トルテ⑤




 慌ただしい一日はあっという間に過ぎて行きました。

 『南の国』の方角を温かく照らしていた太陽果オレンジはすっかり姿を隠し、かわりに月果レモンが夜空に姿を現します。ふと見上げると、世界樹から四方に向かって広がる天の枝からたくさんの星々が芽吹き始めたところでした。

 トルテは初日の授業を振り返りながら帰り道を親友と一緒に歩いていきます。

 学院の案内と自己紹介、これからの授業計画の説明、それからお菓子とご馳走がたくさんの、とっても賑やかな親睦会。

「みんな、楽しんでくれたでしょうか?」

 トルテが見たところ、成功半分、失敗半分という感じでした。

 『仲間たちが新しい環境に馴染めるように』と色々考えてきたトルテですが、何事も最初からうまくはいかないものです。

「いきなり全員は無理でしょ。ま、じっくりやればいいわ」

 親友のキャンディはいつも優しくて、トルテはつい甘えそうになってしまいます。

 けれど今回のトルテはすぐに気を引き締めて、両手をぐっと握りました。

「やっぱり、今からでもわたしたち、学生寮でみんなと一緒に生活しましょう!」

「それは駄目。警備上の問題があるもの。いくら私が一緒でも、他国からの学生だらけの寮にトルテを寝泊まりさせるのはまだ早すぎる。しばらくはガーランゼがいっぱいの街中で眠ること。結局、夜はここより安全な場所なんてないんだから」

 キャンディが少しだけ厳しい口調でそう言うと、トルテはしょんぼりと肩を落としてしまいました。

 ですが、キャンディの言うことは確かに正しいのです。

 共存域と呼ばれるこの街は、夜になるとその表情をがらりと変えます。

 お菓子のような生き物たちは大きく膨らんだり、目を疑うほど活発になったり、自由気ままに飛び跳ねたりとおおはしゃぎ。

 ちょこちょこと跳ね回っていた丸っこいシルエットが変化したかと思うと、あっという間に翼を生やして夜空を飛び回り始めます。

 すっかり元気いっぱいになったガーランゼたち。

 夜の冷たい空気やきらきらした星明り、そして優しく世界を照らす月の光がみんなは大好き。帰ってきたトルテを歓迎するように周囲で楽しそうに合唱します。

「トルテ、おかえり!」

「トルテ、トルテ、トルテがかえってきた!」

「お菓子ちょうだい! お菓子たべよう!」

「お菓子をくれないといたずらしちゃうぞ!」

 気が大きくなったガーランゼたちはとってもやんちゃ。

 トルテを脅かすように身体を大きく見せて、不思議な力でお化けに変身してみせます。こわーい狼男や吸血鬼、透明な幽霊や角のある神秘的な動物たち。色んな姿になってトルテのまわりをぐーるぐる。

 もちろん、トルテはちっとも怖くありません。

 みんなが本当は優しいことをよく知っているからです。

 けれど、学院に来たばかりのみんなは違います。

 たくさんのお化けを見たら、びっくりしてしまうことでしょう。

「今日一日でよおくわかったでしょ。トルテのやり方が相手にちゃんと伝わるまでには時間がかかるの。あのヴィクターってやつは分かりやすかったけど、他にもピリピリちくちくしてる生徒だらけ。まずは共通言語を持たないと話にならないわ」

「むむ。文字通りだね」

 キャンディが腰に手を当てながら言うと、トルテはどこかとぼけた答えを返します。そんな親友の態度が不満だったのか、キャンディは不機嫌そうです。

 すると、そんなキャンディの『怒りっぽさ』に反応した狼男たちが『がおー』と大きな口を開けて彼女を脅かしました。

 ですがキャンディはちっとも怖がりません。

 それは、トルテとはまた違った理由からでした。

 『ぐるるる』という低い唸り声がキャンディの喉から響いたかと思うと、狼男たちはすぐに小さくなっていきます。

 キャンディがじろりと狼男たちを睨みつけると、いつの間にか真っ黒に染まっていた彼女の左右の髪房が夜風に揺れます。

 頭上で月果が何度か強く光を放つと、キャンディの頭の上に変化が現れました。

 なんと、とても立派な三角形の耳がぴんと上を向いているのです。

 小さなキャンディの三角耳を見た大きな狼男たちはすっかり怖がってしまって、とうとうお腹を見せて降参のポーズをとりました。

「いざとなれば、相手に合わせてこういうやり方でもいいんだけどね」

「キャンディちゃん、そういうのは」

「わかってる。当面の目標は、とにかく話をしまくって『こっち』に引き込むこと」

 キャンディも本気で言っているわけではありません。

 彼女は大切な親友を守るために強気な態度をとっているだけ。

「大丈夫。わかってるよ。キャンディちゃんの願いは、私がちゃんと叶えるから」

 そう。大切なことを、トルテは一瞬たりとも忘れたことがありません。

 『争いのない、皆が仲良くできる世界』という願い。

 最初から、それはキャンディの願いだったということを。

 それを叶えることができるのはトルテだけ。

 キャンディはトルテを守るため、本当は嫌いだった戦う方法を学んだのです。

 大切な幼馴染の想いを守るために、トルテは頑張ろうと改めて決心を固めました。

 たとえ、トルテの願いを後回しにしてでも。

「むむ~。けど、クラスのみんな、なかなか手強そうだったよねえ」

「そりゃ、そういう奴を優先的に選んで集めたんだから当然でしょ。あっちはそれなりの思惑を持って色々仕掛けてくるわよ。気合入れて歓迎してやりましょう」

 トルテは話しながら、昼間のクラスメイトたちの言動を思い出していきます。

 個性豊かな仲間たち。

 でも、仲間だと思っているのは実はトルテだけかもしれません。

 たとえば、登校して最初に声を掛けてくれた『東の国』の女の子はこんなことを言っていました。

「カリンは有用なデータを集めたいの。聖女様の力を解析できれば、妖怪ガーランゼを家畜化できるの。上手く使えば『東の国』の復興に役立つの。あとカリンの召使いとしてこき使えるの。馬車馬のごとく働かせるの。なのなの」

 なんてことでしょう。

 カリンちゃん、それはちょっとひどいんじゃない?

 そんな扱いを受けたら、温厚なガーランゼたちだって思わず文句を言ってしまうでしょう。もしかすると、暴れ出してしまうかも。

 それだけではありません。他の生徒たちもこんな具合です。

「わたくしの目標は、『北の国』が磨き上げたガーランゼの封印術を更に改良することです。我が国が主導する『大監獄計画』が完成すれば、世界はもう影の脅威に怯える必要がなくなりますわ! 偉大なるこのショコラ・クリオロの言語魔術が聖女に劣らぬということを証明してご覧にいれましょう!」

 ガーランゼたちが聞いたらぶるぶると震えあがりそうなことを言っています。

 そして男子は男子で一癖も二癖もありそうな人ばかり。

「美しくも気高い聖女トルテ。どうか我が求婚を受けていただきたい! 駄目? そう? じゃあ隣のツンツンしてるキミはどう? いやいや、真面目な話だって。貴族の学院って婚活する場所でもあるじゃん? せっかく『南の国』に来てくれたんだし、いい観光地とか案内するよ? 俺、恋が成就するスポットとか詳しいんだよね。お互いのことはこれから知っていけばいいからさー、ってうわ暴力反対!」

「対話が成立し停戦が成ったということは、交渉も商売もできるということだ。つまり今が最大の商機! 俺は影の世界スキリシアにぜひとも行ってみたい! 未開拓のフロンティア、超巨大なマーケット! ああ、金の匂いがする! ああ、もちろんしっかり学ばせてもらうぜ。金づるどもの言語は知っておいて損はない」

「醜かった怪物たちが聖女の慈愛によって可憐な妖精に! おお、聖花都の導きによって愚かな影世界が照らされ、聖典がガーランゼたちの過ちを正していく。なんと美しい光景だろうか! そして聖女と同じ道を歩まんとする私もまた美しい! ああ、ヴィクターくん、この手鏡を隠してくれないか! 私の顔が眩し過ぎる!」

 結婚、商売、信仰。

 それぞれ大切なことではありますが、どうやらトルテの想いはあまり伝わっていない様子。キャンディは彼らの言葉を聞いて、『俗物どもが』とご立腹です。

 さすがのトルテも戸惑いを隠せませんでした。

 けれど、うろたえてばかりもいられません。

 彼らは彼らなりに真剣な想いを胸に抱いているはずです。

 だからこそ、トルテも真剣に自分の想いを伝えなければいけません。

 それにトルテには、いちばん手強い相手を説得するためにもっと成長しなければという焦りがありました。

「聖女トルテ。俺はこの剣が無用の長物になったとは思っていない」

 ヴィクターという少年は、誰よりも厳しい目でトルテを見ていました。

 彼の言葉は、トルテが思い描く理想からいちばん遠いところにあります。

 少年が思い描いている景色は、とても厳しい現実の世界。

 彼がずっと見てきたという、恐ろしい戦場に違いありません。

「それでもお前が『それは違う』と言うのなら、俺に聖女のやり方を見せてみろ」

 トルテはクラスメイトたちの顔をひとりずつ思い浮かべていきます。

 みんなの世界は、それぞればらばら。

 見ているものが全て違って、同じ場所にいても違うやり方で生きています。

 夜の世界で踊り続ける、いろんな姿のお化けたちのように。

 賑やかなパレードを引き連れて、トルテは勇ましく夜の世界を行進します。

「みんなに、わたしたちの世界を知ってもらおう」

 少女は不思議な行列を引き連れて、先の見えない夜の中へと消えていきました。

 その向こうに何が待っているのかは、まだ誰も知りません。




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翻訳騎士とおかしな聖女 最近 @saikin

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