お眼鏡は如何

目々

眼鏡曇らす昨夜の過ち

 俺はお前の兄だからね、言いづらいこととかこれ言ったら関係拗れるかなってのも躊躇せずにちゃんと言うんだけどさ。

 久しぶりに会った兄に対しての第一声が『兄さん眼鏡似合わないね』ってのはね、何もかも駄目だと思うんだよ。

 なんかもうね、細かく指摘とかしたくない。全部アウト。言葉を選ぶより先にもっと正すべきところがある気がする。多分性根とかそういうソフトウェアの方だ。


 まだね、俺が実家帰ってお前がお迎えする側だっていうならその態度も分かんなかないよ。逆なんだよ今の状況。お前が好きなバンドのライブがあるからって俺の住処に転がり込んできてるわけだからね。一夜の宿をありがとうございますつまらないものですが、って何かしらを差し出して遠慮とか気遣いとかするべき立場でしょうが。別にいいけど。俺だってまともに社会人してるからね、高校生の弟一人が一泊二日で転がり込んできたところで何の負担でもないけど。いいよやめろよする気もない土下座の準備とか。やりづらいだろ。悪かったよ調子に乗ったよ。


 そんでこれ、伊達眼鏡だからね。視力、悪くなってないから。

 違えよオシャレとかじゃねえし。彼女の趣味とかじゃねえし彼女もいねえし。会社の義務ったらそんな会社怖すぎるだろ。

 とにかく。

 説明してやるから、とりあえず荷物置いて手洗ってうがいしてきなさい。お茶出してやるから。ポテチも開けるから。


 掛け始めたのね、二ヶ月前。そんで、きっかけは三ヶ月前。何そのラグって、その辺も説明するから。

 年末にね、今年俺帰省しなかったろ。大学のサークルの忘年会に、OB枠として参加しててさ。久々に会いたいやつとかいたから、そっちの方優先したんだよね。

 忘年会だからさ、盛り上がるわけよ。俺含めて普段よりOBさんとかの参加率も高いから、予算も潤沢なわけ。

 二次会三次会って飲んで食べて騒いで、終電見送ってそれでも足りないやつらが近場の先輩ん家に雪崩れ込んだ。

 そこでもそれなりに飲んだくれて、潰れたやつはその辺にひっくり返って、残った連中で半端な酔いとテンションの合間でうだうだ下んない話をしてたんだけど──なんかね、肝試しに行くことになったんだよね。真冬に。氷点下の夜に。


 何でっての、俺も未だによく分かんない。それなりに飲んでたせいもあってさ、記憶が飛び飛びなんだよね。気づいたらそういう方向で話がまとまってて、久々に会った同期の友達も乗り気で、OBさんなんかやけにびしっとした姿勢で準備運動してた。……多分ね、OBさんが言い出したんだよ。今考えると。あの人そういうオカルトとか心霊現象みたいな話大好きだったもん。現役の頃なんでか長野のおみやげもらって、何で長野? って聞いたらそこの心霊スポット巡りしてきたとかすごい回答してきたことあるし。焼き肉屋で旅行客捌いてたとか与太にしか思えないような説明してたな。

 家主の四年生がほろ酔いで参加表明して、OBさんが案内役で、二年生のやつと俺と友達で五人組。こいつらがでろでろ心霊スポット探検に向かったってわけ。徒歩だよ。近所だしな、そもそもみんな酔ってるし。スリリングお散歩ぐらいの認識だったと思うよ、みんなね。


 カツラの家って言われてるんだと、誰かが説明してくれた。

 由来はね、独自ルールが強固にある感じの人が住んでた系。……なに?

 ハゲで頭おかしかったのってね、お前さ、もうちょっと喋る前に言っていいことかどうかを五秒ぐらい考えてからにしなさい。俺が頑張って気ぃ遣って喋ってんのが馬鹿みたいに思えてくるから。失言とかじゃないもんな、暴言だよ。暴力を言葉で出力してるだけだよ。やめたほうがいいよ、そういうの。いつか同じくらいの物理的な痛い目に遭うと思うよ、兄さんは。精神かもしれないけど。つらいよ。

 由来ね、何かもう何言っても印象が薄いだろうから簡潔に話すけど、ちょっと人生が上手くいかなかった人が奇声上げたり軽めの器物損壊とかかましたりしてご近所とも折り合いが壊滅してって、最終的にはカツラみたいなのが玄関の前に飾られてて本人も家の中で首吊ってた、ってことだった。


 カツラみたいなのって何だってのは、あー……髪つきの頭皮だったんだと。

 首吊ってた本人のだってことだから、事件性はないんだよ。頭剥いでから首括るの、できるできないで言ったらできるわけだからね。ただまあ、できるからってやっちゃうのはまともじゃないよな。可能性と正当性って別枠にあるもんだから。


 そんで、そういう人がすごい死に方をして、何でか取り壊されない家の周辺で案の定変なことが起きるようになって、心霊スポットってことでそれなりに有名になって近所の人は見て見ぬふりをするけどたまに馬鹿が来るしお化けも出る、みたいな感じで落ち着いたんだよ。通称がカツラの家になりつつね。


 で、酔っ払いが五人で行った。

 家主の四年とOBさんと二年の子は、玄関見た途端に走って逃げた。俺と友達が置いてかれた。


 何か見えたんだろうね。見えなくても、何かあったんだろうね。異臭とか奇声とか気配とかそういうのが。急いで逃げないと大変なことになる、みたいな理由になり得るやつがさ。

 俺らはね、何にもなかった。見えなかったし嗅げなかったし聞こえなかった。だから逃げられなかった。


 思いっきり置いていかれたから、怖がるより先にどうしていいか分かんなくなっちゃってね。友達と二人して呆然としてから、何にも見えないなってその辺見回って認識を共有して、寒くなってきたから家に戻った。先輩たちも先に戻ってて、暗い顔して酒飲んでた。

 どうしたんですか、って聞いたら首振られたから、諦めた。家主もすごい顔してたしね。それ以上問い詰めて、ご機嫌損ねて追い出されるのも嫌だったし。何だかんだで冬だからね、外。始発出るまで結構あったし、今更他所で金使うのも馬鹿らしかったし。


 とりあえず、その夜はそこまでだった。その後ちょっとだけ寝て、電車が動く頃になったら起きて、家主とOBさんにお礼言って何となく解散。普通の家飲みの翌日だよな。


 まあ、本番は後日からだったんだよ。

 変なもんが見えるようになったんだよな。街中とか電車とか、そういう人混みの中で明らかに人っぽくないやつが目につくようになった。

 右側の形状が雑なやつとか、右側の部品が足りなかったり多かったりぐねぐねしてたり長かったり、みたいな。

 まあね、状況次第では生身の人間でもできるってのはそうなんだよ。腕がもげたり足が取れたりはさ、ありえるからね。だけど後半はちょっと無理じゃん。増やしたり変形させたりってのはさ、難しいと思うんだよ。手術でできるって言われたらそうだけど、それ改造手術ってやつになるだろうから。仮面ライダーじゃないんだからさ……。


 きつかったね。

 前歩いてる兄ちゃんのコートの右の袖口から花束みたいに掌がわらわら蠢いてたり、駅のエスカレーターで前にいる人の右足が知恵の輪みたいになってたり、喫煙所で顔合わせた後輩の右腕がカニカマみたいになってたりさ。カニカマってまあ、見た目がね。さすがに怖くて直視できなかったからどうやって煙草吸ってたのかは知らない。ちょっと気になるけど、怖い。

 そういう状況がね、正月明けてから延々と続くわけ。寝込みを襲われたりはしなかったけど、不意討ちでそういうもんを見続けてると人間って参ってくるもんでさ。どっかにお参りとかお祓いに行くか、でも効果がなかったら嫌だしそれなら手っ取り早く身投げでもするかぐらいのことは考えてたわけよ。

 で、そうやって床にひっくり返ってたら、一緒に置いてけぼりにされた友達から連絡が来た。


 祟られたけどなんとかできる人がいるから、会いに行こうって。


 そんで、まあ、あったんだよね。何とかする方法。

 細かいところは内緒な。友達の知り合いにそういうやつがいて、相談したらなんかどうにかなった、みたいな。法にはね、触れてない。でもまあ、人に好き好んで話せる感じでもない。そういう感じの人。


 で、その対処法がこれ。眼鏡。


 馬鹿みたいな話なんだけど、やったことを説明しろって言われて、カツラの家に行きましたって全部喋ったんだよ。何人かで行って、俺とこいつだけ置いてかれましたってのも。そしたら、あの家だったらまだなんとかなるとか言われて、どうすればいいんですかって縋ったら、これ。眼鏡かけろって。

 仕組み、一応聞いたんだけどね。正直よく分かんなかったんだよね。

 何だっけ、世界に対して向ける視線を一旦眼鏡で逸らすことで、焦点とレイヤーをずらして関係性を無効化する、とか。何にも分かんない。友達は納得してた。それも俺はちょっと怖かった。

 要は見ないための眼鏡だ、ってことらしいんだよね。役割としては壁みたいな。だから眼鏡なら何でもいいし、これだって近所の眼鏡屋で買ったやつだから特別な儀式とか部品とか原材料とかそういうのが一切ない。しかも伊達だしね。


 ただね、実際効果があったから。

 道理も理屈も分かんないけど、こうやって眼鏡をかけるようになったら、その手のやつは見えなくなった。友達も同じ。だから、まあ……納得してるよ。


 一応遠回しに確認したけど、他の連中は無事だった。

 気ぃ遣ったよ、下手に聞くと俺らの頭がおかしくなったと思われるしね。俺が逆の立場だったらそう思うもん。普通に社会生活してるところで、心霊スポット行ったら変なもん見えるようになって死にたくなるくらい思い詰めましたなんてさ、お祓い行くより病院行けって言われるやつだよ。しかもその後ちょっとアレな人に相談して眼鏡かけることになりましたったら、もっとやましい。胸を張れる箇所がどこにもない。

 ん、そうだな。

 俺と、友達のもう一人だけ。五人いって二人って確率としては半端だよな。

 そこも分かんないったらそうなんだよな、俺と友達だけがこうなった理由とか全然見当がつかない。俺が遅生まれだから干支も違うし。性別くらいしか共通点ないしな。そもそもあの時は何も見えなかったのに、あとから見えてるってのも気持ちが悪いだろ。そもそも見えてるものだって、あの家と関係があるかったらきっとないだろうし。全部が噛み合うようで合わないっていうか、因果の合わせ方が微妙にずれてるって言うかさ──何?


 お眼鏡に適ったんじゃないかって、嫌だな、それ。


 よくそんな的確にひどいこと言えるね、お前。まあね、眼鏡違いだったらもっと嫌だけどね。勝手に試されてがっかりされるの、誰が相手でもすっごく嫌。選別って二種類じゃん、不良品か合格品かみたいなさあ。基準がどこにあるのか分かんないなら尚更さ。

 ──ああもう。馬鹿なことしたよ。それは本当。眼鏡さ、あんまり長時間かけてると耳痛いんだよ。風呂と寝るとき以外はずっとつけてるからさ。

 家では外せばいいじゃんって、外して見えたらもう俺ここにいらんなくなっちゃうからね。慣れればいいんだろうけど、つうか慣れるしかないんだろうけど。外してあんなもん見るのを考えたら、多少の不自由は受け入れるべきなんだろうけど。

 人間その場のノリでやらかすと、意外と面倒なことになるからね。ちゃんと生きた方がいい……兄さんからの忠告だよ、ありがたく聞いておきな。

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