トルテ③




 聖女と呼ばれている女の子であっても、苦手なことはあります。

 それは大人から叱られること。

「トルテ。どうしてガーランゼたちを学院まで連れてきたのですか? それも一人や二人ではなく、こんなに大勢を」

 返す言葉もなく、トルテはすっかり縮こまってしまいました。

 彼女に周囲にいるたくさんの不思議な『ふわふわ』たちも、それにつられてしょんぼりとしています。悲しそうなトルテを慰めようと足首に身体をこすりつけて、くうくうと鳴くガーランゼたちはすっかり無害な様子。

 トルテを叱っていた男性はそれを見て安心したように息を吐きました。

 穏やかそうな声と知的な眼鏡、その奥にあるとても細い目。

 すらりと背が高く、整った顔立ち。

 立ち姿ひとつとっても洗練されているのがわかります。

 遠巻きに見ていた中にはうっとりとしている女の子までいるみたい。

「おー。いけめんなの」

「素敵ですわ。劇的ですわ。運命ですわ! わたくしの窮地に駆けつけて下さったあの殿方はいったいどなたなのでしょう?!」

 先ほどトルテに話しかけてきたカリンとショコラという生徒たちもすっかり男性の美貌に夢中です。

 一方、実際に剣を振るって彼女たちを助けたヴィクターは釈然としないような顔をしています。悲しいことですが、この学院に集まっている生徒たちはほとんどが良家の子女。ヴィクターの雰囲気を粗暴で近寄りがたいと感じる人の方が多いみたい。

 ですが、この男性と長い付き合いのトルテにはわかります。

 穏やかで優しそうな時ほど、この人はとても『おっかない』のです。

「えーっと、なんか楽しくなっちゃって、つい」

「ごめんなさい先生! 強く止めなかった私が悪いんです!」

 親友のキャンディは隣で必死になって謝罪しますが、先生と呼ばれた男性はトルテに視線を注いだままです。

「ふむ。聖女トルテは親友に己の失態の責任を押し付けるような恥知らずだったのでしょうか。これはとても憂慮すべき事態ですね」

「ごめんなさい、ベネディクト先生。キャンディちゃんは悪くないです。全て私のやらかしです」

 トルテは親友が庇おうとするのを止めてから改めて自分の非を認めました。

 ベネディクトと呼ばれた男性は眼鏡の蔓に軽く触れながら、短い溜息。

「早期に親しみを持ってもらうことは確かに重要です。セレモニーに合わせたイメージ戦略が必要であることも。あなたの事前の提言には一定の価値を認めますが、警備上のリスクを踏まえた上で時期尚早と申し上げていたはず」

「返す言葉もありません」

「そして、こうなっては平和というイメージも薄氷の上に築かれた虚構でしかないと生徒たちも理解せざるを得ないでしょう。よりにもよって入学初日のこの段階で」

「うう、ごめんなさい」

「謝罪は結構。罰は後ほど。予定を前倒しにするしかありません。合わせなさい。いつも通りで構いません」

「はい~」

 情けない声で返事をするトルテから視線を切って、男性はヴィクターの方を向きました。穏やかな教師に見えるベネディクトと対峙したヴィクターは、どうしてか表情を硬く強張らせています。

「まずは謝罪とお礼を。あなたの活躍があったからこそ、ここまで迅速に事態を収拾することができました。ありがとうございます」

「あなたは?」

「申し遅れました。私はベネディクト。この学院の教師をしております。入学して早々にこのような事態に巻き込んでしまったことを、改めて謝罪させて下さい」

「ガーランゼの襲撃に対処をするのは当然のことです。礼には及びません」

 淡々としたやり取りは、どこか緊張感のあるものでした。

 もしかしたらそれは、ベネディクトという男性も帯剣していたからかもしれません。腰から下げられた鞘には精緻な装飾が施され、紐で繋がった反対側の腰には大きな聖典を提げています。これは四方国家では標準的な戦士の装いで、ガーランゼと戦うためには必須とされている装備一式です。

「その冷静さと確かな腕前。伝え聞いていた通り、あなたは理想的な戦士のようですね、ヴィクターくん。先ほどの件とは別に、先に謝らせてください」

「俺の名前を、いや謝罪というのは?」

 謎めいた言葉の意味を聞き返そうとしたヴィクターでしたが、ベネディクトはすぐに視線を外側に向けてしまいました。

 ぐるりと周囲を見渡しながら両手を広げ、校庭に散らばって遠巻きにこちらの様子を窺っていた生徒たちに呼びかけます。

「生徒諸君! 今の光景を見て理解しただろう! 聖女が勝ち得た平和は、決して永続的なものでもなければ、綻びなきものでもないと!」

 朗々たる宣言に、どよめきが広がっていきます。

 そんな不安を感じ取ったのか、トルテの周囲でガーランゼたちがぷるぷると震えはじめました。トルテとキャンディはそれをなだめようとよしよしと撫でてあげます。

 一方、先生は激しく両手を広げて声を張り上げました。

「諸君らの混乱は当然である! その通り、我ら共存派がもたらした終戦という結果は、ただ漫然と享受するだけで維持できるほど容易いものではない! いましがたこの二人が苦闘の末に勝ち得たように、不断の努力によってのみ平和は実現される!」

 熱のこもった独演会が始まります。

 良く通る声は舞台の上の役者のようで、さきほど黄色い声を上げていた女子生徒はもちろん、それ以外にも思わず聞き入ってしまう生徒が増えていきました。

 ベネディクトには、人を惹きつけるカリスマのような魅力があったのです。

「生徒諸君。君たちは何ゆえに世界各国から集められ、この学院に通うこととなったのであろうか。その答えは先ほどの光景にある! 怪物を友とし、脅威を制するために必要なものは二つ! 正しき知恵と正しき力。大いなる世界樹より我らの祖が賜りし『言の葉と言の刃』だけが平和への道を切り開くだろう!」

 彼は左右の腰に手を伸ばすと、聖典を胸の前に置き、剣を高らかに掲げました。

 これは式典などでは定番の作法です。

「もはや不安は不要である。なぜならば、これから世の不安を取り除く役目を担うのは生徒諸君であるからだ。諸君らはこの学院でガーランゼに対する正しき理解を得るだろう。災厄に対処するための手段を知るだろう。そしてその全てをそれぞれの祖国へと持ち帰り、より確かな平和への基盤を築き上げていくだろう」

 未来の展望と、学院の意義。

 そのイメージが周囲にゆっくりと浸透していくと共に、ざわめきは収まり、いつのまにかガーランゼたちの震えも止まっていました。

 ベネディクトは「恐れるなかれ」と生徒たちに声を掛けたあと、一歩下がってからトルテとヴィクターを紹介しました。

「まずは実演講義において見事な範を示してくれた二人に盛大な拍手を! 我ら共存派の旗印『言の葉の聖女』トルテ! 聖伐院より招かれた精鋭『無敗の騎士』ヴィクター! 生徒諸君がこの二人の俊英に続いてくれることを期待する!」

「みなさーんっ! わたしたちと一緒に頑張って勉強しましょうね~!」

 にっこり笑顔でぶんぶんと元気よく手を振るトルテ。

 その愛らしい姿に、大勢の生徒たちが次々と夢中になっていきます。

 ヴィクターは『信じられない』とでも言わんばかりの目をしていましたが、しばらくして観念したように周囲に向かって控えめに手を振ることにしました。さすがは歴戦の戦士、素晴らしい順応性ですね。

 ベネディクトはそれを見て満足そうに頷くと、あらためて宣言します。

「ようこそ、調和の学び舎、『レストローセ学院』へ! 世界の平和は、明日の君たちが実現するのだ!」

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