ヴィクター⑤




 遠いようで、つい最近のようにも感じられる記憶を思い返す。

 聖伐院は正規構成員がたった千人の少数精鋭の組織として知られている。

 後方支援や細々とした雑事をこなす事務方なども含めれば倍以上の数がいるが、影世界の怪物たちを討伐する戦士の枠は常に千人と定められている。

 優れた者は十人長として認められ、その中から選ばれた十人の強者だけが百人長として部隊を率いることを許されていた。

 その日、『西の国』と『南の国』に挟まれた『南西領』に集った聖伐院の部隊は三つ。少々特殊な政治的背景を持った辺境の領地だが、現在ヴィクターたちが訪れているのは人の集まる都市部ではなく鬱蒼とした森の中だ。

 世界樹からの距離は遠く、ガーランゼ侵攻の最前線からは離れた位置にあるため、このような場所に三部隊を投入するというのはあまりに不自然だった。

 だが、この森にはそれだけの価値が間違いなくある。

 少なくとも、ヴィクターはそう教えられていた。

「本当にこんな僻地にあるのか。怪物どもの侵入経路になっている『門』が」

 ヴィクターは腰の剣をいつでも抜けるように警戒しながらぼやいた。長い付き合いの十人長たちに周囲の偵察を命じながら、自身は野営を行うための拠点の設営と防衛に必要な『聖域陣』の構築を行う。

 情報通りならこの場所は既に敵地だ。

「『耳』の調査に間違いはないと思うよ~? 今までだってあいつらのおかげで俺らは随分と助けられてきた。今回も信じていいんじゃない?」

 ヴィクターの声に応じたのは彼と同い年の少年だった。

 装いはヴィクター同様に聖伐院の軍服で、胸には百人長であることを示す徽章。同じく十人しか着用を許されていないマントの裏地は派手な青。

 何かの願掛けをしているのか、赤茶寄りの金髪を長く伸ばし、後頭部でひとつに括っている。寡黙なヴィクターとは対照的に饒舌な上にやや軽薄な口調で、厳格に聞こえると評判の西方訛りではなく陽気で快活に響くという南方訛りで喋っていた。

 実際に彼は十人の隊長たちの中で最もいい加減な人物だと見なされている。

 しかし、それでも幼少期から苦楽を共にしてきた戦友だ。

 得体の知れない『顔無し』よりはよほど信頼できる。

「奴らは俺たちに隠し事が多すぎる」

「ヴィクちゃんは疑り深いね~。そりゃ機密とかあるっしょ。戦いってのは俺らみたいに外でチャンバラするだけじゃなくて、色々あんのよ」

「知ったようなことを言うじゃないか、フェリクス。お前、まさか転職希望か?」

 幼馴染を横目で睨みつけると、相手は大仰に肩をすくめる。

「まっさか~。けどさぁ、もしこのまま本当にパノティオン大遺構ってヤツが見つかって、ガーランゼを完全にこっちの世界から締め出せれば、あとはもう残党を狩るだけじゃん? 戦後の俺らはお役御免になる。その後のことくらい考えるっしょ」

 フェリクスは歯を見せる特徴的な笑みを浮かべながら言った。

 雑談をしながらも、彼と彼の部下たちは聖典を開き、淡く光る栞紐で繋がった小動物たちを使役して周囲の索敵と警戒を行っている。

 もたらされた情報によれば、ガーランゼたちが押し寄せる『門』とそれを擁する巨大な遺跡は広大な森の地下にあるらしい。

 その上、ガーランゼたちの怪しげな神秘の力によってその位置は絶えず変動を続けているのだとか。これまで敵の侵入経路が判明しなかった最大の理由がこれだ。

 今回、ヴィクターたちは遺跡に侵入する方法を探り、位置を変え続けるというからくりの法則を解き明かすための調査に訪れていた。

 世界の命運がその肩に乗っていると言っても過言ではない。

 にもかかわらず、ヴィクターはどこか居心地の悪さを感じていた。

 まるで、この任務が終わることを忌避しているかのような感覚。

 それを見透かしたように、フェリクスが言葉を続ける。

「ブラッドちゃんなんかは突っ込んでぶっ飛ばして『俺が最強!』ってやるしかないだろうけどさ。少なくともヴィクちゃんと俺はもうちょい器用なわけだ。前歴を活かした上で、それなりのセカンドライフを送るのも悪くはないと思わない?」

 ヴィクターはすぐに返事をすることができなかった。

 聖伐院の戦士は教練過程で『特殊な処置』を施される。

 敵を殲滅する獣としての最適化。闘争心と獣性の増幅。

 言の葉による暗示と、薬物による調整が彼らは特別な強者にするのだ。

 多くの戦士が戦いの中で使い潰され、その中で生き残った一握りの屈強な個体も人間的な理性を喪失していくのが少年たちの宿命だった。

 そんな中で、ヴィクターとフェリクスはある理由から『傑作』とされている。

「俺の『切り替え』はそんなに便利なものじゃない」

「それ言ったら俺の『我慢』のが不便だし。いや不幸自慢はどうでもよくて。どっちにしても他の連中より『隠す』のが上手なのは確かじゃん。少なくともさ、ブラッドちゃんみたいにあからさまに消耗品扱いされて消えるのはもったいないって思わないわけ? そこんとこ、どうよ?」 

 フェリクスの口調はいつもどおりに軽いが、探るような目には切実さがあった。

 兄弟のように育った戦友は、昔から誰よりも賢かった。

 だからこそ教官に取り入って生き残ることができたし、うまく立ち回って使い潰されずに組織の中で頭角を現すことに成功した。

 そんな彼が言うのだから、きっとそれは正しいのだろう。

 ただ漫然と目の前の敵と戦うだけでは、真の意味で勝利することなどできない。

 だが、ヴィクターは舗装された道から外れることを恐れた。

 焦れるように、フェリクスが声を潜めて囁く。

「あの突撃大好き君が、今どこで戦ってるか知ってる?」

「いや、知らされていない。この状況でブラッド隊にできそうなのは、威力偵察あたりか? そもそもこういう任務にあいつが来るのは意外だったが」

「そっか~。じゃあやっぱ、エテン様にとってヴィクちゃんは『そっち』か」

 よくわからないことを言いながら、フェリクスは寂しそうに微笑む。

 珍しい表情だった。悲しみとも羨望とも異なる、どこか彼を遠くに感じる目だ。

「これ、俺が言ったって内緒な? ブラッドちゃんはね、破壊工作中。『南西領』の南側を防衛してる部隊をこっそりお掃除してるよ」

 耳を疑った。

 掃除という言葉の意味は明らかだ。

「馬鹿な。『南の国』の部隊は人類側の戦力だろう。味方を減らしてどうする。ガーランゼとの戦いが苦しくなるだけだ」

「ヴィクちゃんはいい子だね~」

「よせ、撫でるな。年下扱いはやめろ、月果ひとつの違いだろうがっ」

 腕を振り払って怒りを表明するが、本気の感情には程遠い。

 それよりも、ヴィクターにはもどかしさがあった。

 だが、本当にもどかしさを感じているのは相手も同じだ。

「ガーランゼが現れる前は人間同士で戦うのが普通だったって知ってるだろ? じゃあ戦いが終わったら、次は隣の国を警戒しなきゃ」

 フェリクスはヴィクターよりもずっと広い視野で世界を見ている。

 その事実を実感して、少年は本当に嫌だったのが『年下扱い』ではないことを自覚させられる。それは疎外感や焦燥感に似ていた。

「『南西領』が微妙な立場の係争地だって知ってるっしょ?」

「たしか、ヌルリンギアだかバオランだか地名がはっきりしない土地だ。大王国だいおうこく分裂以降は『中大王国なかだいおうこく』と呼ばれていたが、その後の後継者問題と言語戦争がこじれて紛争が続いた、と資料には書かれていたな」

 この土地についての基本的な知識は事前に資料が与えられていたため、概要は理解している。しかし、いかなるルートかは知らないが様々な書物を読み漁るのが趣味のフェリクスとでは知識の絶対量に大きな隔たりがあった。

「『西の国』の呼び方はヌルリンギアかヌールレグナムだね。俺らはそっちの名称で確定させることが目的なわけ」

「何百年も解決していない領土問題がそう簡単に解決するのか?」

「ブラッド部隊が南の連中を殲滅したら、次は『耳』の連中が月の案山子を撒いて野良のガーランゼを人里におびき寄せる。そこでタイミングよく我らが西の部隊が駆けつけて住民を救うっていう筋書きがあるわけよ」

 絶句する。

 陰謀というには強引過ぎる脚本だった。

「あとは西系住民が迫害されてる証拠が見つかったり、弾圧してた領主が処刑されたり、西系住民解放の機運が高まったり、俺たちに助けを求めてくれたり、とか?」

 もちろん、今すぐにそうなると決まったわけではない。

 だが、戦いが終わった後はどうか。

 段階的にそうした計画が進んでいく可能性は否定できない。

「どう? そういうの、一緒にやんない? 英雄になれるかもよ、俺たち」

 フェリクスの誘いは、次なる戦いへの道に続いている。

 二人はずっと勝利と生存を目的に戦い続けてきた。

 戦いの相手が変化しても、目指す先は同じはずだ。

 その、はずなのに。

「先の事などわからない。まずは目の前の戦いに勝利するだけだ」

「うん。ヴィクターはそう言うと思ったよ」

 なぜか、即答できなかった。

 そんなヴィクターを、フェリクスはまたどこか距離を感じる視線で見つめる。

「けどさ、お前は強いからきっと生き残る。『戦いの後』は、否応なくやってくるはずだ。だからさ、その時になったらちゃんと考えてくれよ」

 そして、今度は親しみを込めて陽気に笑って見せた。

「だってさ、もし俺も生き残ってたら、二人で一緒の進路がいいじゃん?」

 それはあの血みどろの決戦が始まる、少し前の記憶。

 ヴィクターの部隊は壊滅し、他の百人長たちの大半が命を落とした死闘。

 思えば、兄弟同然に育ったフェリクスと穏やかに言葉を交わしたのはあの時が最後だったような気がする。

 だからだろうか。あの時に見たフェリクスの笑顔と、未だ答えの出ない問いが、まだ心の隅にひっかかっていた。



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