ヴィクター④




 茶番が終わると、生徒たちは学院の奥にある講堂への移動を指示された。

 じきに入学の式典が行われるためだが、恐らく学長が口にする内容は先ほど教師ベネディクトが述べた口上と似たり寄ったりだろう。

 既にヴィクターの関心は目の前の二人に移っていた。

 それらしい理念や建前に関心はない。

 彼と彼が所属する聖伐院が知りたいのは、その奥に隠された真意だ。

「聖女トルテ。お前は弟子にして欲しいと言ったな? なぜそこにいるベネディクト先生を頼らない? 戦い方を教わるならまずは教師に頼るのが筋だろう」

 トルテはすぐそばのベネディクトをちらりと横目で見てから口を尖らせた。

「実は頼んだことはあるんですけど、『あなたはまず得意なことに専念し、長所を伸ばすべきです』って言われちゃって」

「なるほど、確かにその通りだな。そうしろ」

「でもでも、これからは身を護る力も必要なんですよ! この学院も、そういう意図があって文武両道を掲げててっ」

「俺は教師じゃない。そして俺の使う剣はお前たち聖花都の理念とは相反するものだ。敵を殺すための方法が知りたいのか?」

 懸命な嘆願を冷淡に突き放そうとするヴィクター。

 トルテは悄然と項垂れ、それを見ていた派手に髪を染めた友人らしき女子生徒が「ちょっとあんたねぇ」と気色ばむ。

 だがそのとき、意外な助け舟が出された。

「私からもお願いします。ヴィクターくん。トルテに聖伐院の戦闘術を教えてあげてくれませんか」

 ベネディクトが思惑の読めない微笑みを浮かべながらヴィクターを見ている。

 染み付いた対人戦の手順を自然に思い起こし、殺すための手順を幾通りか組み立てる。聖句装填の手順が必須となるガーランゼとの戦いとは違い、人間が相手なら抜刀と納刀を繰り返す必要性はない。自然と剣戟の選択肢は大きく広がる。

 だが、ヴィクターには相手を確実に切り伏せられるという確信が持てなかった。

 聖伐院の教官と向かい合っているかのような圧迫感。

 あるいは、数度だけ手合わせを許された聖伐院の長、『聖者』に匹敵するほどの実力を秘めているかもしれない。

 本気で戦うことになれば、ヴィクターは『切り札』を使わざるを得ないだろう。

 警戒心をうっすらと滲ませていることがわかる程度に、ヴィクターはややわざとらしいくらいに丁重に振る舞うことを決めた。

「ご冗談を。聖花都が誇る『翻訳騎士』を差し置いて、俺のような若輩者が聖女に剣を教えるなど畏れ多い。それに、正統なる聖花都の使い手が我々聖伐院の先鋭化した技術を肯定する言動は少々危ういのではありませんか?」

「だからこそ、だよ。我々はふたたび聖伐院や聖者殿との関係を結び直したい。君を招待したのもそのためだ」

 ベネディクトの言葉、それ自体に嘘はないだろうとヴィクターは判断した。

 先ほどの茶番も合わせて考えると一貫性もある。

 まさしく『不断の努力によってのみ平和は実現される』わけだ。

 帯剣した両者の間に存在する緊張は、背後に存在する組織の関係性をそのまま引き写したものだが、学院内でそれを顕在化させるリスクはヴィクターも承知している。

「それは、学院の教師としての命令でしょうか?」

「『そうだ』と言えば、君はこちらの手を取ってくれるのかな?」

「俺は聖伐院の戦士です。己の意思で教えを裏切ることはできません。しかし、学院に籍を置く以上は教師の指示には従う必要があります」

「では命じよう。ヴィクター、トルテの不得手な実技を教えてあげなさい。そのかわり、君もわからないことがあればトルテに教えてもらうといい」

「拝命しました」

 聖典を胸に当てながら略式の礼を行う。

 不測の事態に見舞われはしたが、おおむね事前に想定していた通りの流れになった。ヴィクターにとって真の戦いはここから始まる。

「聖典に曰く、『影の策略に抗うことができるように、聖なる武具を身に付けなさい』。聖女トルテに必要な備えを授けてみせましょう」

「ありがとう。だが私の聖典には『影の考えを知ることができるように、善き知恵を身に付けなさい』とある。続く言葉は『わたしたちの戦いは血肉を相手にするものではなく、暗闇と悪なる教えを相手にするものです』だ。我々の目指す場所が同じであることを願うよ」

「失礼しました。なにぶん、旧来の翻訳については不勉強だったものですから。正統なる言の葉の重み、胸に刻ませていただきます」

 『正統』という単語をわざとらしく強調して返事をする。

 ベネディクトとの間に存在する空気はそれ以上に重くなることはなく、柔らかな笑みと慇懃な態度に挟まれて曖昧に溶けた。

 教師はその場を立ち去り、少年はその背中をじっと見つめる。

 ヴィクターにとって聖女トルテは因縁の相手だが、彼が所属する聖伐院が見据えているのはその奥にある勢力だ。

 共存派は四方国家に影響力を及ぼすほどの規模を持ち、各国の有力者に働きかけて有望な若者を一か所に集めさせるという偉業を短期間で達成してみせた。

 その母体となっているのは半端なカルト教団やガーランゼに臆した惰弱な裏切者などではあり得ない。より強大な組織が聖女トルテを担ぎ上げている。

 世界樹の守護者、『聖花都』。

 四方国家のいずれにも属さない、『世界首都』は全人類にとっての聖地である。

 だがスキリシアが侵攻を開始した時、聖花都で任についていた当時の戦争仲裁者、すなわち翻訳騎士たちは和平交渉に失敗し、無惨な敗死を遂げたという。

 その後、遅すぎる方針転換の後も聖花都は四方国家連合軍を率いた緒戦で大敗を喫し、その権威は失墜した。

 ヴィクターが生まれる前の話だが、その失敗は世界の秩序を大きく歪めてしまったのだと聞いている。

 かつて穏やかな理想を掲げていた聖花都は信用を失い、『西の国』は他の三つの大国との協調を早々に諦めて自国のみを守ることに専念し、牙を研いだ。

 その牙こそが聖伐院であり、その源流となった創設者たちの中には惰弱な聖花都から離反した主戦派が数多く含まれていたという。

 要するに中央の聖花都にとって、西の聖伐院とは『異端』に他ならない。

 だが、聖女トルテの活躍によって戦いが平和裏に終わったことで状況は一変した。

 聖花都の共存派は四方国家への影響力を強め、世界のリーダーとしての権威を取り戻そうとしている。

 現代の翻訳騎士であるベネディクトがヴィクターに対して歩み寄ることの意味を考えれば、その裏にある思惑は明白だ。

 聖伐院の焦りは当然と言えた。このまま行けばヴィクターたちは牙を抜かれ、正しき聖花都にこうべを垂れることになるだろう。

 『翻訳騎士』と『正統なる聖典』にはそれだけの重みがある。

 スキリシアが襲来するよりも遥か昔、世界樹の言の葉が引き裂かれ、方言化し、四方国家の言語へと分化したのち、バラバラになった思想は衝突し大乱を引き起こした。それを仲裁した英雄こそが『はじまりの翻訳騎士』だ。

 翻訳騎士は『写本の聖者』と『歌劇の聖女』と共に正しき『聖典』を広め、以降はそこに記された聖句と聖文字を基準として『共通語』が定められた。

 四方国家それぞれで単語や文法に多少の揺らぎは生じたが、教養ある貴族社会や規律ある軍隊では聖典を基準にした『言の葉』が用いられてきた。

 昔の話だ。スキリシアの怪物に抗うため、各国は独自に言の葉を改良し、言語魔術を磨き上げた。西方の聖伐院が解釈した聖典の翻訳は旧来の『正統』から大きく外れている。もちろん、こちらにとっては新しい訳こそが『正しい』のだが。

 ゆえに、聖伐院はヴィクターに使命を授けた。

 ひとつはガーランゼを無力化する手段の秘密。

 それは聖女を探り、学院で学ぶことで判明していくだろう。

「えっと、それじゃあヴィクター! こんど特訓しましょう! そうだ、好きなお菓子はありますか?! 休憩の時に一緒にお茶しましょう!」

「水分と糖分の補給なら勝手にやれ」

「じょっ、情報の交換とかっ! わたしたちの社交プロトコルに習熟しておくことでコミュニケーションの効率化を図った方が合理的ですよっ、今後のために!」

「理解した。一応は付き合おう。口が上手いことだな」

 溜息と共に相手の調子に合わせるふりをしておく。

 明らかに相容れることのない相手だが、聖女トルテとの接触は必要なことだ。

 使命には続きがある。

 仮にガーランゼを無力化する方法が聖女個人の資質に由来する属人的な才能であった場合、ヴィクターはある手段を選ぶように指示されていた。

 それは端的で短絡的な、正統を否定するための手段。

 すなわち、『聖女の暗殺』である。



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