ヴィクター③
怪物体のガーランゼが市街地に同時顕現。その数は百体以上。
太陽果が出ている時間帯とはいえ、並みの戦士にとっては絶望的な状況だった。
だがここにいるヴィクターは並みの戦士などではない。彼は月果に猛る怪物との死闘を幾度となく切り抜けてきた歴戦のつわものである。
「あの、助けてもらっておいてこんなこと言うのもどうかと思うんですけどっ」
「黙ってろ」
「むむ~っ!」
非戦闘員を守りながらという不利な状況であっても彼の心が折れることはない。
抜き身の刃を瞬時に納刀して聖典の再詠唱を実行。
『偉大なる植樹者と樹木医の名において』
聖句の充填と同時に後ろの少女を抱きかかえ、素早く跳躍。振り下ろされた怪物の一撃を回避しつつ左手の籠手から射出された
「あのっ、待って下さい!」
「待たない」
ヴィクターたち聖伐院の戦士が用いる剣は『西の国』では希少な太陽果の種から削り出して鍛えた聖剣である。とりわけ、最精鋭であるヴィクターが持つのは最も激しく輝く夏季の太陽果製の聖剣だ。万全の状態であれば真昼のガーランゼなど容易く切り伏せられるだろう。
「ちょっと~?!」
聖典の詠唱文を選択して必要な部分のみを拾い上げる。
『悪い言の葉を剪定する者は賞賛され、反対に悪い言の葉を育てる者は罰せられる』
鞘の中で刃に宿った言の葉を精読してから樹上から飛び掛かる。
「八つ裂きにしてやる、怪物ども」
「だめーっ!」
跳躍からの斬撃は、しかし不意打ちのようなタックルによって失敗した。
勢いよく飛び掛かってきた少女がヴィクターの背中にしがみついているのだ。
「なっ、馬鹿っ」
「馬鹿はそっちだーっ! 余計なことしないで! 暴力反対!」
不格好に墜落するヴィクターの真下から怪物の爪が迫る。聖典から
「言っている場合か! この状況を戦闘以外でどう収めるつもりだ!」
不格好に着地しながら聖典を中心に円状に巡る聖句を展開、怪物たちを牽制。
『刈り取る者は水を与える者のように、水を与える者は刈り取る者のように』
わずかな時間だが安全を確保できたことを確認すると、ヴィクターは抱き着いたままの邪魔者を引き剥がし、険しい表情で睨みつけた。
驚いたことに、睨み返された。燃えるように赤い視線に面食らう。
「助けてくれたことには感謝していますっ! でもそこから先は全部だめ! 敵意はしまって! 戦おうとするから戦いになるのっ!」
「寝ぼけたことを、これだから平和だ共存だと腑抜けたことを言う連中は」
この女は楽観論と理想論を胸焼けするほど食い過ぎて頭がお花畑になっているのだろう。さもなければガーランゼという怪物がどれだけ危険な性質を有しているのかもろくに知らずに楽園を信じ込んでいる真正の大バカ者だ。
ヴィクターは聖伐院で異形の存在に対する知識を嫌と言うほど叩き込まれ、戦場でその真の恐ろしさを骨身に刻まれた。
だからこそ、このようなくだらない妄想によって軽率に人々の命を危険に晒す『善意の愚か者』の存在には我慢がならない。
ヴィクターは侮蔑の視線を少女に向けながら口を開いた。
「いいか、無学なお前にもわかるように説明すると、奴らは」
が、台詞を遮るような凄まじい長広舌がヴィクターの意識に空白を生む。
「わたしはガーランゼの反応性模倣の話をしてるんですぅー! 聖句使いなら植樹配置から学院の言理濃度が高いことくらいわかるでしょう?! あなたの戦闘行為によるアドレナリン放出と
空白。
完全な沈黙。
ヴィクターは停止し、少女の言葉を咀嚼し、半分くらいの内容が理解不能であるということを理解した。
逆に言えば半分は理解できたということだ。
だからこそ一定の推測が成り立つ。
あの時、自分に成し遂げられなかった『戦いの終結』を聖女が実現したのは幸運や偶然などによるものではなく必然であり、その背景にはヴィクターには理解できていない『何か』があるということ。そして、それこそ彼が見極めるべきものだ。
何を言っているのか、完全にはわからない。
だが、聖女を聖女たらしめる『仕組み』と共存域を成立させていた『理屈』がそこにあるのなら、それは無視できない。
「まったくもーっ! あのコの『決闘宣言』だけで喚起されたにしては反応がおっきすぎると思った! あなた、戦場帰りとかでしょ? 無理もないけど! いちおう言っておきますけどね、きっかけはあのショコラちゃんだけど、こんなに大騒ぎになったのはあなたのせいでもあるんですからねっ」
「はあ?」
理解不能な言動のままぷりぷり怒ってみせる聖女は、しかしちっとも怖くない。
というか、ヴィクターの見たところこの女は怒っていない。
まったく感情を動かさないまま、しかし『不満ですよ』という意思を伝達するために過剰な感情表現をしてみせているだけだ。
燃えるような、命のように生々しい瞳の色だけがヴィクターをまっすぐに見る。
「むーっ!」
女は過剰なまでに幼く振る舞いながら、けれど感情だけが欠落していた。
戦友たちの心が摩耗していく様を間近で見続けてきたヴィクターにはわかる。
表情豊かに童女じみた振る舞いをする聖女の内側には、心だけが見えない。
ぞっとする。あるいは、この女には。
「キャンディちゃんが周りの人たちを落ち着かせてくれているから、いまのところ一番この状況の発生原因になってるのはあなたですっ! あーなーたっ! はい落ち着く! 深呼吸! お菓子食べます?! こわくないですよ!」
「まずお前が落ち着け」
「これが落ち着いていられるかーっ! ぷんすかぷん! おこですよわたしっ! あのですねー、わたしひとりなら、こんな大事にはならずに最初からかるーく問題解決できたってことなんですからね!」
聖女は言いながら立ち上がり、無造作にすたすたと怪物たちに近づいていく。
円状に広がる聖句に守られた領域は安全だが、ヴィクターに向かって殺到する怪物たちは恐ろしげな様子で牙を剥き唸り声を上げていた。見えない壁に爪を突き立てるたび、金属が軋むような音が鳴る。
「おい待て、死ぬぞ」
警告するヴィクターの声を無視して少女はふん、と鼻を鳴らしながら聖域から一歩を踏み出した。
「いいですか。心を穏やかにしてこのコたちと向き合えば、ちょっと大きくなってしまっていても、ぷぎゅっ」
怪物のひと撫でが少女を横殴りに襲い、吹っ飛ばされた小さな身体が無造作に横たわる。腕が変な方向に曲がっており顔からはどくどくと血が流れていた。
「死んだか?」
「じんでまぜんっ」
たいへん! 頭からピューっと血が飛び出して、まるで噴水みたい! 大慌てで頭を押さえたら、今度は反対側から鼻血がどくどく。それでも健気にがんばるあたりは大したものです。えいや、と起き上がって気合を入れ直します。
「うぐ、いえあの、あっちはじゃれ合ってるつもりなんです。たださっきの変身の影響が残ってて身体がおっきいままだから」
ヴィクターは、おやおや? と首を傾げました。
何かがさっきまでと違っているような気がしているのですが、その正体がつかめずにもやもやとしてしまっているようです。
それでも一生懸命に頑張る女の子を見て、カチコチの彼の心も少しだけ動いたみたい。怪我をしてしまった部分をいたわりながら声をかけます。
「こういう状況は初めてなのか?」
「今まではちゃんとガーランゼたちの性質を理解しているキャンディちゃんたちが守ってくれたり、あとは最初からちっちゃい状態でお話できてたので、その」
「つまり俺のせいか。なるほど、理解した」
彼は沢山の戦いを乗り越えてきた勇敢な戦士ですから、こういった状況でもいざとなれば物分かり良く柔軟に対応することができました。
暴れん坊になってしまったガーランゼたちは、とっても力が強くて簡単には話を聞いてくれません。女の子だけではとてもかなわないでしょう。
けれど、ヴィクターが一緒なら話は別です。
「抑えるのを手伝う。殺意を抑制し、感情を平静な状態に保てばいいんだな?」
「はい、その通りです。でも、いいんですか?」
「お前はこいつらを無害な状態に戻せ。できるんだろう?」
大切なのは、人々を守り平和を取り戻すこと。
ガーランゼと戦い続けたヴィクターは、きっと多くの悲しいことを経験してきたはずです。怒りや憎しみといった感情を簡単に捨てることはできません。
けれど、みんなのために頑張ってきたのは女の子と一緒なのでした。
ヴィクターは力強い剣さばきで迫り来る爪を全て弾いていきます。
まるで、剣でダンスをするような見事な動きです。
見たこともないような素晴らしい剣士の腕前に、少女は思わずほれぼれとしてしまいました。けれど、すぐに自分のやるべきことを思い出してぎゅっと手を握ります。
頼もしい戦士に守られた聖女は優しい笑顔を浮かべながらガーランゼたちに近づき、安心させるように語り掛け、優しく両手を広げてハグをしていきました。
丁寧に丁寧に、心を込めた好意の表現を繰り返していきます。
たっぷりの愛情を受け取ったガーランゼたち。
きゅうきゅう、くーくーと満足そうに喉を鳴らしています。
おやおや、おねむになっちゃったコもいるみたい。
なんだかぴりぴりしていた空気はすっかりどこかに行ってしましました。
するとどうでしょう。恐ろしい怪物の姿がしゅるしゅると縮んでいき、あっというまに小さくてふわふわした姿に戻っていきました。
奇跡のような光景に、今度はヴィクターの方がびっくり。ぼうぜんとしたまま、聖女の姿をまじまじと見つめます。
「あの、ありがとうございます。おかげでなんとかなりました」
女の子のお礼に戸惑いながら、だんだんヴィクターは冷静になってきました。
それから、やっぱり何かがおかしいぞ? と思いました。
「いや、こちらにも事態を悪化させる原因があったようだ。その点については謝罪しよう。だが、これからどうするつもりだ?」
「む?」
「俺のように感情を抑制する訓練を受けている者ばかりではない。そして、ガーランゼに対する反射的な恐怖や敵意を常に万人が抑え込めるのか?」
そうだ。
何かがおかしい。それを自覚できないまま、ヴィクターは受け入れてしまった。
そして、この違和感をそのまま流してしまうことはできない。
理由のない直観が、ヴィクターの口をひとりでに動かした。
「それは、これからみんなで仲良く学校生活を送って学んでいけば」
「その過程は? できるようになるまでは危険なのでは?」
理解不能なまま、ただ綺麗なものを見せられた。
絶対的に正しく、実現可能な、圧倒的なまでに善なる世界を。
あるべき理想の世界を押し付けられた、という実感がある。
もしかすると、間違っているのはヴィクターなのかもしれない。
何が起きているのか、正確な理解など彼にはできない。
明瞭な言語化ができるほど事態を把握できていない。
それでも、致命的な部分についての確信がある。
「お前たちの目論見は失敗するぞ。どう考えても無理がある」
だから断言した。
目の前にいる聖女が、白かったから。
命にかかわるほどの重傷を負いながらも何故か軽傷のようにしか感じられない異常な状態の少女が、このまま突き進むのはあまりにも危ういと思ったから、言わずにはいられなかった。
無謀な者ほど無惨に死ぬ。
勇猛な者ほど誰かのために傷つく。
無数の屍の上に生かされているヴィクターは、死に急ぐ勇者が許せなかった。
この少女は理想の世界では死なないのかもしれない。
ヴィクターの世界とは違って、彼女は平気なのかもしれない。
それでも、彼女は痛みの中に飛び込んでいこうとしている。
だから、ヴィクターは間違っていてもそれを言おうと思った。
強い視線に込めた意思が、正しく伝わったのかどうかはわからない。
しばらくして、少女が口を開く。
「あの、お願いがあります」
「何だ」
口を一直線に引き結び、真面目な表情で少女がヴィクターを見る。
正確には、彼の手にした剣を見て、焦がれるように目を輝かせている。
そこに宿るのは憧れ。あるいは、美しいものに魅せられた瞬間の興奮。
「弟子にして下さい! 私、強くなりたいんです!!」
たったいま思いついたのであろう、愚かしく幼い思い付きだ。
だが、ヴィクターの問いに対する答えとしては正しい。
彼は、はじめて聖女を直視した。直視しがたい痛々しさに耐えながら。
髪色と肌はぞっとするほどに色素が薄く、太陽果に焼かれてしまいそうなほどに儚い純白。折れそうなほどに頼りない少女なのに、血のように真っ赤な瞳の輝きが異様なほどに力強く、鋭い眼光がヴィクターを捉えて離さない。
守るべき弱者だ。
か弱い女が、ヴィクターを見ている。
「私はトルテ・トローセと言います。あなたのお名前をお聞きしても?」
答えるしかない。反射のように。逃げられない。
「ヴィクター・ディスペーターだ」
女はにこりと微笑む。
そうして、はじまる。
「ではヴィクター。これから仲良くしましょうね」
これは噛み合うはずのない二人についての記憶。
これは相容れないものについての記録。
そして尽くしても伝わらない、言の葉を巡る物語。
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