トルテ④




 実のところ、トルテにはとても大切な使命がありました。

 それはまだ誰にも秘密の、親友のキャンディにだって言えない決意です。

 世界を救った聖女さまは、いったいどんな秘密を隠しているのでしょうか。

 もしかして、お菓子の食べ過ぎで太っちゃったから、ダイエットしようと心に決めた、とかでしょうか?

 いえいえまさか。

 もちろんそれもあるのですが、ダイエットは一番の決心ではありません。

「ごめんね、トルテ。すぐに駆けつけなきゃいけなかったのに、肝心な時に頼りなくて、本当にごめんなさい」

 もうしわけなさそうに項垂れているキャンディは、今にも泣きだしてしまいそう。

 生徒たちは入学式のために講堂に集合して用意された椅子に座っています。式典が始まるまでの時間はあちこちからひそひそ話が聞こえてくるので、隣に座った二人が顔を寄せ合って話していても周囲には聞こえません。

 普段は勝気で弱いところを見せたがらないキャンディですが、トルテは親友が弱いところもたくさんある普通の女の子だということを良く知っています。

 だからトルテはよしよしと慰めるように二色に色分けされたキャンディの頭を撫でてあげました。小さい頃から、彼女はこうされるとすぐに泣き止んでくれたのです。

「気にしないで、キャンディちゃん。わたしはほら、平気だから。それより皆を守ってくれてありがとう。おかげで誰も怪我をしなかったよ」

「でも」

「それにね。わたしはあのヴィクターってコに弟子入りしたから。今度こそ強い剣士になって、守られるだけの弱虫から卒業するんだ。そしたら、今度は私がキャンディちゃんを守ってあげる」

 決意したトルテの表情を、キャンディは不安そうに揺れる目で見つめます。

 そう、それこそがトルテが胸に秘めた一番強い想いでした。

「これ、誰にも内緒ね。私はこの学院で物凄い武術を身に付けて、なんでもできちゃう万能のスーパーヒロインになってみせる!」

 トルテは脳裏に『強くて格好いいわたし!』という未来の姿を思い描きました。

 それは、世界を救う旅の中でずっと考えていたことです。

 彼女が世界を救うまでの戦いは、頼れるベネディクトやキャンディに守られて、危険から遠ざけられた状態で行うとても安全で平和なものでした。

 けれど、仲間たちの背中を見ながらトルテはずっと思っていました。

 『ああいうかっこいい大立ち回り、わたしもやってみたい』と。

 そして、トルテには『スーパーヒロイン』の先にも目指す光景がありました。

「そしたらみんなに尊敬されて~、活躍が本になって辺境世界でも翻訳されて~、歌劇にもなっちゃって~、億万長者になって毎日高級なお菓子を食べ放題!」

 なんということでしょう。

 世界に平和をもたらした聖女トルテは、とっても俗っぽかったのです。

 幼馴染のそういうだらしないところを良く知っているキャンディは、すっかり呆れてしまいました。

「それ定期的に言ってるけどさ、たぶんあんたじゃ無理だと思うよ。はぁ。何度言っても懲りないからなぁ。ほんとうにこのコはもう」

「むむ、信用ないなあ。今度こそ大丈夫だもん。ベネディクト先生とキャンディちゃんに教える才能と根気がなかっただけだもん。ヴィクターはきっといい師匠だもん」

「どーせあいつだって月果が朔落さくらくする頃には匙を投げるよ」

「むー、またそういうイジワル言うんだからー」

 仲良く話していると、時間はあっという間に過ぎていきます。

 気付いたころには式典の準備はすっかり整っており、生徒たちや教職員が見つめる中、講壇の奥にやや年嵩の男性が現れます。

 丸みを帯びた頬と頬の弛みが年齢を感じさせますが、輝くような金色の髪や隙の無い足取りは不思議と若々しさを保っています。

 トルテの隣で、キャンディが目を輝かせて小さく「パパ」と嬉しそうに呟きました。彼女はとっても『ファザコン』なのです。

 いつものことですが、トルテはキャンディが小さい頃に『パパと結婚する!』と宣言していた時からあまり様子が変わらないことがちょっとだけ心配でした。

「はじめまして、生徒の皆さん。私が学長のシロップ・ハルモニアです」

「きゃ~、パパ~! かっこいい~!」

 トルテは目をきらきらさせている親友の口を素早く塞ぎました。

 周囲からの視線に居たたまれない気持ちです。

「先ほどのトラブルに驚かれた方も多いでしょう。ですが、あれこそがこれから君たちが向き合わなくてはならない現実なのです」

 羞恥で火照った頬を冷ましながら、トルテは真剣な顔になって壇上を見上げました。こういう時、すぐに切り替えられるのが彼女のいいところです。

「私の言葉が通じる皆さんは、もちろん聖典についてご存じでしょう。『はじまりの翻訳騎士ペレク』。『写本の聖者エテン』。『歌劇の聖女ヌール』。偉大なる三人の英雄が訳した聖典は四方国家を繋ぐ架け橋となり、平和をもたらしました。世界樹の善き教えこそが不毛な争いを終わらせ、正しき未来の枝を育むことを我々は知っています。ですが、その教えは異なる世界、異なる文化では通用しません」

 この世界では誰もが知る物語は、世界の外側では知られていない物語ということでもあります。聖典から引用されたありがたい言の葉は、これまでずっと人々に癒しと守りをもたらし、スキリシアの影の住人たちには疎外感を与えてきました。

「我々は偉業を再現しなければなりません。スキリシアというなにもかもが異なる世界を知り、その理に沿った形での聖典の伝道を成し遂げることができれば、寛容なる世界樹は影に住まうガーランゼたちさえも正しく導いてくれることでしょう」

 『教え』は生徒たちにとって大切なものです。

 信心深い生徒も、そうでない生徒も、世界のどこからでも見えるロディニオの大樹に対しては敬う気持ちを持っていました。

「このレストローセ学院は偉大なる英雄の志を受け継ぎ、現代に適応した翻訳騎士を育成することを目的に設立されました。時に戦争を仲裁し、時に辺境の系統外言語を調査し、時に魔書を封印し、時に魔獣を調教する。そうした古来より存在する役割に加え、新時代の翻訳騎士は影と手を取り合う術を身に付けるのです」

 当然、シロップ学長の言葉を素直に受け入れられる生徒ばかりではありません。

 親から言われてきただけで、本当はつい最近まで戦争をしていたガーランゼのことを怖がっている人がほとんどでした。

 それでも、誰もが知る英雄の活躍を聞けば少年少女は胸を躍らせます。

 今度は自分がその英雄になるのだと思えば、ワクワクする気持ちが湧いてくる者だって大勢いました。勇敢だったり、野心に満ちていたり。中にはトルテのように俗っぽい欲望やお金のことばかり考えている生徒まで。

 しかし。

 そんな生徒たちも、実際に困難に直面するとやや及び腰になってしまいます。

「そこで私から、生徒諸君への最初の課題を与えようと思います。幸い、この共存域には数多くのガーランゼが住んでいます。君たちはこのガーランゼの中からひとりを選んで、パートナーになってもらいます」

 ざわざわと戸惑いの声が広がっていきます。

 トルテとキャンディは涼しい顔をしていますが、ガーランゼと仲良くなる方法なんてまったく見当もつかないほとんどの生徒は困り果ててしまいました。

 それでもシロップ学長は容赦がありません。 

「ちょうど今夜から月果が実り始めますね。それでは期限は枝から落ちて朔月となる日までとしましょう。それまでに、ぜひガーランゼと二人一組になって下さい。さあ、青春を異邦の友人と共に謳歌しようではありませんか!」

 もちろん、元気よく『はい』と答えることができたのはトルテとキャンディの二人だけでした。そのずっと後ろの方で、ガーランゼと戦ってばかりだったヴィクターは顔を青くしています。あらあら。一体、これからどうなってしまうのやら。


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