トルテ②




 元気いっぱいの女の子、トルテが住んでいる街はちょっとだけ風変り。

 世界のどこからでも見える大いなるロディニオの大樹の麓に『南の国』と呼ばれる王国があります。太陽の果実が照らす温暖な気候と、二つの竜脈大河に囲まれた豊かな土地を持つ、大樹の四方に広がる国々の中でもとりわけ大きな国です。

 そんな『南の国』のはじまりの際、大樹に寄り添うように作られた新しい街にトルテは住んでいます。

 何を隠そう、ここは『共存の街』。

 トルテが暮らしている『世界樹の世界』のお隣にある『木陰の世界』からやってきた不思議なお友達、『ガーランゼ』たちがたくさん住んでいるのです。

 ガーランゼたちは不思議でいっぱい。

 恐ろしい怪物の姿で人を脅かしたり、お化けになって心の中をざわざわさせたり、本の中に入り込んで内容を変える悪戯をしたり、これまで悪さばかりしていました。

 けれどそれはガーランゼのほんの一部分。

 トルテはとある理由から小さな頃からずっとガーランゼと仲良しだったので、彼らがとってもふわふわでもこもこの優しい姿にもなれると知っていました。

 多くの人々がガーランゼを怖がっているのは、とても不幸な誤解によるものだったのです。そして、その事実を知る人は多くありません。

 そんなわけで少し前まで、不幸な擦れ違いから二つの世界は仲違いしていました。

 それを悲しく思ったトルテは二つの世界が仲良く共存できるようにしたいと強く思い立ち、影の王様に会いに行くために旅立ちます。

 同じ気持ちを持つ仲間たちを集めた彼女は、ついに影の王様とお茶会を開いて不幸な争いを終わらせることができました。

 これは、その後の平和な世界での楽しい日常のお話。

 戦いは終わりましたが、世界の人々はまだガーランゼのことを怖い怪物だと思っています。このままではまた争いが起きてしまうかもしれません。

「お友達の輪を広げましょう!」

 トルテはそう宣言すると、仲間たちと一緒にある計画を実行に移しました。

 世界中から彼女と同じくらいの年頃の子供たちを集めて、一緒に学校に通うことにしたのです。

 実は、この考えはトルテが影の王様に会いに行くよりも前から温めていたものでした。彼女は色々な事情で学校に通うことができなかったので、お友達の王子様やお姫様たちが聞かせてくれる『学校』というものに興味津々でした。

 前々から彼女に協力してくれていた大人たちがトルテの考えに賛成してくれたこともあって、トルテが旅を終えた頃には準備はすっかり整っていました。

「さあみんなっ、一緒に行進しましょう!」

 そんなわけで、記念すべき入学式の日もトルテは元気いっぱいです。

 たくさんのお友達を引き連れて、不思議な大行進が始まりました。

 草木や小動物、虫や鳥、更にはお菓子に包まれたヘンテコな姿に変身したガーランゼたちは大好きなトルテと一緒になって楽しく街の中を練り歩きます。

 小気味よく身体を弾ませて、どこか調子の外れた歌を歌いながら歩いていくガーランゼたちを見て、周りの人々は何事かと目を瞬かせました。トルテの隣を歩く親友のキャンディは顔を真っ赤にして恥ずかしそうにしています。

 けれど楽しい気持ちは次第に広がっていくものです。街の人たちもすぐにトルテと同じように笑顔を浮かべていきました。

 そんなトルテたちの姿を見て、初めて登校しようとしていた生徒たちの表情が晴れやかになっていきます。

 様々な事情で異国からこの街にやってくることになった新入生たちは、本当は胸の中が不安でいっぱいでした。けれど、トルテの能天気な姿を見てそんな気持ちがすっかりどこかに飛んで行ってしまったのです。

「トルテ、あんたまさか、ここまで考えて」

「むむ? どーしたんですか、キャンディちゃん?」

 呑気そうに見える親友に深い考えがあったのかとトルテの顔を覗き込んだキャンディは、すぐにがっくりと肩を落として溜息を吐きました。

「そーよね、あんたはそういう感じじゃないとダメよね」

 不思議そうに小首を傾げるトルテとやれやれと鞄を肩に担ぎ直すキャンディ。

 注目を集める二人はわいわいと騒がしく学院に辿り着き、正門で警備員さんを仰天させながら校内に進んでいきます。

 すると、目立つ二人に興味津々といった様子の生徒たちから視線が注がれます。

 ですが誰もが遠巻きに二人を見てひそひそ話をするばかりで、誰も二人に近づこうとはしませんでした。

「ねえ、あれって」「噂の聖女様?」「戦争を終わらせたっていう」

 何とも言えない、ちょっと距離のある雰囲気。

 好奇心を抑えきれないけれど、自分から話しかける勇気は持てない。

 そんな空気がひそひそ話を大きくして、朗らかな晴れの日の空気はちょっとだけどんよりとした曇り空のよう。

 おやおや? けれど、そんな中にも変わり者はいるみたい。

 ぴょこぴょこと小柄な女の子がやってきます。

 ひらひらとしたフリルに彩られた東方の独特な『着物』を身に纏い、帯のリボンや特徴的な履物である下駄でカタカタと石畳に音を響かせながら、短い黒髪を襟元で切りそろえた少女は無表情のままじーっとトルテとキャンディを見つめました。

「じーっ」

 口で擬音を表現しちゃうタイプみたいですね。

 それから彼女は、トルテの周りにいる不思議なお友達を興味深そうに眺めながら言いました。

「あなたたち、面白いことしてるの。データを集めたいの」

「えーっと、あなたは?」

「カリンはカリンなの。東の国から来た、トウ家の娘なの。妖怪変化の研究者なの」

 カリンと名乗った女の子はぐいっとトルテに顔を近づけ、無表情のまま目を爛々と輝かせました。

「あなたがトルテ? 『これ』、どうやってるの? 不思議なの」

「これ? ええと、何のことだろう」

 カリンの独特な間合いにトルテが戸惑っていると、更なる闖入者が現れます。

「あなたが聖女トルテですわね! 噂にたわがぬ、わたがぬ、たっ、たぬがわっ」

 突如としてトルテの行く手に立ちはだかったのは緩いウェーブのかかった濃い茶色の髪が美しい、すらりとした背の少女です。豪奢なドレス、指輪やブローチ、ネックレスには高価そうな宝石、口もとを隠す扇子。

 高貴で堂々とした貴族令嬢といったいでたち、なのですが、ちょっとだけ緊張しているみたい。言葉が上手く出てこないせいで頬を赤らめて慌ててしまっています。

 助け舟を出したのは、つんつんとガーランゼたちに触れていたカリンです。

「たがわぬ?」

「そう! そのガーランゼを手懐ける手並み、噂に違わぬ言語魔術の使い手とお見受けしましたわ! わたくしは北の国で最も歴史ある名家クリオロ家の長女ショコラ! 早速ですが、わたくしと勝負なさいませ、聖女トルテ!!」

 びし、と扇子の先がトルテを示します。

 ショコラと名乗った少女は自信に満ちた表情ですが、言われた方は状況がよくわからず、はてと小首を傾げるばかり。

「むむ? 勝負ですか? えーっと、お菓子対決とか? うーん、作るのは自信あるけど、食べるのだったらちょっと遠慮したいかも。このあいだもキャンディちゃんにダイエットしろって怒られたから」

「何を間の抜けたことを! このわたくしを愚弄するおつもり? 世界を救った聖女トルテの実力は誰もが認める所です。しかし! 誇りある言語魔術の血統を継ぐ者として、わたくしはあなたに挑まねばなりません! この魂に誓って、いざ決闘を!」

 頬を赤らめ、少し怒った様子で叫ぶショコラ。 

 『魂に誓う』というのは特別な意味を持った言葉です。

 ロディニオの大樹の下では、『言の葉』は特別な力を持っているのだと信じられていました。ショコラはそんな『言の葉の力』を自在に操る不思議な力の使い手として、トルテと腕比べをしたかったみたいですね。

 けれど、その言葉を聞いたトルテとキャンディはぎょっとした様子で表情をこわばらせてしまいました。トルテは振り返って叫びます。

「だめ、みんなこれは違うの、止まってっ」

 慌てた声が届くよりも早く、小さなガーランゼたちが反応してしまいました。

 目に見えない何かが立ち上り、楽しそうな雰囲気が一瞬で溶けていきます。

 焼き菓子がふっくらと膨らんで、中にいた愛らしい小動物はぷくぷくと大きくなって、見上げるような『くまさん』に早変わり。つんつんと指先でつついていたカリンは呆然とそれを見上げていましたが、くまさんは今度はカリンの真似っこをするように『つんつん』と大きな手を振り下ろします。

「危ないっ」

 キャンディが咄嗟にカリンを抱きかかえて逃がさなかったら、大変なことになっていたかもしれません。

「え、え? 何が起きて」

 目の前で起きている事態についていけず、トルテに向かって戦意を漲らせていたはずのショコラはあたふたとしています。

 どうしたことでしょう。

 トルテが連れてきた沢山の不思議なお友達は、その姿を次々に変えていきます。

 小さなものは大きく。ふわふわなものはとげとげに。愛らしいものは恐ろしく。

 まるで、悲しい誤解が世界を覆っていた頃のような、恐ろしい怪物たちのように。

「みんな、違うんです、あの子もお友達ですからっ、落ち着いて下さい!」

 必死になってガーランゼたちを止めようとするトルテ。

 しかし、そんな声も空しく大きな怪物になってしまったお友達が鋭い爪と牙を剥き出しにしてトルテに迫ります。

「トルテ、いま行くから!」

 親友の窮地にキャンディが助けに行こうとしますが、凶暴になってしまったガーランゼたちに遮られてすぐには辿り着けません。

 絶体絶命のピンチです。それでもトルテは臆することなく恐ろしい怪物に向き合い、決して逃げ出そうとはしませんでした。

「大丈夫だよ。信じて」

 覚悟を決めたように目を閉じて、両手を組み合わせた姿勢でじっと静止するトルテ。そんな彼女に怪物の爪が振り下ろされようとした、その時です。

「馬脚を現したな」

 硬い音が弾けて、トルテの目の前で爪が遠ざかっていきました。

 目の前にあったのは銀色の刃。

 世界樹を讃える聖句を刀身に纏わせて輝く、影の怪物と戦うための剣です。

 武器を手にトルテの前に立っていたのは、蜂蜜色の金髪と氷のような瞳が印象的な男の子でした。大人のような背丈なのに、顔立ちはどことなくあどけなさが残っていて、けれど険しい目元は何だか気難しいおじいさんのような、不思議な雰囲気の少年、というのがトルテの第一印象でした。

 颯爽と現れて窮地を救ってくれた男の子との出会い。

 まるで物語の一幕のようで、トルテは思わず胸を高鳴らせてしまいます。

 しかし、彼はトルテを振り返ると、馬鹿にするようにせせら笑いました。

「偽物の聖女め」

「むむむ?」

 どきどきの第一印象から一転。トルテは内心で頬を膨らませます。

「戦えないなら下がってろ、女」

「むーっ! なにをーっ!」

 あらら。これじゃあロマンスは期待できそうにないかしら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る