ヴィクター⑥




 聖伐院の最精鋭であるヴィクターには常勝不敗が義務付けられている。

 だが、現在の彼が直面しているのはかつて思い描いていた戦いとは根本的に性質の異なるものだ。

(これは自分が思い描いていた次なる戦いではない)

 泣き言が舌先に浮上しそうになる。衝動を必死に抑制する一方で、『では自分はどんな戦いを予期していたというのだ?』と疑念が浮かぶ。

 果たして自分はあの時にフェリクスから問い掛けられた言葉の意味を、本当の意味で真剣に考えたことがあっただろうか?

「どうですか? 自己紹介の準備はできましたか? 項目が埋まったら、『仲良しノート』を交換してお互いにチェックしてみましょう。あ、恥ずかしがっちゃだめですよ。わたしたちは師弟でクラスメイトなんですからね。遠慮はなしです」

 ヴィクターは机の上を覗き込んでくる聖女トルテの声から気を逸らし、遠い過去を追想していた。だがそれは内省という言い訳で取り繕った現実逃避でしかない。 

 かつてのヴィクターだって刃を交えることだけが戦いだと思っていたわけではない。謀略、交渉、工作、ありとあらゆる手段が勝利のためには必要になることくらいは戦場の獣とて理解している。

「あーっ、空欄じゃないですか! もう、ヴィクター? 自分のことを知ってもらわないと仲良くなんてなれないんですよ? これも授業の一環なんですから、真面目に取り組まないといけないんですからねっ」

「悪いが疲れてる。少し寝させてくれ」

「あっ、初日から突っ伏して寝るのは良くないのに! 友達できなくて孤立しちゃうよ! わたしとキャンディちゃんがいるからひとりにはさせないけど、同性のお友達もいないと学校生活はつらいと思うの! ほら、勇気を出して話しかけてみよ?」

「ぐう」

「見え見えの寝たふりは悲しいよ~! このままだとみんなから陰気なコミュニケーション弱者だと思われて舐められてクラス内の立ち回りであっという間に敗北しちゃうよ? それでいいの? 歴戦の勇士が初日惨敗なの?」

「待て。誰が弱者で、誰が負けるって?」

「逆境に立ち向かえるなんて素敵です!」

 まんまと乗せられてしまった気がするが、純粋に喜びを表現するトルテの顔に嘘はないように思われた。

 ふと、疑念が浮かぶ。

 では、あの時に垣間見えた『作り物の感情』は何だったのだろうか。

 凶暴化したガーランゼと対峙した時に見えたのは、果たして聖女トルテの中にある核心のようなものだったのか。あるいは、そんなものがあると思いたかったヴィクターの願望が見せた幻か。

「見ていろ。このくらい、軽々とこなしてみせる」

 どうもこの聖女を前にしていると不要な考えばかりが頭をもたげる。

 どのような場所であっても適応し、やるべきことをやる。

 それが聖伐院の戦士の在り方だ。

 立ち上がり、ヴィクターは停滞した自己を叱責するように高らかに叫んだ。

「総員、傾注!」

 途端、『それぞれが自己紹介の内容を考える』というゆるい課題を与えられてざわついていた教室が一斉に静まり返る。

 何人かはひりついた視線でヴィクターを凝視し、眉間にしわを寄せている者もいた。明らかに歓迎されていないが、構うことはない。

 荒んだ環境下での過酷な訓練とプライバシーのない共同生活。

 聖伐院では衝突など日常茶飯事だった。

 だが、ヴィクターは確かな実力で同輩たちに己が『群れの上位者』であることを理解させた。時には威圧し、時には拳を振るう。

 同年代の競争相手に力関係を理解させるための方法を彼は十分にわきまえていた。

「俺の名はヴィクター! 『西の国』の対ガーランゼ機関、聖伐院に所属する聖伐戦士だ。ガーランゼとの戦闘経験、主要三形態についての知識ならこの中の誰にも引けはとらないつもりだ。さて、今回の課題だが、大半の者が未経験の分野であるため、単独で挑む場合は困難が予想される。そこで共同での作戦行動を提案したい。俺とくつわを並べ、いさおを立てんとする者あらば、我が剣の下に集い、共に聖句を唱えようではないか!」

 教室内はしんと静まり返っている。

「誰か! 誰か『我こそは』と名乗り出る勇者はいないのか!」

 沈黙。

 おかしい。ヴィクターは不可解さに内心で首を傾げた。

 聖伐院では舐められたら終わり。恐れるべきは弱者や臆病者だと思われることだ。

 こんなことを言われたら『俺がいちばん勇敢だ』と先を争うように手を上げ、その後で誰がリーダーになるかでひと悶着あるものなのだが。

 しばらくして、 隣のトルテが目をぱちぱちと瞬かせながら言った。

「カチカチすぎじゃないですか?」

「どういう意味だ」

「うーん。たとえばですけど、さっきの『傾注』ってやつ、『注意』とか『用意』とか『気を付け』の軍隊的な用法だと思うんですけど、『西の国』以外だとあんまり通じないし、『北の国』だと危険が迫っているとか『敵襲』のニュアンスが含まれるから日常空間で叫ぶとみんなびっくりしちゃいますよ」

「なに。ではどうやって耳目を集めればいい?」

「ん~と、みんな~ちゅうもーく! ヴィクターくんがお友達作りたいんですって! 不慣れな環境だから、お互い助け合おうって言いたかったみたい! 『西の国』の話し方はちょっとお堅い感じするけど、あんまり気にしないであげてね~」

 途端、張り詰めた教室の空気が一瞬でほぐれていく。

 『なーんだ』とこちらを見る目がやや暖かくなり、近くにいた生徒が気安い調子で話しかけてきた。目的はあっさりと達成されてしまった。

 ヴィクターは、『なるほど』とトルテを観察しながら考える。

 取り組むべき課題は、思っていたよりも難しい。

 それ以上に、聖女から学ぶべきことは多いようだった。




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