儲けものか。


 入り口をくぐるとインフォメーションと書かれた表示が見えた。なにかパンフレットでも残っていればと近づく。

 そのとき、

「ようこそ。時の博物館へ。私はこの館の館長兼案内人でございます」

 いきなりそんな声がした。

 あわてて振り返るとそこには人影が見えた。

 ウサギの顔にタキシード。片眼鏡に懐中時計。

 そんな太古のおとぎ話にでも出てきそうな姿だった。

 旧世代のアンドロイドだろうか。今でも動いていることに驚愕しつつも話しかけることにする。


「まだ、ここは生きているんだね。何の博物館なの?」

 話をするのも久しぶりだ。


「時の博物館の名の通り、彼方の時を展示する博物館でございます」

「時を展示? どういうことだろう?」

「見ていただいた方が早いかと、ご案内いたします」

 

 そう促すうさぎの館長に連れられて奥へと進むと、大きく重厚な両開きの扉が現れる。

「こちらが展示場です」

 館長が開けてくれるようだ。

 ひどく重そうな扉だが、きしむ様子はない。手入れがしっかりとされているようだった。


「この中には無数の時が展示されています」

 そう言われて中を見てみると、薄暗い展示場の中には壁に掛けられた額や、ガラス張りのディスプレイが所狭しと置かれている。

 手近な壁に近づき展示されているものを見た。

――眼鏡だった。

 しかも無数の眼鏡。

 フレームの形や、デザイン、レンズの厚み大きさなど様々異なるが、どれもいわゆる普通の眼鏡だった。

 あらためて辺りを見回すと、どれもこれも全部眼鏡だ。

「どういうこと? 眼鏡しかないようだけど」

「これは時を視る眼鏡ございます。それぞれの眼鏡が、固定された遙かな時を視ることが出来るのです。眼鏡そのものではなく、その先に見える時こそがこの博物館の展示物、そういうわけでございます」

 ウサギの館長の顔は真面目そのものだったけど、何を言っているのか正直理解できなかった。

 少しだけ困って、頭を掻いた。

 見ると展示されている眼鏡たちは形こそ変わらないが、コーナーごとにまとめられているようだった。なにか意味があって分けられているようだ。各エリアの周りには説明らしきものが書いてある。

 このフロアにはこんなエリアがあるようだ。

『星の誕生の時の展示』

『青の海の時の展示』

『緑の茂る時の展示』

『灰色の建物の時の展示』

 その先にもエリアがあるようだが、ここからは見えない。

「ひとつご覧になりますか?」

 そう言ってウサギの館長は、一つの眼鏡を取って僕に渡してきた。眼鏡を手に固まっていると。

「その眼鏡をかけて辺りをご覧ください」

 言われるままに、眼鏡をかけてみた。


――――


 僕は驚愕した。眼鏡の先に見える世界は、緑の木々が一面に広がる森林地帯だ。

 今はもういない動物たちが群れを成し、鳥が空を舞い。植物たちが領域を競う。

 そんな光景。

 およそ今この場所ではあり得なかった。

 あわてて眼鏡を外すと、そこはさっきまでの博物館の薄暗い空間。

「これは、いったい……」

「時の景色でございます。この眼鏡は特殊なもので、設定されたその時代をかけたものに見せてくれる眼鏡なのです。今あなたがかけたものは『緑の時代』のものになりますね」

「これはなんとも、不思議なものだね。記録映像?」

「いえ、本当にその時を視ているのです。その眼鏡に何かが記録されているのではありません。当時の光を眼鏡が受け取り見せる。そういった仕組みとなっています」

「すごいものだね。眼鏡を通して、過去の映像が見られるという訳か」

 その僕の言葉にウサギの館長は、誇らしげなような、にやついているような不思議な笑みを返す。

「それぞれの眼鏡に各時代の詳細な場所や視点が設定されていますので、かけた眼鏡で様々な時がご覧いただけますよ」

「へえ、それは面白い」


 僕はウサギの館長の案内で様々な眼鏡をかけてみた。

 なるほど面白い。確かにかける眼鏡によって、見える視界が違うのだ。

 例えば緑の時代なら、

 ある眼鏡は森をさまよう獣の視界が見え、

 ある眼鏡は空を舞う鳥の視界が見え、

 ある眼鏡はなんと木々の長大な時スケールの視界が楽しめる。

 

 例えば青の時代なら、

 ある眼鏡は海を行く魚の視界が見え、

 ある眼鏡は深海の生物の視界が見え、

 ある眼鏡は海に住む微生物の視界で、これはなんとも不思議で貴重な体験だった。


 そして灰色の時代なら、

 ある眼鏡はコンクリートの建物の中を働く人々の視界が見え、

 ある眼鏡は鳥にも負けない高層から街を俯瞰する視界が見え、

 ある眼鏡はそんな灰色の建物の間の少ない緑地で、子供たちが楽しく遊ぶ風景を眺める視界が見えた。

 こんな豊かな時代がかつてあったのだなと、僕は微笑ましく思いながらも少しだけ胸が痛んだ。


 僕は幾度も眼鏡を掛け替え、時を楽しんだ。

 飽きることはなく、ひたすら眼鏡をかけては外すことを繰り返した。

 僕はどんどんと展示室の奥に進み、別のエリアに入る。

 ここにも同じように眼鏡が展示されていたが、さきほどよりも幾分か数が少ないように思えた。

「ここは?」

「このエリアでは、『無の時の時代』そして『可能性の時の時代』の時を展示しております」

「『無の時の時代』……?」

「かけてご覧になりますか?」


 僕は促されるままに、ウサギの館長が差し出す眼鏡をかけてみた。


――――


 そこには、何もなかった。

 いや、何もなかったわけではない。

 ただ、緑茂る森もなく、青い海もなく、人の痕跡たる建物もがれきの山と化している。

 生命の痕跡も、文明の痕跡も、歴史の痕跡も、すべてが崩れ去ったそんな視界。

 それは現代いまの視界だった。

 とある事象により、世界のすべて滅び去ったこの時代だ。僕の生きる今だ。

 何かの痕跡を探して、世界を放浪しなくてはならない、そんな時代。

 誰か他の命を切望して、ただ会いたいと願う、そんな時代。

 悲しみが胸にこみ上げる。

 この時代が『無の時の時代』とラベルされていることにも切なさがにじむ。 


「……これは、今の時代だね」

「左様です。この時代の平面を切り取った時の展示となります」


 僕はたまらなくなり『無の時の時代』の眼鏡を片っ端からかけた。

 なにかないか。

 残っているものはないか。

 生きている者はいないのか。

 そんなことを考えながら、ひたすらに痕跡を探すことを繰り返した。


 しばらく必死に眼鏡をかけることを繰り返し、そして諦めた。

 何も見つからなかった。


「……なるほど『無の時の時代』だ。面白い名前をつけたものだね」

 しばらく言葉にならなかった。

 滅び去った世界だ。

 知っていたことではあるが、こう現実を突きつけられるときついものがある。


「こちらをかけてみますか?」

 僕の気持ちを知ってか知らずか、ウサギの館長が僕に一つの眼鏡を差し出してきた。

 宝石で出来たような、透明感のあるフレームで

虹を思わせるような色のグラデーションがあった。

「いや、僕はもう」

 断った。もう見たくはなかった。

「そうおっしゃらずに。これは『可能性の時の時代』のものとなります。最後の展示ですので是非」

 僕は受け取った眼鏡を手に、どうするかをしばらく悩んだ。

 だがウサギの館長の言うとおり、ここまでの展示を一通り見たのだ。せっかく見つけた貴重な文明の、ひょっとすると最後の痕跡だ。終わりまで付き合おうと自虐的な気持ちで眼鏡をかけた。


――――


 その視界の中に、僕がいた。

 僕は、誰かと楽しそうに話をしている。

 友人なのか、恋人なのか、家族なのか。

 わからない。

 だが、誰かの視界に僕はいた。

 僕の記憶にはない景色だった。

 僕はその視界の中で、必死に、だけど楽しげに大地を耕している。近くには小さいが木で造った家のようなものも見える。僕の家なのだろうか。

 辺りにはわずかだが草木も見え、空にも光がのぞいている。

 希望に満ちた景色だった。


「……こ、これは、いったい」

 眼鏡を外し、食らいつくような眼でウサギの館長に問う。

「これは『可能性の時の時代』。あり得る未来の時を展示しております」

「未来……? そんなものが見えるはずが」

「この時の博物館では、あらゆる彼方の時を展示しております。それは過去に限りません。申しませんでしたでしょうか?」

 今度こそ誇らしげに、ウサギの館長は言った。

 ああ、確かに過去が見えるとは言っていない。

 僕の目からは涙があふれていた。

 この世界に絶望してから、ついに忘れていた涙だった。


「誰の時が見えましたか?」

「僕がいた。だれかが僕を見ていた。少なくとも僕は、一人じゃなかった。素敵な時だった」

「それは、ようございました。いつか訪れる可能性をご覧になったのですね」

 そうか、この景色はいつかあるかもしれない時なのか……。

 僕にもそんな景色が見られる日が来るのか。

 それはなんて素敵な可能性。

 それはなんて素敵な彼方の時。

 僕はもう一度眼鏡をかけ、ただゆっくりとその景色を目に焼き付けた。



 僕は時の博物館を出た。

「またおいでくださいませ」

 ウサギの館長が仰々しいお辞儀ともに見送ってくれた。

「ああ、必ず」

 そういって、僕は去ろうとして足を止めた。

 一つだけ聞きたいことがあった。

「そうだ。この先僕が見た景色が、この博物館に展示されることはあるかな?」

「ええ、もちろん。この時の博物館は、あらゆる彼方の時を展示しておりますからな。それが素敵な時であれば、優先的に展示させていただきますよ」

「ありがとう。展示してもらえるよう頑張るよ」

「お達者で」


 僕は振り向くと、時の博物館をあとにした。

 もう迷いはない。この世界に希望はあるのだから。僕はいつかあの眼鏡の向こうに見た景色を叶えよう。

 そして、さらなる素敵な時を見ていこう。

 それがあの博物館に展示される日が来たなら、それはとてもとても素晴らしいことだろう。


 きっともう大丈夫。今は無の時代じゃない。

 あの眼鏡越しに、僕は希望を見たのだから。

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彼方の時の博物館 季都英司 @kitoeiji

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